6-12 五年前の不発弾


「それはそうと纏場、ハッキリさせておきたいけど……」


「うん?」


「あなた、優佳さんとレイカさん、どっちが、好きなの」


「……」


「私には直接的には関係ないけれど……でも優佳さんとは卒業後もずっと友達だし、気になってる」


 ヤジウマって言われたらそれまでだけど、無視を決め込むには私はこの問題に関わりすぎた。


「そして纏場、私はあなたとも、友達のつもりよ」


「……エーコ」


「あなたにはちゃんと幸せになって欲しいと思う。だから必要以上に関わるし、幸せになる方向に無理やりにでも誘導する」


「はは……僕の周りは、そんなヤツばっかだな」


「感謝しなさいね?」


「本当に、感謝しています」


 わざとかしこまったような言葉を口にする。


「よろしい。あ、それとね? 今日レイカさんに会ったの」


「レイカに?」


 纏場が不思議そうな声を出す。


「すごい綺麗な人じゃない。冴えないあなたが、あんな人と同棲してたなんて絵が想像できないわ」


「ひどい言いようだ」


「私からしたらそれくらい衝撃的な美人よ。そんな人が同じ夕霞中にいたなんていまでも信じられない」


「あの時のエーコ、人に興味なかったもんな」


「そう言われればそうだけど、纏場に言われるとなんか腹が立つわね」


「なんで僕に言われると、腹が立つんだよ……」


「だって纏場ってヘタレだもの」


「相変わらず評価低いなぁ」


「だけど纏場のいうことも少しわかったの」


「うん?」


「レイカさんを見て、会って、表情を見て……どこかもの悲しいなって姿、目にしたの」


「……そんな見てわかるくらいひどかった?」


「あ、別にずっと凹んでる顔してたとか、そういうのじゃないの。たまにふっと見せる瞬間にそう感じただけ。事前にそう聞いてたから、そう見えただけかもしれないけど」


「なんだ、ビックリした……」


 纏場は脱力したため息を付いた。


「レイカさんとは、いまも一緒に住んでるの?」


「まさか。僕は元住んでいたマンションに戻って来たよ、気ままな独り暮らしさ」


「確か、元々は優佳さんと同棲してるって聞いたけど」


「うん、もちろんいまは優佳は一緒にいない。実家暮らし」


「てことは、レイカさんと優佳さんは同じ屋根の下ってこと?」


「そうだね」


「……大丈夫なの?」


「じゃないかな? レイカが荒れてた時もなんだかんだ上手くやってたみたいだし」


「そんなもの? だって一応は纏場を中心に三角関係になってるのよ?」


「……三角関係って言われると、なんか複雑だな」


「否定できる?」


「……否定はしない」


「だから心配してるんじゃない。知らない間に縁藤家がスゴイことになってるかもしれないのよ?」


「脅かさないでくれよ。ケンカは……ないとは言い切れないけど。そんな大きく仲違いすることはないと思う。僕と縁が切れることはあっても、あの二人の縁が切れることはない、それが縁藤一家だよ」


「随分と信用しているのね」


「長年あの家族を見ていればね。エーコだってエリちゃんと絶縁することなんて想像できないだろ?」


「ありえないわね」


 脊髄反射で即答した。

 ……即答したけれど纏場が言うようなトラブル、仮に絵里が傑先輩を好きになってしまった未来を思い浮かべてみる。


 お互いに一人のヒトを好きになったことを知る。それを知った私たちからは少しずつ会話が失われていき、ついには食卓で絵里と向かい合って座っているのに、二人の口からは一言も言葉を交わすことなく、食器を片付けることになる。


 私はそれが辛くなり、自分の部屋に戻ろうとする絵里に声をかける。しかし絵里は私の声が聞こえているのにもかかわらず、足を少しも休ませず階段を登り、ドアを強く閉めて私を拒絶する。


 静かなリビングに残された私は、部屋の灯りが発するノイズと、秒針の刻む音を聞き、胃の重たさを感じながら、無味簡素な食事を口に運んでいた……


「やだよ、えりぃ……」


「そんなに!?」


 少し落ち着いて涙を拭く。いけない、ちょっと万感胸に迫り過ぎた。


「失礼、でも本当にそうなりそうだったら……きっと私が折れるんじゃないかな、って思う」


「それでも譲れなかったら?」


「それよりも譲れないことなんかないわ」


「……エリちゃんのこと、大事にしてるんだな」


「あまり口にするもんじゃないけど、きっと家族ってそういうものだから……あっ」


「……ほら? そういうもの、だろ?」


 纏場の言わんとすることは分かった。確かにいざとなったら、きっと私は日々の平穏を大事にするのだろう。


 傑先輩とのことを比べるわけではないが、もし二択になってしまった時に、全てを捨てて傑先輩の元に行くかと言われたらそれはありえない選択なんだ。


 現実社会で生きる私たちに、駆け落ちしてしまうほど地に足のつかない恋愛をするのは難しい。


「なるほどね、そしたら確かに大丈夫かもしれないわね。けれど、それで大丈夫じゃなくなるのは纏場なんじゃないの?」


 大丈夫、ということは家族間の関係が守られ、外野がシャットアウトされることだ。


「そうなんだよねえ」


「まるで他人事ね。っていうか、あなたレイカさんと駆け落ちしようとしてたんじゃないの?」


「いや、別に駆け落ちをしようとしてたワケじゃ……」


「そうなの? いまとなってはどっちでもいいけど」


「なら掘り返さないでくれ、少しグサッと来た」


「じゃ言って、正解だったわね」


 私はフフンと鼻を鳴らす、ヒトをイジるのって楽しい。


「脱線したけど優佳さんとレイカさん、結局どっちにするの?」


「……ズバッと聞くなぁ」


「ハッキリして欲しいもの。でないと周りこそどう接したらいいかわからないし」


「気を遣わせちゃって申し訳ない」


「ホントにね、で?」


 少しの間、沈黙があった。


 それはいま答えを考えているかと言うより、本当の意味で林映子に教えてしまっていいものか、悩んでいる間に思えた。でも私にはそれを強制する権利は、絶対にない。だって私がいくら纏場のことを信頼していたって、相手もそうとは限らない。


 それにそもそも纏場と仲違いするきっかけだって元々はいまと同じ理由、”私が纏場の秘密を知りたがった”ことが原因だ。


 だから少なくとも先日に人生の節目を迎えた私は、纏場がそれに黙秘したって絶対に怒ってはいけないんだ。これは纏場に問うているようで試されているのは私だった。纏場に信頼できると認めてもらえるかどうか、そして打ち明けられなかったとして、怒りたくなるのを堪えられる私でいられるかどうか……


 ごくりと音を立てて、唾を呑み込む。


「僕は、優佳とやり直したいと思ってるよ」


「……そう」


 私の肩から力が抜けていく、その言葉に幾つかの意味で安心した。


「虫のいい話かもしれないけどね」


「そんなことない、それでいいと思う」


「そう言ってくれると助かる」


「本心よ、私は優佳さんのことが好きだから」


 そう口にすると同時に私には多少の罪悪感があった。だってレイカさんと会って、彼女を素敵な人だと思いながらも、私がどちらの味方をするかと言われたら、レイカさんに背中を向けるしかないんだ。


 レイカさんは、いい人だと思う。

 けれど、比べたくないけれど、私はやっぱり優佳さんを応援したい。また纏場と二人で並んでいる姿を見たい。


「優佳さんとはもう話をしたの?」


「した。けど前途多難」


「なんで?」


「優佳は、僕を拒絶してるみたいだ」


「どういうこと?」


「レイカのことを、大事にしろって」


「え……」


 どうやら予想以上に話がこじれているらしい。


「それで纏場はなんて言ったの?」


「会って話がしたいって、けれどそれとなく断られた」


「そんな……」


 あの虫も殺せなさそうな優佳さんが纏場の事を拒絶? でも意地っ張りなところがあるから、その姿は想像できるような気がした。


「拗ねさせちゃっただけじゃないの? あの人そう言うところあるから」


「わからない。でも優佳がいない間に、レイカと過ごしていたことで怒っているのかもしれない」


 優佳さんがいない間に纏場がレイカさんと同棲したこと? でもそれは幼馴染の、友達の延長ではギリギリ許されることなんじゃないのだろうか? だって彼らは幼馴染でお互いの家によく行くこともあったはず。それなのに今更同棲くらい……くらいってことも無いかもしれないけど、あの優佳さんが拒絶するほど怒ることなのだろうか?


「でも、纏場、その、なにもしてないんでしょ?」


「なにも、って?」


「言わせないでよ」


「……」


「え!? うそ、しちゃったの?」


「……キスする手前のところを、優佳に見られてる」


「なにやってんのよ」


 事後……ではなかったけれど、それは確かに優佳さんを傷つけているかもしれない。私も傑さんが他に……例えばレイカさんとキスしてるとこなんて見てしまったら、どう思ってしまうか分からない。


「でも、他になにかしちゃったわけじゃないんでしょ!?」


「…………うん、してない」


「いまの間はなによ!」


 私は「は~っ」と大きなため息を付く。


「なんか、ごめん」


「いいわよ、とてもフォローする気にはなれないけど」


 でも仕方ないような気もする。だって自分の恋人が三ヶ月音信不通で、その間にあれだけ綺麗な人が自分に助けを求めてきていたんだ。それでなびかずにいられる男なんて正直中々いないと思う。


 けれど、それとこれとは話は別だ。

 優佳さんはその現場を目撃してしまったというのだから、そのショックは計り知れない。


「だから僕は優佳にもう一度会ってきちんと話をしたい、けれどそれがなかなか上手く行ってないのが現状」


「はあ、なんか面倒くさいことになってるのね」


「けど……僕は許してもらうまで、頭を下げ続けるつもりだ」


「纏場?」


「考えたんだ。僕は確かに不誠実なことをしたと思う、それは消えない。でも僕は優佳とこれからも一緒に居たい、それだけは譲れないなって思ったんだ」


 私は少しばかり言葉を失う。

 纏場からすれば当然のことを口にしただけかもしれない。けれどそれが自然と口から出てくることに驚いた。


 ……人と言うのは場の空気に流されてしまうようなものだと思っている。


 たいして面白くないことであっても誰かが笑ったらそれに合わせて笑ったり、誰かが人のことを悪く言ってたとしたら、その場だけは悪者になってもらったり。決して自分はそう思っていなかったとしても、そのまま話が進んでしまうような、そんな感覚。


 けどいまの纏場の言葉はそうではなかった、流れを強引に断ち切る力、そんなものを感じた。


 ――優佳さんに、纏場とレイカさんがキスしそうなところを見られた。この話を聞いて私は漠然と、ひねくれ続ける優佳さんと、しょぼくれる纏場の姿をイメージしていた。いつになったら仲直りするのか分からない、やきもきしたような空気が漂い続ける、そんな気持ち良くない未来。


 けれどそのイメージは纏場の一言で吹き飛んだ。


 きっと纏場ならやってくれる、そう思わせてくれるような、力強くて頼もしい言葉だった。そして今更ながら感じた、纏場は本当に優佳さんのことが好きなんだと。


「纏場……変わったわね」


「……少しは、僕だって成長してるんだぞ」


「うん、いいと思う。格好いい。優佳さんをぎゃふんと言わせてやって」


「ぎゃふんと言わせようとは思わないけど」


「ううん、いいの。優佳さんは私にも隠して隣の国に行ったんだから。隠し事をされて私は怒ってるの、だからその代わりに少しこらしめてあげて」


「はは、了解」


 その笑い声に釣られて、私も笑った。

 いま私たちは確かに生まれ変わっているのかもしれない。だって昔は友達と電話することでこんなに心温まるなんて考えたことも無かった。


 そう言う意味ではずっと生まれ変わり続けていくことが、生きていくってことなのかもしれない。


「頑張って。本気で応援してる」


「ありがとう」


「別れる、なんてことになったら許さないんだから」


 そう約束して、私は電話を切った。


---


 しばらく私は先ほど纏場と電話していた内容を反芻していた。


 優佳さんに許してもらえるまで頭を下げると言った纏場。正直、格好良かった。ああいうことを私も言われたいなと思った。別に纏場のことが好きだとかそういうのでなく、それだけ人に想われてみたいとかそういう意味だ。


 優佳さんにも直接伝えてあげたい。あなたはそれだけ纏場に想われてます、だからちゃんと向き合ってあげてって。


 でもそれを伝えるのはいいことなのだろうか? なんとなくフェアじゃないような気がする。


 それに私から言われても、人づてに聞いたら安っぽくなってしまう。だからそれはやっぱり纏場が優佳さんに向き合ってしっかり伝えるべきなんだ。


 私でさえその熱にちょっとアテられてしまったんだ、優佳さんにはもっとしっかり伝わるし、感動することだろう。



 その時、私は急に思い出した。


 なんで、いままで忘れていたんだろう。

 それはまさしくあの時と同じで、電波を受信したとしか思えなかった。


 私は机の一番下にある戸棚を開き、卒業アルバムのさらに奥にあるもの取り出した。


 それは、纏場の第二ボタン……いや、正確には第一ボタン。夕霞中指定の学ランではなく、転校後に纏場が着ていたブレザーの第一ボタンだ。


 卒業式の日、私は桜を遠くに眺め、同級生を遠くに感じ、一人で気持ちの区切りをつけようとしていた。


 そこで久しぶりの再会を果たした。


 私はあのとき纏場に謝るべきだった。自分の都合を押し付けて一方的に怒鳴ってしまったことを謝罪し、綺麗に卒業することができる唯一のチャンスだった。けれど私は自分でも思いもよらないことを口にした。なぜか纏場の第二ボタンを欲しがり、それ以外を口にすることができなかった。


 そうして私はボタン欲しいと思った理由もわからずボタンを手にし、掛けたかった謝罪の言葉を掛けることなく中学生活の幕を閉じた。本当に、今更どうしようもないことなのだけれど、なぜあのとき私はボタンを欲しいと口にしてしまったのだろう。


 何度もくどいようだが、纏場にも申し訳なくなるくらいだが、恋心のような感情はなかった。


 ……うん、確かにない。冷静に思い返して、その可能性を手繰り寄せようとしても、それは存在しなかった。


 純粋に纏場とは友達で、生徒会の仲間だった。だから私としても不思議でしょうがない、あのとき口をついて出たあの言葉の真意がいまもわからないのだから。


 そしていま私は新しい電波を受信していた。


 それは確信に近い。

 説明はできないけれど、きっとそうしなければいけないのだとわかった。


 けれど、それは本当にできることなんだろうか?

 でも、私としてもその確信が事実なのであれば、見つけなければならなかった。


 それはせめてもの纏場への罪滅ぼしとして。


 ……私がしなければならないこと。

 それは纏場から第二ボタンを欲しがった理由、それをいまから見つけなくてはいけない。


 そうしなければ、きっと纏場と優佳さんと仲直りすることができない――


 ベッドに寝転がり第一ボタンをかざしてみる。偶然にも傑さんにもらった時計の薄金色によく似た色だった。ただ年季の入ってしまったボタンには当時のような輝きはなく、室内灯を浴びて鈍く光るだけだった。


 それを眺めていて中学時代の纏場の笑顔を思い出す。あの時はいまよりも落ち着きがなく、イタズラっ子のような笑みばかりを浮かべていた。


 そう言えばあの笑い方、最近どこかで……


「あ……」


 思い当たった。傑さんの事務所で見たレイカさんの笑顔。

 あの時に感じていた、不思議な既視感。それは五年前に生徒会室で浮かべていた纏場の笑顔と同じものだった。


「それは、まずいんじゃないの……?」


 纏場が優佳さんと話をして、無事仲直りをして解決。


 そうしてすべて丸く収まると思っていた。


 とんでもない。


 どうやらこの騒ぎは、それだけで済むほど簡単な問題ではなさそうだった。

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