6-6 ……すごい美人


 スマホの地図アプリを開き、林工務店から牛木興業までの道を確認する。


 へえ、意外と近いのね。これなら歩いて行けそうな距離だ。


 先ほど終業式が終わり、これから夏休みが始まる。受験生としてはこれから休む間もなく勉強に勤しむというところだが、私はこれから傑さんの職場へ向かうところだ。


 なにをしに行くかと言うと……傑さんの会社の資料を届けるためだ。


 現在、秘書こと傑さんはプライベート休暇中で、代わりの人がジャハナさんに会いに来たのだが、そのときに持ってきた資料を置いて帰ってしまった。それを傑さんに伝えたら取りに行かせるということだったが、時間もあるし私が届けに行きたいと伝えると、二つ返事で了承をもらった。


 行ったところで当然彼には会えないのだけれど……どんなところで働いているのか興味があった。


 バッグの中にA4封筒を入れたのを確認し、熱中症対策の帽子をかぶって炎天下の中を歩きだす。ちなみに私は帽子なんて持っていなかったので、絵里の借りものだ。


 絵里は最近、外を歩くときには日傘を差すおマセさんになったので、帽子持ってないならお姉ちゃんにあげるよ、と言われたものだった。絵里からくれるというので私は喜んで受け取ったけど、妹にお下がりの品をもらうって言うのは、実際どうなんだろうと少し複雑な気持ちになった。


 実際のところ、最近の絵里は色々と変わってきた。よく笑うようになったし、胸も出てきたし、背も……このままでは抜かれてしまうかもしれない。

 そうするとお下がりなんて言葉の通り、一緒に歩いていたら私が妹だと思われるかもしれない。それだけはなんとかしなくては……



 しばらくすると、商店街にひとつの小さな看板が見えてきた。


 ”牛木興業”


 正直、特に綺麗とは言えない建物だった。ましてやこの事務所のために新しく建てたものではないだろう。意識して見なければ、普通に素通りしてしまうような目立たない会社だった。


 実際のところ、この会社ができてから私はここを通り過ぎたことがあるはずだ。でもここ数年のうちにできた会社のはずだから、それ以前にも会社かなにかあったのだろう。当然なにがあったかなんて思い出せる気がしない。


 やや急な階段を登っていくと磨りガラスのついたドアに”牛木興業”の名前が入ったプレートがくっついていた。私は一度深呼吸をして、ドアをノックする。


「……すいません」


 中からは僅かにキーボードをカツカツと叩く音が聞こえる。けれど一向に返事はない。仕方ないのでもう一度、声をかける。


「すいませ~ん!」


 今度は靴が床をカツカツ叩くした音が聞こえ、ドアが開かれた。


「なんですか?」


 怪訝そうな顔をした長身の女性が出てきた。


 ……うわ、すっごい美人。現れたのはモデルのようなスラリとした背格好のメガネをかけた女性だった。少し気だるげにストライプ付きのワイシャツを着こなし、足首だけ少し見せた細身のジーンズを穿いていて、いかにも仕事がデキそうな女性だった。


「え、えっと、これ……」


 私は雰囲気に圧され、おつかい中の子供みたいな言葉しか言えなかった。


「あ、それって」


 女性は封筒を受け取り裏面を確認する、そこには確か会社名の入った社印が押してあったはずだ。中身を確認すると、女性は背筋を伸ばして軽く笑顔をのぞかせた。


「ありがとうございます!わざわざ届けてもらって」


「い、いえ……こちらこそ、おせわになってます……」


 意味不明な返答をしてしまった。


「暑かったでしょう?なにか冷たいもの出すから……ので、どうぞ上がっていってください」


「いえ……」


 反射神経で断りそうになったが、うっと言葉を吞み込む。

 ……せっかく傑さんの職場が覗かせてもらえるのに、わざわざ断ることないじゃない?


「頂いても、いいですか?」


「もちろん。いまなら社長もいないから、ゆっくりできると思う……ますよ?」


 ……なにやらあっちも敬語にはあまり慣れていなさそうだ。そういって私はちょいちょいと手招きに誘われ、事務所にお邪魔することになった。中に入ると人工的な冷気が、火照った体に染み込んで気持ちがいい。


 事務所は思ったよりこじんまりしていた。デスクは六つほどあって、四つが一つの島にされており、窓際には二つのデスクが並べられていた。


 おそらくあれが社長と、傑さんのデスクなんだろう。本当に秘書なんてやってるんだ、と思う。


「座んな……お、お掛けください」


「ぷっ」


 私は思わず吹き出してしまった。事務員さんは笑われたことに気付き、唇を波打たせて赤面していた。なんか見た目よりチャーミングな人だ、少し親近感が湧いて気が楽になる。


 私はあてがわれた椅子におずおずと腰を下ろし、膝に両手を合わせて、給湯室に向かった女性を待つ。


 ……歳はいくつくらいなんだろうか。年齢的には傑さんよりは年上に見える。少なくとも私よりはニ・三歳ほどは上だろう。そんな邪推をしていると、お盆を抱えた女性が氷入り麦茶を手渡してくれた。


「いただきます」


「暑かったでしょ?まだありますから遠慮しないでね?」


 そういって柔らかな笑みを浮かべる。どこかぎこちないところはあるが、なんというのか隠しきれない魅力がある。私が男だったら一瞬で惚れてしまいそうだ……って傑さんはこんな綺麗な人と一緒に仕事をしてるの?


 怜悧な美しさ、みたいなものを最初に感じたけれど、いまは少しかわいらしい部分があって、それがまた近しく感じられる。高嶺の花にはなりきれないが、公園に咲く一輪の百合とでも言えばいいのだろうか。


「あの……」


「はい?」


「えっと、なんてお呼びしたら」


「あっ、ごめんなさい。私、エンドウって言います」


 エンドウ、どこかで聞き覚えがあると思ったら優佳さんと同じ苗字だった。


「エンドウさんですね、林です、お茶ありがとうございます」


「ハヤシさん、今日はお忙しいところありがとうございます」


「とんでもないです、お茶までいただいてしまって」


「本当だったらもっとなにか、お出しできればいいんですけど、殺風景なところに私しか、いないので……」


 少し申し訳なさそうな表情もまたセクシーだ。私はかしこまって真面目な声で言う。


「エンドウさん」


「はい?」


「お綺麗ですね」


 思ったままのことを口にする。


「えっ……?」


 エンドウさんは少し驚いた顔を見せた。


「え、あの、私が、キレイ?」


「はい、すごいスラッとしてて、モデルさんかと思っちゃいました」


「な、なな……」


 彼女はなにやら動揺していた。


「私もエンドウさんみたいにカッコよく、ワイシャツにジーンズとか着てみたいです。見ての通り、私は色気もなく背も低いので」


「いえ、わたし……そんなつもりじゃ……ちょ、ちょっと失礼します!」


 エンドウさんは手をあたふたさせて給湯室に閉じこもってしまった。


 なんだあの人。鬼かわいい。

 あんな美人で照れ屋って、犯罪か。しかも多分あれは作ってるんじゃなくて素だ。


 数秒で顔をやや上気させて戻ってきた。


「あはは……ごめんなさい、綺麗なんて言われ慣れないものですから……お世辞でもついつい動揺しちゃって」


「お世辞なんかじゃないですよっ」


「またまた、やめてくださいって」


 そう言って顔を背けて、手をひらひらさせるエンドウさん。私はだんだん加虐心がむくむくと育っていくのを感じた。


「本当の本当です!エンドウさんみたいな美人はなかなかいないですよ」


「はは、はは……やめ……」


「いえ、やめません!エンドウさんみたいな美人はなかなかお目に掛かれません!女の私から見ても憧れちゃうくらいですよ!」


「はは、だから、いい加減にしろっての……」


「え?」


 エンドウさんは自分の発言に、はっとした顔をして両手を前に突き出した。


「あっ、あっいまのは違うんです、ついつい素が出ちゃ……じゃなくて!ええと、喋りを間違えたっつうか、その……」


 なにやら一人で深みにハマっていた。


 縁藤さんは自分に絶望したように、俯いていたがややあって「その……あんまり敬語って慣れないですよね」って一言零した。


「あんまり、事務所にお客さん見えることって少ないんです、だからちょっと立ち居振る舞いに気を遣ったつもりですが、付け焼刃じゃ上手く行かないですね」


 と、目線を少し逸らしながら、恥ずかしそうに打ち明けるエンドウさん。


 鼻血が噴き出しそうだ。

 恥ずかしさを堪えて本当のところを見せてくれたことも嬉しかったので、エンドウさんに譲歩するように私も正直に話した。


「私も、敬語とか苦手なんですよ、まだ高校生ですし、会社に入るなんてちょっと怖かったっていうか」


 そう言われてエンドウさんはハッと気づいたような顔をした。


「あ、ってことはやっぱタメか」


「え?」


「だってハヤシって……あ~どこかで見たことあると思ったら、夕霞中の生徒会長だ」


「え?えっ?」


「私も夕霞中だったの、そしてハヤシさんと同学年、私も十八」


 嬉しそうにエンドウさんがそう言った。それは先ほどまでの大人しいエンドウさんではなく、イタズラっ子が覗かせるような笑顔だった。


「ええっ!エンドウさん、本当に十八歳なんですか?」


「そう、もっと老けて見えた?」


「そ、そうじゃなくって!すごい大人っぽいな、って」


「あはは、お世辞でもそれ慣れないからやめてよ」


「だからお世辞じゃないですって」


「またまた、あと敬語じゃなくていいよ?私も素で話せた方が楽だし」


 エンドウさんはそう言って歯を見せて笑った。

 私は不思議に思った。だって初めて見るエンドウさんの笑顔は、どこかで見たことのあるような顔だって。


「う~ん、でも第一印象が中々抜けないですよ……すごい大人っぽい素敵な人って思っちゃって」


「ま、まだ言う……?」


「そりゃ良いものは良いって言いたいじゃないですか、私のストライクゾーンど真ん中です」


「そっちの人?」


「違います!」


 力強く否定したことに少し面食らった顔をし、私たちはどちらからともなく笑い出した。


「なんか、初めて会った気がしないよ」


「私もです、あ、私も」


「はは、ありがと」


 さりげなく敬語を抜いたことに対して、お礼を言ってくれる。


「エンドウさんはどこ高校行ってる……の?」


「あ~……私、中退してるの、で、いまここで働いてるってワケ」


「あ、ごめんなさい」


「いいよ、私がそうしたくてそうしたんだから」


 そうは言うものの、エンドウさんの顔には少し憂いみたいなものが漂っていた。


「とりあえず苗字にさん付けもやめようか?ハヤシ、下の名前はなんていうの」


「映子です」


「ん、エーコね」


「はい、そしたらエンドウさんは……」


「たっだいま~!」


 空気の読まない陽気な声が事務所に響き渡った。その空気の読まなさは、私の記憶にある限り一人しかいない……


「ニッカ、うるさい」


「いやぁ~ごめんごめん!懐かしい事務所に顔を出せると思ったら、ついついテンション上がっちゃってね。お、やっぱりまだ映子もいたか、いいタイミングだったな」


「……どうも」


 傑さんは満面の笑顔で、手荷物やら紙袋を自分の机の上に投げ出した。


「二人とも自己紹介終わった?そしたら夕飯食べに行こう、もう腹が減って仕方ない!」


 傑さんは私たちの座っていたチェアの背もたれを軽く叩き、背広を脱ぐと返事を聞くヒマもなく事務所を後にした。


「「…………」」


 私たちは呆然として顔を見合わせる。


「傑さん、会社でもいつもああなんですか?」


「私もいまおんなじ質問をしようと思ってたとこだよ……」


「まぢですか……」


「いや私のが驚きだよ、だって映子のとこって一応取引先じゃん?」


「えっと、それには色々わけがあって……」


「お~い、二人とも早くしてくれ!お腹と背中がくっつく!」


 私たちは子供を相手にするような心持で苦笑し、事務所を後にした。

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