5-16 夢だけで終わらせたくないの


 頭が痛い……


 わたしは枕元に転がってるはずのスマホを探す。

 ……午前四時。


 ふうっと息を吐き出し、寝ぐせでモサモサになった髪を手櫛で軽く梳く。


 ここは長いこと暮らしていた縁藤家の自室。

 サトシと同棲を始めてから、一緒に暮らしていたあの部屋ではない。


「この夢は、ちょっとキツイなぁ……」


 額に手を当て自嘲する。

 夢から流れ込んでくる感情の奔流に、現実が侵食されていく。


 切っても切れない、か……

 亀裂を入れたのはわたしだった、それも致命的な。


 そうした理由は色々あるけれど、全部をサトシのせいにはできない。


 ――レイカはゴエンさんに会うべき。


 最後までわたしとサトシの意見が一致することはなかった。


 レイカがわたしにとって、かけがえない存在であることをサトシはわかってる。

 それでもサトシにとってレイカは、ゴエンさんと会うべきでないことは絶対だ。


 だから今回、わたしは暴走をした。

 言ってしまえば五年前と立場が変わっただけ。


 サトシは相談することなく、罪を被ってレイカを守った。

 わたしは相談することなく、レイカが再開する機会を作った。


 ゴエンさんを認めなかったサトシを責めるべきではない。

 だってサトシなりにレイカを守りたいという思いがあったから、ゴエンさんと会わせることを否定し続けたんだ。


 だけどゴエンさんとレイカが話をしたわけではない。

 ……わたしは確信しているのだけど、会った後にいまより悪くなることは決してない。


 いや、レイカの助けに必ずなる。断言出来る。

 お父さんの説得も済んだ、だからゴエンさんも”約束”に縛られることはない。


 あとは結果を待つだけ。

 直接のやり取りはレイカに渡した手紙、ここから親子の交流が再開するのだ。


 決着は、ついた。



 ……だから、わたしは夢を見たのかもしれない。

 サトシと過ごしていた、あの日々の夢を。


 サトシと仲直りができれば、元通り。

 ……だったら、よかったんだけどなぁ。


 仲直り、なんて……できるの?


 引き合いに出した五年前の暴走。

 同じようにも感じられるが、今回は決定的に違う。


 サトシは暴走を短い期間で終えたが、わたしの暴走は三ヶ月。

 しかもサトシにとっては無期限とも思える時間で、その間ずっとサトシを傷つけ続けた。


 サトシは期間にして二日で、すぐに白状してくれた。


 夕霞中の職員室でわたしを否定し続けた、サトシのことは鮮明に覚えている。

 あの時のことは忘れたいくらいイヤな思いをしたけど、忘れたくない。


 いまはいい思い出と言ってもいいかもしれない。

 あの出来事があったから、サトシと一層絆を結び直すことができたんだ。


 けれどわたしが裏切り続けたのは……三ヶ月。

 そしてその三ヶ月間、サトシに寄り添っていた人がいた。


 レイカ。

 わたしが救いたい人が、サトシの裏切られた心を癒してくれていた。


 そして二人は……


「……っ!」


 胸に痛みが走る、針を押し当てられたような鋭い痛み。

 それは瞬間的なものではなく、 断続的に、血を流し続けるように、じくじくと痛み続ける。


 レイカはきっと、わたしが家を出たことを酷く怒ったと思う。 


 レイカもサトシを好いていたことは知っていた。

 だからわたしたちが付き合い始めたことは、しっかりとレイカに伝えた。


 大切な人にはできるだけ誠実でありたいから。


『なんで私にわざわざ言いに来たかはわからないけど、いいんじゃない?』


 顔を見せずにレイカはそう言った。

 わたしに顔を見せない、それがレイカの心の在りようを表していた。


 そうしてサトシに寄り添い続け、結果が再開したあの光景……


 わたしの、自業自得。

 暴走の結果は受け入れてくれたとしても、それでわたしが許されるとは限らない。


 いや、仮に許してもらったとして、その先に帰る場所はない。

 その位置にはわたしが救おうとした人が、座ってしまっているのだから。



 レイカとは、いま同じ屋根の下にいる。

 それも当然、ここはわたしの――縁藤家の実家なのだから。


 わたしはサトシと同棲していたマンションには帰れなかった。

 だってレイカとキスするところを見てしまった以上、どんな顔でわたしはサトシと生活を共にできるというのだろう。


 けど……レイカが実家にサトシを呼び込むなんて予想してなかった。

 レイカがそこまで大胆なことをすると思わなかったし、まだサトシに対して壁を感じていると思っていたからだ。

 

 わたしは勘違いしていたのかもしれない。

 レイカに対して弱いコのイメージを持ちすぎてしまっていたのかもしれなかった。


 家に帰ってから、レイカとはなにも話をしていない。できなかった。

 わたしがそうであるように、レイカもなにを話していいかわからないようだった。


 あいにくとわたしから三ヶ月の旅行の土産話をする雰囲気ではないし、同時に三ヶ月の間にあったことを聞くのが、怖い。


 レイカとサトシの仲が、怖い。


 ……そう考えると自分のしたことに、後悔しそうになってしまう。

 そうだ。言ってしまえば、このままゴエンさんと会わなかったとしても、レイカはいまの仕事を通して社会と繋がり、心の傷をいやす可能性だってゼロじゃない。


 わたしが必要以上に世話を焼きすぎた可能性だってあるんだ。

 お父さんと、サトシが選んだ”なにもしない”選択肢が正解の可能性だって、十分にある。


 自分の出した答えには、自信はある。

 あるんだけれど……やっぱり考えてしまう。


 ゴエンさんとレイカが会う必要性を、時間をかけて納得してもらうべきだったんじゃないかって。


 五年前、サトシが暴走した時と同じようなやり方で、納得を得られないまま結果を作った。


 わたしが許したから、今回サトシに許してもらえるかもしれないなんて、考えたわけじゃない。

 でもその可能性に期待しなかったかと言われれば……答えはノーだ。


 幼馴染として、恋人として、サトシにわたしのワガママ――いや、ワガママなんてレベルじゃないことを、許して欲しいと願ってしまった。


 けれど、それは予想外の形でわたしを出迎えることに、なった。


「愛のパワーが、足りなかったのかなぁ……」


 行き場を失ったエネルギーは少しずつ胸の中で腐り始め、次第にわたしの心を蝕み始めているのだから。


 これからどうすればいいんだろう。


 そんなの、わかるはずもなかった。



「……?」


 スマホが振動していた、手に取って通知を確認する。


「うそ……」


 サトシからの、メッセージだった。



 <(起きてる?いま、玄関前にいる)



 わたしは突き動かされるものに任せ、寝ぐせも忘れて玄関へと向かった。

 いまが何時か、寝ている人がいる、そんなこと全部忘れて、わたしは玄関に駆けだしていた。


 ドアを開けた先には、本当にサトシが立っていた。


「サトシッ!」


 なにも考えず、抱きついてしまった。


「ゆ、優佳……?」

 

 いまのわたしに必要なものが、一番会いたいと思ったタイミングで来てくれた。


 そんなイタイ勘違いをする、わたしの乙女脳。

 

 ……なぜ、いまサトシがここに来たのかは分からない。

 レイカに会うためかもしれない、わたしを突き放すために現れたのかもしれない。


 だから出会い頭にこんなことをしてはいけないって、理解している。


 でも、それでも。

 自分でも気づかなかったことだけど。


 こうして目の前にサトシが現れたら、理性とか、プライドとか、そういったもの全部どうでもよくなってしまった。


 交わせる言葉はない。


 だってわたしたちはこんなにたくさんの問題を抱えたまま、気楽に言葉を交わし合えるほど、図太くないってわかっているのだから。


 けどそんな空気を読まないわたしの行動に、サトシは軽く手を回してくれた。

 引き寄せたり、力を加えたりなんてしない、本当にただ背中に触れただけ。


 でも、いまのわたしにはそれで十分だった。

 それは抱き着いたことに対する、サトシからの返事。


 なにも反応されず、ただ立ち尽くされることだけが怖かった。

 だからどんなに些細な反応でも、返ってきてことが嬉しかったんだ。

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