6-3 牛木興業の一幕
牛木興業は頭の湧いた会社だ。
「おい縁藤!ナントカ引越に派遣した、ナントカって野郎が飛びやがった。いますぐ連絡を取れ!」
そう言って私のデスクまでズカズカと踏み込んで来る、図体のデカい男。
「はぁ……迅速引越に、派遣のヤマデラさんですね?」
「おう、確かそんな名前の野郎だ。先方から電話がかかってきてよ。まだ来てねえって」
「わかりました、本人に連絡は?」
「したが出ないらしい。縁藤、試しにかけてみろ」
そう言われ、業務用の携帯からヤマデラさんにかけてみる――コールのみ。
「繋がりませんね」
「おう、じゃあ”分からせて”やってくれ」
「……了解です」
牛木社長の物騒なもの言いに嘆息しながら、私はデスクからブツを取り出す。そのデスクにはカッターナイフや、ペンチ、穴あけパンチに、縛り紐、シャープペンシルに、消しゴム……ってこの紹介の順番はなに?
その中から一冊のファイルを取り出す。このファイルこそが牛木興業の評判を維持させていると言っても過言ではない。ファイルを見開いてヤマデラさんの項目を流し見る。
「連絡可能な方は七名です。”協力者”がうち二人で”関係者”は五人、どうします?」
「急ぎだ、関係者の方で構わねえ」
「かしこまりました」
登録の一人、早乙女さんに電話を掛ける。ワンコールで繋がった。
「……はい、早乙女」
しゃがれた女性の声。
「お疲れ様です、牛木興業の縁藤です。ヤマデラさんが仕事に出ていないようです。催促をお願いできますか?」
「またかよアイツ。アンタらもあんなのに構ってないで切っちゃったら?」
「……それは社長が判断の上、決められます。催促か代理、どちらかお願いできますか?」
「オールで飲んでたから代理はカンベン、催促……いや絶対出させるわ」
「ありがとうございます、ヤマデラさんが出勤されたら二時間分の給料が出ますので」
「はいよ~」
やる気のない声で電話は切られた。
「早乙女さんが催促を入れてくれるそうです」
ビジネスチェアを半回転させて社長に報告する。
「悪いな。でもお前、なにも二時間分も出さなくったって……」
社長はやや不満そうな顔で、私の決定に対して疑問を呈する。
「いいえ、いまが九時五十分なので九時と十時の二時間です。それに器の広いところを見せたほうが、社員の方々も悪く思わないですよ」
「あぁ~わぁったよ。縁藤の言うことだったら間違いねえよ。オレはそういうのには向いてないからな」
社長は投げやりな返事をして、先方に折り返しの電話を入れた。おそらくヤマデラさんは来るだろう、早乙女さんとは懇意な仲だとファイルにもメモがある。
いまの一連の流れはこうだ。
このファイルには派遣社員の名簿と、その人の交友関係が載っている。
”関係者”とは同じ牛木興業の派遣社員、もしくは連絡先だけを派遣登録している方々もいる。
いまの早乙女さんも連絡先だけ派遣登録している。じゃあ連絡先だけを会社に預ける意味はなにか?それは預けるだけで名目上は登録の派遣社員となり、協力の際には給料が払われるところ。
その仕事が催促。催促とは該当派遣社員が”特別な理由で連絡が取れなくなってしまった”場合、それをなんとか出勤してもらえるようにお願いする仕事。多くの場合、お世話になった先輩や、懇意にしている異性から、つまりはその本人たちにとって断わりづらい相手のこと。
その相手から連絡が入ると、飛び……特別な理由は大体の場合で無くなってしまい、当日中に出勤をして頂けるのがほとんどだ。
催促してもらった人は社員であるため、会社の業務に従事したので短時間だが給料が出せる。いま早乙女さんは電話一本で二時間分の給料が出たのだ、電話が来たらラッキーくらいの感覚だろう。元々勤務予定だったヤマデラさんは二時間の遅刻としてカウントされ、その二時間が催促の電話をした人に入るという、割とわかりやすい図式だ。
この会社は牛木社長本人のコネクションがもとで始まった会社だ。よってほとんどが顔見知り、もしくは知り合いの知り合い達が派遣社員として雇われている。なので社長の人相に比例して、社員のガラは良くない。暴走族上がり、チンピラ、犯罪歴、なんでもござれ。
それが理由で会社が出来たばかりの頃は、一癖も二癖もある人ばかりなので”特別な理由”だらけでうまく仕事が回らなかったらしい。いまの秘書がこの仕組みを考案し、それでだいぶ業務の回りが良くなったという具合だ。
最初はその冗談みたいな仕組みを聞いた時「大丈夫なのか?」という気が拭えなかった。だってそうだろ? 仕事を依頼する側からしたら、出勤するかどうかわからない人ばかり寄せられても困るに決まっている。
だが、地域密着ということがその問題をクリアにしていた。
だってガラが悪くったって……この地域に住んでいる人たちだ。そこには家族がいたり、友達がいたり、先輩がいたり、人の輪でできているのだ。つまり自分が迷惑をかけてしまったら、それは身内にいる誰かの迷惑になる。
必ず派遣先の会社の誰かが、誰かの顔見知りで、もしくは直接の知り合いだった。だからこそ、どこに行っても自分の頭の上がらない人たちに、それが伝わるのを恐れて真面目に仕事に取り組むのだ。
そして、それでも特別な理由が起きてしまった時に、催促するという流れだった。たまにそれでもやらかし続ける人はいるから、その時はウチの会社からも出て行ってもらうのだけど……
社長は少しイケイケ過ぎるきらいがあるので、なんとか出勤させようと躍起になると声が荒くなったり、手が出かねないところがある。したがって派遣社員への電話や、催促の依頼は事務方の仕事となっている。といってもいまは私くらいしかいないのだけれど。
ちなみに”催促”と対になる”代理”とは文字通り代わりに仕事を行うことだ、強制力はない。もしこちらで代理も用意できない場合は、私が現地で代わりに仕事をしたり秘書、または社長が現場に行くことになる(むろん社長の機嫌が悪くなってめんどくさい)
また”関係者”とは別で”協力者”という人達についてだが、彼らについては牛木興業とは全く関係ない人たちのことだ。
彼らは会社として連絡先を抑えることができないので、個人情報ではないカタカナの名字だけがファイルに乗っている。
ただ社員の誰かがプライベートで連絡を取ることができるので、そこから催促をしてもらって出勤された場合は社長が個人的に夕食を奢ったり、キャバクラに連れて行ったりするらしい。
ちなみに”協力者”より”関係者”を優先するのは、単純に金だけ払って終わりの方が楽かららしい、もっともな話だ。
あくまで個人でのお願いなので、会社としてはノータッチ。
……そんな綱渡りのようで、グレーのようだが、表面上は問題なく回るうまい仕組みだった。
プラスで言うと、地元の人達に口コミでかなり評判がいい。だって悪いことをしてしまった子の親からすれば、自分の子供を見捨てないで職を与えてくれる企業なのだ。学歴や経歴、もしくは顔に傷があっても関係ない。ウチの会社がある限り、この夕霞地域では仕事を与えてもらえるのだ。
事実、社長自身は一応人情には厚い人なので、そういった人たちは社会復帰させてやる目的もあり、この会社は存在している。ただそれでもパッと見の印象はある、だって社長の人相は悪く、派遣社員はチンピラばっかなのだ。
それを秘書が笑顔で上手く回している。地元の学校を出ていて、中学で生徒副会長、高校で生徒会長を務めていたので有名人だ。そんなクリーンな人間が矢面に立っているので、そう言ったイメージも払拭され、いまでは地元でも有名な会社となっている。
彼は中々奇特な人物だ。自分のやりたいことができるという理由で社長に付き合っている。彼が大企業に行けば成功するだろうし、もっと稼げる仕事もいっぱい見つかるだろう。それを高卒で引く手あまたの中、地元の企業に就職したのだ、相当の変わり者と言ってしまって問題ない。
彼とは昔に少しだけ顔を合わせたことがあるが、あっちからその話をされたこともないし、彼が私を覚えているかも分からない。ただ彼はあの時にかなり怯えていて、その記憶を掘り起こされたくなさそうだし、その話を持ち出すのは、彼にとって嬉しいことではないだろう。
それにあのとき絶好調だった私は、彼にこう言っている。
『ハッ、男の癖にだっせーの』
……だから私たちはそれに触れず、あくまで仕事上の会話しかしてこなかった。
「そういえば、明日には傑が戻ってくるらしい」
思い出したように社長がタバコの紫煙交じりに吐き出す。
「そうでしたか、それにしても急でしたね」
「まあな、でもアイツにはかなり仕事を任せてたから、たまにはいいだろう。忙しい時期でもないしな」
「……私の仕事は増えてますけどね」
「はっはっは!オレは縁藤のこと信用してるからな!あの時にボコってなくて正解だったぜ」
社長は豪快に笑いながら、過去のことを口にする。
「社長、いまは勤務中ですから私語はあまり」
「なに、別にいいだろう?営業は新規開拓で出ているし、いまはオレと縁藤の二人だ」
確かにテナントの二階に構えるこの事務所には、私と社長の二人だけだった。いつもはニッカが事務所にいるし、社長もここに来たり来なかったりで、社長と二人になるのは珍しいことだ。 それを確認すると私は僅かに得心して背もたれに体を預け、空けていなかった缶コーヒーのプルタブを引く。
「あの時……巌さんは、なぜ私を放っておいたんですか?」
いまとなってはもう過ぎたことだ、気にしても仕方がない。
「私たちの集まりを巌さんは快く思っていなかったはず。正直、私もいつ巌さんがやってくるだろうって、怖い思いもしました」
冷戦となっていた巌さんのファミリーと、それに属さないでいたグループ。それに属さなかったグループは、生徒会室での暴行事件を機に、正式に対立状態になったはずだった。
生徒会室に乱入する際、私は仲間内を集めて、初めてグループとしての活動をしてしまった。だからきっと来るであろう報復に備えた。しかしそれが訪れることはなかった。
「そして私は、なぜかいま巌さんの元で働かせてもらっている」
「イヤだったか?」
「いえ、正直仕事をさせてもらって助かってます。私は特にやりたいこともなかったし、それに……やりがいはあります」
「ふん、そうだな。オレもだ」
いかつい顔の上に珍しく上機嫌が浮かんでいる。
「あの時、お前は確かに邪魔だったが、なに、放っておいても大したこともない、そう思っただけだ」
「それは違いますよね?だって逃げたままじゃ、巌さんのメンツが潰れるじゃないですか」
「はん、メンツなんて。ヤ印じゃあるまいし」
よく言う、大した差はなかっただろ。
「縁藤、余計なことは気にすんな。あんときお前がそこまで気にしてたんなら、不要な用心だったってだけだ。オレはお前のいるとこのグループなんてわざわざ潰す必要すらない、そう思ったから放っておいただけだ。事実、なにも問題なかった」
確かになにもなかった。あるとすれば私が仲間に疎外感を感じて、勝手にそのグループからも外れて一人になっただけ。
「そしていまやオレたちのメガネにかなって、ウチのカイシャを回す大事な存在だ」
私はそれ以上なにも言えない、いやきっとこれ以上言ってもなにも出てこないだろう。
「だからお前はとっくにオレのファミリーだ、なにかあったらオレに言え」
「……っ」
不覚にも私はその言葉に、胸打たれてしまった。居場所を求めてさまよい続ける私に、失ってばかりの私にその類は刺さりやすい。
例えその場所が、チンピラの居城だとしても。
…………いまのは流石に社員の皆に失礼か?
「はい、ありがとうございます」
「はん、他人行儀な。オレの女になるか?」
「生憎、私はダメ男の方がタイプなので」
「はっ、じゃあ厳しいわな」
そう言って片手をあげ事務所を後にする巌……社長。
「どちらに行かれるんですか?」
「その辺の取引のあるとこに挨拶でも行ってくるわ」
乱暴にドアを閉めて事務所を去っていった。
要はサボりだ。
そうして事務所に取り残される私。
口を開けたままにしていた缶コーヒーを煽る、ぬるい。元がホットかクールかも分からない中途半端な温度だった。
ここには昔のグループ連中の紹介で入社した。私は巌社長との確執があるから呼び出された時は、ついに年貢の納め時が来たと思ったが、過去は水に流して仕事をしてみないかと言われた。
罠かもしれないとは思ったが、この町に住んでいる限り逃げ場はなかったし、本当に仕事をさせてもらえるのなら、学校にも行かないで一日中車を眺めるよりは生産的だと思い、承諾した。
そうしていまに至るのだが、やはり腑に落ちない点は多い。
まるで私はなにか見えないものの手で、生かされ続けているんじゃないか?そう思うことさえある。ただ深く考えすぎてもしょうがない。もし社長にそれ以外の意図があったところで私に言ったりしないだろう。
秘書の力あっての社長……という構図にも見えるが、社長自体も別に頭は悪くない。ただ面倒がってなにをするのも億劫なだけだ。
だから、とりあえずこの瞬間は手を動かそう。仕事の時間こそ唯一プライベートを忘れられる時間なのだから。
いま、思い悩むとあれこれ色々なことを考えてしまう。
例えば、なぜか私の生みの親に先に会いに行っている幼馴染のこととか……
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