4-24 最後の質問


 優佳は優しすぎるから。

 僕がやる方法には絶対賛成してくれないって、わかっていた。


 優佳はもっとかしこい方法を見つけたかもしれない。

 でもそれじゃダメなんだ、僕は優佳の背中を支えたくて生徒会に入ったんだ。


 優佳に負担をかける方法じゃ、絶対ダメだった。


「……これで、全部だよ」


 フローリングに腰かけている僕は、軽く伸びをしながらそう告げる。


 優佳はなにも言わなかった。

 横目に姿を窺うと、ベッドに腰かけながら宙を見上げ、ひたすらに無表情であった。


 未だ雨脚は弱まらず、周囲の屋根を叩く音が優しく響いている。

 先ほど用意された二対のマグカップには、半分ほどのミルクが残ったまま。


 カップから湯気が消えるには十分な時間が経っており、いまは冷えたマグカップが二つ並んでいるだけだった。


「ミルク、暖め直す?」


「いい」


 優佳は天井に言葉を放つ。


「サトシ、はさ」


「うん?」


「わたしと、レイカ、どっちのほうが大事?」


「どっちもだ」


「ダメ、どっちか」


「どっちも」


「どっちかって、言ってるでしょ」


「優佳がなにを言おうと、どっちかなんて、ないよ。僕はどっちも、って答えに納得してくれるまで、言い続ける」


「……勝手だね。サトシは」


「優佳ほどじゃないって」


 ドサッと倒れる音が聞こえる。

 ベッドに腰かけた優佳が、天井を見上げたまま寝転がっていた。


「昔っからそうだった、全然わたしの言うことなんか聞いてくれなくて。いっつも振り回されてばっかり」


「それは優佳の言うことに無理があったんじゃない?」


「そんなことありません、茶化さないで」


「ごめん」


 ふう、と一息ついて優佳は言葉を続ける。


「でもね、それでもサトシがサトシなりに考えて、やってくれていたのはわかっているつもり。……だから、本当は、全っ然! 認めたくないけど! ……サトシの選んだ方法、認めたいって思う」


 僕は驚き、振り返って寝転がっている優佳を見る。


「だって、わたしの大事な妹を護ってくれた。きっとそこまで考えてくれるのはサトシだけだった」


 優佳にとって、家族はなによりも大切な存在だ。

 それはなぜ大切か、とかの問題ではない。


 決して理由付けする必要はない、家族であるから大切なんだ。

 世間では家族の関係は希薄になったとか色々言われているが、みんながみんなそうではない。


 理由抜きに優佳は自分の両親、そして決して血縁ではなくとも、

生きることを共に過ごしてきた妹の存在は、理由抜きに掛け替えのない存在だった。


「サトシはちゃんとそれをわかってくれてた。だからね、そうまでしてレイカのことを助けてくれたサトシのことを認めない、なんてわたしには出来ない」


 優佳はそのままスッと起き上がり、床下でベッドを背にする僕の頭を両足で挟みこみ、前を向かせて肩車のような格好で、僕の頭を掴み、撫で始めた。


 僕は優佳のなすがままにされた。


 右手が僕の頭を撫で、左手が頬を摩る。

 目をやや横に向けると、足首まで覆ったダボダボの鼠色のスウェットから、小さい裸足を覗かせている。


 あまり成長の無い、子供っぽくて綺麗な裸足だった。

 僕はからかってやろうと、その足をくすぐってやろうとし――止める。


 そんな触れ合いは、終わりにしなければいけない。


「優佳」


 僕はそんな優しい手を振りほどき、ベッドを対面に向き直る。


「優佳、分かってくれてありがとう。……そして……ごめん」


 優佳は唐突に告げる、謝罪の意味を、正確に受け取った。


「……理由を聞いてもいい?」


 その目には悲しみの色が拡がっている。

 ――当然だ、僕は優佳の告白を断ったのだから。


「わかるだろ?」


「わかんないよ……」


 優佳は力無く、だけど責める意思を込めて、僕の言葉を促す。


「……優佳は生徒会長なんだ。もう僕とは一緒に、いられない」


 僕は生徒会予算を横領しようとした犯人だ。

 それは学校内で解決したこと、とされているが、人の噂を止めることはできない。


 優佳と僕が一緒にいるようなことになれば、噂はどんどん加速するだろう。


 僕だけが責められるならばそれでいい、けど優佳は違う。

 生徒の代表となる、みんなを導く存在なんだ。


「僕と一緒にいることで、優佳にも悪い噂が立つ」


「そんなの関係ない、どうでもいい」


「関係ある、優佳は生徒みんなの代表なんだ。そして優佳もその仕事を大事に思ってる、それも知ってる」


「もちろん大事だよ!? わたしはみんな幸せになれる学校にしたい! でもサトシのことも大事! わたしは生徒会長である前に、サトシを好きな一人の女だもん!」


「……っ」


 優佳の叩きつける様な、激しい感情に、甘えてしまいそうになる。


「でも僕は、優佳の横で、みんなに胸を張って『彼氏です』ってと言えるような人では、いられないんだ」


「そんなことしなくたっていいじゃない……」


「ダメだろ……そんなんじゃいつか優佳が言ってた、みんなに自慢できるような家族、にはなれないじゃないか」


「なんで、そうやって……人の揚げ足ばっかり取るのよぉ……?」


 優佳が、涙声になり、そのまま……泣いてしまう。


 僕は、その涙を拭いてやることはできなかった。

 それは僕がしてはいけないことだった。


 じゃあ、誰がやるんだ……?


 いつか優佳の隣に、僕の知らない男が居て、その男が優佳の涙を拭うのか?

 その想像がよぎった時、僕の心臓は潰れそうになる。


「……ひとつだけ、こたえて」


 ベッドに腰かけた、涙声が僕に問う。

 先日から、問われることのなかった、一番聞きたかったはずの問い。


「わたしのことは…………好きですか?」



 ――物心ついた時から、一緒だった。

 お姉ちゃん面してるけど、どこか抜けた女の子。


 僕がいじめられている時に助けてくれて、でもその後に転んで大泣きし、優佳をおぶって帰ったこと。


 遊園地に行った時、お化け屋敷に入りたくないって駄々こねて、レイカと両親たちが入る中、僕らはベンチで待ち続けた時、ありがとうって言ってくれた時のこと。


 両親が初めて出張に行った時、寂しくて眠れなかった時に、一緒に寝ようって言ってくれたこと。


 優佳やレイカと仲良くしていることをクラスメートにからかわれた時、恥ずかしくて、冷たくしてしまって、泣かせてしまった時のこと。


 両親が遅い時は夕飯を作ってくれて、お姉さんぶって作り方を教えてくれたこと。


 学校で飼っていたウサギが死んでしまって、落ち込んだ優佳を励まそうと作った、茶碗蒸しを泣きながら食べてくれた時のこと。


 遠ざかっていくレイカを気にして毎日相談しに来たこと、復縁する方法を提案出来ず自分の無力を呪ったこと、優佳を助けたいと思ったこと。


 優佳が僕に「家族」と口にするたび、寂しいと思った時のこと。


 生徒会室で優佳を人質にした一岳に、今までにない怒りを感じたこと。


 優しすぎて、甘やかしすぎるからこそ、相談出来なくて歯噛みした。


 頭を撫でてくれて、頬に触れてくれた時、たまらなく嬉しい気持ちになった。


 迷惑を掛けたくないけど、そう思うたびに気持ちが破裂しそうになる。


 暖かくて手にすっぽり収まる小さい存在。


 だけど心の中ではこんなにも存在を主張してやまない、うるさいくらいに大きい存在。


 悔しい気持ちが溢れる君に触れたい髪を撫でたい――



「好きだ」



 ――その時、張っていた水が零れだした。


「優佳のことが好きだ、愛してる。もう、なんで、こんなにってくらい、好きだ。

本当は優佳と一緒にいたい。僕が優佳を泣かせたのだって自分自身を許せないくらい腹が立つ、飛び降りて殺してしまいたいくらい」


 一度口を開いたのが契機だった。

 振り続けた雨が、押し留めていた想いの洪水が、溢れ出す。


「僕は本当はレイカとか、二階堂が留学するとか、そんなことどうでもいいんだ、ただただ優佳と一緒にいたい、キスだってしたい、いますぐ抱き締めたい。

それくらい僕はもうどうしようもない、気持ち悪いと思われたっていい。今更そんなことって言われてもいい、馬鹿でいい、意味がなくったっていい。

優佳が悪いんだぞこんなこと言いたくなかったのに黙っておきたかったのに僕に思い出なんか作らせた優佳が悪い、そうだ全部優佳が……っ」



 優佳が唇を押し付けてきていた。


 僕は拒む、どころか髪を乱暴に掴み、それを引き寄せる。


 優佳が息継ぎをしようと少し唇を離したが、それが許さず追って僕の息を注ぎ込む。


 優佳は少し苦しそうな声をあげたが、けれど僕を受け入れるように、呼吸を諦め、ただ唇を重ねる行為に没頭する。


「「……っはぁ」」


 二人同時に唇を離す。


 唇を離すも優佳は顔を離すことだけは許さず、今度は優佳が強い力で僕の顔を押さえつける。


 今までにない距離――こんなにもずっと眺めてきた顔なのに、全然飽きることがない、可愛らしい姿。


「やっと、つかまえた……っ」 


 優佳は続け様に、僕に唇を押し付ける。


 僕はもう一切抵抗が出来ない。


 ギリギリのところで押さえ続けた理性、だがそんなものは想いの奔流に呑まれてしまえば紙一枚の薄さ。


 決意とか、建前とか、約束とか、そんなものただの飾りでしかなかった。


 そこにいる、いてくれる、想いをぶつけてくれる、受け容れてくれる存在の前には、なんの意味もなさなかった。


「……絶対、後悔するぞ」


「するわけない。ううん、しない。生徒会長だってもうどうだっていい、サトシを悪く言うような学校なんて無くなればいい」


「生徒会長、失格だ」


「今はそんな話……っ」


 僕達はその時、想いを一つにした。

 生きてきたこれまでの積み重ねで、今が一番高いところにいる。


 感じたことのない激しい想い、自分の事なのに自分だと思えない。


 自分と相手の境目さえ曖昧だった。

 この感情が自分の物なのか、相手にくべられたものなのかも分からなかった。


 今はこの愛しい存在と共にある事だけが、僕の存在する意味だった。

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