5-20 いざ、本拠地へ


 翌朝、先輩の電話している声で目が覚めた。

 朝日を浴びながら大都市をバックに、窓縁に腰かけながら微笑む様は、男の僕から見ても絵になっていて、なんか腹が立った。


 ……ボクサーパンツ一丁だけど。


 電話を終えた先輩が、目覚めた僕に気付く。


「起きたか」


「おはようございます」


「昨日、俺は何時に寝ていた?」


「ホテルに入ってからすぐなんで、日付が変わる前くらいですね」


「そしたら九時間も待たせて……いや寝ていたことになるか」


 先輩はそう言うとなぜか笑いだした。


「もう九時だ、チェックアウトもすぐだし、お前もシャワーを浴びて来い、ひどい寝ぐせだぞ」


 頭を触るといたる所がぴょんぴょこしていた。枕が違うから?


「傑先輩は?」


「俺は先に浴びてきた」


 確かに先輩の髪は僅かに濡れていたし、風呂上がりからのパンツ一丁か、と納得は行く。

 ここ最近は先輩のイメージが変態に近いので、裸族でもパンツ一丁でも、割と不思議には思えなくなっていた。


「先輩、カミソリ持ってます?」


「持っているが、自前のは持って来てないのか?」


「あ~……はい、忘れました」


「仕方ない、洗って返せよ」


「ありがとうございます」


 先輩から重量感のある電気カミソリを借りた。


 脱衣所で服を脱ぎながら先ほど聞こえていた電話の内容を反芻する。 

 あれは明らかに女の人と電話をする声だった。


 普段の無駄に堅い言葉遣いとも、変にフザケている時の口調とも違う、ぎこちないような、気遣ったような、初々しい話し方だった。


 それに待たせていた、と言っていたのも、きっと連絡貰ったの放置してたとかそう言うことだろう。


 別に人の恋愛ごとに口出ししようなんて思わないけど、なんだろう?

 自分が揉めているときに女性と仲睦まじい会話を聞くのは面白くない。


 シャワーを浴び、ボディソープで体を洗う。

 日本とは違う独特の匂いがした。


 そして僕は先輩に借りたカミソリの電源を入れる。

 電気カミソリを使うのは初めてだ、刃を直接当てずに本当に毛が剃れるんだろうか?


 試しに僕は電源を入れ、足のすね毛に当ててみる。

 おお、本当にキレイに剃れた。当たり前だが。


 なんか面白くなってそのまま刃を当てて剃らせていく。

 そのまま刃を少しずつ上にあげていき、そのまま陰毛に到達する。


 太ももの付け根辺りから丁寧に股間に向けて、優しいタッチで核(コア)に向けて刃を進めていく。


 剃った後に瑞々しい肌色が見えてなんか嬉しい。

 楽しくなってきて気づいたら反時計回りに二周していた。


 中心部だけ剃ったので、周りだけ残ってしまった。

 確かこれをドーナツ化現象と言うはずだ。


 せっかくなので全部沿ってやった。

 つるつるになって気分がいい、小学生に戻った気分だ。


 よし、勢いづいてきた。

 このまま稲荷寿司にもチャレンジすることにする。


 こちらは皮が柔く、丸みに沿っていくので難易度が高い。

 それに僕はT字のカミソリしか持っておらず、一人の力で稲荷に挑戦するのはリスクが高かった。


 だからこそ安全性の高い電気カミソリがある、いまがチャンスというわけだ。


 しかし電気カミソリは毛根まで押し当てられないから、剃り残しが若干気になってしまう。

 僕がこれを自分から買いに行く日は遠そうだ。


 勢いに乗って今度は尻の毛にチャレンジすることにした。

 小さい頃、こんなところに毛が生えるなんて思ってもいなかった。


 だが時は来た。

 いまの僕には傑先輩が付いている。


 見たくない現実と向き合って、大人になる時が来たのだ。


 ……見えない場所なので、少しばかりドキドキする。

 そう言って僕はワレメに先輩を押し当て、一気にパワーをTURBOまで上げる。


「うぉっ!」


 毛根が強かったのか、少しばかり肉を引っ張られて焦った。

 だが慣れてくるとその感覚が少し心地よい。


 一通り剃り終えたところで外刃を開くとかなりの量の毛が出てきた。

 これが僕の十八年間かと思うと、人生の軌跡を感じる。


 あらかた排水溝に流してしまった後、僕はまだヒゲを剃ってないことを思い出した。


 けど陰毛剃った刃でヒゲを剃る気が起きなかったのでやめた。

 そもそも僕はヒゲが薄いので、三日くらい剃らなくても平気だ。


 その後はシャワーをさっと浴び直して風呂場を出た。

 風呂を出ると先輩は職場に電話を掛けていたので、手を上げて礼をし、見えるようにカミソリをテーブルに置いた。


---


 ロビー横にあるバイキングレストランで朝食を摂り、十一時にホテルをチェックアウトした後、タクシーで移動を開始した。

 優佳からもらった住所によると、李の家は西に二時間ほど進み、大きな湖を迂回して進んだ農村にある。


 先輩はタクシーに乗るなり目を瞑り、腕を組んで寝息を立て始めた。

 そのリラックスした先輩とは対象に、僕は背筋を伸ばしてこれからのことに体を堅くしていた。


 ……いよいよか。


 優佳が何度もコンタクトを取って顔も合わせている人だ。

 子供のころ思い描いていたような極悪人が出てくることはないだろう、とは思う。


 むしろこっちが緊張し過ぎでなにも言えず、なあなあのまま終わることの方が怖い。

 通訳として先輩が付いてきてくれているが、あくまで話の中身自体は僕次第だ。


 みんなのアドバイスが故にここまで来たが、あくまで僕の問題で他の誰にもどうこう出来ることではない。


 李语嫣(リー・ゴエン)、長年のあいだ僕が敵だとすら思ってきた人物。


 今更なのだけど、それをとても不思議に思う。

 会って話をしたことのない人を、敵だと思うなんて。


 僕はその人のことをあくまで断片的にしか知らない、それこそ歴史のテストに出る偉人と同じくらいにしか。


 いままでこんなことを考えたことはなかった。

 李が悪い、それは理由とかではなく、そういうものだからそうなんだ、としか思って来なかった。


 けれど、いざ李と会う前にしてその考え方が揺らぎ始めている。

 それは李を前にして剥き出しの悪意を持つことが怖いのか、それとも弱気になっている僕が怖い人でなければいいと願い始めたからなのか。


 どちらにしても、覚悟を決めないと。


「ん……いまどのあたりだ?」


 先輩は目を半開きにし、眉間を摘まみながら聞く。


「一時間は走ったので、多分半分くらいですね」


「そうか……だったらお前も寝たらどうだ?」


 この人はあれだけ眠っていたのにまだ寝足りないのか。


「はは……件の人と会うって思ったら、眠気はどっかいっちゃいましたね」


「ふ、国内にいた時はあれだけ言いたい放題だったのに随分と内弁慶だな。やっつけるくらいの気持ちでかかって行けばいいだろう?」


「他人事だと思って……いくら恨めしく思ってた人でも、目の前にしてズバズバ言いたいこと言えるほど図太くはないですよ、僕は」


「いいや、言えばいい。ここまで来たのはお前の気持ちをスッキリさせるためなのだから」


「はは……そこまで豪胆な人間でいられれば良かったんですけどね」


「巌さんに胸倉掴まれても我を通した奴が良く言う」


「そんなことありましたね……あの時はあの時の事情がありましたから」


「レイカ君を守る、だろ?じゃあ今回も同じじゃないか」


「……ほんっと、よく覚えてますね」


 過去にあったことなんて全部黒歴史みたいなもんだ。

 それを相手に覚えられているほど恥ずかしいことはない。


「俺の人生を変えるきっかけにもなった出来事だ。昨日のように思い出せるよ」


 先輩は少し昔を懐かしんでいるのか、楽しそうな表情をする。


「まあ、頑張れよ諭史。どっちかっていうと俺はお前の味方だ」


「どっちか、って随分ギリギリな味方ですね」


「俺にはどうしようもないからな。でも一つアドバイスすると、掛ける言葉が見つからなかったら礼でも言っておけ」


「適当すぎる……」


「そうでもないぞ? 好意を持ってることだけ伝われば、それだけで話は柔らかくなるんだから」


 そう言って先輩はまた腕を組み、目を閉じた。

 タクシーはそのまま排気音と無言を乗せ、高速を降り、田舎道に入って三十分ほどの後に街の中心部で停車した。


 高速を降りてからは一面が畑だったが、中心部に向かって行くに従い、高層マンションなんかも見えてきた。


 街の入り口には「熱烈歓迎」っぽい感じの看板があり、一面の更地に重機が点在しており、現在も開拓中であることが窺えた。


「思ったより都会だな、もっとド田舎かと思っていたが」


 相手に言葉が分からないことを良いことに先輩は好き勝手言っている。僕も概ね同感だけれど。


「なんだかんだいい時間ですね、昼ご飯でも食べましょうか」


 僕たちは手近な中華料理店ら入り、思いのほか威勢のいい挨拶をされ席に通される。

 店番風のおばちゃん一人で、店内には食べ物の匂いというよりは、初めてあがる友達の家のような匂いがする。


 おそらく元は白い壁だったのだろうがやや黄ばんでおり、テーブルの上には漢服を着た男の人形が座っている。


 調理場の方では異国の話し声と、食器をいじる音が聞こえるの、従業員は三人くらいだろうか。

 先輩と席に座り写真付きのメニューを数ページめくり、僕は先輩と顔を見合わせた。


「これコースしかない割に量が多くないですか?」


「……なにやらそう見えるな。だがきっと誇大広告というやつだろう、この値段でこんな量が来るとは思えない」


「ですよね、ってこれ安いんですか?」


「ああかなり安い、というか安すぎる」


「例えば、このコースはいくらなんですか?」


 僕は値段的に下から二番目の、十品くらいあるコースメニューを指す。


「大体四百円くらいだな」


「え?こんなに盛ってて四百円ですか!?」


「ああ、だが日本より相場が安いとはいえ、一品ごとは大した量じゃないだろう」


 僕もそりゃそうだろうなと思い、おばちゃんに声をかけてその十品コースを注文した。


「そういえばこっちってお冷出ないんですかね?」


「いや?頼めば出ると思うぞ?」


 そう言って先輩は追加でお冷をもらうようにお願いすると、でかい声のおばちゃんがのしのしと歩いてきて、机の上にポットをドカッと置いていった。

 けれどポットは冷えてるどころか、氷も入っておらず常温の生温い水が出てくるだけだった。


「これって普通なんでしょうか?」


「なんのことだ?」


「お冷、ですよ。全然冷たくないじゃないですか」


「ああ、俺たちはお冷というが、海外では常温の方を出すことが多いぞ?冷たい水は胃に悪いとする国の方が多いしな」


「へえ、さすが海外留学しただけありますね」


「まあな。だから冷たくないのが普通で冷たいほうが珍しいんだ。ちなみに英語圏では”water”だと有料のミネラルウォーターが出るから”tap water”水道水、と言うんだ」


 そういう先輩の顔は得意気だ。

 自分のことを楽しそうに語るのを見ていると、中々かわいいところもあるな、なんて思う。


 でもこの人は今夜、僕が陰毛を剃ったカミソリでヒゲを剃るのだ。



 ややあっておばちゃんが一皿目を持って来る。

 この時点で僕らは過ちに気付いた。


 皿に載せられた料理は写真表記より明らかに多い。


「先輩……」


「諭史、言うな」


「僕、とてもこの量は」


「諦めるのか?」


「いや、諦めるでしょう」


 コト、コトリと二皿目、三皿目がやってくる。

 目分量ではその三皿目を食べ終わった時、おそらく食べ過ぎというレベルだ。


「お前はこの国になにをしに来た?」


 なにか芝居がかった口調、いやいつも芝居がかっているが、いかにもわざとらしくかしこまった様子で言う。


「李と会いにですけど」


「そうだ。そしてその因縁の相手とトークバトルを繰り広げるのだろう?」


「若干引っかかりますが、端的に言うとそうですね」


「だったら戦う前から諦めるなどと言うな」


 先輩はパシと肩に手を乗せて、僕の目を見据える。


「いいか、諭史。気持ちの問題だ。普段から諦める姿勢では出来ることも達成し得ないぞ?」


「クサいっす」


「クサいなどと言うな、先輩からの有り難い言葉を聞け」


「たまに出てくるその気持ち悪いフリはなんなんですか?」


「だからサトシ、お前だけは諦めるな。俺が屍になったとしたら、お前がそれを越えていくんだ」


「はいはい……」


「はい、は一回だ」


「……ウザ」


「ん、なんだって?あまり俺の機嫌を損ねると通訳してやらないからな」


「最悪だ!!」


 ここまで引っ張っておいて梯子を外すとか外道でしかない。


「あ~わかりましたよ、食べてやりますとも。これでもココ○チのカレーを700グラムまでは完食したことありますからね!!」


「よ~し、その意気だ。ちなみに俺が屍になったら、お前がその残りを食べるんだぞ?」


「アンタも最後まで付き合えや!!」


 なにが悲しくて海外でフードファイトなんかしなければならないんだ……

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