5-3 怒るワケないですよ


 鳴った!


 お風呂上がりのドライヤーもそこそこに、脱衣場のスマホを手に取ってメッセージを確認する。

 けれど一日も待って、先輩が返してきたのは、アニメのキャラがありがとう! って言っているスタンプだけ。


 それを見て空しい気持ちになりつつも、私はなにをこの人に期待していたんだろうと自問する。


 先輩には車で送ってもらったし、恥を忍んで敬語も使ったメッセージを送ったのに! と、自分が一糸纏わずスマホを握りしめていたことを思い出し、いそいそと服を着て自室に戻る。


 あれから一日経ったが、全然勉強に集中できない。

 お母さんには送ってもらったことをからかわれるし、それを聞いた絵里も興味津々に聞いてくるしっ!


 はぁ~っ、とひとつため息。ああ、また幸せが逃げていく……


 気を抜くと先輩の顔が浮かんでくる。

 ……一目惚れなんてしたくなかった。


 そんなベタなものに振り回されることにイライラしながらも、どうしても先輩の姿は好意的なフィルターを通して見えてしまう。

 それはメガネからコンタクトにしても変わらなかった、あたりまえだけど。


 高校で再開した時には、急に気持ちがぶり返したりなんてしなかった。前に生徒会で一緒だった先輩で憧れていた時期もあったなあ、って気持ちでいただけ。


 でも、あの性格になってから頻繁に絡んでくるようになった。

 ……以前はガン無視だったくせに。


 もちろんそれは私が当初好きになった先輩とは別人格だ。

 それでも私は話しかけられる度に、少しずつではあるけど、心が先輩でいっぱいになっているのに気づいてしまった。


 それはコーヒーメーカーのようなもので、ひとしずくの量は些細なものだけど、気付いたら……器はなみなみになっていた。

 彼の大きな性格の変化には戸惑いはしたけれど、所詮は一目惚れ。だから内面の変化なんてあまり関係ないのかもしれない。


 ……メンクイかよ。


 でも、しょうがないじゃない。目線が惹きつけられてしまうのなんて、私にだって、どうすることも出来ないんだから。


 もし、私が先輩と恋仲になったとしたら、どうなるんだろうか。手を繋いだり……キスなんかしたり……?


 頭の中にはマンガで見た、キラキラ六角形のシーンが浮かんでは消えていく。

 けど、そんなコテコテの二次元展開よりも、私にはもっと憧れの関係があった。


 それは――優佳さんと纏場。

 二人の関係こそ私が憧れる恋人像で、羨むべき恋愛プロセスを経てきた人たち。


 けどいまは……机に頬杖をつきながら、手慰みにペンを回す。


 ……あの二人、どうなるんだろう。

 私は恋人同士になってからの二人を見たことはない。だってそれ以来、私は纏場とケンカ別れしたままなのだから。


 先日の会合はイレギュラー。

 五年前のケンカをよそに置いて、聞きたいことだけを聞いてきた。


 だって私と纏場が仲直り出来なくとも……二人にはイイ仲でいて欲しかったから。


 だから纏場に会ったんだ。

 ”片方だけの意見”だけ聞いて納得、なんて私にはできなかったから。


 纏場は優佳さんが側にいないことを隠し、いまも問題ない付き合いをしているように見せた。


 けれど好きな人が優佳さんだと、即答しなかった。

 ……まさか本当に別れたり、しないわよね?


 そう考えると私は不安になる。


 結局、纏場に会いに行ったのだって私の都合だ。

 全てを知っていて、直接は伝えず、中途半端なことだけ伝えて帰った。


 私は自分勝手な正義を振りかざして、いやそれに振り回されて、彼らの仲をかき乱しただけかもしれない……


 自己嫌悪、私って纏場にとって疫病神でしかないのかもしれない。

 それに纏場の第二ボタン……いや第一ボタンをもらったこともあった。


 あれは、言い訳でもなんでもなく、本当に自分でも、なぜそうしたのかわからない。けれど、あの時、あの場所で、私はボタンをもらわざるを得なかった。


 それこそ私は何者かに操られて、そう言わされたとしか思えない。

 私はいわゆる――電波ってやつなのだろう。

 

 ……あ、そうだ。

 私、纏場と先輩を合わせる約束なんてしてしまった。


 我ながらバカだなあ、と思う。

 纏場の連絡先だって知らないのに。あの時は絵里を通してアポイントを取り、夕霞東高の新聞部へ連絡しただけだ。


 これは明日なんとかするしかない、か。

 惚れた弱みで安請け合い……どうしようもない。自分のバカさ加減に笑えてくる。


 と、コンコンと控えめなノックの音。


「おねぇちゃん、いま大丈夫?」


「絵里ならいつでも大丈夫よ」


 ガチャッとおっかなびっくり扉を開く絵里。

 頭に巻いたタオルがとってもキュート、すさんだ心が少しばかり癒される。


「ホントかな? って、なんでそんなアヤしい笑いを浮かべてるの?」


「絵里にいかがわしいことをしたくなった、から?」


「……いちいち気持ち悪い反応するのやめてよぉ」


 素で引いた顔を向ける絵里、その反応ですら楽しい末期の私。


「それで、用事は?」


「あ、そうだった、纏場先輩の件だよ」


 タイムリーな話に胸を突かれる。


「縁藤さん、もう帰ってきたんだって。

……でも、おかしいの。見つかったのにあまり嬉しそうじゃなかった」


 仕方ない、纏場のあの様子じゃ一筋縄じゃいかないだろう。


「きっと、凄い心配してたから、心の整理がついてないんじゃない?」


「そう、なのかな?」


 適当に、茶を濁すしかなかった。


 あくまで私は妹に協力して人探しを手伝っただけ。

 絵里にはその”依頼人”も”探し人”も知り合いだって伝えてないんだから。


「そんなことより、絵里。湯冷めしちゃうから、早く寝なさいよ」


「うん、そうだね。それを伝えたかっただけだから、おやすみ」


「おやすみ。添い寝してあげようか?」


「い~り~ま~せ~ん!」


 勢いよく閉まるドアに笑いをこぼし、私はまた一人になる。

 なんのやる気も無くなって、ベッドに倒れる。


 今日も勉強に身が入らない。

 このままじゃ本格的に浪人かなぁ……笑えない。


 スマホを手に取り、先輩が送ってきたアニメのスタンプを眺める。

 これはいったいなんのアニメだろう、スタンプをタップ。


 アニメのタイトルと購入画面。コインが必要です……購入。


 そして同じスタンプを返す。


 予備校通いの林映子。

 本日の収穫は見たことのない、アニメのスタンプ也――


---


 今日はいつもと違う待ち合わせ場所だった。

 先日オープンしたばかりの商業施設に、スイーツ食べ放題の店が出来たから是非そこで!というのが先方の提案である。


 けれど時間制限のあるところだと話し込めないと思い、他の場所を提案したけれど「オゴるから!」って言うので押し切られてしまった。


 まあ私もいつか来たいと思ってたからいいのだけれど。

 でも今日の会話内容によっては、そのチョイスは地雷にもなりかねないんじゃないか心配だった。


 私は施設内の中央にある、こぢんまりした噴水の前で人を待っていた。

 落ち着かない……二の腕のひらひらした膨らみを、つまんでは離す。


 浮いてないだろうか……? そんなことばかりが浮かんでは消えていく。


 この間のゴールデンウィーク、絵里と買い物に行った。

 そして妹のブンザイで「おねえちゃん、もっとオシャレしたら?」などと進言し、店員との協力プレイで私は着せ替え人形にされた。


 その結果、私はモノトーン調の花柄がプリントされたスカートと、カーキの袖ギャザーブラウスを買わされた。


 もちろん本当に欲しくなければ、買うことはなかっただろう。

 でも試着してみたら(絵里と店員に乗せられたのもあるけど)自分でも悪くないかも……とは思えた、だから私はそれを着てここにいる。


 けれどそれも今は昔。


 今日家を出る前に鏡の前に立ってみると、やっぱりチャレンジし過ぎてしまったんじゃないか、って気になって冷や汗が止まらない。

 だけどせっかく選んでもらったのだし、絵里にも見直してもらったけど「似合ってる」の一点張りだったので、そのまま来てしまった。


 だから待ちぼうけを食らっている私は、もう気が気でない。

 周りの人達から変な視線を集めてるんじゃないか?服に着られてる女がいるぞ、って。


 待ち合わせ時間より早く来たのは私だけど、こんなにも人待ちにヤキモキするのは久しぶりだった。


 ――と、左肩をトントンと叩かれる。


 ワンパターンな人……


 手は左肩に置かれたままだから――私は振り向かずに、頬を突き差そうと狙っている細い指を押さえて、体を翻し相手の頭に……


「チョップ!」


「あ、イタ! もう~ひどいよ、エーコちゃん~!」


 そこには五年前から変わらぬ付き合いをしている人がいた。


「……お久しぶりです、優佳さん」


 新年度に入る前に会った時より、少し髪が伸びただろうか。

 昔のようなショートではなく、いまは金糸のようなふわりとした髪が肩先まで伸びている。


 白のノースリーブから華奢な肩が覗き見え、シックなレザーポシェットを片手に、紺のワイドパンツ。

 頭には白のハットを被り、控えめに巻かれたエメラルドグリーンのリボンが可愛らしい。


 その庇護欲をそそるような可憐な姿に反し、顔には涙目で不満げな表情が浮かぶ。


「う~、なんでエーコちゃんは一度も引っかかってくれないの? つまんない~!」


 チョップがめりこんだ頭を両手で抑えながら、唇を突き出している。


「そんな時代錯誤なコトするの、優佳さんだけですよ」


「も~相変わらずだ! もう少しかわいげがあってもいいのに~」


「優佳さんのかわいげがムダに多すぎるんです」


 締める時はしっかり締めるけど、どこか少し抜けている――だから私はこの五年間、気後れなく付き合えてきた。


「そんなことより! 今日のエーコちゃん、なんかすごいオシャレさんじゃない?」


「そ、そんなコトないです……やめてください、恥ずかしい」


 目ざとくも私の変化に気付き、くりくりした瞳が舐めまわすように私を見つめる。


「あああ、やっぱり恥ずかしい! 着てくるんじゃなかった、ちょっと帰って着替えてきます!」


「ちょっとちょっと!? なんで恥ずかしがるの~? ほら! おねえちゃんがついててあげるから大丈夫!」


 そう言って逃がすまいと腕を抱いてくる。

 それもまた恥ずかしいのだけど、少しばかり懐かしい気持ちが勝ってそのまま落ち着かされてしまった。


 腕に引っ付く優佳さんの方に視線を落とす……そう見下ろす形の視線が気になったのか、少し眉をひそめる。


「もうエーコちゃんばっかり大きくなって、うらぎりもの!」


「優佳さんはずっとその可愛いらしい姿でいてくださいね」


「なにそれ~生意気だぞっ!」


 そう言って優佳さんは抱いた腕をぶんぶんと振り回して反抗する。

 久しぶりのやり取りに自然と口元が綻ぶ。


 以前は同じくらいの背丈だったが、私はあれから十センチほど伸び、優佳さんより高い目線になった。


 どうやらそのことに納得がいかないらしく、未だにそのことを持ち出してはぶーぶー文句を言っている。

 けどこればかりはどうしようもない。


 でも、どうしようもないんだけど、優佳さんに唯一勝てたことがあるのは少し嬉しい。


 腕のぶん回しが終わったかと思うと、優佳さんはすたすたと数歩前を歩いていき、踵を揃えて私に向き直った。


「それと……迷惑かけちゃって、ごめんなさい」


 帽子を外して胸に抱き、頭を下げた。

 先ほどの騒がしい空気は鳴りを潜め、耳に入るのは噴水の音と、通行人の喧騒だけになる。


 でも謝罪をやめさせたりはしない。だってそうされて然るべきなんだから。


「……ホントですよね」


「っ!」


 振り回された意趣返しも含めて、わざと”言葉を選んで”あげる。

 そしてそれを真に受け、下げていた頭はビクッと震える。


「前代未聞ですよね? 私には長期旅行って言ったのに、まさか自分の彼氏に黙って家出してたなんて」


 私と優佳さんはこの五年間ずっと連絡を取り続ける間柄だった。

 もちろん、この直近三ヶ月も変わることなく。


「ほんと~に驚きましたよ? 縁藤優佳って人を探してるって、妹から言われた時は」


 あれから纏場とは直接顔を合わせることはなかったけど、優佳さんを通して惚気話なり、デートの話なり、同棲の話を知っていた。


「私も優佳さんとはなんでも言い合える仲だと思っていたのに、隠しごとをされて、とても悲しい気持ちになりました」


 隠されてて悲しかったのは事実、そして怒ったのも事実。


「かわいそうな纏場、全部バラしちゃおうかと思いましたよ。

……すんでのところで、堪えましたけどね」


「ごめんなさい、それとありがと……」


 あの日、本当はバラすつもりで纏場に会った。

 けれどもう帰ってくるということが聞いていたのと、優佳さんから聞き出した”事情”を尊重して、結局伝えはしなかった。


 けど纏場の消沈した姿に、私は少なからずショックを受けた。

 だから曖昧な言葉で「優佳さんを待ってあげて欲しい」ということだけ伝え、その場を後にしたんだ。


 ……それと過去の小さな約束を果たしたかった、というのもあったしね。


『もし、私がサトシの助けになれない時……助けが必要な時、ほんの少しでいいの。サトシを助けてあげて』


 その約束を果たしたなんて言うつもりはない。結論、なんの助けにもなってない。


 けど二人を放っておかない、と思えたのは本当だ。

 そんな照れクサいこと、絶対二人には言わないけれど。


「最近まわりに振り回されっぱなしで、受験勉強にも集中できないんですよね」


「ご、ごめんなさいっ!」


 これはグチだ。

 ウソはついていないけど、九十九パーセントは個人的な事情だ。


 私が言葉を放るたびに、優佳さんの体がビクッと震える。

 ……少しいじめ過ぎたかも? でもかわいい人ほどいじめたくなるものだしね?


「いいんですよ、優佳さん。顔を上げてください」


 私は語尾柔らかに言う。


「でも一つお願いがあります」


「な、なんでもしますっ」


 私は右に拳を作って、左手でそれを握りこむ。


「そうですか。じゃあ目をつぶって……歯を食いしばってください」


 顔をあげた優佳さんは、真っ青。

 それを見た私はギリギリで笑い出すのを我慢できた。


 さっきまで服装を軽く褒め合ってたのに、いきなり「歯を食いしばれ」なんて言われたら、人はこんな顔になるらしい。


 私は出来るだけ無表情を装い、優佳さんの元に歩み寄る。

 優佳さんは口をパクパクさせ「ホントに……?」と言う顔で上目遣いになっている。


「じゃ、いきますよ」


 そう言うと優佳さんの目がきゅっと閉じ、生まれたての子猫みたいにぷるぷるしている。

 私はこれみよがしに息を吸い込むと、それを感じ取った優佳さんが歯を食いしばる!


 そして私はぺちん! と、両手で優佳さんの頬を包み込んだ。


 おそるおそる目を開いた、きょとんとした目と向き合う。


「……はい、この話はこれでおしまいです」


 出来るだけ優しい声を出して、いまのはおふざけだったと伝える。


「う゛、う゛ぅぅぅ~~っ! エ~コぢゃん、ごめんなさいいぃぃ~~~!!」


 優佳さんは子供のようにぐじぐじと泣きだし、私に抱きついてくる。


「もう、あんまり無茶しないでくださいよ?」


「うんっ!! もう迷惑かけばぜんっ!」


 涙声で子供のように抱き着いてくる。

 こんな姿見せられて、許せないなんて言える人間なんているのだろうか?


 私は得意げになって「よしよし」なんて言いながら頭を撫でる。


 ……次第に周りからは何事か、と視線を集め出した。

 私はまた自分の恰好が浮いてないか、なんて関係ないことで恥ずかしくなる。


 すると一人のマダムが寄ってきた。

 膝を折り、優佳さんに目線を合わせ。


「あらあら、お嬢ちゃんどうしたの? アメちゃんあげましょうか?」


「わだしは、こどぼぢゃないの~~!!」


 ……落ち着いてから、私たちは目的地に歩き出した。


 頬にアメをころがす、優佳さんを連れて。

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