5-2 ムカつくあの人
車の助手席に揺られて、私は大きなため息をついていた。
「ん~どうした、林君?」
運転席の先輩は軽口を飛ばす。
「別に、先輩に気にしてもらうことはなにもないです」
「ははっ、これは手厳しいな」
私は先輩のいない左のバックミラーに視線を移す。
東部瀬川高校は高台に位置しており、そのまま登っていくと山道と合流する。
ただ山道に登っていく物好きは少なく、通う生徒の大半も夕霞市から来ているので、大体はこの長い坂道を下っていくことになる。
逆光を浴びるカラスが夕陽に照らされ、赤と黒とのコンストラストがよく映える。
加えて夕霞市が一望出来るこの光景が好きだ。
坂の途中には神社もあり、先日ここで祭りも行われていたはずだ、惜しくもその日は予備校があったので行けなかった。
毎年、絵里と参加していたのに……来年また行けばいいか。でもこの調子で勉強の妨害をされると、もしかして、浪人……?
冗談じゃない。田山に、先輩に、私の人生を狂わされてたまるか。
「あーっ!」
急に大声を上げる先輩。
「なっ、なんですか!?」
「もう十八時五十分じゃないかっ!!」
「……だから、なんです!?」
「十九時までの時限クエストが、終わるじゃないか!!」
「…………」
「なぁ、林君。そこのダッシュボードに俺のスマホが入っている。悪いが、スマホを開いて、右上のクエスト欄から……」
「絶対に、嫌です」
ふざけんな、私をなんだと思ってるの。
仮にも、華のJKを助手席に乗せているのに、この男は私にスマホゲームのプレイを代行させようというのか……
――五年前、夕霞中学校。
十月に大きなトラブルがあり、文化祭は前代未聞の中止となった。
その時、一番消沈していたのは二階堂先輩だった。
あれからの生徒会会議で凛とした声を上げていた彼の姿は無くなり、常に俯いていて、顔色はいつも青白かった。
あとで優佳さんにいろいろ聞かされて知ったことだが、件のトラブルは二階堂先輩の出来心が発端であるらしい。
その時は色々と思うところがあったが、先輩は後悔している。
だったらそれについては、私がとやかく言えることはない。
そして先輩はその冬、予定していた欧米の交換留学に行き、帰って来た時には別人になっていた。
事件前にも見せなかった笑顔さえ見せ、これまで話さなかったような人とも仲良くなり、また彼の人気はうなぎ登りになった。
どんなドラマチックな出会いがあったのだろう。
それに疑問を持った生徒達は留学制度に殺到し、海外留学枠は翌年から高倍率になった。
彼を知る全員がそれを知りたがった。だが分かったことは……あまりにもしょうもないものだった。
地元でやっていたケーブルテレビ。そこで日本のアニメを中心にやっているチャンネル。
それまで先輩はあまりテレビ自体を見て来なかったそうだ。
だが、単身で留学に行った現地で見る初めての日本のアニメ。
それにどっぷり浸かることになる……
元々、英語を話す事さえできた先輩。
だが帰って来た時、彼の英語は「二階堂デース!」となぜかわざとらしい外人なまりになっていた。
私服は欧米の国旗がモチーフとなったジャージを着込み、いままで交流の無かったクラスメート(俗に言うオタク)と仲良くなった。
彼の悲しみを癒したのは、留学先で見た日本産のジャパニメーション文化。
そうして私がかつて憧れた二階堂傑は、一ミクロンも残らず、この世から消え去った。
私はなんの縁か、先輩と同じ高校に進学していた。もちろん意識はしていない。
……本当だからね?
「なぁなぁ、林君」
また声を掛けられ、我に返る。
「ジャハナは元気にしてるか?」
「……えぇ、元気すぎるくらいです。元々、大工になるために生まれてきたような人ですし」
「そっか、それは紹介した甲斐があった」
「別に頼んだわけじゃないですよ……」
「それでも迷惑はかけてないだろう?ならウィンウィンってやつだ」
喜々として先輩は言う。そこにあるのは嘘偽りない笑顔、中学時代にたたえていたような冷たさはもう無い。
「嬉しそうですね」
「ああ、いまが一番楽しいからな」
先輩は高校を卒業した後、自身のキャリアを顧みず就職した。
人材派遣会社、牛木興業の秘書。
……そう、過去にいざこざがあった人達と会社を興していた。
地元でもワルで有名だった牛木一家。
だが、それは先輩の介入で健全に回っているらしい。
元々、頭脳が切れる彼と、社長のコネクション。
地元の人たちは、社長の名前を聞き顔をしかめたというが、先輩の手腕でイメージは払拭され、むしろ地域の職を充実させたとかで相当評判がいいらしい。
「十九時になったか、更新されたガチャ回さないとな」
「……先輩、この間もだいぶお金使ったって言ったじゃないですか、大丈夫なんですか?」
「ん?ああ、大丈夫だ」
こともなげに先輩は言う。
「今度、自分の車を買うって言ってたじゃないですか?貯金しないと買えるものも買えませんよ?」
先輩はキョトンとした顔でわたしを見る。
……目が合った私は、反射的に逸らす。
「そっか、林君は初めてだったか」
「なんの話です」
「綺麗な内装してるだろ? ウソみたいだろ? 新車なんだぜ、これで」
「……ああ、それなら分かります。でも頼みますから、交通事故は起こさないでくださいね」
「……林君も、なかなかやるね」
口端を上げる先輩を横目に、私は頬杖つきながら顔を夕焼けに染めていた。
---
「ここで、いいです」
そう言って、車を止めてもらう。
「送ってもらって、ありがとうございます」
「気にするな、俺と林君の仲だ」
先輩は薄く笑って片手を上げる。
どんな仲だっていうの――そう思いつつ悪い気はしない。
「あ、そうだ、林君に聞きたいことがあったんだ」
「はい?」
「この間、纏場と会ったんだって?」
胸がざわつく。
なぜか私はそれに触れて欲しくないと思った。
「なんで、知ってるんですか?」
「なに、風の噂だよ。この町にいる人は大体顔見知りになってしまったからね」
目を細めて笑う先輩。
「それでさ、ちょっと久しぶりに顔会わせたいから、場を作って欲しいんだよ」
「……自分で、声を掛ければいいじゃないですか」
「いや、さすがに纏場には負い目があるからさ、自分から声はかけづらい」
「そんなこと言ったら、私もそうなんですけど……」
「そうなのか? でも、こないだは林君から誘ったんだろ?」
「……」
どこ情報だ、それは。
まさか纏場がわざわざ言いふらしたとは思えない。
「だから一つお願いしたいんだ、ダメか?」
手を合わせて片目を閉じて、お願いのポーズを取る。
昔からは考えられない、先輩らしからぬポーズだ。
「はぁっ……結果は、どうなるか分からないですからね?」
「OK! それでいいよ」
ニカッと笑う先輩、にわか胸が騒めく。
「……おーい! もしかすると二階堂さんじゃないッスか?」
声の方を振り向くと、ジャハナさんが作業場から駆けてくきた。
「その節は世話んなりましたっ!」
暑っ苦しい笑顔で四十五度の礼をする大男。ねずみ色の作業服には土汚れのあとがいくつも浮かんでいる、それは土木作業員の勲章だ。
「俺はなにもしてないよ。その後、仕事は順調かい?」
「はいっ! おかげさまでやりがいもあって、大工はやっぱ天職だったみたいッス」
「……あれぇ、誰かと思ったら牛木さんとこの秘書さんかい?」
その声を聴いて、私は冷や汗をかく。
「お、お母さん……?」
「ああ、林社長!ご無沙汰してます」
先輩は背筋をスッと伸ばして、営業スマイルに切り替わる。
「それと、映子じゃないのぉ? あんた秘書さんと知り合いだったんかい? あっ、もしかしてあんた秘書さんとイイ仲だったのかい?」
「ちっ、違う! 変なことは言わないでよ、お母さん!」
「ははっ、ボクが林さんと恋人だったら光栄です。でもボクなんかより素敵な男性がきっと映子さんの前に現れますよ」
対外的にはボク呼びなんだ……それとなんだろう、この話は面白くない。
「あれぇ、そんなこと言わないでくださいなぁ。娘だったら二人いますから、映子でも絵里でもお好きな方を持って行ってくださいな」
「ちょ、ちょっとお母さん? なに言ってるの!?」
「ははっ、嬉しい申し出です。是非とも機会があったら、その件でご挨拶に伺わせていただきますよ」
「……先輩も、あまり調子に乗らないでもらえます?」
---
「では、秘書さん。是非とも社長さんによろしくお伝えくださいな」
「はい、もし現場仕事の紹介が出来そうだったらお声がけしますよ」
「あらぁ、ほんとに商売上手だこと、是非ともよろしくお願いします~」
そう言ってお母さんは先に自宅に戻っていった。
「いいお母さんじゃないか」
「この流れで褒められても嬉しくありません……」
もう陽はすっかり暮れていた、あまり長く外にいると蚊に食われる。
「じゃ、一つ纏場の件は頼むよ」
「……どう、連絡すればいいですか」
先輩はいま思いついたように、ポケットからスマホを取り出す。
「そう言えば、林君の連絡先って知らなかったな」
「それでよく連絡をくれ、なんて言えますね」
私に無関心だったみたいな言い方が気に入らない。そして気に入らなく思ってしまう私自身も、気に入らない。
お互いにQRコードを読んで連絡先を交換。
「……え~こ」
「あ」
私のLINE登録名を音読される。
「ははっ、え~こ。うん、かわいいかわいい」
「か、からかわないでくださいよ! 別にいいじゃないですか!!」
先輩はなにが面白いのか、腹を抱えて笑っている。
「あ、そうだ、え~こ。もう一つあった」
「……はぁ、今度はなんです?」
「メガネ、やめたんだな? そっちのほうがカワイイと思うぞ?」
「~っ、早く行けっ!」
……そう言って先輩の車が去っていく、夕日の沈む方へ。
私はスマホを開き「二階堂 傑」なんて、茶目っ気もなにもないアカウントを眺める。
きっと仕事でもこのアカウントでたくさんの人と連絡をしてるんだろう。
自分の頬を触る。
熱い。
……コンタクトにしたのは、つい最近だった。
いままで長いこと使ってたメガネはネジが緩くなり、長時間下を向いてノートに向き合ってると、度々ずり落ちてきてしまっていた。
本当は買い替えのつもりで行ったメガネ屋にコンタクトを勧められ、あれよあれよという間にコンタクトデビューしていたのだった。
少し恥ずかしい気もしたが、メガネ姿の自分があまり好きじゃなかったので、満足はしている。
それに……いや、なんでもない。
今日は日差しが強かった。少し日焼けもするだろう、だってこんなにも頬が熱い。
先輩はモテるからきっと私の連絡先なんて、何百人の内の一人に過ぎないんだろう。
それでも私は、家にも入ることも忘れて先輩の連絡先をずうっと眺めていた。
「私って、チョロいのかなぁ……」
そこにいれば目が追いかけてしまう。
耳に情報が入れば、そのことは頭を駆け巡る。
声が聞こえれば自然と胸が高鳴る。
初めて出会った日、保健室に運んでくれた記憶もだいぶ薄れてきたはずなのに。
その時から続く想いは、決して途切れることが無かった。
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