6-11 不思議な関係


 傑さんのLINEが初めて二行目に到達した。

 一人の人間にとっては小さな一歩だが、二階堂傑個人にとっては大きな飛躍だ。


 と、無駄に壮大なモノローグから始めてみたけど、いまは日常の中の日常、予備校の授業中に届いていた傑さんのLINEに返信をし、時間を持て余しているところだった。夏休みに入ったということもあり、朝から私も含めて多数の受験生が集まっている。


 黙々と次の時間の予習をする人、友達と談笑する人、ボーっとスマホをいじるだけの人、高校の昼休み風景となんら変わりない。ただ当たり前のことだけど、東部瀬川高の人だけが通ってるわけではなく、纏場や華暖が通っている夕霞東や、市外の高校から通う人もいる。


 ふと纏場は予備校に通っているのか気になった。


 通っているのであれば、おそらく纏場もまたこの予備校に通っている可能性はある。なにせ同じ夕霞に住んでいていて一番手近なのだから。


 ただ目指す大学の違いから都内にも通いに出ているかもしれない。けどそれも纏場が予備校に通っていればの話だ。


 先日の纏場の話では就職も視野に入れているとのことだった。だけど纏場が就職を選ぶということは、優佳さんとの夢が潰えることになる。


 纏場と優佳さんは一緒に教育関係の仕事を目指すと聞いたことがある。それには大学への進学が絶対だ。


 もちろん人生それぞれなのだから、夢が潰えたとしても就職して優佳さんと生きていく道もあるだろうし、進学したけど優佳さんと上手く行かないなんてこともあるだろう。


 それでもいまの纏場が就職を選んでしまったら、それは優佳さんとの関係にとってマイナスだろう。


 纏場はいまなにをしているのだろうか。傑さんと一緒に帰ってきたということは、纏場もまた帰ってきているはずだ。先日は傑さんから纏場の話を聞くことはなかったが、彼の感じからして訪問したことがマイナスになったような印象は受けなかった。


 一度、纏場に連絡を取ってみようか? 先日、纏場とは仲直りをすることができた。終わった後のカラオケでも気兼ねなく話せたし、生徒会室でお茶会をした時のような穏やかな時間だった。


 ……思い立った私は、纏場にLINEを送る。


「おかえり、海外旅行はどうだった?」


 授業が終わった頃――纏場がどの頻度でLINEを触っているかは知らないが――返信も来ているだろう。


 LINEを送った後……私はフォトフォルダを開き、いつもの写真を開いた。


 傑さんから送ってもらった発芽している二人の写真。いつものスカした笑顔と、緊張した様子の私。


 この写真を見るといつも心がじれったくなり、でもそのじれったさを感じたくなって、暇さえあれば見てしまう。

 でも、もちろんこんな一人遊びを愉しんでいることは周りに気付かれたくはない。


 この写真を開くときに私は自分の神経が何倍も鋭敏になり、どこからの視線も受けていないことを確認してから開いている。一度待ち受けにも設定したけど、開くたびに周りに見られていないか不安で、あえなく標準設定の夜景に戻した。


 といっても暇さえあれば、その写真を見に行ってしまう私は立派な恋愛脳なんだけれども。


 そんなことをしているうちに、チャイムが鳴って英語の教師が入ってくる。私はスマホの電源を落とし、バッグに仕舞う。決して授業中は電源消しましょうなんてマナーを守っているわけではない。メッセージ通知の振動音で、集中力が切れてしまうのが怖いだけだ。


 この授業のあとで傑さんから返信は来ていたが、纏場からの返信はまだだった。


---


「おねえちゃん、最近たのしそうだね?」


「え? そう」


 パジャマ姿の絵里にそんなことを言われて、私は聞き返す。


「そうだよ、いつにも増してテンション高いし、それに……」


「それに?」


「……わたしが抱き枕にされる時間が増えた」


 そう口にする絵里は私に後ろから腕で抱きつかれ、両足で左右から挟み込み、体育座りのような格好で絵里のほっぺたに頬ずりしていた。


「それわぁ、絵里が前よりかわいくなったのがぁ、原因です」


「おねぇちゃん、いつもそればっかり」


「なんでもいいでしょ、減るもんじゃないし」


「よくないよ、暑いよ。お風呂入ったばかりなのに汗かいちゃう」


「絵里の汗なら大歓迎だよ」


「ほんきで、きもちわるい……」


 予備校から帰ってきて夕飯を食べた後、少し復習を終えたところに、お風呂上がりの絵里が部屋を訪ねてきた。


 夕霞東高の新聞部はインターハイに出るらしい。それで記事の選出や、東部瀬川で面白いネタ持ってないか、聞きに来た絵里を捕まえ、逆に絡めとっているところだ。


「県大会出た部活は? 目立つイケメン・美女は? それとも過去に凄惨な体験をした先生とかいない?」


「う~ん、あんまりパッとしないかなぁ」


「大したことなくてもいいじゃない。絵里、結構アグレッシブな文章書くからね」


「へへ、だってそっちのほうがみんな見てくれるもん」


「でもウソは書いたらダメよ」


「バレないウソは?」


「ダ~メ、そういうのは必ずバレるようになってるの」


「は~い」


「よし、いい子」


「おねぇちゃんって、お母さんみたい」


「まるでお母さんがいないみたいなこと言わないの」


 そういって絵里としばらくじゃれ合っていると、スマホが着信を知らせていた。


「あ、スマホ鳴ってる、とったげるよ」


 絵里がそう言って私のスマホを取ろうとした瞬間――私は絵里の手首を掴んでそれを止め、ビーチフラッグのように自分のスマホをさっ!と確保した。


 スマホの着信画面を見て、私は少し肩の力を抜いてから絵里に言った。


「……あ、絵里、ごめん電話だ~また今度ね」


 誰に似たのか絵里はジト目を向け、怪しんでから部屋を出て行った。


 私は「ふう」と一息ため息を付いてから着信ボタンを押した。

 いまの溜息は焦って動いて怪しまれた溜息と、傑さんじゃないガッカリから出た溜息だ。


「めずらしいじゃない、纏場から電話なんて」


「エーコ?着信長いから寝てたかと思った」


「まさか、まだ二十一時よ。受験生の夜は長いんだから」


「はは、返す言葉もない」


「……あなたも同じでしょう?」


「そう、だね」


「勉強してないの?」


「する予定」


「……早くしなさいよ? もう八月になるんだから?」


 そう言って私はベッドに移動する。


「エーコ、連絡遅れてごめん。昨日、無事帰国することができました、いろいろとありがとう」


「そう。で、お土産はなに?」


「……あ」


「まさか、忘れたとかいうんじゃないでしょうね」


 まあ、最初から纏場には期待していなかったけど。腕を伸ばして腕時計に室内灯の光を反射させる。


「い、いや、あるよ?えっと、天津甘栗チョコ」


「なにそれ」


「いや、なんか面白そうだし、おいしかったからどうかな~って」


「……誰かにあげるはずのお土産をいま割り当てたんでしょ」


「い、いや!? そんなことないよ?」


「正直に言いなさい」


「……はい、おっしゃる通りです」


「まったく、仕方ないからまた戻って買ってきなさい」


「怒ってるじゃないか! 勘弁してくれよ、そういう旅行じゃなかったんだよ!」


「わかってるわよ。冗談よ、冗談」


「エーコの冗談なんてわかるかよ……あ、そうだ」


「なによ?」


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、エーコってお土産買う時は一人になりたい、とかってある?」


「特には、というかなにかしらその質問?」


「いや、傑先輩なんだけど、お土産買う時に急に集中したいとか、じっくり考えたいとかで別行動だったんだよ」


 顔が燃え上がるように熱くなる。


「御土産買う時は別行動したい、とか思う人ってよくいるものなのかなって」


「は、はは、どうなのかしらね?」


「どうしたのエーコ? なんか声、上擦ってるけど」


「気のせいよ!」


 傑さん、ちゃんと私の言ったこと実行したんだ……半ば冗談のつもりだったし、そうするくらい真剣になって欲しい、ってただの願望だったんだけど、彼が本当にそうしてくれたということに体が熱くなるのを抑えられない。


 いますぐに会いに行って、またキ……


「それで、いる? 天津甘栗チョコ?」


「……大丈夫よ」


 話が脱線……いや、頭が脱線しそうなところを切り替える。


「とりあえず紆余曲折あったけど、無事レイカのお母さんには会えたよ」


「そう、で、どうだったの?」


「傑先輩の言う通り、自分の考えの甘さを思い知ったよ。李さんはとてもいい人だった、心の綺麗な方で、いまもレイカのこと好きだった」


 纏場はその言葉をできるだけ丁寧に口にした、それは纏場が思い込んでいた”子供を捨てた”という断片情報が仮初の事実にしか過ぎないことを意味した。


「李さんに会うことができて良かった。もし会うことがなければ、僕はありもしないものに怒りを抱え続けるところだった」


「そう、おめでとう、とでも言えばいいのかしらね?」


「それになんて返せばいいか分からないけど。うん、ありがとう」


「どういたしまして、いまの気持ちはどう?」


「僕の中で、一つの人生が終わった感じかな」


「なんか、不穏な言い方ね」


「なんて言えばいいんだろう、一区切りついたと言えばいいのかな。サナギが孵ってチョウになったといえばいいのか、ヘビが脱皮しただけかもしれないけど」


「後者は気持ち悪いから前者にして。でも自分をチョウに例えるなんて大きく出たわね」


「そんなの言葉の綾だろ、例えなんだからそれくらい綺麗なものでもいいじゃないか」


「ふふ、ごめん」


 私は自然と笑い声が出て、不思議な気持ちになった。口ゲンカで五年も仲違いしていた相手といま笑い合って電話している。そのことに人間の奇妙さと、人生の不可解さと、それと泣きたくなるような嬉しさを感じた。


「纏場」


「うん?」


「繰り返すことになるけど、ごめんなさい。あなたにひどいことを言って別れたの、ずっと後悔していたわ」


「……うん」


「あの時、あなたは許してくれたけど、ドタバタしてたからもう一度ちゃんと謝りたかった」


「うん」


「許して欲しい」


「もちろん」


「ありがとう」


 これでわたしの一つの黒歴史が終わりを迎えた、これでもう過去はない、あとは未来があるだけだった。

 あの後悔はずっと喉の奥の小骨がつっかえた感覚として残っていたけど、それがなくなった今、それは不快感が取り除かれただけじゃなかった。


「あ……さっきの纏場の言葉の意味わかったかも」


「さっき?」


「一つの人生が終わった、ってやつ」


「ああ。それが?」


「私もいま……種から芽が出たトコかも」


「……そっか、おめでとう」


「うん、ありがとう」


「……なんかいま、すごい恥ずかしいこと言ってたような気がしてきた」


「ちょっと?まるでいまの私が恥ずかしいみたいじゃない」


「エーコも言っててちょっと恥ずかしくなかった?」


「別にいいじゃない、どうせ後になったら今やってる大体のことは恥ずかしくなるに決まってるわ」


「エーコ、なんか達観してるなあ」


「人からの受け売りだけどね」


 私はスカした笑顔を頭に思い浮かべ、時計をちらりと視界に収めた。

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