6-2 国際通話S&Y
「そう……良かった」
電話越しに聞く優佳の声は、いつにも増して僕の心を跳ねさせた。
「本当に色々と迷惑をかけて、ごめん」
「……ほんとだよ、これまでずうっとだったんだから」
「僕自信、不思議に思うよ。なんでこんな当たり前のことに気付けなかったのかって」
空港で帰りのフライトに乗る数十分前、優佳に電話を掛けていた。それは昨日、訪問した李さんとのことであり、これまでの意固地になっていた僕がしてきたことの謝罪。
「それは、もう言っても仕方のないことだよ」
「でも、それで優佳にはこれまでずっと苦労をさせてきた。僕の気が済まないんだ、本当に……」
「ストーップ!これじゃ同じやりとりの繰り返し。もう言わなくていいの、サトシが気付いて、そしてわたしが……ううん、なんでもない」
優佳は言葉を濁し、笑いながら”その”話を打ち切った。
「そういえば二階堂君は?一緒なんでしょ?」
「ああ、先輩はお土産を買いに行くって」
「……当然、わたしにもあるんでしょうね?」
「もちろん!でも変だったな」
「変って?」
「いや先輩がさ、お土産買いに行くって言うから、一緒に行こうって言ったんだけど、駄目だって」
「なんで?」
「さあ?なんでもお土産を買うのに集中したいって」
「なにそれ~?そんな恥ずかしいもの買おうとしてるの?」
「いやそれがそうでもないっぽい。買ったものを見せるのは構わないって、けれど買う時は自分でじっくり考えたいって」
「ふうん?なんか意外だね」
「ね。そんなお土産って入れ込むもんなのかな?」
「でもサトシだって時間ないからって、適当なもの買って来たら許さないんだからね?」
「そんなことするわけないだろ? ……優佳にだけは、そんなことしない」
「……ありがと」
小さく優佳はそう呟く。
その声の小ささは、いつものような照れ交じりから来るものではなかった。どちらかと言うとそれは……躊躇。
さっきからずっとこの調子だった。
言葉でこそ、僕達のこれまで……三ヶ月前までと変わらない近さはあるが、心が乗ってないような、そんな得体のしれない気持ち悪さが横たわっていた。
「優佳」
「……なあに?」
「夕方……いや十九時にはそっちに着けるんだ、だから――」
「――ごめん、今日は家族と食事に行くの」
「…………そうか」
僕はいままでずっと優佳を傷つけ続けてきた。優佳はレイカのことをずっと気に掛けていて、李さんと分かり合おうと水面下で動き続けてきた。
いや……言い訳なんてするな、水面下なんかじゃなかった、僕に真っ向から協力を求め続けてきた。
それなのに僕は優佳の言うことを聞かず、レイカにとって一番いいのは李さんを忘れさせることだと信じ続けてきた。
だから僕は協力はおろか、やめさせるように何度も促した。けれど考え足らずだったのは僕の方だった。
子供の頃に感じた偽の正義感を信じ続け、李さんを悪としてそれを跳ね除けることばかりしてきた。それなのに優佳はそんな僕を受け入れ続けてきてくれていた。僕がいつの日にか、味方になってくれることを信じて。
けれど僕は先日までその事実を受け入れず……優佳を疲れさせてしまった。
「レイカには、ゴエンさんのこと伝えたの?」
「いや、まだだ」
先に連絡するのは優佳、そう決めていた。
「もうっ、駄目じゃない。放って置いたらかわいそうだよ?」
優佳は仕方ないとばかりにため息交じりで言う。それはまるで姉が弟に言い聞かせるような口調で……
「優佳に、先に報告したかったんだ」
「だからそれが、駄目なの。レイカのこと、ちゃんと大事にしてあげて」
「優佳」
「……聞きたくない」
「違う、優佳勘違いしてる」
「いいから。いまそんな話を、したくないの」
「じゃ、いつだったら……いや、違う」
「……」
「優佳、ごめん」
「……」
「優佳を待てなくて、ごめん。でも!」
「――っ」
――電話を切られてしまった、耳に残るは無機質な電子音。
優佳の明確な、拒絶。
僕はため息を付いて、スマホを握った手をだらりと落とす。
「なんだよ、勝手に切らなくてもいいじゃないか……」
僕はここでは誰にも伝わらない母国語で、喧騒に塗れた空港内で独りごちる。反応する人はもちろん一人もいない。
ふと子供の時にやった水切りという遊びを思い出した。川に向かって平らな石を投げて、バウンドさせた数を競う遊びだ。子供の頃に縁藤家に連れられて、優佳とレイカに川遊びに行った時にやったきりだが、僕だけが一度も水辺を滑らさせることができなかった。
それと同じだ、僕の言葉に返ってくるものはない。そして今回はとうとう沈む音もなく石はどこかに消えてしまった。
――優佳はこんな思いを何度もしたのだろうか。
出来ないことを何度も繰り返すのは苦痛だろう。優佳は何度となく僕に訴えかけ続け、それでもあきらめずに説得しようとしてくれした。ちょうど水辺に石を何度も投げ続けるように。
だったら……僕も負けてなんていられない。
優佳はこれまで僕をあきらめてくれなかった。何年もずっと僕のことをあきらめないで説得し続けようとしてくれたんだ。そして僕はそれに見向きもせず、優佳がいなくなった悲劇に酔い、レイカに……甘えた。
優佳を失った居場所を埋めるようにして、レイカをそこに宛がおうとした最低の男。決定的なところまでレイカとは行かなかったとしても、心が揺れ動いたのであれば、それは優佳を裏切ったこととなにが違うのだろう。
僕があきらめてしまったら、きっと優佳と僕は……終わる。先ほど優佳がそうしたように、一歩離れていつかの”お姉ちゃん”のように保護者ぶって。
でも僕は……優佳と過ごした日々を忘れないことを選んだ。もちろん、それは優佳が帰って来なかったら選べなかったことだ。
けどそんなこと考えてなにか意味があるだろうか? いまは”もうそうなってしまった”のだから、そうなったこれからのことを考えればいいだろう?
だから僕はその”心の揺れ”を作った理由を、優佳のせいにさせてもらう。だってその揺れは優佳の選択が生み出したものだから。
自分の考えに吐き気がする、なんて厚かましい人間。自分のことを正当化して、欲しいものを手に入れようとする傲慢さ。けど別にいいじゃないか、僕はとっくに汚れてしまった人間なんだから。
偽の正義を被ってこれまで優佳を否定し続けてきた、それなのにこれ以上汚れることに今更怖がらなくたっていいだろう?
だから僕は――優佳の”三ヶ月の無断外泊”を許す。……そして優佳には、僕の”心の揺れ”を許させる。
優佳はいまも逃げ続けている。
それを”心の揺れ”じゃなくて”決定的なこと”だと信じてしまっているから。それと真正面から向き合うことは、とても怖いことだから。
怖がらせてしまったのは僕だ。だから僕が、頭をガッチリ掴んで向き合わせなければいけない。負い目があるなんて思って下手に回るなんて絶対ダメだ。冷戦みたいな戦い方じゃなにも解決出来やしない。
お互いにぶつかり合って口汚く罵り合って、それを下世話な痴話ゲンカのレベルに落とさなければ、きっと僕たちは分かり合えない。
僕はその優佳を傷つけてしまった張本人だ。だからその責任を全部負いたい、これから先もずっと追い続けたい。そして厚かましくも自分を追う資格のある人間だと、そう思い込んでずっと生きていきたい。
そう、心に決めたから。
「諭史、待たせたな」
声のする方には両手に大量に紙袋を下げる先輩の姿があった。
「いったい、どんだけ買ったんですか?」
「いや、なにしろ急な遠出だったからな。職場の土産に、斡旋してもらった旅行会社へのワイロ、それと友人と……女だな」
「はあ、なんていうかスケールが違いますね……ってか、女って」
「……ま、それはどうでもいいだろ。それより、電話の相手は優佳さんか?」
「ええ、そうです」
見てたのか……
「その顔つきを見る限り、あまり楽しい話にはならなかったようだな」
「はは、わかっちゃいますよね」
僕は優佳と話した内容をざっくりと先輩に伝えた。先輩は表情を変えずに淡々と僕の話を聞き、軽く相槌だけを打って少しだけ考え、軽く切り出した。
「諭史、そもそもだが恋愛って楽しいものだろう?」
「……はい」
「いまのお前はなんて言うか、堅苦しい」
先輩は悪びれずにぴしゃりと言い放つ。
「優佳さんといて楽しいから、お前は好きになったんじゃないのか?」
「はい」
「だったらお前はそうなりたいって事をアピールしていけばいい、優佳さんのことは義務じゃない。言ってしまえば上手く行かなくて楽しくないなら、お互いのために別れたほうがいい」
「別れるなんて、そんな縁起でもない」
「本気だぞ? それが嫌だと思うなら、もっと気楽になれ、諭史。お前が優佳さんに猛烈なアプローチするのは、優佳さんといたほうが幸せになれると思ってるからだ」
そうして先輩は少し悪戯に口元を歪める。
「恋愛は目的じゃなくて、手段を愉しむものだぞ? 結果はあくまでついて来ただけだ、結婚できればもちろんめでたい。でも結婚を目的に優佳さんを好きなワケじゃないだろう?」
その言葉は僕の頭にガツンと響いた。遠くに投げた平石を先輩がキャッチして、僕の後頭部にぶつけられたような、そんな予想外のショックだった。
「そうです、ね……はい、その通りです!」
「だったらお前はずっと笑っていろ、能天気に、無責任に。中学の時のお前がまさにそうだったように。……考えてみれば、そんなお前だからこそ優佳さんをオトせたんじゃないか?」
「いや、さすがにそんなずっとヘラヘラしてなかったと思いますけど」
「ま、なんでもいいだろ。要は楽しめって事だよ。さっさと買い物行ってこい」
そう言って先輩は背中をバン!と叩いた。
「痛っ! ……どっちみち僕は先輩と違って、そんなたくさんの女の子に土産買うほど甲斐性ないですから」
「……誤解のないように言っておく」
「はい?」
「土産を買ってやる女は、一人だ」
「そうなんですか?」
「ああ」
別に聞いてない――って思ったが、そう言うからにはそうなのだろう。若干気にはなったが、いまはそれどころじゃない。
「じゃ、先輩いまから買い物に行ってきますから」
「ああ、待たせてしまって悪かったな」
僕は時計を眺める、すると時間は二十分を切っていた。
「うわ、もうこんな時間だ。フライトまで時間がないからサクッと決めてきます!」
「ダメだ」
「え?」
先輩は真面目な顔で言った。
「買ってやる相手の事をしっかり考えて選べ。なにを選んだら一番喜んでもらえるか、ちゃんと考えろ」
「……はは、わかりました!」
そう言うことか、先輩が集中するって言ってたの。
昔からのイメージで先輩は女子にモテて、たくさんの女性が近くにいるイメージがあった。
けど、それに反して先輩って意外と純情?
送る相手のことをしっかり考えて、か。
そこまで思ってもらえる相手はなかなかの幸せ者だな、なんて思った。
「最悪、間に合わないようだったら次の便で構わない、だからちゃんと選んでやれ」
「はははっ!わかりました」
「なにが可笑しい? おい、諭史!」
小さいことから、始めよう。
失った信頼を埋めるのは大変だ。
でも、そこにあきらめてはいけない理由があるなら、それに向かって進んでいくだけだ。
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