6-10 柄にもなく、空に手をかざしたりして
私の家から傑さんの職場までは遠くない。
手を繋ぐという一歩関係を進めたイベントも、時間にすると僅か十数分で終わってしまった。
もう目の前には自宅が見えていた。
が、私はあと百メートルほど手前で足を止める。
「傑さん」
「なに?」
「えっと……」
……察して欲しい。
「ちゃんと言わないと、わからないよ?」
「わかってるくせに」
「いや、わからない」
ああ、本当に嫌な人。わかってて私に言わせようとしてるんだ。
私からお願いするなんて、恥ずかしいじゃない。
「だから、その……」
「俺、もう帰っちゃうよ?」
わかってて私に言わせようとする、イジワルな根性。今日ここまで来てお別れなんて許せない。だから……
「ああ、もう! だから、おみやげ! 買ってきたんでしょ!? お願いします、ください!」
……なによ?
キスして、とでも言うかと思った?
バーカ、そんなこと言うわけないでしょ、まだ付き合ってもいないのに。
「はは、もちろん買って来た。というか映子、もう身に着けてるよ?」
「え?」
私は自分の手を開いてみるが、当然なにも持っていない。
他にも肩、腕、ポケット、足元、すべて見回したけど、どこにも変わった様子はない。
そんなきょろきょろとする私の様子を見て、彼は微笑ましいものを見るような目で私を見る。
「傑さん。そういうまどろっこしいの、やめて欲しいんですけど」
「はは、悪い。でもこうするとわかる」
そう言って彼は私にスマホの背面を当て「映子、こっち向いて」と言い、そのままシャッターを切った。
「ほら、これ見てみな」
そう言われ彼のスマホの画面を見ると、そこには少し慌てた様子の私が写っていて……頭になにかの芽が生えていた。
私は頭からそれをぷちっと取り外す。
「……なんですか、これ」
「かわいいだろ? 豆芽花(ドゥーヤーファー)っていうヘアピンだ」
それは植物の芽が生えたようなオブジェが付いたヘアピンだった。
「あっちの国で流行っててな? 街の中で発芽してる人が結構いるんだ」
「ウソ! そんなこと言って、また私をからかおうとしてるんですよね」
オオカミ少年と化している彼の話は政治家より信用できない、ってそれは政治家に失礼過ぎるか。
「本当だって、ほら」
そう言って彼は他の写真を見せてくる。そこには……確かに町中で発芽してらっしゃる方が多数いて、周りの人も特に気にした様子もない。
「でも、日本じゃこんな人たちいませんから」
「そうだな。でも映子がこれをずっとつけてたら、話題になって日本でも爆発的人気になるかもしれないぞ」
「いや、そんなの興味ないですから。目立ちたくないですし」
「もったいない、せっかくかわいいのに」
「傑さん、かがんでください」
そういって背筋を曲げた彼の頭に、ぷちっと豆芽花は取り付ける。
発芽した彼が背を伸ばすと、双葉の芽がゆらゆら揺れて確かにかわいげはあった。
「似合う?」
「すっごい似合います」
「俺がつけてたら日本で流行るかな?」
「流行ります、顔もいいですし」
「お? 映子にはじめてそんなこと言われた」
「自分でわかってるくせに」
「お世辞、言われてるってね」
「……傑さんは格好いいですよ」
「て、照れるぜ」
ホント、よく言うわ。
「じゃ、撮りますね」
「ピース」
そういって満面の笑顔にピースなんてして見せる傑さん。
「……もう一枚」
「あれっ、写り悪かった?」
「いえ、ちょっとわざとらし過ぎる笑顔で胸やけしそうだなって」
「じゃ、こうしよう」
そういうと彼は再び屈みこんで、私の肩を組んできた。
「ちょっ……」
「はい、そして映子の頭にもアホ毛追加」
「まだあったんですか!?」
今度はうずまき状の芽が付いたヘアピンを私の頭に付け、二人で顔を近づけて傑さんがスマホのインカメラを起動する。
「せっかくだから二人で撮ろう、日本でこれを流行らせるっていう決起記念」
「わ、私は別にこれを流行らせようとなんて……」
「俺と写真撮るの、嫌?」
「……撮りたいです」
少しだけアクセルが緩んでて、そんなことを言ってしまった。
「よしきた」
そういって傑さんが強く肩を抱き寄せる。
スマホのカメラはこちらに向けられているのに、近くにある彼の顔が気になって前を直視できない。
「ほら映子、前を見てくれ」
「も、もうっ!」
私は半ばやけくそになって自分から彼に腕を回し、目の前のカメラに焦点を合わせた。
「はい、チ~ズ」
写真には頭に双葉の芽を生やした軽薄そうな笑顔と、うずまき状の芽を生やしたイモ女が口を波打たせてる姿があった。
「はは! 映子の顔あっぷあっぷだな」
「うるさいですっ」
「あ、それと映子」
「今度はなんです!?」
そういって傑さんは私の左手首を押さえて、ポケットからなにか取り出した。
「……傑さん?」
彼はなにも言わず、私の手首に文字盤のついたケースを合わせ、皮のベルトを伸ばし、手の甲に尾錠を当てて、一番奥の小穴でそれをセットした。
「おみやげです」
そうして巻かれたそれを、手首ごとギュッとしてから私の手を開放した。
私はぼうっとする頭でそれを月明かりにあてて眺める。
数字の書かれていないシンプルなデザイン。白一色のベルトにしっかりとした皮の生地、薄金色のベゼルに覆われた銀色のケース……
とてもかわいらしい、腕時計だった。
「これ……」
「あまり高いものじゃないぞ?」
「私に、くれるんですか?」
「ああ、あまり土産物って感じはしないけどな」
「……嬉しい」
「…………おう」
私は空にかざすように左手首を掲げてみる。月光を浴びて光り輝くそれは、なにか神聖なもののようにもみえた。
色々な角度から光を当てて、変幻自在に光らせる遊びに熱中する私。けれど、それに飽きることは訪れないような気がした。
「傑さん、実は私からもあるんです」
「え? おみやげ?」
「違います、プレゼントです」
私はそう言って、頭からうずまきヘアピンを取り外す。
「頭、かがめてください」
「はは、やっぱそっちはいらないか」
やれやれと言った感じで、苦笑いを浮かべた。
「はいはい、布教するのは俺一人で十分ですとも」
彼は観念した様子で、私の方に頭を下げて見せる。まるで執事のように胸に片手を当て、ご丁寧に目まで閉じて。
もう、限界――私の表情がだらしないくらい、嬉しさに歪む。
「傑さん、ありがとうございます。大好きです」
私は傑さんの頭を両手で押さえ――唇を押し付けた。
彼は息を呑み、慌てた様子だったが、平静を取り戻し……応えてくれた。
傑さんは自分から押し付けようとせず、私のなすがままにされていた。
……まるで子供のじゃれつきを受け止めるような余裕さが、ムカつく。
彼の上唇を挟んで、軽く舐める。
すると彼も同じように私の下唇を少し食んで、応える。
心がくすぐったい。はがゆい……けど、息が続かなくなり私は彼の頭を開放する。
恥ずかしかったが、応えてくれた彼の芽を……いや目をしっかり見つめ、がんばって、笑った。
「ありがとう……ございます」
いまのは、上手く笑えたと思う。
「……驚いた」
「でしょう? ……私も自分でびっくりしました」
彼は意外にも頬を赤く染め、私と目を合わせることにさえ、照れた様子を見せていた。
「傑さん、感想を聞かせてください」
「……手を繋いだ感想は怒るのに、そっちは聞くんだな」
「質問にこたえてください」
事務的な口調で、心のキャッチボールをする私たち。
「う、うれしかった」
「ふふ、なにそれ」
「なんだよ、味でも言えばよかったか」
「それでもいいですよ、なに味でしたか?」
「……今宵の映子はぐいぐいくるなぁ」
「二階堂傑、質問にこたえなさい」
「……味の抜けた、サ○マドロップス」
「味、しないじゃないですか」
ふわふわでぐだぐだな会話、だけどそんなどうしようもなさが、楽しい。
「今日は……帰ります。ちょっと体温上げすぎました」
「そうか」
少し寂しそうな表情を見せているのは、私の幻覚だろうか?
「傑さん、キスされて顔赤くするなんて、かわいいとこありますね」
「……どうしたんだ映子?いつもよりホントに攻めてくるな」
「わかりません、でも多分嬉しいからだと思います」
「嬉しいから?」
「言葉では説明できません、それにできてもしたくないです」
そう言うと傑さんはまた困ったような笑い顔をした、その顔は好きだ。
「さっきの写真くださいね」
「もちろん」
「帰ったらLINEくださいね」
「ああ」
「スタンプだけとかダメですよ」
「努力する」
「それから……」
「ああ」
「今度は私から、誘ってもいいですか?」
その日はもう一度だけ、傑さんの唇を食んでから別れた。
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