5-7 あの日、話したこと
”わたし”は無駄なことをしているのかもしれない、そう考えたことは初めてではない。
それでも、最善を尽くすべき。
そう考えてわたしはいまこうして、未知の土地へと行くと決めた。
……人間ってやっぱり最後は一人なんだな、と思ってしまう。
どれだけ思いを交わしたところで、百パーセント相手を理解することはできないし、自分だって理解してもらえるとも思っていない。
だからこそ、わたしは一人の味方もなく、こうしているんだから。
これは縁藤優佳の暴走。
きっかけは……いや、とっくに暴走する寸前ではあった。
が、それでもなにが導火線だったかと聞かれれば、お父さんに電話で言われた一言だ。
「優佳、どう言ったってな? 李はイェンファのことなんて忘れているよ」
いつも通りわたしはレイカのお母さんである、李 语嫣(リー・ゴエン)さんとレイカを会わせてもらえるよう、お義父さんにお願いしていた。
この話をするとわたしたち親子はいつもケンカになる。だがこのことだけは、決して一歩も譲るつもりはなかった。
けれどお父さんの放ったその一言で、わたしの溜まりに溜まったなにかが爆発した。
その時なにを言ったか正確な言葉を覚えていない。
けど怒りとか悲しみが、自分の心を流れたことだけは覚えている。
わたしはずっと考えてきた。
レイカがわたしから離れ、塞ぎがちになってしまったのは、自分が捨てられた子供であるという意識を、押し隠しているからだと。
だからレイカは一度、李さんに会うべきだ。
そうして自分が養子であるということと真剣に向き合い、自分が何者で、どのような環境で生まれ育ったかを、包み隠さず知らせるべき。
もちろん、李さんが本当に酷い人でないことは事前に調査した。
何度もコンタクトを取り、肉声を聞き、養子に出した時の状況を聞き出した。
その結果、信頼に足るとわたしが判断した。
だから絶対に大丈夫。
勘違いがないか、思い過ごしはないか。
心の病も調べた、カウンセリングの本だって読んだ。
けれどいくら調べたってそこに明確な答えはないし、レイカに避けられているわたしが、本音を聞き出せるはずもなかった。
それでもわたしが一番レイカを見てきた。それだけは絶対の自信を持って言えることだった。
レイカにはこんなこと言えない。
あなたが塞ぎこんでしまったのは、お母さんに会っていないからだ――なんて説明できない。
だからレイカの前には”突然、李さんと会うことができるようになった”という状況だけあればいい。
周りは一切聞く耳を持たなかった、だっていつも同じ反応だったから。
特にお父さんは一番ダメだった。レイカを引き取る時に「今後、一切イェンファに関わらない」なんて条件を付けている。
一度言い切った手前もあるのだろう。娘のわたしがなにを言っても受け付けてくれなかった。
……もちろん、それでもわたしはお父さんが好きだ。愛情を注いでくれたとも思っているし、色んなワガママだって聞いてもらった。
わたしにとって、これ以上ないくらい最高のお父さん。
でも、それはお母さんもレイカも同じ。
両親ともにわたしとレイカの間に差別や区別をしなかったし、レイカも最初こそ戸惑いがあったものの、確かに親子の関係が築かれていた。
けれども、それだけではいられない。どこまでいっても人間は一人なんだ。
レイカは小学校に上がり、人との違いを意識するようになった。
あくまで「レイカ」はあだ名であり、自分のする名前は「イェンファ」である。
わたしとサトシのフォローもあり、いじめに遭うようなことはなかったが、レイカだって他人と自分の違いについて、考えることは多々あっただろう。
現にどうして自分だけあだ名で呼ばれるのか、は何度も聞かれたことだ。
けれどそれはレイカ自身が向き合って答えを出すもので、わたしが代わりに答えをあげられるものではない。
……けどサポートしてあげることはできるはず。
そして自分の出自に関することが、その糸口になればいい。それだけ。
もちろん、すべてが無駄になる可能性については覚悟の上だ。
わたしが妹にしてやりたいことは一つだけ。
本当の母親に会うという経験と、そこから起こるかもしれない化学変化だけなのだから。
けれどお父さんは、変わらず生みの親のことを徹底的に排除し続けた。
お母さんも話は聞いてくれるけれど、味方してくれることも否定することもなかった。
……幼馴染のサトシは、レイカをとても大事にしてくれた。
けれどサトシも、こと生みの親に対しては同じ反応だった。
わたしはサトシにも何度も理解を求めた。
けれど、それはレイカを大事に思うあまり、ずっと排除され続けてきた。
『本当のお母さんなんて会う必要ないよ、レイカを捨てた人になんて会うべきじゃない。縁藤の家が一番レイカに優しい、生みの親に会ったら、きっとひどいことになる』
それだけはずっと変わってくれることがなかった。
もちろんレイカにも「お母さんどんな人なんだろうね」とか、「もし会えたらどんな話がしたい?」と興味を煽ってみた。
けど、レイカはこう答えるだけだ。
「……そんなことになったら、きっとお父さんとお母さんに怒られる、諭史にも嫌がられる」
レイカ自身の意見を、レイカが放棄していた。
周りの意見に縛られて、動くことが、考えることができなかった。
本当の母親に会えるなんて、想像すらできないのだから。
想像すらできないことは、人間にはできない。
両親も、サトシも、レイカも好きだ。
けれどわたしの意見は誰にも分かってもらえない。
……わたしも、一人だった。
高校卒業後、大学に入る前の休みを使ってレイカのお母さんに会いに行っていた。
諭史にはしばらく実家に帰ると、ウソをついて。
五年前から連絡は取れていたから、会うまでの段取りはスムーズだった。
わたしは顔を合わせてからは、李さんのことを”ゴエン”さんと呼ぶようになった。
だってゴエンさんは再婚されていて、子供がいると聞いていたから。
ゴエンさんはレイカを養子に出す前に、その時の旦那と別れていたので、李は結婚前の旧姓だと思ったのだ。
だから新しい家族の前で李さんと呼ぶことは、失礼にあたると思ったのだけど、それはわたしの取り越し苦労だった。
だってその国では結婚後も姓を変えたりしないのだから。
ゴエンさんはその話をとても面白がった。
少し照れ臭かったけど、それでお互いクダけることができたのだから万々歳だ。
そうしてわたしは、初めてゴエンさんから詳しい事情を聴くことができた。
ゴエンさんは離婚した後、レイカの養育権を得た。
当然、生活は苦しかったが幼いレイカの笑顔だけを頼りに生きてきた。
しかし生活も限界なのは事実だった。
そんな時、仕事を通じて素敵な男性と出会い、再婚。先方もゴエンさん同様に離婚されたことがあり、レイカより年上の子供がいるとのことだった。
そして幸せな結婚生活を経て、二人の間には新しい命が出来る。
……そこで大きな問題が浮かんでくる。
二子目に対しては国からの援助がない、どころか罰則が科されるという政策だ。
現在、その政策はすでに廃止されている。
だがそれで引き起こされた問題は数多く、先の国の問題になっている。
ゴエンさんと旦那さんはお互いの家族を交えて話し合った。そして話し合いの末、最終的にレイカが養子に出されることに決まった。
わたしは『なんでレイカが』と思わざるを得なかった。が、口にするの憚られた。
だってゴエンさんの顔を見てたら……そんなこと口にできなかった。
それにわたしはレイカに会えたことを喜ばしく思っている、そのことにわたしがどんな口を出せるというのだろう。
そして出会ったのが縁藤、わたしの両親だった。
ゴエンさんは最初、養子を探してることを縁藤に言わなかった。
出来る限り相手のことを探り、育てていくだけ地に足の着いた人間か、引き取った後に虐待などしないかと、真剣に見極めた。
それも当然のことだ。
政策によって国内には養子を出したい親は数多くいて、それを悪用した人身売買などの犯罪が、既に横行していたのだから。
そうして縁藤家を間違いないと判断したゴエンさんは、タイミングを計らって養子の相談をした。
お父さんは、大激怒。
自分の子供を経済事情とはいえ、手放すと決断したことを許さなかった。
けれどお母さんが間に入り、最終的に縁藤家に迎えることとなる。
お父さんは決して子供を不幸にしたいわけではない。
だからゴエンさんの事情を”理解”したが”納得”はしなかった。
その経緯を経て”レイカに関わることを許さない”という条件を出したのだった。
それでもゴエンさんから「レイカに会いたい」という言葉を引き出すのは難しくなかった。
腹を痛めて産んだ子供なんだ、当然だと思う。
問題はお父さんに納得させることだった。
わたしは海外出張中のお父さんに「レイカに会いたい」という言葉をゴエンさんから引き出したことを告げた。
わかり切っていたことだけど、お父さんは反発。だけどここまでした手前、わたしも引くことはできなかった。
これまで誰にも相談しなかったし、できなかった。
サトシもずっと聞く耳を持ってくれなかったし、レイカも味方につけることができない。
これはわたしの暴走で、一人の戦争だった。
けれど、負ける気は一切しなかった。
あとはヒートアップして売り言葉に買い言葉。
「許してくれないなら、わたしはゴエンさんの子供になりますっ!」
まるで小学生のケンカだった。
わたしは一時帰国し、悩んだ。
サトシに相談するべきか、どうか。
サトシのことは……好きだ。
生まれてこの方、好きでなかったことはない。
けど、それでも。
だからこそ、わかってしまう。
このことに関して、サトシはわたしの味方ではない。
だから、わたしは逃げ出した。
レイカとゴエンさんを会わせるだけであれば、サトシの許可は必要ない。
お父さんに勝てれば、それでいいのだから。
けど、それをサトシと共に過ごしながらできるだろうか?
無理。
じゃあ実家に帰ったら、できるだろうか?
無理。両親が出張していても、そこにはレイカが住んでいる。
お父さんと徹底抗戦する上で、その二人とは距離を置きたかった。
八つ当たりしてしまうかもしれないし、味方にならないとわかっていても、弱音を吐いてしまうかもしれなかったから。
だから、わたしは逃げ出した。
わたしはゴエンさんの子供になる――自分の言葉を思い出し、現地での籠城戦を開始した。
サトシのいないタイミングを見て引っ越しを済ませ、入学したての大学に休学届を出し、現地でアルバイトもした。
サトシに罪悪感はある、おそろしくヒドいことをしている自覚もある。不安も感じ始めたらキリがない。
けど、最終的には許してくれる。そう信じられた。
エーコちゃんを騙し続けるのが一番大変だったかもしれない。
……最終的にはバレちゃったけど。
あとはひたすらお父さんとの根比べ合戦。お母さんにも空気公害の心配もされたが、すべて突っぱね続けた。
そして、ようやく……お父さんは折れた。
三ヶ月……長いような気もしたが、濃密な三ヶ月なので短いとも思えた。
お父さんには一度帰国するから話し合おうと言われ、わたしもそれに倣って実家へ戻ると決めた。
そして、ついさっき家に戻ったところ――
---
僕とレイカは、言葉もなく優佳の話を聞いていた。
その話に圧倒はされたけれども、僕らを……いやレイカを納得させはしなかった。
だって李とレイカが会わなければならない理由は、僕たちの前で説明されなかったのだから。
それは当たり前のことだ。
だって面と向かって「レイカを自立させたいから、李と会わせたい」なんて言えるはずないのだから。
納得させる気は元々なかったのだろう、少なくともこの場では。
ある時の優佳の言葉を思い出す。
『あのこと、お父さんたちに相談してみた。やっぱり反対だって』
『でも、レイカだってもう子供じゃないよ?あの子も受け入れられるはずだよ。
わたしたちから離れていったのだって、一人で色々考えられるようになったからでしょ?』
これまでレイカには李と会うという選択肢が存在しなかった。
いや、逃げていたんだ。
周りが反対するから選べない、って。
その枷はもうなくなった。
会おうと思えばいつでも会うことはできる、あとはレイカが選択するだけ。
「――それとね、レイカには弟がいるの。中学生のファン君、すこーしだけレイカに目元が似てるの」
優佳はそれを嬉しそうに話す。
僕たちは頭の整理にいっぱいいっぱいで、返事をすることができなかった。
そして優佳は一枚の便箋取り出した。
「これ、ゴエンさんからのお手紙。レイカ、勝手なことをしてごめん。でも読んで欲しい」
優佳はレイカに歩み寄り、手をとって便箋を持たせた。
「もちろんレイカが会わないと言えば、会わなくったっていいの。それでも、この手紙だけは読んで欲しい」
レイカは呆けた表情でそれを握りしめる。
混乱し、考えが及ばず、およそ表情というものが浮かべられなかった。
手に持たされた便箋を力なく受け取った、振り袖姿のレイカ。
数刻前には快活な笑みを見せていたのに、いまや顔には疲れさえ浮かび始めていた。
「ねえ、レイカ。
……少し、サトシと二人で話をさせてくれない?」
レイカは少しだけ顔を上げて、優佳の顔を眺める。
けれど耐えられなくなったように顔を背け「先に下、降りてるから」と言い、境内に戻っていった。
そして、取り残される優佳と、僕。
お互い、真っ直ぐに視線を合わせることができない。
合わせてしまうと、なにか良くないことが起きる気がして。
はは……なんで優佳と目を合わせて悪いことが起きるんだ?
バカじゃないのか、僕は。
「ねえ、サトシ」
優佳は背を向けながら言う。
「わたし、正しいことしたと思う?」
「間違ったことはしないだろ。優佳のすることに」
「……そっか」
肩が落ちて見えるのは、僕の気のせいじゃないだろう。
「褒めては……認めては、くれないんだね」
「……いまは、ごめん。なにも言えない」
「いま聞きたかったんだけど、それはちょっとワガママかな」
背を向けたまま、クスリと笑う。
優佳だって、怒る資格があるのに。
僕に考える余裕さえ与えてくれる、僕の……幼馴染。
本当は問題は一つだけだった。
僕がおとなしく優佳を待っていられれば問題は一つだった。
レイカがどうやったら元気になるか、という問題だけ。
もし問題がそれだけだったら、僕が李と会うのを認めるか、会うことになったらレイカがどう変われるかを見続けていくことだけだった。
でも、そうはならなかった。
だって僕は別の方法でレイカを救おうとしたのだから。
優佳は周りに認められないから、単独でレイカを救う方法を実行した。
でもそれがきっかけとなって、僕は個人的にレイカを救おうとしてしまった。
そして僕はレイカへ恋心を抱いていた日々を思い出す。
二つの問題は混じり合い、その境目はなくなった。
もう、どうしたらいいのかなんて、わからない。
「サトシ、レイカのこと好き?」
以前なら即答できた質問だ。
けど、いまの僕は躊躇ってしまう。
他の意味を持ってしまうかもしれないし、優佳も以前と同じ質問をしているのではないのだから。
「……ああ、好きだよ」
「答えるのが……おそいよ」
なんの意味もない会話だった。
視線も心も向き合っていないのだから。
それきり、どちらも口を開けなかった。
サトシと二人で話がしたい――それはもう終わったということだろうか。
僕も優佳と二人で話をしたかった。
けど、話をしたいと思っただけで、実際にできるような話はなかった。
心の整理も、したい話の用意も、なにもなかったのだから。
お互いに予期せぬものに出会い、前提がひっくり返ってしまった。
そんな状態でするような話もなければ、心のスイッチも持ち合わせてはいない。
僕は苦し紛れに、こういうしかなかった。
「レイカを……家まで送ってやれないか?」
その時、はじめて優佳は僕の目を見た。
そこにはなんの感情も見つけられなかった。でも優佳が見る僕の目も、きっと同じだろう。
「……わたしを、送ってくれないの?」
「……」
「ゴメン、ちょっとふざけた」
僕はなにも言えなかった。
送ってやれなくてごめん――三ヶ月前の僕ならそう言っただろう。
いやそれも違う。ケンカしていても優佳を送るのは当たり前だったはずだ。
でも、いまの僕にはなにも口にできない。
じゃあなんて答えるのが正しかったのだろう?他に送らなければいけない人がいる、ってか?
……それこそ、冗談きつい。
それにいまはその役目すら、果たすことはできないだろう。
「しばらく、実家に戻ると思う」
「……うん」
納得するなよ。そこは止めるところだろう。
「じゃ、行くね」
「……たのんだ」
無責任な言葉。
でも二人のどちらかを選んで送るほうが無責任だ。
「優佳」
遠ざかる足が、止まる。
「少し、頭を冷やすから。冷えたら……また、話をしよう」
「……」
優佳はなにも言わずに、僕の元を去っていった。
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