4-25 明けの春風
「エーコ、なにしてるの? 遅れちゃうよ」
「ん……ごめん、先に行ってて」
クラスメートがかけてくれた声を遮り、私は一人行動を別にした。
冬が過ぎ去り――春風を頬に受け、髪束が流されないよう片手で押さえる。
二階の窓から眺める街の風景には、桃色の欠片が彩りを豊かに、暖かな季節が来たと目に訴えてくる。
今日は夕霞中、第三十四回目の卒業式だった。
私は本日をもってめでたく(?)本校を卒業することになる。
昨年、生徒会長を務めた私には案の定「後輩からの答辞を読み上げて欲しい」という話が舞い込んだが、丁重にお断りした。
そういう気分にはなれそうになかったからだ。
そして私は、いま卒業式をすっぽかそうとしている。
二年前の私が見たらどう思うかな――そんなどうでもいいことを考えてしまう。
あれ以来、私は一度も纏場と話をしていなかった。
あの日、すべてが変わってしまった。
チンピラに囲まれて、優佳さんが庇ってくれた。誰かが助けてくれて、怯える私を優佳さんは家まで連れて行ってくれた。
次の日は一日、学校を休んだ。
そして登校した私は、学校の中で迷子になった。
話題は生徒会予算を盗んだ纏場の話で持ち切りで、登校した私はすぐさま質問攻めにあった。
前からそういうことをしそうだったか?
どういう人間だったか?
先生たちはなにも言わないけど、なにか知らないか?
なにか盗まれたりしたことはないか?
……なんて、くだらない。
だけど、私はそれに対して聞かれたことを思うままに伝えた。
それを聞くと彼らは一様につまらなさそうな顔をして、その話題を二度と振ることなく、妄想と憶測が詰まった「纏場諭史」について楽しそうに話していた。
真実とはいったい何なのだろうか。
夕霞にも新聞部というものがあるが、掲示されているその記事を見た私はすぐさま破り捨ててしまった。
個人名は書いていないが、纏場のことを憶測で書くおぞましい記事だった。
私がもし新聞部員だったら、こんなニセモノの真実を創り出すような記事は書かないだろう。
それを破り捨てた私にもすぐさま悪評が立った。
だけど私はもうクラスメートや同学年の生徒に興味が持てなくなっていたから、そんなクラスで浮いてしまうことにも疎外感を感じる事は無かった。
優佳さんは真実を教えてくれた。
纏場がしたことを全て。
私はそれを聞いて優佳さんに怒った。
……後にも先にも優佳さんにあんな酷い事を言うことはないだろう、あの時は我を忘れ声を張り上げて怒った。
なぜ真実を告げないのかと、纏場を守ってやらないのかと、こんなひどい仕打ちだけは許されないって。
真実を告げれば、纏場がこんな目に合うことはなにもないと。
優佳さんと取っ組み合いのケンカをした。
あんなに細い体のどこにそんな力があるのだろう、ボロボロに負けた。
そして二人で……泣いた。
私はその時は納得できなかったが、日に日に優佳さんの言うことが分かってきた。
纏場のした選択は……最善ではなかったかもしれないが、間違っていなかったのだと。
優佳さんもそんな学校が嫌になり、生徒会長を辞めようかというところまで悩んだとのことだったが、纏場や周囲の説得もあって留まることになった。
ああ、あと文化祭は……中止になってしまった。
中止なんて前代未聞だった。
なんでも私たちが街で不良に絡まれた時、学校ではバイクに乗った人たちがたくさん集まっていたらしい。
件の火事に、学校でまことしやかに騒がれる盗難騒ぎ、牛木って生徒の大怪我に、不良に囲まれる学校。
いくつものことが重なり、PTAと学校で何回も話し合いが行われ、その年の文化祭は行われないことになった。
私と纏場が作っていた、翌年への参考資料はついぞ完成することは無かった。
そのことがとても悔しかった。
まるで私と纏場が遅くまでしてきた作業が、纏場との時間が全てなかったことになるのが嫌だった。
私はその翌年、生徒会長になると決意した。優佳さんは喜んでくれて色々と協力してくれた。
前会長の推薦もあり、私は晴れて生徒会長となった。
前年の反省を生かし、纏場と作った資料が今こそ役に立つ。私はそんな些細なことを気にしては喜んでいた。
だが、それを纏場に直接伝えることはできなかった。
纏場は……転校した。
二年になると同時、彼は隣の市にある佐倉第二中へと転校していた。
彼とはついぞ仲直りの言葉は交わせなかった。
廊下ですれ違った時、登校の時間が同じだった時、合同クラスの休み時間、話をしようと思えばいくらでもタイミングはあった。
だが、周りの目が全く気にならなかったといえば、ウソになる。
私は我が身の可愛さ余って、纏場と話しているところを見られたくなかったのである。
優佳さんを通じて、纏場の近況は少しだが知ることができた。
転校した後に聞いたのだが、なんでも二人は晴れて恋仲になったらしい。
私はそれまで教えてくれなかった、秘密にされていたことを抗議した。
本当は纏場も卒業するまで秘密する予定だったとのことだったが、転校しちゃったしエーコちゃんにだけは特別って、言われ悪い気がしなかった私はそのまま許してしまった。
二人がそうなってくれたことは、純粋に嬉しい。
お互いのことを思い合ってるのは明白だったし、あれだけの酷い目に遭った纏場にイイコトがあったのは、私にとっても救いだった。
それと……副会長はあの事件から、すごく気落ちしてしまい、しばらく学校に来れなかった。
だが冬になった頃には持ち直し、交換留学も無事果たせたそうだ。
仮にも私が好いていた男の人だ、立ち直ってくれるのは嬉しい。
だが同時に纏場をあそこまで追いやった張本人でもある。
彼もひどい目に遭ったと聞いたが、心から許すことはできそうになかった。
そしてその事件以降、彼はますますモテるようになった。
どこか憂いを帯びた表情が真に迫った、とでもいうのだろうか。
だが以前の彼のようにそれを笠に着るような態度は取らなくなった。
その謙虚さとミステリアスな雰囲気が相まって私も少なからず目を奪われた。
元々要領のいいヒトだ、あの事件をバネにきっと今も高校ではいい位置に就いているのだろう。
ああ、それと進学先は同じらしい。彼ならもっといい学校に入れただろうに。
これも彼なりの心境の変化か。
……そして私は、変われたのだろうか。
自分では全くわからない。
ただ優佳さんには「カドが取れた」って言われた。
その時期を境に――主に二年になってからなのだが、友達が何人かできた。
文化祭の一件があって、みんなは憶測だけで物を語る馬鹿ばかりだ、と思うようになった。だから私は少し”友達なんてどうでもいい”って気持ちにもなっていたんだ。
けど新しいクラスに入り最初に話したコから、笑顔で真っ正面から「友達になりましょう」と言われたら、断われないくらいには普通の中学生だった。
それでも私は一年の時に担当した生徒会が忘れられなかった。
間違いなくその翌年に担当した生徒会長、私が受け持つことになった生徒会の方が過ごした内容は濃いものだった。
獲得経験より喪失経験のほうが印象に残る……とは聞いたことがある。
二年前のあの時……言い方は悪いが”仲間はずれ”にされたことがずっと心残りになっていた。
――予鈴が鳴る、卒業式の開会五分前だった。
ここにいると教師たちに見つかってしまう、私はそのまま上の階に向かって駆け上っていく。
四階、一年生の教室が連なる廊下で少し足を止める。
二年前過ごした空間。
だがそこにある雰囲気はもう私の知っている場所じゃない。
私がそこ留まって廊下を歩き、自分が過ごした季節を懐かしんでも、過去は帰ってこない。
過去……?
私は過去に帰りたいのだろうか?
いや、違う。
私は未来に絶望していたりもしない、高校生活も楽しみ……だと思える。
ではいったいなんだというのか。
この後ろ髪を引かれるようなこの気持ちは。
……私はそのまま更に階段を上る。
屋上の扉だ、鍵は持っている。
本当はいけないことだが、元生徒会長権限を発動する。
私は鍵を回し、扉を押す。
……開かない。
あれっ?
試しにもう一度回す。
……開いた。
ということは最初から鍵が開いていたということだ。
特に考えることもなく、私はそのまま扉を開いた。
――春の陽光が網膜に焼きつく。
薄っすらと目を半開きにしながら、春の匂いを浴びながら一歩を踏み出す。
そこには、ブレザーの男子生徒がいた。
ブレザー?
夕霞中はブレザーではなく、学ランだ。
視界がはっきりするにつれ、そこにいる生徒の姿がはっきりする。
「エーコ?」
私は息を呑む。
なんで……?
「纏場……?」
そこには少し髪の伸びた……いや背もだいぶ伸びた、懐かしい姿がそこにあった。
「……久しぶり」
「うん……」
私は少しずつ纏場の方に向かって歩を進める。
同じ学年にいた時は詰められなかった距離を、少しずつ詰めていく。
私の中であの日以来言えなかった言葉がぐらぐらと泡を立て、湧き上がってくる。
……ちゃんと言わないと。
私に卒業式をサボる理由は明確になかった。
でもこの瞬間、理由ができた。
私が纏場に言えなかった理由の一つは……周りの目だった。
そしてこの場には誰もいない。
私はすうっと大きく息を吸い込む。
そして声に出した。
「纏場」
だけどそれは、私の用意していた言葉とは別物だった。
「あなたの第二ボタンを、ちょうだい!」
――――あれ?
「…………えっと?」
「……え?」
二人の間にハテナマークが浮かぶ。
「私……いまなんて言った?」
「第二ボタン、くれって」
纏場は少しひきつった笑いを見せていた。
私は自分の吐いた言葉の意味が分からず、冷や汗をかいていた。
――なんで私はいま、第二ボタンを欲しいって言ったんだ……?
纏場は少し考えてから、自分のへそ辺りにあるボタンを握り始める。
学ランと違いブレザーは胸元が開いていて、へそのあたりから二つボタン止めされるのが一般的だ。
「ま、待って……!」
私はそれを制止する。
「ほ、本当に欲しいと思ったわけじゃないの! いまのはその、えっと……宇宙からの電波が私にそう言わせた言葉で……」
意味不明だった。
「……はは、なんだそれ」
纏場は笑ってくれた。
その瞬間、私は猛烈に恥ずかしくなって顔を俯けてしまう。
「残念だけど、これはあげられないかな」
当たり前だ。
それをもらうことができるのは、彼を支えてきた、彼に優しくする権利のある人間だった。
私にその資格は、少しだって存在しない。
そもそも私はなぜ、第二ボタンが欲しいなんて言ったのだろうか。
そんなこと考えたことさえなかったし、纏場には事実恋心だって抱かなかった。
言ってしまえば、本当に宇宙からの電波を受信したくらいの理由しか思いつかなかった。
「でも、こっちのボタンならっ……!」
そういって纏場は自分の第一ボタンを外し、こちらに摘まんで渡してくる。
私はそれを無言で受け取った。
「……うちに眠ってる学ランの第二ボタンでよければあげるけど」
「……いらない、これでいい」
私は視線を斜め下に落とす、纏場の顔が見れない。
「あっちで過ごした時間の方が長くなったけど、エーコと一緒に生徒会できたこと、楽しかったよ」
「……うん」
私はいまになって、なにを怖気づいているのだろう。
このタイミングでしかないじゃないか。
纏場に謝らなくては。
あの日、私が暴走して酷いことを言ってしまったあの時のことを。
――纏場は私の横を通り過ぎた。
「あまり長くいると、先生に見つかっちゃうから帰るよ」
「……纏場!」
私は振り返らずに呼び止める。
春風が私の後ろ結びした髪を波打たせる。
――今日は卒業式。
お別れの季節だ。
だから、私は。
「……元気でね」
「……うん、エーコもな」
――扉の閉まる音が聞こえた。
私はその場に立ち尽くす。
お別れをしてしまった。
だって、仕方ないじゃない。
どうやっても過去には戻ることは、できないんだから。
「カドが取れた」私でも、未だ心の起伏が少ない人間だと自分でも思う。
だから私はなにも思わない。
感情に動かされたわけではない。
散っていく桜があまりにも綺麗だったから、涙を流した。
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