5-13 私たちって、本当に成長しないのね


 ごうごうと一定に鳴り響く音で、目が覚める。

 それはエアコンの送風音かと思ったが、車がタイヤを滑る音で、私は車内で眠ってしまったのだと気づいた。


 首を横に傾けると、薄暗い車内で先輩がハンドルを握っている姿が目に入る。

 そうだ。あれから日付が跨ぐ手前まで四人でカラオケボックスに入っていた。


 私がそこそこ有名どころ、無難なJ―POPを歌い、先輩は誰も知らないアニソン、纏場と華暖はひたすら演歌を流し、掛け合いまでしていた。


 そして先輩の車に四人で乗り込んだところまで覚えているが……後の記憶は曖昧だ。


「先輩……いま、どこですか?」


「お、起きたか?もう市内に入って、二人は降ろした。映子が最後のお客様だ」


「そうでしたか……」


 私は目元を擦り、シートベルトを軽く緩めたあと、体を伸ばして欠伸をする。

 出発前にはあんなに騒がしかった後部座席に二人の姿はなかった。


 ……ふたりっきりだ。


 ああ、ダメだ。意識すると極端に会話が下手になる。

 平常心、平常心。


 違うことで頭を満たそう。

 今日、あったことを思い出す。


 記憶の糸を辿っていくと、自然と口元が緩んだ。

 纏場には悪いが、今日は私にとって嬉しいことが詰まった一日だった。


 纏場と仲直りすることが出来て、華暖という友人(?)が増えて、先輩と初めて外で遊んだ……それに家族以外と日付が変わるまで過ごしたことも初めてだった。


 これを受験生がやったって言うんだから、もうちょっと時期を弁えろって気がしないでもないけど。


 スマホを見ると時間は午前二時半。そこにいくつかのLINEの受信履歴が入っていた。

 交換したばかりの纏場と華暖の連絡先。二人からお疲れ様的な内容が来ていて、私はそれだけでもほっこりしてしまう。


 けど対照的に絵里からは不平を述べる連絡が来ていた。



 23:12 <お母さんから聞きました、今日帰るの遅いってどういうこと!?おねぇちゃんには受験生としての自覚はないんですか!


 23:13 <それに私に連絡くれないなんてひどい。おねえちゃんがブルーレイの録画してくれないから、ドラマ録画出来なかったよ


 23:13 <私はおこってます、鍵閉めちゃうからね!



 あぁ、まずい。

 絵里は一度機嫌を損ねると、フォローが大変なんだ。


 しかもあれからスマホ触らなかったから返事だってしていない。


 私はポチポチと返信を打つ。



 鍵は閉めないで!ゴメン!> 02:37


 でもこれを機会に絵里も録画方法覚えたら?

 ちゃんと教えるし、そんなに難しいことじゃないから >02:38



 それだけ書いてスマホをポケットに戻す。


「親御さんに連絡かい?」


 視線を前に向けたまま先輩が言う。


「それはあらかじめ言っておいたんで大丈夫です、ただ妹には文句を言われました。

録画の仕方わからない、私が帰って来なかったから録れなかった。どうしてくれるんだ!って」


「ははっ、得てして女の子は機械に弱いコの方が多いからな」


「……それって遠回しに私が女の子っぽくないって言ってます?」


「おっと!?失礼。ただ映子はしっかりしてるから、機械が分からなくても自分で解決できるだろうな、って」


「ありがとうございます。でも先輩の考える女の子像とは逸れてるってことですよね」


「食いつくな……まあ、でもそうだな。ただ俺は変わり者だから、そういうの詳しい女のコのほうが面白くて好きだぞ?」


「……いつもそんな歯の浮くようなこと言ってるんですか?」


「いつもじゃないよ、仕事を始めてからは全然さ」


「それまでは言ってたってことですね」


「はは……ノーコメントで」


 そういって先輩はこちらを向いて、ウインクなんかして見せた。


「ちゃんと前見て運転してください」


「合点承知」


 先輩の横顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。

 私はそれを頬杖をつきながら眺める。


 誰もいない深夜の国道に光る、オレンジ色のナトリウムランプ。

 黒とオレンジの二色だけの世界にいると、世界には私たちしかいないような錯覚に陥る。



 先輩は本当に変わった。

 昔のイメージからは考えられないくらい、社交的になった。


 突き放すような冷たい言葉はなりを潜め、いまでは包み込んでくれるような大らかさを感じる。

 昼間、ファミレスでの一連の出来事。 あそこに先輩がいたことで私は救われた。


 私は今日のことを忘れない。いや、五年前から今日までのことを。

 ずっと後ろめたい思いをしてきた。そしてそれに気付かないふりをしてきた。


 もう会うことがないと、謝ることから逃げてきた。

 けれど、それは間違いだったのだ。


 だってあの瞬間、纏場に謝って、許されて、許してあげてから、宙に浮いてしまうんではないかと思うくらい、体が軽い。


 あの五年前の出来事から、私は解放されていなかった。

 それは今日、先輩の話を聞かなければ、私はそれに気付かないまま人生を送っていただろう。


 なんて、恐ろしい。

 いまのこの解放感が得られなかったら、と思うとゾッとする。


 自分の中に溜め込んだ後悔や、罪悪感がない。

 それがこんなにも自分の心を晴れやかにするなんて想像できなかった。


 この思考の迷宮から、先輩は私を救ってくれたのだ。


 ……先輩の顔を見る、私の頬が、心が熱い。

 いままでに経験したことがないほどに。



「先輩」


「ん?」


「先輩はどうして……纏場の悩みに親身なんですか?一緒に海外まで着いていくなんて、普通そこまでしませんよね?」


「ああ、そのことか」


「嫌い、だったんですよね?纏場のこと」


「……そうだな」


「だったら、なんで」


「映子は、俺が五年前にしたことは知ってるよな?」


「……はい、大体は」


「その時、どう思った」


「信じられない、って」


「それだけじゃないだろ?」


「……ひどいなって、ちょっとムカつきました」


「悪かった、お前の友達にひどいことをして」


「でもっ!それは私が怒ってても、しょうがないことですから……当事者同士で解決したのであれば、私が怒るのは筋違いですし」


「筋違いなもんか、友達だったら身内だ。その身内にひどいことをされて怒るのは自然な感情だ」


「……」


 目の前の信号が赤になり、車が止まると先輩はこちらを向いて言った。


「映子、すまなかった。俺は自分勝手な都合で、お前の友達を傷つけた、許して欲しい」


「……やめてください。私が許す、なんておかしいですし。それにいまの先輩は……好ましく思っていますから」


「ありがとう」


 先輩は私の言葉を噛みしめるように頷いた。


 ……土壇場で好ましく思う、なんて言ってしまった。

 でもその言葉は自分でも違和感のない、心から零れ出た言葉だった。


「あの時、纏場は俺のことを許したんだ」


 青信号になり、車がゆっくりと前に進み始める。


「意味わかんないよな?だって自分を泥棒に仕立て上げようとした奴を、無罪放免にしたんだぞ?


 先輩はさも面白いことを話すかのように、笑いながら口にする。


「それどころか俺の罪を被り、諭史は謹慎になった。その理由は俺の進路に影響あるからだと。笑っちゃうよな」


 先輩はそう自嘲した。


「けど俺は、また諭史は憎み始めた」


「……え?」


「俺は諭史をまた恨み始めたんだ。だって俺は自分のしたことを許せなかった。だから先生に、親に、警察に叱られたかったんだ」


 プライドの高い先輩は、プライドを傷つけた自分を許さなかった。

 だから罰を、罪を求めた。


「悪い奴は罰せられる。それが俺の知っている道徳でルールだったから。けれど諭史はそれを取り上げた。だから罪を奪ったことでさえ諭史に対して恨みを抱いた」


「でも先輩は纏場の悩みに乗ったじゃないですか。まさか、いまも纏場のこと……」


「ははっ、流石にそんなことが出来るほど器用じゃない。もうそんな感情はなくなった」


 心底可笑しそうに笑った。


「じゃ、いつまで恨んでたんですか?」


「四ヶ月ほどくらい前かな」


 いまから四か月前?ついこの間のことじゃないか。

 じゃあ先輩も四年以上、纏場のことを恨んでいたことになる。


「なんで、纏場を許そうと思ったんですか?」


「僕の元に一人の女性がやってきてね。過去に俺が傷つけた女性なんだけど、その人から言われたんだ」



『あなたのしたことは許したくない。

けれど、わたしはそれに縛られたくない。だから、あなたを許します』



「……俺はその言葉の意味が分からなくてずっと考えていた。

だけどそれには絶対に意味があるはずだった、だって意味がなければ俺の前に顔を出すはずがない」


 ”ひどいことをした女性”という小骨が喉に詰まったが、いまは先輩の話を聞くことに集中することにする。


「そして分かった。許さないでいることは、自分が辛くなるだけだってことに。

でなければその人だって、わざわざ俺を許しに来る意味だってないんだからな」


 対向車線の車が大きな音を立てて走り抜ける。

 後に残るのは、不自然なまでの静寂。


「許さないって思うことに相手を縛り付ける力はない。自分を正当化し続けて、そこに固執してしまう。俺はこんなにも正しいのに、ってな」


 先輩は横顔には薄い笑みを湛え、穏やかな口調で先を続ける。


「けれどそれは往々にして悪い結果を招く。俺が苦しんでるのに、あいつだけは楽しそうにして……なんて陰湿な考えまで浮かぶしな」


 私はその感情に心当たりがあった。


 纏場とのケンカだ。

 生徒会室で私だけが過去について語ったのに、纏場は悩みを打ち明けてくれなかった。


 私はそれに激怒し、友達ではないと言い放ち、優佳さんに諭されて、自分の被害者意識に振り回されていたことに気付いた。


 あの時の私も、同じ気持ちだった。

 私だけが恥のかき損。纏場は自分の秘密を守り、それを差し出さない纏場は悪いヤツ――


 いまではなんて傲慢な考えだと思う。

 けれどその渦中にいる人間は、中々その事実に気付くことはできないんだ。


「だから俺は諭史を許した。俺のプライドではなく、俺の未来を助けてくれた。感謝してこそ憎むべきではないってな」


 私にも先輩の言いたいことが分かる。

 つい先ほど、私も同じ心の流れを経験したのだから。


「当時の俺は未知の分野だったアニメやゲームに没頭して、なんとか負の心を取り除こう、忘れようとしたが、許せない感情は消えなかった」


 許せない感情は忘れるものではない、向き合って解消するべきなんだ。

 でないといつの日か必ずぶり返す。


「けど、なんてことなかったんだ。自分自身が許そう、感謝しようって思ったら、あっけないくらいに解決してしまった」


 許すって行為自体は謝られた相手に与えるものではないんだ。


 謝らなくても相手に与えられるもの。

 相手がそうしてしまったことを、仕方ないよね、悪気があったわけじゃないよね、って認識してあげることだ。


 もし、実際に悪気があっても無かったとしても、許してあげることで自分の心が解放される、それが一番の大事なことなんだ。


「そんなことがあったからさ、俺には纏場が苦しんでいる原因も同じなんじゃないか、って思った」


「すごい……ですね」


 本心からの言葉だった。

 それに自分から気付くことなんて、中々できることじゃない。


「すごくなんてないさ、俺だってずっとこの間まで呪われていたのだから。纏場が俺のことを許していなかったら、この問題はもっと手前で拗れていただろうな」


 そう言い切ってしまえる先輩には、当時のトラブルを思い出に昇華できている、大人の余裕があった。


「一番すごいのはあのとき俺を許した諭史だ。だからそんなことが出来たあいつに許せない人がいるなんて、そんなことはない」


 真っ直ぐ前を向いたまま断言する。


「だからその原因は俺が取り除いてやりたい。それがあの時の恩返しってやつにもなるだろ?」


「そうですね。

……纏場は、レイカさんの母親を、許せるでしょうか?」


「出来るさ、きっと」


 こともなげにそう言った。

 だから纏場をレイカさんの母親に会わせるのだろう。


 纏場の悩みは、深い。


 よもや優佳さん、妹さんと絶縁しようと考えていたっていうのだから、その苦しみは私の想像では測れない。


 華暖も纏場に親身になりつつも、奮迅尽くしたけれど手に負えなかった。

 けれど、先輩は纏場の話を聞いて、きっと誰も思いつかなかった解決方法を提案した。


 それに至った先輩は、いまどんな心を持っているのか。

 五年ぶりに会った纏場のことを、あれだけ踏み込んで解決しようなんて思えたのか。


 底の見えない優しさ。

 横にいて安心できる、その存在。


 そして胸を掻きむしりたくなるような、むずがゆい感情。

 ……先輩を、知りたい。


 時刻はもう、午前三時を回っていた。

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