6-19 まさかの訪問者
お義父さんと話した翌日、日曜日。
ニュースではその日もまた真夏日となる予報を告げ、早朝から鳥たちがさんざめいていた。
「くそっ、レイカのやつ!」
そう言いながら布団に寝転がり、スマホを枕に叩き付ける。
あれからレイカに電話すること三度、すべて着信拒否。昨日の夜に二回、今朝になって一回、いずれも撃沈。電話にでんわ。
……だからここはいっそのこと、こだわりを捨てて優佳から話をするべきか考えていた。
レイカは話をするチャンスさえくれないが、優佳が電話を拒絶することはない。直接会うことだけは避けられているが、突破口としてはそちらのほうが早いのかも?
もしくは毎日家へ押しかければ、どちらかとは会えるだろうか? お義父さんは味方に付いてくれそうだし、籠城戦になっても引っ張り出してくれるかもしれない。
……なんて少し考えたけど、やめておこう。だってお義父さんの認識している問題は、あくまで僕と優佳の間だけだ。優佳と話すことについては説明がつけられるが、レイカと会わなければいけない理由はお義父さんに説明できない。
そう考えると……お義父さん、ごめんなさい。やっぱり僕はあなたに信頼してもらえるだけの人間ではないかもしれません。
でも先に優佳に会う選択肢は考えておかなければならない。
昨日、お義父さんの前であれだけ大見得を切ったんだ。もし優佳との将来が潰えたとして、もう一つの選択をする未来はない。
しかし、少し出鼻が挫かれつつある。とりあえず頭を切り替えよう、今日は部屋の掃除だ。
立ち上がって敷き布団を畳む。だらしない生活はやめると心に決めたんだ。こんな状態で優佳が帰ってきたとしても結果は見えている。
急がば回れ? 病は気から? 健全なる精神は健全なる肉体に宿る? ……どれも違う気がするけど、その意気だ。
と、意気込んだところにインターホンが鳴った。めずらしいな、宅急便か受信料の請求だろうか?
覗き穴から訪問者の顔を見て……僕は混乱した。
けれど、僕はそのドアを開けるしかない。なぜならインターホンを押したのは訪問者ではなく、この家の主なのだから。
「優佳……?」
「あ、その、えっと……ちょっと、いいかな?」
そこには白帽子に向日葵柄のサマードレスを身に着けた女の子。
自分からインターホンを押したくせに、所在なさげで、目線も斜めに飛ばしながら、優佳が約四ヶ月ぶりの帰宅を果たした。
「もちろん、いいけど……どうしたの」
「えっと、その……」
優佳がこんな焦っているのを見るのは……はじめてじゃないだろうか?
いや僕も相当にどうしていいか、わからなくなってるけど……
「上がって、く?」
「……いいの?」
「もちろん、ここは優佳の家でもあるんだから」
少し顔がこわばってしまったが、できるだけ自然に見えるよう、笑う。
優佳も同じように、こわばりをかき消したように笑った。
「じゃあ……おじゃまします?」
そして借りてきた猫のようにおとなしい優佳を部屋に入れ……僕の頭は情報でパンクしそうになった。
あれ……なんの話をすればいいんだっけ。
世間話? 謝罪? いや、優佳から訪ねてきたということは用事がある? じゃあ会話の主導権は預けたほうがいい?
李さんの話? 僕の報告から? いや優佳がそれを聞きに来た? それとも昨日の話をお義父さんから聞いて、文句を言いに来た?
それとも別れ話? そしたらあの反応はないだろう? 本当に? それとも優佳から謝りに来た? なにを? 家出のこと?
と、頭の中で一人で色々なパターンを想像していると――
「ちょっと、なにこれ~~!!」
優佳の大声で我に返った。
声を発した主は、勝手に風呂場をのぞいていた。
「サトシ! もぉ~なんで一人になるとこうやってすぐ汚しちゃうの!?」
いつもゆるい目元をした優佳が、少しばかり釣り上げてプリプリ怒っていた。
「や、だから、今日から掃除しようと……」
「なに、今日からって! そんな決まり切った言い訳! ああ、もう洗濯機の中も洗ってない洋服でいっぱい……」
優佳がうんざりした声を上げる。
「いつから洗ってないの!?」
「えっと、多分五日くらい……?」
「この夏場にそんなにため込むなんてなに考えてるのよっ! 汗の匂いが染みついちゃうじゃない、洋服たちがかわいそうでしょ」
「えっと、その、ごめん?」
僕が場の状況について行けず、とりあえず謝ってみたものの、優佳はその僕を片手で押しのけて今度はリビングに向かう。
「あああ~~流しにも洗ってない食器がいっぱい! 使った後、ちゃんと水につけてないの!?」
僕が先日作ったチャーハン(?)に使った皿をこちらに見せつける。
確か、食べた後にテレビを眺め、眠くなったのでそのまま寝たから……
「あ~、その、ごめんなさい」
「ごめんなさい、じゃないでしょ! お皿から汚れが取れなくなったらどうするの? それに掃除もしてないでしょ、ってクリーナーも充電されてないじゃない!」
優佳は家の中を駆けずり回って、ああでもないこうでもないとダメ出しをする。
「ちょっと、サトシ聞いてるの!?」
優佳が両手を腰に当てて、こちらに向きなおる。
部屋の中心で、両手に腰を当てて怒る優佳の姿を見て、僕は。
「……だ」
「なに? 聞こえない!」
「優佳だ……」
本当に、優佳がいる……
お姉さんぶって、上から目線で、いつでも騒がしくて、なんでも一喜一憂して、急に甘えたがりになって、いつでも僕の隣にいた人。昔っからべったり近くにいて、離れてくれないのが当たり前で。
僕の代わりに怒ってくれたり、泣いてくれたり、笑ってくれたり。
そんな優佳だから隣にいないと落ち着かないし、姿を探し求めてしまうし、放っておけないし、側にいてくれないとダメだった。
僕がこの三ヶ月なぜ生きて来れたのか、不思議になった。
「本物……だよね?」
「はい、そうですよ」
穏やかな顔で優佳は言う。
僕は今更ながら実感した、本当に優佳は帰ってきたんだと。
優佳が帰ってきてから二度、顔は合わせてる。
一度目は祭りの日、二度目は李さんに会いに行く日。いずれも落ち着いて話をすることなんてできなかった。
だけどいま優佳は、交代で朝ご飯を作った空間で、ケンカをした灯りの下で、喜怒哀楽を共にした部屋で言葉を交わしている。
僕の生活感のなさに呆れて、遠慮なく言葉をぶつけてくれる。
それが、たまらなく、嬉しい。
「優佳……無事に帰ってきてくれて、本当に、良かった」
僕はそのまま膝から崩れてしまう、感情が抑えきれない。
「もしかしたら、なにか事件に巻き込まれてしまったんじゃないかって……」
優佳に聞きたいこと、話したいこと、怒りたいこと、謝りたいことがたくさんある。
でも、こんないつも通りの優佳を見たら、そんなこと全部がどうでもよくなってしまった。
ただそこに優佳がいてくれるだけで、僕はこんなにも安心できる。
「サトシ……」
いつの間にか優佳は僕の前に座り混んでいた、そして僕の頭を胸に押し当てる。
「本当に、心配かけて、ごめんなさい」
「もういいんだ……全部、どうだっていい。優佳がちゃんと帰ってきてくれた、生きていてくれるだけで、こんなにも嬉しい」
優佳は僕の頭を撫でてくれる。
散らかった部屋の中心で、一番ボロボロになっている僕のことを。
時折、優佳はそうしてくれていた。
冗談半分でそうすることもあったが、その残り半分は本気だった。
僕だって優佳にするときは同じだったから。
優しくて小さい手をいつまでも握っていたい、綺麗な金糸のような髪をいつまでも触っていたい。
一番近くに感じていたい、それだけで僕の人生に足りないものなんてないって感じられた。
「優佳」
僕は優佳の手を逃れ、少し顔を上げて優佳の顔を見る。
……優佳の目尻も、薄っすら光っていた。
言葉を並べたくなかった、いまここにお互いがいればそれでいい。
僕は優佳に吸い込まれるようにして顔を近づけていった。少しばかり優佳の汗の匂いを感じ、それが僕をどうしようもなくさせる。
そして優佳の両肩を掴み、引き寄せ――
「サトシ」
――寸でのところで、優佳は僕の手から逃れ、立ち上がった。
「……部屋の片づけ、しよ?」
そういってすっと踵を返すと、スタスタと風呂場の方に歩いて行く。
「わたしが洗濯する。だからサトシは食器洗いと……掃除をお願い」
そう言って向ける優佳の笑顔がどういった種類のものか、いまの僕には判断できなかった。
急なお預けを食らって正常な判断ができない。
……とりあえず食器洗いでもして、気持ちを落ち着けることにした。
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