6-8 あんたは邪魔だけどね
「佳川……」
華暖の呼びかけに、レイカさんは睨みを利かせて応じる。
「なにか、用?」
冷たく言い放つレイカさんは、明確に華暖への敵意を示していた。
対し、華暖は言葉を返さない。この二人、過去になにかあったのだろうか。
「いま、楽しくやってるとこだからさ、邪魔しないで欲しいんだけど」
レイカさんは汚いものを見るかのような目で、対峙する華暖を焚きつける。一触即発……けれど華暖はそれに乗ることなく、黙ってレイカさんと視線を交わす。
そして――華暖がゆっくりと、口を開いた。
「……なさい」
「なに?」
「ごめん、なさい」
華暖はそう言って、レイカさんに頭を下げた。
突然のことに私たちは驚く。
あの騒がしい華暖が、大人しく頭を下げている……
そのこと自体にも驚きではあるが、謝るということは過去に二人の間に、それだけのなにかがあったということだ。
私と、傑さんはもちろんだが、レイカさんもそれに倣うように驚いた顔をしていた。
「……ちょっと、なによ。やめて」
レイカさんは慌てて、それを止めようとさせた。
「イヤ。だってあの時はアタシが悪かった。だから謝らないとアタシの気が済まない」
「悪かった、って……」
「あの時、アタシはさ、アンタがトッシ~の弱みに付け込む悪い女だと思ってた。けど、それは間違いだった。レ~カの事情も知らないで、アタシが勝手に怒って頬までハタいちゃった」
「ちょっと、その話はここじゃ……」
そうしてレイカさんは座っている私と傑さんに目配せをした。纏場との関係について言っているんだろう。だって私たちはあくまで”仕事の同僚”と”その連れの女”に過ぎないんだから。
誰の口からも、纏場についての話は一言も出ていない。
だからレイカさんとしてはそんなプライベートなことを私たちに聞かせたくなくて、華暖を遮ろうとするが……
「……ごめ。アタシたち、ここにいる全員、アンタの事情知ってんだ」
「えっ?」
「アタシら、こないだトッシ~にレ~カたちのことで相談受けてんの。だからウソは言いたくない、いまは正直になりたいから」
レイカさんは黙ってそれを聞いていた。
「じゃあ、みんな諭史と知り合い……?」
「そ、ここにいるみんなは、なにかしらの形でトッシ~と繋がってる」
「そう、なんだ」
レイカさんは少し悲しげな表情で、私と傑さんを見た。
その表情からはできれば知られたくなかった……そんな思いが見え隠れした。
「ホントはこんなこと言うのルール違反だと思う。でもさ、知っといて欲しかったの」
「知って欲しいって、なにをよ」
あきらめたような、観念したような、気だるげな表情でレイカさんが言う。
「アタシはどっちの味方もしない、ってこと」
「……どういうこと?」
「アタシはこないだまでユ~カさんのコトしか知らなかった。レ~カは中退したのはベンキョサボってただけだと思ってたし、そんな適当に生きてる害虫がトッシ~の周りにいるなんてダマンできなかった」
「はは、害虫ね……」
「でも実際のとこ違った、アンタは独りだった、誰にも助けを求めなかった。トッシ~とユ~カさんがくっついちゃって、レ~カはますます独りになった。それでも一人で頑張り続けた」
「やめてよ、無理に持ち上げないで。余計、みじめになる……」
「これは全部アタシが勝手に考えて喋ってるだけ。アタシってジコチュ~な女だからさ、アンタは無視してもいい、でも最後まで聞いて欲しい」
「……」
「アタシはレ~カのことカッコイイって思う」
華暖はいままでにない真面目な声で、正面から言う。
「好きなオトコと自分の姉が付き合い始めたって、どれだけキツイんだよって思う。でもレ~カはそれでもここに立ってる」
「……」
「アタシだったら耐えられない。絶対に二人を引き裂いてやるか、略奪するか、家出する。でもレ~カは黙ってそれを受け入れ続けてきた」
「……」
「それって、すごく強いよ……尊敬する」
「やめて」
「やめない、レ~カはそれだけのことをしてきた」
「佳川に、なにが分かるって言うのよ」
「なんにも分かんない、だってアンタ同じクラスだった時でも、全然話してくれなかったしさ?」
「佳川みたいなチャラそうなギャルに話したって」
「アタシだってレ~カみたいなヤンキーなのかネクラなのか、ワケわかんない女と絡むつもりなかったよ。でもあの時とはいまと違う。アタシが個人的に、アンタをほっとけない」
「余計なお世話よ、同情されるほど落ちぶれてないわ」
「なに言ってんの。同情されるくらい落ちぶれてるわよ、いまのアンタは」
「佳川っ!」
レイカさんが華暖の胸倉を掴み上げる。
「なんだ、元気じゃん」
「そうね、あの時の仕返しに張り返すくらいはできそうね」
「いいよ、殴りな」
「っ……」
「できないの?」
「うるさい」
「そんなことじゃ、好きな男の気を引くことすらできない」
「黙れ」
「そのままユ~カさんとサトシの姿を、ずっと指加えて見てんの?」
店内に乾いた音が――響いた。
僅かな喧噪がすっと引いていく。
その沈黙を破ったのは……頬を張られた華暖だった。
「あんがと」
「殴られて、礼なんて言うな」
「これで、レ~カと対等になれたかなと思って、さ」
「は――」
「アタシ、アンタのことキライじゃない」
華暖は赤くなった頬を押さえようともせず、僅かに笑みを見せながら言った。
「レ~カさ、自分のこと好きじゃないでしょ」
「……」
「だからさ、その分アタシがレ~カのこと好きになったげる。害虫で、憎くて、ヘタレだけどさ?独りでもヘコたれないその根性、キライじゃない」
「なにそれ、頼んでないし」
「そ、アタシが勝手にすること。だってアンタ見てると腹立つの、自分のことが好きになれないのに、周りに好きになって欲しくてアガいてるとこ見てるとさ」
「そんなこと!」
「だから今日からアタシら、ダチ。いいね?」
「……あきれて、なにも言えない」
「ハハ、アタシもなに言ってんだろ~なって思う。でも別にいいっしょ?減るもんでもないし、好かれて悪い気はしないでしょ?」
「私はあんたのことなんか、大嫌いよ」
「だよね、知ってる」
「でも、佳川の言う通り……悪い気は、しない」
「あんがと……そしてゴメン。アンタが高校辞めたことトッシ~にチクったのアタシ」
「……ころす」
「そ~だね、アンタにはころされても文句は言えないわ」
「あんたがあの時チクったせいで、人生最悪の誕生日になったんだから」
「ハハ、悪かったよ。今度詳しくその話聞かせて……」
「バカ、死んで詫びろ」
レイカさんは叩いた手で、華暖の頬を静かに摩った。
「叩いて悪かった」
「ん。アタシも改めてゴメン」
そう言って華暖はレイカさんの体を抱きしめる。レイカさんは前を向いて、ただ華暖の好意を受け入れていた。
「レ~カ、一つ聞いて」
華暖はレイカさんを抱いていた手を両肩に乗せ、言い聞かせるように言った。
「アタシはさ、レ~カほどいい位置に食いこめなかったから諦めたけどさ。アタシがレ~カと同じ立場だったら、絶対ユ~カさんから略奪しようと思う。もう色仕掛けだって、お金だって掛けて、どんなことでもする。一週間で寝取ってみせるから」
「……クソビッチ」
「そ~よ、アタシはジコチュ~な女だかんね。欲しいものは手に入れたいし、周りの迷惑なんてきっと考えない」
華暖は不敵に笑い、レイカさんを真正面から見やる。
「でもアンタは、ずっとガマンし続けた」
「……」
「レ~カはさ、ガマンし過ぎなんだよ。も少しさ、自分にワガママでもいいんじゃない?」
レイカさんは、その言葉に目を丸くする。
「トッシ~にさ、好きって言ってきたら?」
「……なに、言ってんの?」
「逆にさ、いいキッカケなんじゃない? ワンチャン、トッシ~のこと奪えるかもよ?」
あっけらかんと、華暖は言う。
「だから、なに言ってるの?」
「自分の気持ちに正直になっても、いいんじゃない?」
「……」
「レ~カが行く気になるならアンタの背中、押したげる」
とんでもない発言をする華暖、私は唖然とする。
「やめてよ。それにもう私は」
「ストップ、その先は言わないの」
華暖はレイカさんの唇に、人差し指を押し当てる。
「いままでさ、アンタずっとガマンしてきたんじゃん? だからジコチュ~の神、華暖さんが太鼓判を押してあげる。レ~カにはこのタイミングで略奪する権利があるって」
「私にアネキから諭史を奪えって言うの?」
「そう、そりゃあ私だってユ~カさんに幸せになって欲しいとも思ってるよ? でも目の前にただガマンしてるレ~カを見てるのも腹立つ。だからアタシはアンタが行くなら応援する」
「……」
「ダメで元々じゃん、それに我慢するよりは当たって砕けたほうがスッキリするよ。これ、アタシの経験談」
華暖が暑苦しいくらいにデカい胸を張って言う。
「じゃないとレ~カ後悔すると思うよ、これからもなにも変わらない。アタシはガマンする自分より、ジコチュ~でいる自分の方が好きだから、さ?」
華暖はそう言って、レイカの肩を軽く叩く。
遠慮なく傑さんの隣にドサッと座り、彼のお冷を一気に飲み干す。
対するレイカさんは通路に棒立ちになっていた。少し憂いを含んだ表情で、遠く見つめながら一言――
「……いまのままじゃ、なにも変わらない、か」
そう呟いた。
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