6-20 まるで半年前に戻ったような


 それから優佳とは家事を通して当たり障りのない話をした。


 もうそれこそ天気の話から始まり、アイドルグループの誰それが卒業したとか、お互いの鼻歌で曲当てクイズとか、小学生でもしそうなやりとり。


 まるで知り合ったばかりの友達が話題探しをしているようにも見える、でもよくよく考えると優佳とはそんな会話ばかりしていたような気がした。


 人と人が仲良くなる過程はいろいろあるかもしれないが、スタート地点とゴール地点は意外にも同じところなのかもしれない。


 優佳が洗濯をして僕が掃除をするなんて、思えばいつも通りの役割分担だ。優佳は僕の下着を触ることに抵抗がなくても、優佳は絶対に自分の下着を触らせない。 


 当たり前のような気もする……って、言っておくけど優佳の下着を見て興奮するほど、僕だって子供じゃないつもりだ。いや子供じゃなくなったからこそ下着に興奮を覚える人がいるのか?


 一応、健全な青少年として”なんとなく”優佳の下着をまじまじ見たい気持ちはある。けれど興奮しないなんて言っても優佳は怒るだろうし、いまさら率先して洗濯をしたいなんて言って白い目で見られるのも微妙だ。


 触らぬ下着に祟りなし……って、なんで僕は下着に対する回想を延々としなければならないのだろうか。あ、ムッツリスケベ認定されてるから仕方ないのか。死にたい。


 まあ要はそういうバランスによってこの家事分担が成立している。変に交代を申し出ると蛇が出てきかねない。


 僕はベランダで洗濯物を干している優佳の方を眺める。

 雲一つない空に向日葵のサマードレスと金糸の髪が揺られ、少し背伸びをしながらTシャツやらタオルやらをハンガーにかけていく。


 そして優佳は急に掴んだTシャツをまじまじ見つめたかと思うと……鼻を寄せて匂いを嗅いだ。


「お、おい、優佳?」


「っ、なによう!?」


 優佳は僕のシャツに顔を寄せたまま離そうとしない。


「……クサいですか?」


「クサくは、ありません……って、放っといてよ!」


 そう言ってシャツを抱えたまま僕に背を向ける。


 優佳は少し匂いフェチなところがある。

 以前も首元の匂いなんかを嗅ぎたがったし、その匂いが安心するとか口にしていた。


 まあ、その……匂いがすると言われて複雑な反面、もちろん悪い気はしない。

 優佳はある程度匂いを嗅いで満足したのか、シャツを物干し竿に掛ける。先ほどより満ち足りた顔をしているのはひいき目だろうか。


 ふと、優佳は僕のパンツで興奮するのだろうかなんて考える。

 優佳は僕よりは年齢的に大人だ。つまり先ほどの論理でいうと優佳のほうが視的パンツ興奮度数が高いといえる。


 いや、興奮なんてしなくても、なにかしら特別な反応をするだろうか? それとも淡々とただの布切れと流れ作業をするのか気になった。


 僕は洗濯物を干す優佳を盗み見る、パンツを手にするその時まで。

 そして見ていることに気付かれないよう、流し場で食器洗いの振りをしながらカチャカチャと音を立て続ける。


 水音でもカムフラージュしているので水道は出しっぱなし。好奇心と水道代は同額だ、世の中はままならない。


 そしていよいよ……優佳は僕のパンツを手に取った。


 優佳は、まず僕のパンツを眺める。

 パンツのゴムは黒でねずみ色のボクサーパンツだ、僕が持っているパンツの中でもヒエラルキーが高く、率先して穿く傾向にある。


 両手でピッと両端を伸ばし、なぜか少し足を開いて真剣に睨み合っている。それは実に見事な眺め方だった。


 そのボクサーパンツはゴムの締まりがややキツめで、腰回りに跡が残り”あせも”ができやすく、この季節とは正直相性が悪い。ただ色合いが僕好みでそれを穿くと、自身が上流階級に属したようで気分が良かった。


 僕は固唾を飲んでその光景を見守る。優佳が躊躇する理由はない、そのパンツは極めて清潔であるはずだ。

 なぜなら時たま洗濯の時に、はらりと落ちる毛については傑先輩にすべて回収されてしまったのだから。


 優佳は未だに高貴なパンツと睨み合っている。

 僕の視線は既にベランダの方にしか向けられていない、けれど食器洗いの振りは忘れなかった。


 しかしいくらなんでも眺めている時間が長すぎる、こうしてる間にも水道代がかかっているのだから、嗅ぐのならさっさと嗅いで欲しいと逆ギレしそうになる。


 いや、もしかすると……食べるかもしれない。

 優佳がまだ朝ごはん食べていない場合、それをする可能性は大いに考えられた。


 もし食べられてしまった場合、優佳を部屋に迎えた時点でお茶請けにトランクスを用意しなかった僕のミスだ。よりにもよってボクサーが食われてしまうとは……後悔先に立たず。

 

 青空を背にパンツを眺める優佳は、絵画のように美しい。そしていまベランダに優佳がいる光景、四か月前に戻れたようで少し胸を締め付けた。


 あ、まずいちょっと泣きそう。

 僕は目元を拭おうと、手の甲を目に当てると……


「痛って!」


 目に洗剤が入ってしまった、当たり前だ。

 そしてその声に反応して優佳がこちらを見る。


「「あ」」


 目が合ってしまった。

 優佳は手をあたふたさせ、足元にある洗濯カゴにパンツを投げ入れる。


「み、見てたっ?」


 優佳が主語なしで聞いてくる。


「お、おいしくないよ」


「……なんの話してるの」


「いや……嗅いだら食べるかな、って思って」


「やっぱり見てたんじゃないの!」


「あ」


 優佳が主語なしだったのに、わざわざネタバラしにいく僕。優佳は顔を赤くしながら、カゴからまた僕のパンツを取り出した。


「ベ、別に、サトシのパンツなんか、パンツなんか……!」


 赤面しながら開き直った優佳は、僕のパンツの端をぎゅっと握りしめ――


「た、食べないでください!?」


「食べないよっ!」



---



 一通り家事も終わると、十四時になっていた。

 いい加減にお腹も空いてきたけど冷蔵庫にはなにも入っていない――無論そのことでも怒られた――ので、スーパーに買い物へ行った。


 優佳が手を後ろに組んで食材の良し悪しを判断し、僕がカートを引きながら付き従う。レジのおばちゃんにも「優佳ちゃん久しぶりじゃない?」と言われ、少し実家に帰ってました、と頭を搔いた。優佳は外見が目立つし、夕霞にずっと住んでいるので顔見知りも多い。


 食材を買うのと合わせて、真ん中で割れるチューブ型のアイスを買った。夏しか売ってないホワイトサワー味だ。それを半分にして口に頬張りながら、重いビニール袋を僕が持ち、軽い方を優佳が持つ。


 真夏の日中に買い物に出るのはしんどかったが、新鮮な気持ちだった。


 同棲を始める前、両親の出張で実質一人暮らしだった時は、買い物に行くのはせいぜい夕方からだった。平日は学校だし、土日には午前中に起きることもなかった。


 けれど二人で暮らしていると、自然と相手の生活に歩み寄るものだし、お互いが一緒の時間を過ごすために時間を作ることだってある。


 もちろん、それ自体が楽しいことばかりとは限らない。けれどこうして二人アイスを咥えながら、木陰の下を歩きながら遠くの陽炎を見ていると、言葉にはできない充実感があった。



 家に帰ってから優佳がキッチンに立った。

 手伝うと言ったけど、優佳は「今日はお姉ちゃんに任せなさい!」と聞かなかった。


 キッチンに立った優佳は普段、器用にも喋りながら手を動かしているのだが今日は大人しかった。僕は手持ち無沙汰でテレビのチャンネルを回したが、面白いものは何一つやっておらずテレビを着けたことを後悔した。


 電源を切ったら沈黙を引き戻してしまう――結局、音量だけ下げて僕は優佳の背中をずっと眺めていた。


 しばらくすると優佳はさくっとマカロニサラダとアスパラガスのベーコン巻を完成させ、僕はインスタントの味噌汁に、お湯を入れる作業だけ手伝った。


 ローテーブルの上に配膳し、お互い座布団の上で向かい合う。そして二人で手を合わせ、少し遅い「「いただきます」」をした。


「優佳、ちょっと味付け変わった?」


「あっ、わかる? あっちで美味しかった調味料を少し混ぜてみたの」


 ”あっち”とは李さんの国にいた頃の話だろう。


「食材とかも違うだろうし、大変だったんじゃない?」


「最初の頃はね? でも次第にそれも楽しくなってきて、あっちの国の料理も結構作れるようになっちゃった」


 優佳が得意そうにその話をする。


「へえ、それじゃあレパートリーが増えたわけだ。次になにを作ってくれるか楽しみだ」


「ふふ~、機会があったらね? サトシも少しは和食以外のレパートリーを増やしてかないと」


「僕だって昔よりは作れるようになったよ、こないだだってチャーハン作れたんだから」


「チャーハンくらいだったら、フライパン使ったら誰でも作れるでしょ~?」


 そう言って優佳は口元に手を当てて笑う。


 ……うーん、いまの発言は少し甘えが前に出てたな。

 チャーハンを作れたことを褒めて欲しくて、少し前のめりになってしまった。


 優佳とはまだ戻れたわけじゃない。昔と全部が全部、同じだと思ったらダメだ。


「ねえねえ、李さん。会ってみてどうだった?」


 努めて明るいノリで、優佳は本当のところを聞いてくる。それに僕が神妙になって返す道理はない。


「う~ん、なんていうか意外だった」


「意外?」


「うん、なんかレイカのお母さんっていうから、気の強そうな人を想像してたけど、穏やかな人で少しびっくりした」


「そう? わたしは想像通りの人だと思ったよ?」


「優佳は昔から連絡取ってたし、人となりを知ってたからじゃない?」


「う~ん、そうかなあ? あ、でも昔はレイカみたいに結構ワルぶってたりしてたみたいだよ」


「えっ、そうなの?」


 そう考えると李さんの血筋は母親、レイカ、ファン君とみんな並々ならぬ道を辿っていることになる。

 ……ちゃんと最後には丸く収まるって、ことだよね?


「それにちょっと抜けてるとことかは、レイカと同じだと思う」


「あ、それは僕も思った」


「だよねっ?」


 レイカもトゲトゲしく見えるが、中身は結構ポンコツだ。

 自立してそうに見えてなにも知らないし、好きなものラーメンのヒヨコだったり意外と女の子な一面がある。


 李さんが「ア~」と言って手を合わせ、レイカのことを聞きたがる仕草が頭をよぎった。


「けど、ファン君は昔のレイカにそっくりだった」


「ふふ、そうね。あの頃のレイカが一番大変だったし、よくケンカしたかも」


 ファン君は李さんの息子兼お目付け役。

 純粋無垢な李さんがたぶらかされない様に、睨みを利かせている中学生。……どっちが保護者かわからない言い方だ。


「でも本当は李さんを心配してるのが伝わってくる。優佳のことを心配していたレイカみたいにね」


「……うん、そんなレイカに助けられたこともあったね」


 優佳は少しだけ懐かしそうに目を細めた。


「レイカは、李さんに会うって?」


 僕はどうするか知っていた。

 けど、それをレイカから聞いたというほど僕はバカじゃない。


「うん、興味なさそうに会うって言ったけど、ホントは会いたくってしょうがないって顔、してた」


「そっか」


 ……一応、二人の間でそのくらいの会話はできているってことか。


「って、なんでサトシが先に会いに行ってるのよっ!」


 優佳が手首にスナップを効かせ、宙にツッコミを入れた。


「はは……」


 愛想笑いをしてみたものの、なんと言ったものか。この説明は旧夕霞中メンバーがたくさん出てくるし、長くなる。


 それにこの話を深堀りすると腹にぐっ、と力を込めて続けている”楽しい会話”が終わりかねない。


 いまや僕と優佳の関係は地雷原だ、注意して歩かないと話の雲行きが怪しくなってしまう。


 本当だったら地雷をすべて取り除いてから気持ちよく楽しい会話に興じたい。けど、それを僕から提案してはいけない気がしていた。


 だって優佳は訪問の目的をいまも明かしていない。


「……でも、サトシも李さんのこと理解してくれたみたいで良かった」


 反応のない僕の間を埋めるように優佳は、言葉を継いだ。


「うん、僕もまだまだだなって思った。人を見る目がないなって」


「そ~ね? 会ってもいないのにキライだったもんね~?」


「……それを言われたら頭が上がらないよ」


 そういって僕たちは笑い合い、その場を乗り切った。

 僕はそれと同時に最後の一口を含んで箸を置き、それを見た優佳がいそいそと箸を進め始めた。


「優佳、もうちょっとゆっくり食べていいよ?」


「べ、別に急いでいるつもりはな……っ!?」


 優佳は不自然に会話を止めて咳き込みだした。


「ほら、言わんこっちゃない……」


 優佳の側に寄り、背中を軽く叩いてティッシュを手渡した。


 最初、僕の介抱を手で遮ろうとしたが咳は中々収まらず、少しの間だけ優佳の背中をさすり続けた。


「も、もう~サトシがそういうこと言うから、本当に詰まっちゃったじゃない~!」


「僕のせいかよ!」


 そういって優佳は涙目で笑顔を見せ、口元を拭いたティッシュを丸く包んだ。


「ふふ、冗談だよ。……それよりサトシ、お茶だけもらってもいいかな?」


 少し顔を白くした優佳が、掠れた声で言った。


「もちろん、温かい方がいい?」


「そっちで、お願い」


 僕は名残惜しく優佳の背から手を離し、二人分のお茶を入れにキッチンの方へ向かう。


 ――だから僕は気付けなかった、優佳の異変に。

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