5-21 対面


「「……」」


 結局、七皿目までは食べた。

 先輩に至っては四皿しか食べていない。


 味自体は文句なしに美味しかった。

 最初の内は「これがこの国の家庭の味か!」と感慨深くなった。


 けれどやはり量がキツかった。

 二皿目までは問題なかったのだが、三皿目に小籠包を食べ終わった時点で既に敗北していた。


 後半に重い料理を残し過ぎたのが敗因だ。

 特に回鍋肉なんかは一番最初に食べてしまうべきだった。


 四皿目には大好物の油淋鶏を食したが、もう食べるということが流れ作業になっていて、口にしても感動はなんの感動も起こらなかった。


 そのあとに残った料理を見て、もう食べたいと思うものが無いことに気付く。

 いや、嫌いだとか美味しそうに見えないだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ……


 おばちゃんが困った顔で腰に手を当てながらなにか先輩に言っている。


 きっと食べ切れなかったことに文句を言われているのだろう。

 先輩は片手を上げ、申し訳なさそうにしている。


 会話は出来ないが僕も手を合わせて、謝罪のポーズだけ取る。伝わってるだろうか。


「諭史、水くらい貰うか?」


「……お願いします」


 息も絶え絶えに敗残兵共が水を乞う。

 ぐったりと椅子の背もたれにくたばっていると、奥の方で少し元気な高めの声が聞こえた。


 おばちゃんはでかい声を張り上げ、その人と会話をしている。

 振り返る気力もなく待っていると、高めの声の女性が水を運んできた。


 女性にしては背が高く百七十はあるだろうか、頭に三角巾を被っていて、後ろから栗色の束ねた髪がすらりと伸びている。


 目尻はやや切れ長で……


 僕はその顔を見て、心拍数が上がっていった。

 先輩も驚きに見開かれた眼で、女性の顔をずっと見ていた。


 だって、その女性は、あまりにもレイカにそっくりだ……

 女性は二人分の水を配膳し、一礼をすると調理場に戻っていった。


「先輩……」


「ああ……間違いないだろうな。家も近いはずだし、ここで仕事をしてるって言われても納得だな」


 間違いなかった、あれはレイカの母親だ。

 生みの親である、李……さん、に間違いなかった。


 そして先輩はなにやら急にくつくつと笑い出した。


「なぁ、諭史」


「なんですか……?」


「お前、これから李さんに改めて自己紹介することになるんだが……」


「ええ……」


「相手の料理を完食しないなんて、とても失礼だと思わないか」


「……………………」


「少なくとも話をする上で、対等の関係にはなれないだろうなぁ?」


 先輩は一人で心底楽しそうに嗤っている。


「つまりは……わかるな?」


 したり顔で指を突き付けてくる。


「ハア……」


 僕は再びれんげを持ち、残り三品に勝負を挑む。

 残る強敵は青椒肉絲・八宝菜・回鍋肉だ。


 手負いの状態でこの三闘神に勝てるのであろうか?

 だが、やらなければならない。


 少なくとも、それに打ち勝てない状態で、真のラスボスに勝てない、いや僕が自信をもって対峙するためには、越えなければならない壁なんだッ!


 遠目におばちゃんが「おい、こいつまた食べ始めたぜ……」みたいな顔でドン引きしている。


 構うもんかっ、僕は、自分自身のために戦っているっ!

 先輩はもう俺は関係ないとばかりに、スマホでゲームをやり始めていた、○したい。


 僕は自分の目から零れ出る塩水で味付けをしながら、三闘神を胃袋に叩き込んでいく。



 ……それからおよそ三十分後、魂を削り完食することができた。


「はは、諭史。なかなか面白いエンターテイメントだった。ほら見ろ、インスタで反応も上々だ」


 嬉しそうに見せてくるスマホの画面には『友人、海外でいきなりフードファイト開始』と、無責任なタイトルとグロッキーな顔をした僕の写真が貼られていた。


 このクソメガネニホンインスタバエめ……


「って、勝手にアップしないでくれますか?」


「細かいことを言うな、たまにはこういう体を張ったイベントもこなさないと立派な大人になれないぞ?」


 勝手に人の写真をアップする人は立派な大人なのか?このハエ公。


「おなか、だいじょうぶ、ですか?」


 声を掛けられた方を向くと、たどたどしい日本語で話しかけてくる、李……さんらしき人。


 自分に話しかけられたのだということに気付き、僕はハッとする。


「……日本語、お話できるんですか?」


「はい、ちょっと勉強しました」


 そういって優しく目を細める女性。

 彼女の見せた温和な雰囲気は、様々な人生経験を積んだ、大人の落ち着きを感じさせる深みのある表情だった。


「先輩」


 傑先輩の方を向くと、真剣な表情で首を縦に動かした。


「もしかして、李……さん、ですか?」


 そう問いかけると、彼女は少し驚いた顔を見せ「はい、待っていました」と優しく微笑んだ。


---


 それから僕と先輩は李さんの仕事が終わるまで、お店で待たせてもらう許可を頂いた。

 どうやら昨夜優佳との電話が終わった後、優佳が李さんに連絡を入れてくれたようだ。


 おばちゃんは僕らが李さんの知り合いだとわかると、大声で笑いながら僕の肩をバンバン叩きながら、胃薬を出してくれた。


 僕の食べっぷりが男らしかった、と褒めてくれているらしい。

 仕事中の李さんの様子を目で追ったが、レイカの破天荒な性格とは打って変わり、物腰柔らかなゆったりとした女性だった。


 まだ顔つきは若く、レイカのお姉さんと言われても信じられるだろう。


 李さんがレイカのお姉さんだったとすると、三姉妹の身長は百四十・百七十・百七十の長女だけ小さいことになる。


 想像の中の優佳が「もーっ!」と言って怒りだして、僕は一人でほくそ笑んだ。


「なにを一人で笑っているんだ、気持ち悪い」


「いえ、すいません、思い出し笑いです」


「ちなみに”ほくそ笑む”はこの国の、北叟(ほくそう)と言う人が薄く笑った事が語源らしいぞ」


「あ、そうですか……」


 謎のトリビアが始まった。

 この人は博識と言うよりただの雑学王ではないのだろうか。


 いや雑学王も博識であることに変わらないのだろうけど。



 それから数時間経ち、李さんの退勤に合わせて僕らは店を出た。

 西日が遠くの稜線を赤と黒に隔て、そのシルエットが寂寥感を漂わせる。


 燃えるような赤がより色濃く感じられるのは、この国が西に位置しているのが原因だろうか。


 そういえば歴史の中で似たような文書を書いた人がいた。


 確か『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す……』

 ……って、これは相手を怒らせる表現じゃないか、危ない。


「すぐるさん、さとしさん、待っててくれて、ありがとうございます」


 李さんが店の裏手から出てくる。


 ニコニコ笑いながら僕たちに駆け寄る彼女は、深緑のTシャツに作業服のようなパンツを履いたラフな格好だった。

 自分の外見に頓着せず、雑多な服を着る辺りはレイカに似ているかもしれない。


「ではワタシの家、行きましょう、夜ごはん、ご馳走したいです」


「いえ、そこまでしてもらうわけには……」


「いいじゃないか、諭史。このまま道端で話すのも変だし、お邪魔させてもらおうじゃないか」


「それもそうですが、いま食事のことは考えたくないです……」


 僕は未だに喉元すんでのところまで上がってくる、三闘神の香りと戦っている。

 食事の話をされると精神的ダメージが大きい。


「歩いてれば腹も減るだろう。李さん、それではお邪魔してもいいですか?」


「はい、もちろんです」


 李さんがそう言って微笑む。

 僕は邪気のないその笑顔につられて笑ってしまった。


「そこまで言われたら断れませんね」


「ハイ、断わらないでください!」


 茶目っ気のある李さんの言葉に毒気を抜かれる。

 たどたどしい日本語だからこその可笑しみもあるけど、どこかしらユニークな人だ。


 ……既にここ数年の思い込みが、ドロドロと溶けていくのを感じる。


 天真爛漫、そんな言葉が頭に浮かんだ。

 人を嫌う、そんな感情とは最も対極にいそうな人。


 明るい笑顔を見せる李さんと、僕がイメージしてきた子供を捨てた冷たい母親の像はまったく結びつかない。


 そして日本語を話せるおおよその理由も察しがつく。

 レイカといつか会って話をする、そのために勉強したと考えるのが普通だろう。


 少し前を歩く、李さんが口を開いた。


「でも、びっくりしました。イェンファと会う前に、イェンファ友達と先に会えると思いませんでした」


「はは、そうですよね。ごめんなさい、びっくりさせて」


「ごめんなさい、言ってはダメですよ。私は嬉しいです、イェンファに友達がいっぱいいて」


 そう言って惜しみなく李さんは笑みを見せた。

 その綺麗な笑顔に僕は見惚れてしまいそうになる。


 レイカもこれだけ惜しみない笑顔を見せていたら、周りは放っておかないだろうな……なんてズレたことを考えてみる。


「おい諭史、なにをボーっとしているんだ」


 無言でいた僕を傑先輩が小突いてくる。

 ……いけない、話の途中だった。


「ふたりとも、仲が良いですね」


 そのやりとりを見て、李さんがすかさず声をかける。


「まあまあですね、手のかかる後輩です」


「ワア!すぐるさんはさとしさんの年上でしたか」


「はい。自分がこちらに来たのも、諭史が一人で李さんに会うのが怖いというからで……」


「ちょっ、先輩!?」


「ア~そうでしたか!でもどうしてお友達のさとしさん達、ワタシに会いに来ましたですか?」


「えっと……」


 口ごもる僕を無視して先輩が先に応える。


「こいつはイェンファ君にベタ惚れなんですよ。だからそのお母さんにもぜひ会ってみたいって聞かなくて」


「ちょっ……先輩!?」


「イェンファ、モテモテですか?」


「ええ、美人ですし、誰にも分け隔てなく接してくれるので、ウチの事務所でも人気です」


 ……ん?


「ア~、そうですか!私まだ小さいイェンファしか知らない、仕事をする大人になったイェンファ楽しみです」


「イェンファ君はパソコンで事務処理をしています。きっと地頭がいいのでしょう、俺たちがした指示を正確に読み取ってくれます」


「頭いい、そうですか!ワタシとは違うですね」


 そう言って李さんは自分の頭をポカリと叩く。

 二人は笑いあい、なんとも微笑ましい光景……じゃなくって!


「先輩!?なんでレイカの仕事内容にそんなに詳しいんですか!?」


「なんでって……レイカ君はウチでも優秀な事務員だからじゃないか」


「じゃなくて!ウチでって、もしかして……!?」


「もしかしてもなにも……お前、レイカ君がウチの社員だって知らなかったのか?」


「知りませんよ!誰も言ってくれないし!レイカからは力仕事だって聞いていたし!」


「力仕事?……ああ、それはきっと人手が足りない時に、代わりに派遣先の仕事に出る時のことだ。それは俺も巌さんも同じだ。小さい会社だからな」


 派遣されてくる仕事には、引越しの手伝いや、現場での交通整理なんかもあるらしい。


 レイカのヤツ……黙ってたのか。

 というか僕も正直つっこんだところまで確認しなかったし、隠してたわけじゃないと言われればそれまでだ。


「はあ……なんか世の中って狭いですね」


「同じ市内で働くと言ったら場所も限られるだろう、というかいまは李さんがいるのだから、いつでも出来る話はやめないか」


 李さんの方を向くと会話を少しでも聞き取ろうとするように、目をキラキラ輝かせて僕らの顔を見比べていた。


「イェンファ、色々な仕事してるですか!”引っ越し”意味わかります!インターネッツで見ました、声を大きく出して『さっさと引っ越し』追い出します!」


「それは違う!」


 間違った情報が平気で残り続けるインターネッツ……恐ろしい。


 それからしばらく歩いた後、李さんの住んでいるアパートに着いた。

 そこは四部屋が入っている小さな二階建てのアパートで、李さんの部屋は一階に位置していた。


「どうぞ、入ってください」


 促されてアパートに入ろうとしたが、先輩に肩を押さえられる。


「ちょっと待て」


「どうしました?」


 その様子を見て李さんも不思議そうにしている。


「中にはご家族がいるんじゃないですか?急に俺たちみたいな若い男が二人も入って大丈夫ですか?」


「ア~」


 手をポンと打ち合わせ、なんとも力の入らない声を出した。


「ちょと、待ててください」


 そう言って中に入っていった。


「よく気付きましたね」


「お前もそれくらい気を遣えるようになれ。そもそも、あの人は……」


「あの人は?」


「あまり失礼なことは言いたくないんだが……」


「だからなんですか?」


「その、抜けている」


 ――激しくドアが開き、赤い髪の少年が大股で近寄ってくる。


「えっ……?」


 少年は僕の胸倉を掴み、現地語で激しく怒鳴りつける。

 遅れて部屋から遅れて出てきた李さんは、少年の髪の毛を引っ張り、なにやら二人で言い合いを始めた。


「な、なにが起きてるんだ……?」


 僕のつぶやきをよそに先輩はため息を付く。


「こうなる気はしてたんだがな……」


 会話に先輩が入り、李さんと二人で少年に話しかけると、急に大人しくなり……そっぽを向きながら僕にも分かる謝罪の言葉を呟いた。


「ええっと、先輩……大丈夫です、って伝えてもらえます?」


 先輩が少年に伝えると、また軽く頭を下げた。


「ごめんなさい、寰(ファン)が暴力を……」


「いえ……息子さんですか?」


「はい、李 寰(リー・ファン)です、初級中学に行く十三歳です」


 そう言って紹介されるファン君はそっぽを向いて、不貞腐れていた。

 初級中学とは日本で言う中学生だ。ちなみに高校生を高級中学と呼ぶらしい。


 それから先輩は慣れた様子で少年に話しかけると、ファン君が笑い始め、笑ったことに李さんが少し怒っていた。


 少年は傑先輩に絆されて気を良くしたのか、そのまま笑いながら外に走って行った。


「先輩、いまのは?」


「お母さんを守ってあげてる君は立派だな、って言ってやっただけさ」


 こともなげに先輩は言う。


 ……すごいな。

 いきなり胸倉を掴んできた少年から笑いを誘って、李さん交えてコミュニケーションを取ったんだ。


 しかも他国の言語で。これがすごいことでなくてなんだと言うんだ。


 僕は襟のたわみを直し、李さんの家に上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る