5-8 溶けて、消えた
「ごめんなさい」
「アタシ、チョ~怒ってるかんね?」
「はい、重々承知しております……」
「アタシに今度、ゴハン奢るコト」
「はい、仰せのままに……」
「それと、アタシの奴隷になること」
「このご時世に、奴隷て」
「アァン!?アタシにモノ言える立場なの!?」
「はい、すいません……」
「はぁ、じゃ仕方ない罰ゲームで勘弁してアゲル」
「え?」
そう言って割烹着姿の華暖が、厨房のほうに振り返り……
「トッシ~、OUT~!」
デデ~ンとSEが聞こえそうな声を上げると、厨房から満面の笑顔の鈴木さんが現れた。
片手にフライパンを持って。
「は?」
「やっほー纏場君、久しぶりの出番だ。もう忘れちゃったかな?」
「いや、覚えてますけど」
「それは光栄。では、いざ尋常に……」
「ちょ、ちょっと待ってください?なんで”とってのついた丸い鉄の板”を振り被ってるんですか?」
「何に使うか、さっぱりわかんねぇよっ!」
「や、意味わからないですし、なんで口調変わったんですか!?」
「なに、トッシ~男らしくないわよ?ケツバットくらい知ってるでしょ?」
「いや知ってるけど、フライパンとか明らかに痛すぎるでしょ」
「纏場君。罰ゲームくらい素直に受けようぜ、友達を失うよ?」
「そんな楽しそうな顔で言われても説得力ないですよ!」
「あ~もう、トッシ~抑えとくから鈴木さん、ちゃっちゃとやっちゃって」
「じゃぁ纏場君、士道不覚悟。えい!」
「ぃってぇぇぇぇ!」
---
「アハハッ!トッシ~涙目になってやんの!けっさく~」
「笑いごとじゃないよ、まったく……鈴木さんも本気で叩いてくるし」
華暖はケツバットされた瞬間を写メに収めていて、見る度に腹を抱えて笑っている。
「いやいや本気じゃないっしょ、鈴木さん大学じゃテニスサークルでラケット振り回してっし?本気のサーブされたらコッセツするって!」
「はは……テニサーにテニスラケットなんてないよ」
今日は客入りも少なかったので、いつもより早めの店仕舞いだ。
大学の授業も一部夏休みに入ったらしい鈴木さんは、オープンから出勤していたので日が暮れる前に上がっていった。
いまは華暖と賄いをいただいてる途中。
お互いに頼むのはいつも通りの山菜そばとシメ鯖定食、会話に色気なんか微塵もない。
ただひとつ、いつもと違うことがあるとすれば、僕はケツが痛くて座れず、セルフ立ち食いそばをしなければいけないことくらいだ。
「トッシ~立ちながらなんて行儀悪いよ~?実際そんな痛くないんでしょ、あんまアピるとウザいよ?」
「華暖はやられてないから、そんなこと言えるんだって!」
「ま、でもトッシ~はそうされるだけのことをしたわけだしぃ?」
「ぐ……」
いまは華暖に頭が上がらない。
先日、レイカが飛び出して僕が追った後、華暖の連絡を無視し続けてしまった。
もうだいぶ昔のことに感じるが、あれから三日しか経っていない。
あの後、華暖はお義父さんと二人で取り残された。
そしてレイカの友達だと思われた華暖は夕食をご馳走され、気まずさいっぱい、お義父さんの笑顔いっぱい、玄関まで見送られたらしい。
「いや~あん時の気まずさと言ったらなかったわ。
『レイカは気難しいから、いつも迷惑かけるだろう?すまないね』なんて言われたら、毒気抜かれるっての」
「最初から毒気なんて抜いてきてくれ……ってか、そのままレイカとも仲良くやってよ」
華暖は少し腕を組んで、考える様子を見せた後。
「トッシ~さ、本当にユ~カさんのこと、もういいの?」
「……」
「早まりすぎだよ、レ~カとの間に勝手に入ったのはゴメン。でもいまやってることは流されてるだけだって」
先日、華暖からのLINEを見た僕は、バカ正直にそのまま電話した。
早朝四時なんて礼儀知らずな時間にも関わらず、華暖はワンコールで出てくれた。
連絡を返さないことに怒り、間に入るべきじゃなかったと謝られ、駆け落ちなんてしないで戻ってきて、って泣かれた。
僕もその時になって、自分の軽率な行動を謝った。
自分のことしか考えてなくて、周りの心配なんて蚊帳の外だった。
そして華暖には優佳が戻ってきたことと、そのとき聞いたことを全部話した。
「そりゃそんな話聞いたらさ、レ~カも可哀想だとは思うよ?でもさ、だからってトッシ~とユ~カさんとの間に、割り込めるような余地なんてあるの?」
「違うよ、僕はレイカを支えたいと思ったし、それに勝手に出て行った優佳のことを……」
「ユ~カさんのことを許せないって?それ本気で言ってるワケ?」
「……」
「ねぇ、トッシ~。つまんない意地なんて張るのやめな?」
華暖は言い方こそ厳しいが、本気で気に掛けてくれている。
「そりゃ、盛り上がってた恋人候補との前に、未練たらたらの本命が帰ってきてヨリなんて戻したらさ?サイッコ~にダサいと思うよ?」
華暖なりの言葉で、重くなり過ぎないように語ってくれる。
「でもさ、追い詰められてワケわかんなくなってる時にさ、たまたま近くにいたオンナが誘惑してきて……一発ヤッちゃったからって、本命をフるほうがダサイよ?」
「ヤ、ヤってないよ!!」
「いや、そこだけ力強くツッこまないでよ、まるで童貞みたい」
「どどどど、童貞ちゃうわ!」
「……」
僕はコホンとひとつ咳をして、場を取り直す。
「……ありがとう、華暖。でもこれは僕の問題だし、一人で考えさせてほしい。もちろんどうなったかはきちんと伝える、だからその時まで待って欲しい」
そう言って僕は心が整理ができていないことを、隠さずに伝える。
華暖は本当にいいヤツだ。
なんでこんな僕みたいなヤツを気に掛けてくれるのか、心底不思議に思う。だから華暖には、正直でありたい。
「……わかった。絶対だかんね?」
そう言って彼女は腰を上げ、エプロンを外しながら更衣室に向かっていった。
色々と情けなくて、ため息を吐く。
どうして僕は気に掛けてくれる人たちを、傷つけることばかりしてしまうのだろうか。
いま余裕がないから、では済まされない。
それだけ迷惑をかけてもいいなんて、甘えてはいけない。
ヒリヒリする尻を庇いながら、ボックス席に腰かける。
――いまの僕は、理由を失っている。
今日まではレイカを支えることに集約されていた。
レイカはいままで、一人で生きてきた。
決してレイカの過ごしてきた時を否定なんてしないし、間違ってるとも思わない。
僕に縋りついてきたレイカは人との繋がりを求めていた。
もちろん、それはレイカの生き方のせいでもある。
僕や優佳から、レイカ自ら離れて行ったのは疑いようもない。
それで人との繋がりを持ちたくて、自分からまた寄ってくるなんて勝手な話だとも思う。
レイカだって、それはわかっているだろう。
だからこそ、これまで助けを求めてくることはなかった。
でも、レイカが倒れたあの日、僕は聞いてしまった。見捨てないで欲しいって言葉を。
あの言葉を聞いて僕は、ショックを受けた。
もしその言葉を違う状況で聞いていたら、怒り狂ったかもしれない。
「そんな勝手な話があるか!」って。
でも……だからといってそれで見捨てるなんて、出来るか?
仮にも幼馴染だし、一番助けて欲しい時に、助けに来てくれたことだってある。
その恩にも報いないヤツが、一体どうやって人の世界で生きて行けるだろう?
レイカの心をこんなにも弱らせてしまったことが、悔しくて仕方がない。
それは僕の責任でもあるし、同じく優佳の責任だ。
だから優佳は自分の信じた方法を実行した。
レイカの国に行き、李と会う手はずを整えた。
けれど僕はずっとそれに反対してきた。
どんな理由があれ、レイカを捨てたのは疑いようのない事実なんだから。
それにご両親も、とても子供思いの人だ。
レイカがそれを感じているのは明白だし、わざわざ李に会わせる必要なんて、とてもじゃないが考えられない。
でも、それでも、やっぱり思ってしまう。
優佳の言うことが正しい可能性。
僕は李に会わせることに、一貫して反対してきた。
それに大人同士が決めたことに子供の反対で、それが覆るなんて考えたこともなかった。
それにお義父さんがレイカに向ける目は、優佳と変わらない愛する子供を見る目だった。
僕はその目を信じた。
そして李に会わせることに反対するお義父さんを信じてきた。
けれど……優佳はそれを覆してしまった。
お義父さんの了承を取り、李を説得し、あとはレイカが頷けばきっと十数年ぶりの再会が叶うだろう。
これまで反対してきたとはいえ、それでレイカが明るさを取り戻してくれるのなら、やはりそれは正解なんだ。
僕が寄り添わなかったとしても、レイカが明るさを取り戻したらそれでいい。
だから僕はなにもできない。
行動する理由が、なくなってしまったのだから。
レイカが母親に会うのか、会わないのか。
それはもう僕が反対してどうにかなるものじゃない。
ここまで来たら会ってみたほうが……いいとは思う。
――賽は投げられた。
その出目次第で、僕の生活はまた一変するだろう。
ただ、そうなった場合、僕はどうすればいいのだろう?
レイカと寄り添って生きていくために、ヤジハチの正社員になって、二人の生活を楽にしようとしていた。
そうなってしまえば、優佳との未来が差し込む余地は……ゼロ。
けれど優佳は帰ってきた。
……三ヶ月前の僕の人生はどうだった?
将来、僕らの両親と同じように、優佳と教鞭を振るう仕事をすることを夢見てきた。
だからこそ教員免許を取るために進学するつもりだった。
いまの僕は、宙に浮いてしまっている。
レイカが母親との再会で心を取り戻したのであれば、優佳との将来のために、僕は受験勉強を再開するだろう。
そしてもう一方、母親との再会でなにも変わらないのであれば、レイカを支えるためにヤジハチで正社員となり、そこでの出世を目指すのだろう。
はは……僕って自分と言うものがないんだな。
華暖の言う通り、周りに流されていたことを認めなければいけなかった。
……ちょっと待てよ。
なにが?
……このクズ野郎。
だから、なにが?
……そんなことも分からないのか?
……
ああ、そういうことか。
気づいてしまった。
僕に理由が足りないなんて、そんなのあまりに傲慢だった。
足りないんじゃなくて、無くしたんだ。
いま、この瞬間に。
なにをって?
彼女たちの側にいる”資格”だ。
僕は二人の気持ちを考えていなかった。
二人はモノでもなんでもないんだぞ?
それなのに、僕は。
――レイカが立ち直るかどうかで、パートナーを選ぼうとしていた――
レイカを支えたいとは思ったけれど、幼馴染という理由や、恩を返すという理由だけでしかレイカを見ていなかった。
共依存なんて都合のいい言葉を使って、自分が優佳を探す努力を放棄した挙句、自分の生きる理由を押し付けた。
生きる理由を押し付け、傲慢にも自分が”与えている”立場であることを笠に着て、優佳が帰ってきたら、都合のいいことを言って見捨てようとした。
最悪な男だ。
それに僕は、言えなかった。
……言えなかった、だ?
生温い言葉を使うなよ、言わなかった、だろ?
レイカに一度だって「好き」とは告げなかったじゃないか。
僕は優佳の空席を、レイカを支えるという言葉で偽物の恋人に仕立て上げ、そこに無理やり座らせようとしていただけだった。
僕は、きっと、レイカを好きにはなっていなかった。
そして優佳は自分の空けた席にレイカが座るのを見てしまった。
その席が他の人にも座れるなんて夢にも思わなかっただろう。
……でも僕だって、その席を空けた優佳に対して怒っているんだ。
この席が、そんな簡単に空けていいものじゃないって、優佳だってわかってたはずだ。
優佳が自分で空けた席なんだ、僕にだって怒る権利はあるし、その席に誰かを僕が座らせたとしても、優佳に文句を言われる筋合いはない。
この件に関して、なにも連絡せずにいた優佳自身が悪いことは、明らかだ。
けれど、気持ちの切り替えられていない僕は、その席をどうしたらいいかもわからず、気が付いたら埋めてしまっていた。
自分の気持ちも定まらないまま、優佳の事をずっと引きずりながら、思いを告げることもなく、レイカを座らせた。
僕にとってもその席を埋める作業は必要だったのか?
レイカは本当に座りたくてそこに座ったのか?
いや、もう僕がこの事実に気付いてしまった時点で、どうやってもレイカを傷つけることは避けられないんだろう。
そしてその席がまた空席になったところで、優佳がその席に座りたいなんて、思うだろうか?
……思うわけがない。
そして僕は一人合点がいった。
僕は夏祭りで優佳に会った時に、突き落とされた気持ちになっていた。
あの時の感覚は間違っていなかったんだ。
だってその席が埋まる瞬間を、ちょうど優佳に見られたんだから。
その時、既にこの問題はもう終わっていたんだ。
僕のしたことはすべての選択の中で最悪なものだった。
知らず知らずのうちに、そうしていたでは許されない。
いや、僕が許さない。
優佳、レイカ。
二人には本当に、ひどいことをした。
だから僕はこの二人の前にいるべき人間じゃない。
理由も資格もとっくの昔に無くなっていた。
やっと僕のやらなければいけないことが分かった。
とてもシンプルで簡単なことだ。
――二人との関係を、ここで終わりにしよう。
その時、グラスの割れる音で僕の意識は戻された。
「……華暖?」
華暖が信じられないものを見るような顔で、僕を見ていた。
「……トッシ~、なの?」
なぜか怯えたような表情で、顔面蒼白になっている。
華暖の反応がおかしい、なにをそんなに怯えているんだ。
だから僕は安心させようと笑いかける。
「はは、それ以外の誰だって言うんだ?」
「だって、トッシ~、なんで、なんで、そんな顔してるのよぉっ!!!」
僕の顔がどうなってるかなんてわからない。
ただ僕はこの三ヶ月にあったことを全部、自分の頭で整理していただけなのだから。
---
――着信:纏場 諭史
「もしもし、諭史?」
「うん、レイカ。元気してた?」
「……どうだろ、ちょっといろいろ考えることがあって」
「そりゃ、あれだけのことがあったからね」
「……」
「レイカ、母親に会いに行くんだろ?」
「………………うん」
「僕も、考えたけれど、それがいいと思う」
「ごめん」
「なんで謝るの?」
「だって、私のことを思って、母親を忘れさせようとしてくれてたのに」
「いいんだ、レイカがそれで前を向けるって言うなら、なんだって」
「なによ、その突き放した言い方」
「優佳とは、話せた?」
「うん」
「そっか、優佳にもよろしく言っておいてくれ」
「なんだよ、それ。自分の……恋人だろ?」
「……」
「なんか言いなよ」
「優佳とは、ただの幼馴染だ」
「そんなこと言うな、私に気遣ってたとしても、それは怒る」
「違うんだ、レイカ」
「なにが違うって?諭史、私に気を遣う必要なんてない、私はもう大丈夫」
「そうか、なら良かった。頑張って、レイカなら絶対に幸せになれる」
「……?ちょっと待って、諭史。さっきからおかしいよ?」
「ありがとう、三ヶ月間。楽しかったよ」
「諭史!?」
通話終了 1:32
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