5-1 私なんか見てもつまらないわよ?
「もう! わかりました、金曜日ですね? 予備校もないですから……はい、もう切りますよ? 続きは次会った時ということで!」
そう言って通話を切り、ベッドにスマホを投げ飛ばす。
するとまたポケポケッと間抜けな音を鳴らし、新聞部から泣きついたメッセージが送られてくる。
「ああっ、もう!」
勉強机に向かい合ってはいるが、一向に受験勉強は進まない。各所からの妨害工作が多すぎる。
まったくもって最悪とはこのこと。それに昔に比べてイライラすることが多くなった。
あれだ、苛立ってしまうのは、自分の思い通りにいかない時。
誰かが言うことを聞いてくれなかった、自分の考えていることを否定された、揚げ足を取られ恥をかかされる、やりたいことがいつまでたっても進まない……
思えば最近はそんなことばかりだ。誰か私をいたわってくれる人はいないのかしら。
両腕をぐっと伸ばし、背もたれいっぱいに体を預ける。
小学生の時から使っている勉強机は、長年使ってもらおうというメーカーの努力により、少し大きめに作られていた。
それは成長に従ってちょうどいいサイズになるためなのだが、中学に入ってからも大きいままで、高校に上がってようやくちょうどいいサイズになった。
私は高校に入って少しだけ背は伸びた。……相変わらずはムネは無いけれど?
そうやって自分にツッコミなんか入れていると、控えめにドアがノックされる。
「おねぇちゃ~ん、ゴハン出来たって」
「わかった、すぐ降りる」
「……おねぇちゃん、行儀悪いよ」
「ん?」
気づけば背もたれに伸びをした後、足を机の上に投げ出していた。
言われるまで全く気づかなかった……
「最近、お母さんもお父さんも心配してるよ? 受験勉強に集中出来てないんじゃないかって」
そういって両横結い……いわゆるツインテールの我が妹は、眉をハの字にしながら、勉強机でやさぐれている私の顔を覗き込んでくる。
「あんたがそんなこと心配しなくていいの、大丈夫」
気遣ってくれる妹が愛おしくなり、出来るだけ優しく頭を撫でてやる。
妹は子ども扱いされる気恥ずかしさと、嫌じゃないって気持ちの中間に立たされ、困った顔で私にされるがままだ。
愛い奴め。
「先に行ってて、私は一区切りついたら降りてくから」
「……いま電話終わったところなのに、これから一区切りってなんなんだろ?」
妹は頭にハテナマークを浮かべながらも部屋を後にしようとする。
「あ! あと――」
部屋を離れようとした妹に一声かける。
「……探してた先輩、見つかりそうだよ。多分もうじき自分から帰ってくると思う」
「ホント!? さっすがおねぇちゃん!」
「当然、可愛い妹のためならなんでもするんだから」
「もう、そういうこと言うの止めてよ、恥ずかしい」
「そーいうとこが可愛いっての! じゃ絵里、依頼主に伝えておいてね」
「うんっ!」
そう言って足音を弾ませて階段を下りていく愛しの妹、林 絵里。
通う学校は違えど、姉妹揃って新聞部に所属しており、お互いの情報をまめに共有出来るという、他校にはない圧倒的なアドバンテージ。
だからと言って私にそんなやる気があるかと言われればそうでもない。
なんとなく昔あった嫌なことが忘れられず、ちゃんとした事実を伝えることをしたくて始めただけだった。
目的もないのに高校でも生徒会なんてやりたくなかったし?
ただ、絵里から聞いた情報で無視できないものがあり、首を突っ込んだ結果がこれだった。
もういっそのこと全部無視して、忘れてやろうかとも考える。けれどこれは恩返しでもあるし、罪滅ぼしだ。
決して無視できない事柄で、微妙に、いや結構な具合で関わってしまった以上、今更あとに引けないのも事実だった。
「まったく纏場も優佳さんもなにを考えてることやら……」
妹から聞いた人探しの情報。
その話を聞いて私は耳を疑った。
私の知っている理想像とも言えるカップルが揉めに揉めている、そんな話だった。
あ、そうそう――ここからの話は、しばらく私、林映子に付きあってもらうみたいだから、そこのとこよろしく。
---
まだ蝉こそ鳴いていないけれど、朝のそよ風が夏服のシャツを流れるように通り抜け、心地いい。
これからカンカン照りとジメジメの季節はやってくる。だったらいまのうちに爽やかな空気を、出来るだけ感じ取っておきたい。
「「いってきま~す」」
そう言って今日も仲良く妹と登校、学校が別だからすぐに別れるんだけど。
玄関を出てすぐ横を向くと、トラックが二台止まっている倉庫兼作業場。
地面から建物に沿う形でツタが伸び、あさがおが朝露を浴びて光っている。
そのツタとあさがおの合間に顔を覗かせる、錆びたアルミ看板。そこには”林工務店”と書かれている。
私の実家は工務店をやっている。お父さんが大工で、お母さんのほうが社長だ。
元々はお父さんが社長をしていたんだけど、お母さんの方が話し上手で数字にも強かったため、そのまま女性社長として代わることになったらしい。
お父さんはどっちかっていうと寡黙な人だし、その方が適任であることは私たち学生の目からも明らかだった。
他の従業員は二人。
一人は爽やかな二十歳の人と、もう一人はガタイのいい黒光りした男、ちなみに同い年で夕霞中の人だった。
幸い(?)同じクラスでもなかったし、話したことも無い。
……ちなみに二人とも”彼”の仲介でウチに仕事を紹介されたクチだ。
私たちはそんな小さな工務店に生まれた、二人の女姉妹なのである。
「ねーねーおねぇちゃん、恋ダ〇スって知ってる?」
「なんか聞いたことある、確かドラマのエンディングかなんかで踊ってる奴よね」
「そう! あれをね、文化祭でみんなで踊ろうって話になってるんだけど……」
「絶対、見に行くわ」
私は目を見開いて、鼻息を荒くする。
「えっと、そうじゃなくてね?文化祭は他校の有志も参加出来るし、いろんな女の子集まったほうが注目を集まるって部長が言ってて、それであのね、おねぇちゃんにも……」
「絶対、行かない」
「そんなぁ~~」
「私みたいな不愛想な女に来られても困るでしょ? というか夕霞東の部長は相変わらず注目がどうとか、アクセス数がどうとか言ってるの?」
「……うん」
「そんなんじゃダメよ。そういう記事ばっかり書いてたら、自分がなにを伝えたいか、だんだんわからなくなって目先の数字しか追えなくなるんだから」
「でも、見てもらえなきゃ書く意味だってないもん。だから多少大げさでも面白く書いて、また見たいって思ってもらえる記事を書きたいよ。
……じゃないと本当に伝えたい時に、誰にも見てもらえないもん」
私はわずかに目を見張った。絵里が自分の主張をぶつけてきたことに。
いつも自信なさげに下を向いていた絵里。その絵里が私に反論した。
そんな妹の成長が嬉しくなりニヤけそうになるが、それを押し殺して最後まで姉としての仮面を被る。
「……そうね、絵里の言うことも本当。でも忘れないでね、注目を集めることだけが目的になったら、絶対ダメなんだから」
「うんっ!」
認めてもらえたのが嬉しかったのか、満面の笑みで素直にうなずく絵里。
そんな絵里が可愛くて、通学路であるのにも関わらず私は絵里の頭を撫でつける。
絵里は恥ずかしくて割と本気で嫌がっているが、私は止めない。
いましか伝えられないことは、ちゃんといま伝える。そのことで後悔はしたくなかったから。
そのまま絵里の乗車するバス停まで付き添い、バスが見えなくなるまで手を振った。
そんな毎日。
私はニヤけてしまう口元を隠せず一人、通学路を歩く。自分の意志で、新聞部をやっている。そのことが嬉しかった。
――五年前、私と絵里は仲が良くも悪くもなかった。必要であれば話すし、嫌いだったわけでもない。
なんとなく姉妹で話す事、家族で仲良くすることが気恥かしかった。それは絵里も同じなのか、どんどん会話は少なくなっていった。
けれど、私は一つの後悔を経験した。
タイミングを逃してしまえば、関係が変わってしまえば、伝えたいことは絶対に伝えられない、そのことを知る事件があった。
私には謝りたい人がいる。
けれど、決してその人を前にしたら、その言葉が出てくることはなく、まるで運命づけられているかのように、口にすることが出来なくなる。
――先日、当人と久しぶりに顔を合わせたのにその時も無理だった。
その時に悟ってしまった「ああ、やっぱり纏場とは仲直りは出来ないんだな」って。
だから私は、それにこだわり過ぎないことにした。
……少し話が逸れたけど、そんな経験を経て同じような後悔をしたくないって思った私は、自分から絵里に話しかけるようになった。
最初は些細な切っ掛けから。
これまで一度も借りたことのなかった映画のDVDを借り、「一緒に映画見ない……?」なんてギコチナイ誘い文句から始めた。
最初は話も弾まなかったけど、何度も一緒に見てるうちに少しずつ会話が増えていった。
そんなことを少しずつ、本当に少しずつ繰り返して、私たちは会話を取り戻し、いまや仲良し姉妹になることができた。
その後、絵里も夕霞東で新聞部に入ったって聞いた時は、なんか、もう嬉しくって、いてもたってもいられなかった。
妹が自分の背を見て、真似てくれる……それが可愛くて、震えあがるほど嬉しかった。
きっと私は絵里を失うくらいだったら命だって投げ出せるだろう。いや、そんな戦闘アニメみたいな展開が起こらないのは知ってるんだけど。
それくらい絵里のことが好きだって、誰かに言いたくて言いたくて仕方がないくらい、姉バカになってしまった。
でも誰にも言えないから、絵里本人に言う。もちろん絵里は顔を真っ赤にして、割と本気で嫌がる。
それもあの時の気づきが切っ掛けだと思えば、心残りな思い出も悪いことばかりじゃない――そう思えるようになっていた。
---
放課後、いつもは直帰するのだが今日は用事があって部室に寄る。
「お疲れ様~」
私は部室の扉を開け、出来るだけテンション低めの声をかける。
「はやしセンパァ~イ! 助けてくださいぃ~!」
部室に入るなり、暑っ苦しい後輩に泣きつかれる。
「もう全然っ、ネタが思いつかなくてダメなんですよぉ!今度、他校との交流会があるんですけど、このままじゃ馬鹿にされちゃいますぅ~!」
そう言って私の右手を、両手で掴みぶんぶんと振ってく後輩。後輩に頼られて悪い気はしない、のだが……
「……あんた、いつも言ってるでしょ?」
「ハイ、それは、もう受験勉強に入ってる林センパイにお願いするのは、本当に申し訳ないって思いますぅ……」
「いや、そうじゃなくて」
「えっと、なんでしょう……」
そう言って後輩は、私の右手に抱きつくようにして縋ったままだ。
「なんで角刈りのむさ苦しい男が!気安く女の手に触れてくるのよっ!!」
「も~、いいじゃないですかぁ、減るものじゃないですし~!」
そういって”男”の後輩――田山は、どこ吹く風で引退した私の腕を取ろうとにじり寄る。
一応、現在の部長だ。
角刈りで筋肉質な体型は文化部とは誰も思わないし、そんな風貌でいながら弱気で、ことあるごとに相談をしてくる情けない後輩だった。
中学時代は野球部だったらしい、なぜそのまま野球をしなかった……?
「で、今日呼んだのはなにかしら?」
「はい! ネタが見つかりません!」
「……部を畳めば? そんなことしたら絶対に許さないけど」
「そんなこと言わないでくださいよ、センパァ~イ!!」
「ああっ、もう寄らないでって言ってるでしょ! 暑苦しい!前にも言ったでしょ? 過去の記事を参考にしなさいって! 全部読んだの?」
「読みましたよぉ、でも本当にこれでいいのか、イマイチ自信が持てなくって、その……やっぱりセンパイがきめてくださぁ~~い!!」
……いつもこんな感じである。
後輩だからと連絡先を交換したのが運の尽き。毎日最低二通……いや三通は連絡を寄越してくる。
大体は部活のことなので仕方なく返信しているのだが、たまに「今のアメ○ーク見てます?」とか送ってくると、本気で〇してしまいたくなる……
だがこれが下心なのかと言われたらそうではないらしく、なんでも噂によると彼女もいるらしい……事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ。
これだけ連絡を寄越すのにも理由があって、私が部を引退した後、とある女子部員を争って男子がバチバチした結果、当事者全員(確か六名)が一気に退部したことにある。
そして焼け野原に取り残された田山が「もう歩けないよ……」と、泣きついてきたことがきっかけで、仕方なく、たま~に顔を出してるという具合だった。
まあ、でも安心して。田山はキーマンじゃなくてモブだから。
「そんなこと言わないでくださいよ、センパァ~イ!」
「ああっ、もう暑苦しいって言ってるでしょ! それに地の文にツッコミを入れないでもらえるかしら?」
「いいじゃないですかぁ~ボクと先輩の仲じゃないですかぁ!」
「チッ……それで、ネタの候補は上がってるんでしょ? ゲラは?」
私は勝手知ったる部室の椅子を引っ張り、田山に「早くして」と催促する。
これでも受験生だ、少しでも早く帰って勉強したいという気持ちもある。明日は予備校もあるから、予習だってしたいのに……
「ゲラなんて刷らないですよぉ……予算も少ないですしぃ、パソコンにネタは収集してるんで、順番に見てもらえますぅ?」
そういって田山は私の横に椅子をぴったり付け、肩を並べてパソコンの画面を覗き込もうとする。
私は少し椅子を横にずらし、肩がぶつからない距離を開ける。
すると田山は心底不思議そうな顔で私の顔を覗き込み、また椅子をぴったりつけてくる。
……ため息をついて、これが素の田山なんだとあきらめる。
受験勉強のために部活も引退したし、予備校にも通い始めた。置いてあるとチラチラ見てしまうブルーレイレコーダーも絵里の部屋に預けた。
色々なことから一歩開けたはずなのに、最近なにかに巻き込まれることが多い。
もう気疲れで眩暈すらしてくる……いけない、私は帰ってから予習もしなければいけないんだ。
こんなところでバテてる場合じゃない、この調子じゃ受かるもの受からなく……
「おい田山~! 差し入れ、持ってきたぞ~!」
「あ~っ! 名誉会長ォォォ~!」
よりにもよって、このイライラしてる時に……
「エナドリのカオス味! しかも一ダース!! これなら頑張れますよぉ! ありがとうございます! 名誉会長!!」
「なに、田山はいつも頑張りすぎてしまうからな。君がムチャをしてないか定期的に見に来ないとね、愛する後輩が倒れたら俺だって悲しい」
「名誉会長ッ……ボクッ、こんなに優しくされたの、生まれて初めてですッ!」
胃もたれしそうな茶番が始まり、私はもう気絶しそうである。もうこのままこっそり帰ってもバレないんじゃないかな……
「おっ、今日は林君もいるじゃないか」
目ざとく私に気付いて声をかける元生徒会長、そして田山曰く”名誉会長”と呼ばれる人物。
「なにしに来たんですか。二階堂、先輩……」
「いやぁ、近くまで寄ったからね。母校のみんなが元気にしてるかどうか確認するのは先輩の務めだろ?」
よくもまあ、いけしゃあしゃあとそんなことを言ってくれる……
過去の彼を知っている私からすると、その発言はサブイボが立つほどクサくてかなわない。
いろいろあって、彼は変わった。もう数年前とは完全に別人だ。
彼もあの事件を経て、必然的に変わらざるを得なかった。そういうことだ。
……もう少しキャラ崩壊しない変わり方が望ましかったが。
「名誉会長~聞いてくださいよぉ! 林センパイが原稿の出来具合を心配して、駆けつけてくれたんです!」
「はっ、林君!? 君はなんて優しいんだ、林君の愛に、脳が震えるぅ~!」
「あっ会長! それリ〇ロですよね!ボクも見ました~!」
もう嫌だ、私は帰るぞ。
「お? こらこら、林君、どうしたんだ?もう田山君の相談にはもう乗ってあげたのか?」
二人の間を抜けて帰ろうとする私の襟を捕まえ、猫のように持ち上げる。
「私より先輩が相談に乗ってあげたらいいじゃないですか」
「そんな冷たいことを言ったら可哀想だろ。林君、怠惰ですね?」
「……どうでもいいけど、離してもらえます?」
先輩はパッと手を離し、猫掴みから解放される。襟を正していると先輩はそのまま言葉を継いだ。
「俺は新聞部だったわけじゃない、専門外だ。餅は餅屋に。あくまで田山君、それに林君を心配して僕は駆け付けただけだよ?」
私が居合わせたのはたまたまなのに、私も心配されていた一員になっている。
調子がいいというか、なんというか。
「そう言えば田山君、ついに恋人が出来たらしいじゃないか?おめでとう」
「はい~! 名誉会長のおかげです、本当に感謝してますぅ~!」
「……先輩、本当に田山って彼女がいるんですか?」
それを聞いて私は一番の疑問を、先輩にぶつける。
「あぁそうだよ! 名前はなんて言ったかな、確かここの部員の……」
「キリエちゃんですぅ!」
キリエ……? ここの部員……?
「そうだ、そうだ。確かあの鼻が大きくてチャーミングなコ! まったく田山君もスミに置けないよな? よくも部内で六人もライバルがいる激戦区を勝ち抜いたよ、感動した!」
「いやぁ~照れますよぉ、でもみんなそれで退部しちゃったんですけどね、えへ☆」
その時、私の怒りは頂点に達した。
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