5章 失敗しないと、わからない

5-0(3-11) 夢から醒めて


 頭が重い……


 やたらと白を主張する天井に、ぼうっと浮かぶシーリングライトの光。


 意識がハッキリするにつれ、背中に鈍い痛みが走る。

 それもそのはずだ。フローリングの上に布団も敷かず寝ていたのだから。


 ここは三ヶ月もの間放置されていた、空っぽの部屋。

 引き払えと言うレイカから、条件付きで守り続けてきた場所。


「……ほら、僕の言った通りだろ?」


 誰もいない部屋にそう呟くも、達成感も喜びも湧いてこない。守って来たなんて真っ赤な嘘。

 上体を起こして床を人差し指でなぞる。指にはたくさんのホコリがついた。


 また今日から世話になる部屋だ、掃除しないとな。

 そして今度こそ、本当に一人で暮らしていかなければならない。


 転がったままのスマホを引き寄せる。

 ……午前四時。


 どうやら明かりをつけたまま眠っていたようだ。


 頭と体が痒い。

 あれから風呂にも入らず、そのまま床で眠った。


 記憶の欠片がわずかながら戻ってくる。

 あの場から「頭を冷やす」と言って、逃げるように部屋に戻ったんだ。


 体を起こして頭を働かせようとするが、未だ現実を受け止める気力が湧いてこない。


 ――ずいぶん昔の夢を見ていた。


 五年前の、夢。


 夢の中に出てきた異性を好きになる、とはよく言ったもんだ。

 僕もその例に漏れず、心は”彼女”で支配されていた。


 当時の出来事と、現在の立ち位置を上手く繋げられない。

 まるで自分の中に、違う人格が住んでいるみたいに。


 そして自分の身に起きてることに、少しも現実味が感じられなかった。


 レイカは、どうするのだろうか。優佳とは、どうなるのだろうか。


 僕はこの後、どうすればいいのだろうか……いや、そもそも、どうしたいのか。

 明日は学校? バイトはあったっけ? そもそも僕はなんでバイトをしてたんだっけ?


 当たり前のように自分で決めたことなのに、それがどこか遠い出来事で、他者のレールを歩いている気になってしまう。


 ……僕はいったい何者なんだろう。



 バイトを続けるべき? いや、それもあの瞬間に理由が無くなってしまった。


 そうすると時間がだだ余りになる、さてなにをしよう?

 そうだ、勉強をしなくては。僕は大学に行きたかったんだ。


 なぜ? そりゃそうだろう、僕は教員免許が欲しかったのだから。


 教員免許を取って?そりゃ、優佳と……


 ……


 将来、一緒に仕事をするため?

 ああ、じゃぁダメじゃないか。僕と優佳の将来なんてもう来ない。



 ――突然、僕はなんでもできる気がしてきた。


 僕は一人になったんだ。なにをしても誰にも文句を言われない。

 よしバイトは続けよう。そしてお金を貯めるんだ。そのお金でまずバイクの免許を取ろう。


 そうだ、僕はバイクが欲しかった。

 いつだったかどこかで目に入った旅行雑誌か、スマホの壁紙を探してる時に目にした真っ赤な紅葉を思い出す。


 そう、僕は旅行がしたかった。気ままな一人旅。

 でも一人はちょっと寂しいかな、誰なら誘ったらついてきてくれるだろう?


 華暖。


 そうだ、きっと華暖ならついてきてくれる。


 なんなら一緒にバイクの免許だって取ってくれるかもしれない。あいつはいつだって最高にノリがいい。


 バイト中に大学生の鈴木さんから聞いたことを思い出していた。

 バイクに乗りながらBluetoothでスマホを繋ぐと、通話しながらツーリングが出来るらしい。


 なんて楽しそうなんだ! わくわくする。

 別に免許を取ってくれなくてもいい、後ろに乗ってついてきてさえくれれば。


 そうすると余裕を持って人を乗せられる中型がいいな。

 想像の中の華暖はわざとらしく大げさに腕を回し、必要以上に抱き着いてくる。


 僕は憎まれ口をたたきながらも、当然のように嫌な気はしない。


 運転中でも話が出来るのに、なにも言わず大人しく腕を回し続ける華暖。

 めまぐるしく変わる風景の中、華暖の指の細さに気付く僕。


 これぞ、妄想族……


 あ、でも確か二人乗りは免許を取ってから一年経過しないとダメだったんだっけ?

 さすがに法律違反は良くない。


 じゃあやっぱり免許は取って欲しいな。


 ……いまからオッケーしたら華暖は、付き合ってくれるだろうか。

 授業中に振り向いた時にちらりと見える、零れ出しそうな胸を思い出す。


 あんな楽しくて素敵な彼女がいたら、人生はどんなに楽しいだろうか。

 バイト先で出会い、クラスメートにもなり、好みも一緒で、事故から助けたなんてエピソードもある。


 これってものすごく運命的じゃないか?

 なんで僕はあんな素敵な女の子を振ったんだろう?この世で一番バカだろ。


 そうだ、きっといまならまだ間に合う。


 電話をしよう。


 もう”   ”とは終わっちゃったって。


 いや、終わったのは”   ”との方だろうか?


 なんでもいい。


 とりあえず、もうツラいのはこりごりなんだ。


 誰でもいい、助けてくれ。


 スマホを開きLINEを開く。


 佳河華暖からメッセージが来ていた。


 かなり、たくさん。


 ほら、華暖も僕の連絡を待ってるんだ!



7/7


 19:20 不在着信


 19:58 不在着信


 21:20 不在着信


 21:22 <トッシ~いまどこにいんの?レイカは?つかまえた?


 23:10 不在着信




7/8


 0:02  <とりあえず、見たら連絡して、お父さんも気にしてる


 11:00 不在着信


 15:23 不在着信


 15:25 <勝手なこと言ってゴメン、レ~カにも謝るから


 15:26 <レ~カとトッシ~の間にアタシ、関係ないもんね、、勝手にかきまわしてゴメン


 17:20 不在着信


 17:22 <まさか二人でフケた?


 19:02 <カケオチするんだったら、連絡して。シフト変えなきゃいけないから


 19:05 不在着信


 23:56 <見たら連絡ください、おねがいします


 23:58 <ホントに、お願い



 ……


 ああっと、いけない、ぼうっとしてた。


 連絡しなきゃ、通話? いや、この時間に通話するやつがいるか。


 メッセージで……


 なんて言うんだっけ?


 ……僕と付き合わない?


 マジか?


 僕は時間も忘れ、大声で笑い出す。


 笑って、笑って、ひとしきり笑った後、なぜか涙が止まらなかった。

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