5-14 なにニヤニヤしてんのよ!?
車が緩やかスピードを落としていく。
目の前に見えるは林工務店――私の実家。
じきにエンジンが切られ、先輩の口からは、別れの挨拶が零れるだろう。
そうしたらまたいつもの日常がやってくる。
いつも通り学校に通い、新聞部に呼び出され、予備校の予習復習にエトセトラエトセトラ……
まだ……別れたくない。
この一日が楽しかった。
クラスメートや家族と話したり聞いたりできない、大事な時間だった。
先輩の心の中を見ることができた、私の後悔をも払拭させてくれた。
いままでで一番……あたたかくなれた。
だから、その熱に浮かされて、少しでも前に進みたかった。
「先輩」
意を決して、私は一歩を踏み出す。
「うん?」
「……纏場が先輩のところに入社しなかったら、どうなりますか?」
「どうって言うと?」
いままでと趣旨の違う質問に先輩が小首を傾げる。
「ほら、言ってたじゃないですか……ウチで働かないかって?」
「ああ、あれか。ダメ元だったからな、断られても仕方ない」
緊張で少し喉が渇く。
「じゃ……社員募集はいまもしてるってことですよね?」
「そうだな、だいぶ知名度も上がって人を増やしていく方針だ。諭史が駄目だったのは残念だが、だからといって……」
「私を!雇ってもらうことは、できますか……?」
言った……
先輩はキョトンとした顔をしている。
「映子、まだ卒業してないだろ?」
「もちろん卒業はします!でも私、早く仕事がしたくて……!」
半ば本気、半ばウソだった。
「映子」
先輩は優しい目をした。私はそれを見て落胆した。
だってその目は私を後輩として、年下として、見る時の目だから。
「君が会社に入ってきてくれたら嬉しい、けれど映子は進学希望だろう?もし本当に心変わりしたのなら真面目に考えるが……きっと、いまの君は違うんじゃないか?」
先輩はそうやって私を言いくるめる。
なによ……なにからなにまで、お見通しだって言うの?
そして先輩の言うことは至極もっとも。私だって本当は進学する道しか選ばないってわかってる。
でも私が聞きたいのは……そういうことじゃない。
「傑さんに、私は必要ないですか……?」
「え?」
「私、役に立たないですか?ただの後輩ですか?取引先の娘の、一人にすぎないですか?」
一度言いだしてしまえば、止まらない。
「私、悔しいんです。纏場より私のほうが……傑さんと、長いのに、纏場を誘って、私は誘ってくれなかった。私の方が、傑さんと一緒に居たいのに」
車内灯が点いていないことに感謝した。
いまの顔はきっと醜い、人に見せられるような顔じゃない。
「傑さんは私といる時、楽しくないですか?嬉しくならないですか?私は楽しい、嬉しい。何度でも会いたいって言いたいし、言われたい」
私からも傑さんの顔は見えない、おかしい。長いこと暗闇にいたら目が慣れるはずなのに。
「傑さんが私なんかを誘わないだろうって、そんなのはわかるんです、役に立たないし、地味だし、可愛くもないし、釣り合いも取れないし」
言ってることは支離滅裂。
でも、口を動かしていないほうが、よっぽどおかしくなりそうだった。
「でも、きっと、絶対、傑さんのことを考えている時間は、私が一番……多いんです」
いま二人きりでいることが、チャンスだと思ってしまった。
そう思ったら焦る気持ちを抑えられなかった、口が止まらなかった。
だから……恋愛下手の私が、うまくやろうとするなんて、土台無理な話だった。
「映子」
傑さんが私の名前を呼ぶ。
……怖い。
傑さんの言うことが怖い。
あっけなく、フラてしまうことが怖い。
私の中ではずっと続いて来た積み重なった想いだったのに、徹夜のテンションで爆発して、タイミングを間違って、台無しになってしまっただなんてイヤだ。
耳を塞ごうとしたけど、手は動かない。
傑さんは変わらず優しい目で私を見る。
リセットボタンを押したい。
でも、もう遅い。
「その、すぐるさん……っての、いいな」
「…………え?」
「すぐるさん、か。
後輩にそう呼ばれるの、悪くないな」
先輩……傑さんは一人納得したように笑みを浮かべて頷く。
今更自分で気付いたのだが……
私は傑さんって呼べたらいいなあ、って漠然と考えていた妄想を自然と口にしてしまった。
顔が、熱くなる。
「もう一回、呼んでみてくれないか」
「イ、イヤです」
「そんな呼び方されたの初めてだから……結構グッときた」
「……え?」
初めて……?傑さんって呼ばれたのが初めて、って言ったんだ。
私が傑さんの、初めて……
そのことが、そんな大したことのないことが、こんなにも嬉しくて、こんなにもドキドキしている。
私が黙っているのを見兼ねて、傑さんがこちらに向きなおる。
「お願いしますっ、なんでもしますからっ!」
「……」
引くなあ……
自由人というか、マイペースというか。
でも、こんな人に惹かれる私はもっとオカシイのだろう。
「すぐる、さん……」
「ハイ、元気です!痛っ!!」
先輩は勢いよく挙手し、天井に突き指した。
「ふふ、バカですか」
「いや……笑いごとじゃない」
そういって傑さんは指を押さえている。
少し緩んだ空気の中、彼はこちらを見ずに言った。
「いまは、さ」
私は少しばかり落ち着きを取り戻していた。
……だから、先輩がなにを言っても動じることはないだろう。
「君のこと、そういうふうに考えてこなかった」
「……はい」
当然の返事だった。
相手にも心の準備と言うものが必要だ。
だから見切り発車で、上手くいくものじゃない。
「でも、さ」
気づかれないように、息を呑む。
「付き合いは長いが、俺はまだやはり映子のことをよく知らない」
「はい」
「だから今度、食事でもしようか?」
「…………え?」
「映子のこと、もっとよく知りたい。だから休日、いや学校が終わった後にでも話をしないか?」
ウ、ソ……
「映子の都合のいい日を、教えてくれ。なるだけ早く帰れるようにするから」
「……いいんですか?」
「ああ、もちろん。映子こそ問題ないなら、ね」
「もちろん、です!あ、ありがとう、ございます……!」
信じられない。
夢じゃない?
起きたら全部ウソでした、なんてオチじゃないよね……?
ホントに、ホントだよね!?
---
私と傑さんは、次の会う日を決めて解散した。
と、言ってもその日はすぐに来ない。
だって先輩は明日……じゃなくて、今日から纏場と隣の国に行くのだから。
それでも部屋に戻った私は、きっとカレンダーに赤丸を付けて、頭の中でカウントダウンをするのだろう。
私は先輩の車が走り去った曲がり角を、いつまでも眺めていた。
……ぬか喜びしちゃダメ、林映子。
別に傑さんとお付き合いできるようになったわけじゃない。
ここからが正念場なんだ。
油断してたら傑さんに変な一面を見せて、ガッカリさせてしまうかもしれない。
そうならないように、傑さん好みの女性になれるように頑張らなくちゃ。
でも傑さん好みの女性ってなんだろう?
機械に強い?朝ご飯が作れる?そのくらいしかヒントがない。
でも私は、傑さんに見てもらえるステージに立てたんだ。
そのことで嬉しくっていっぱいになっている。
ああ、私ってなんて単純でチョロい女!
この後の自分の行動を予想する。私はきっと枕を抱きしめて、ベッドの上を転げまわる。
「ちゃんと、帰ってきてくれないと……ダメですからね」
私は少し白み始めた空に向かってそう呟く。
勉強に集中出来ない日は、これからも続きそうだ――
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