4-23 ケジメ
僕と二階堂は牛木兄に連れられて、アパートの一室に来た。
八畳一間のワンルームで、ベッドといくつかの着替えがハンガーにかけられているだけ。それ以外はテレビも冷蔵庫もない、寝るためだけにあるような部屋だった。
そして漂うのは汗の匂いと、生臭いなにかのニオイ。ベッドには金髪で眉の薄い半裸の女が眠っていた。
なんともひどいところではあったが、正直ヤクザの事務所みたいなところを想像していたので、この結果は僕たちをいくらか安心させた。
一岳のお兄さん、もとい牛木巌は冷蔵庫から缶コーラを三つ取り出し、それらをローテーブルに置き「お前らも座れ」と勧めてきた。
僕らはおずおずと従い「いただきます……」と、巌の言いなりになる形で、プルタブを開けた。
そのとき飲んだコーラは人生の中で一番美味かった。
ここに連れて来られるまでの間、どうなるのか不安で喉がカラカラに干上がっていたのだから。
二階堂も同じだったのだろう。
彼らしからぬ、がっつくような男らしい飲みっぷりだった。
ちらっとベッドの方に目を向けると、女と目が合ったがすぐに逸らされた。
巌は少しだけコーラを口に運ぶと、すぐさま本題に入った。
「ウチの弟が迷惑をかけた。すまなかったな」
「「……」」
先ほどもそうだったが、僕らには謝られる理由は分からない。
謝られて当然のことはされたとは思うが、一岳が連れてきたのが「牛木ファミリー」なら、そのボスである巌が謝る理由がないのだ。
むしろやられた報復としてその倍返しにでもされることが恐ろしかった。
その僕らの怪訝に思う顔色を察したのか、巌は後に続けてこう言った。
「今回のことは金に目が眩んだ一岳が独断でやったことだ。協力したメンツと一緒に金を山分けするって話で、勝手にウチのメンツに声をかけやがった。オレが命じたわけじゃない、だからオレが止めに入った……こう言えばわかるか?」
地鳴りするようなドスの利いた低い声で、巌はそう説明した。
「……では、今後のことというのは?」
二階堂が話の展開に光明を見出したのか、急かすように巌へ問いかける。
「学校には金も直接持っていかせる、夕霞の先公にはオレも世話になった。不義理を働くのはオレのやり方じゃねぇし、それを勝手にやった一岳も許せねぇ」
僕は不安が霧散していくのを感じた。
この兄は見かけとは裏腹に、できた人間のようだった。
自分の弟の暴走を自ら止めに入り、そして学校に謝罪までさせると言っている。
想像し得る限り、最高の展開ではないだろうか。
しかしそれを聞いている二階堂は顔を俯かせ、拳を握り締めていた。
「だが今回ヤバイのは金を盗んだことじゃない、あいつがタバコで倉庫を燃やしちまったことだ」
それを聞いて僕はハッとする。
「金の件はサツの耳にまで入ってない、それに学校も大事にしたくないはずだ。金をもって謝りに行けば停学食らっても義務教育だ、学校も口に蓋をするだろう。だが火はマズイ、通報もされてる」
そうだ。今回は繋がった一つの事件ではあるが、問題は二つある。
一つは倉庫火災の件で、二つ目が生徒会予算の盗難事件だ。
「一岳はどうしようもなくバカな奴だ、その辺の判断もつかなかった。だがあんなバカなやつでも一応オレの弟だ、警察の世話にはさせたくねえ」
「すると、火事の件はどうするんですか?」
僕はおずおずと巌に訊ねる。
「だから火事の件はお前ら全力でシラを切れ、なにが聞かれても知らないと言い張るんだ。警察の捜査だ、網に掛かったら芋づる式に一岳のとこまでたどり着く。それだけはマズイ。だからいま言ったことが守れるんなら、お前らには今後一切関わらん」
迷いのない口調で、ぴしゃりと言い切る。
「夕霞の生徒会も同じだ、会長にもなんの恨みねぇし、メガネが実行犯だってのもバラさねぇ」
それは願ってもみない条件だった、だって僕らにはなんらデメリットが伴わない。すべての問題が解決してしまった、と言ってもいい。
だけど、なんだろう。
ここまで良条件を提示してくれているにもかかわらず、胸の内から無くならない不安感は。
ずっと俯いていた二階堂が、顔を上げ口を開いた。
「ですが牛木さん……今回の件で予算を実際に持ち出したのは自分です。せめて謝罪には僕も一緒に行かせて下さい」
すると巌は急に眼をぎょろっと見開き、二階堂を舐め回すように見た後。
「ほう、そんなことしてお前の何になる」
「それは……俺が、納得出来ないからです。」
二階堂は唇を噛み締め、声を震わせる。
「俺は……人に脅されてたとは言え、纏場に罪を擦り付けてしまった、その事実は無くならない。俺が罪を被らなくていいということですが、それでは俺が納得いかないんです。確かに牛木さんの提案を受け入れれば俺は無実だ、誰にも責められることはない」
黙って、二階堂の言葉に耳を傾ける。
「だけど、それでは俺が俺でいられなくなる! 自分のしたことはいつだって自信を持ってここまで生きて来たんです! 俺が纏場に対してしたことは無くならない、罪は消えることがない! だったら俺は自分に罰を与えなければ俺が俺を許せない。一生、俺自身に自信を持つことが出来ないっ!」
二階堂はそう捲し立て言葉が切れたのと同時に、緊張の糸が切れたのか眼鏡を外し、自分の顔を拭い始めた。
「はっはっは!! クソプライド高ぇな、お前? 別にそんだったら構わねぇよ? 別にそれをしたことで一岳に不利は無いからな」
「はは……はい、自分でもそう思います」
二階堂は涙を拭いながら、自分の決めたことの愚かさに、笑いさえ漏らしている。
「副会長いいんですか? そんなことをしたら推薦の話とか、交換留学に響くんじゃ……」
「ああ、いいんだ。こうしなければ二階堂傑は死んだも同じだ。纏場、本当にすまなかった。許してもらえないかもしれないが謝らせてくれ」
そう言うと二階堂はそのまま僕に向き直り、土下座をして僕に許しを乞う。
「やっ、やめてください、副会長」
「……許してくれるか?」
「許す! 許しますよ! だからお願いですから……」
「はは……纏場はそう、すぐ決めるからダメなんだ……上の人間の失敗は許さず、出来るだけ弱みとして握っておけ」
そういって頭を上げた二階堂は涙に汚れていたが、自分に自信を失っていない、いつもの尊大で、キザで、僕の嫌いな、いつもの顔に戻っていた。
「ハッ、お前も中々男じゃねぇか。転がってる野郎だったらウチのファミリーに加えたいくらいだ。頭が切れる奴もなかなかいねぇしな」
巌はそう言って鼻を鳴らし、ベッドに横になっていた女の人が「クッサ」と笑い交じりに呟いた。
部屋の中に、弛緩した空気が漂い始める。
……もう、これで過ぎ去ったのだろうか、嵐のような日々は。
僕にかかった容疑は晴れ、二階堂・一岳は自分の罪を裁かれる。
本来は火事の件も頭を下げるべきだろうが、足がつかないのであれば沈黙を貫いたほうが利口なのかもしれない。
「オレの話は終わりだ、用が済んだんならさっさと帰れ。あとメガネ、朝一で金を持ってここに来い。一岳を呼ぶから一緒に金を持って頭を下げて来るんだ」
「はい、わかりました」
……場は既に収束しつつある。
今更、なにを心配することがあるのだろう。
もうなにも憂うことは、無いというのに。
「纏場、行こう。あとは俺たちがケジメをつける」
「えっと、その」
僕は部屋を後にしようとする二階堂に……続けない。
「なにをしてるんだ、纏場」
どうしても不安が消えない。
「あのっ、お兄さん!」
「なんだ」
巌は面倒くさそうな声を出す。
「……」
「なんだよ、言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
僕は不安を言葉にできず、二の句が継げない。
「纏場、どうしたんだ?」
「……えっと」
頭をフル回転させ、この不安がどこから来るものなのか考える。
そうして僕は、一つの心当たり、ここに出てこなかった登場人物の名前を出す。
「……イェンファは、どうなりますか」
僕は対外的に幼馴染を紹介する時の名前で、彼女の名を出した。
もう一人の登場人物。
それは僕たちのこの事件とは直接は関係ない、一人の女生徒。
優佳の危険を察知し、間抜けな僕達を助けてくれたヒーロー。
緩んでいた場に沈黙が訪れる。
どこからか隙間風が入り込み、部屋の中にカタカタという音が響き渡る。
「……イェンファってのは、誰の名前だ?」
腹に響く声で巌が問い返す。
「生徒会室で一岳が相対した女生徒の名前です」
「……そうか、あいつの名前はイェンファって言うのかぁ!」
巌の目がまたギョロリと見開く。
そこにはいままで鳴りを潜めていた、怒りの感情が浮かんでいた。
「あいつぁ、駄目だ。潰す」
巌はそう言い捨てた。
「なぜ、ですか?」
「ふん、当たり前だ。元々このあたり一帯はオレんとこのグループで固まってんだ。それが最近よく割れるようになってな?」
そう言うとポケットから煙草を取り出し、ベッドにいた半裸の女がライターを差しだし、煙を吹かし始めた。
巌は肺いっぱいに煙を吸い込んだ後、鬱屈を吐き出すように紫煙を吐き出し、訥々と語り出す。
「このあたりでツルむ奴らは大体オレに挨拶をしに来る、ちょっとワルをしようとする連中、イキってる連中、そんな奴らを取り込んでんのがオレんとこの集まりだ。だが最近はそんな事しねぇ変なグループができた。別に奴らはワルじゃねぇ、どっちかって言うとイイトコの坊主達だ、どっかで勝手に固まって、適当に遊んで、自由に解散しやがる。別にそんならそれで構わねぇが、オレんとこの集まりに影響が出始めた。わざわざオレの下でヘコヘコしながらワルぶってんのが馬鹿らしくなったんじゃねぇかな。だがここらの連中はオレが管理している、そいつらが散らばると困んだよ」
「……それの、なにが困るんだ?」
僕の敵意を隠さない声に、二階堂と女が戦々恐々とする。
そんな僕の視線を、巌は虫を見るような視線を返し、鼻で嗤った。
「あんまガキにこういう話をしてもしょうがねぇがな、オレは行き場の無くしたワル共に仕事を紹介し、紹介先から金をもらっている。後々、カイシャにするつもりだ。奴らを取り込もうと声をかけたことはあるが、誰かが仕切ってるとかそんなんじゃねぇって聞く。だからこそオレはやりづらかった、アタマがいるんなら話をつけるなり、ヤリ合うなりして言うことを聞かせりゃいい」
巌はそこでニヤリと笑って見せる。
「だが……今回、奴らは一人の目的のために集った。あのイェンファって女のやる事に協力し、あいつはその先陣を切った。あの瞬間、奴らの代表はあの女になった。後々、あいつはグループの中心になるだろう、そうなったらこの地域のグループは二分される。だからそうなる前に潰す、見せしめだ。イイトコの坊主たちはビビって散り散りになり、割れてった奴らはオレの傘下に戻るだろう。それにウチの連中をノしてくれた借りも返せるしなぁ?」
そう不敵に笑い、巌はこれから起こすことを口にした。
「それだけは、やめてくれ」
すかさず僕は反意を示した。
なにが面白かったのか、巌はそれを見て高笑いし始めた。
「ハァッハ!? お前みたいな、クソガキになにができる?」
テーブル越しに巌は僕の髪を引っ掴み、眼前スレスレまで顔を近づけ、唾を飛ばしながら大声を上げる。
「お前みたいなヒョロヒョロがどうするってんだぁ!? 単身でウチんトコの連中をノして見せんのか? それとも金でも詰んでくれんのか? なんとか言えよ、オイ!」
大声にトラウマでもあるのだろうか。後ろで女が小さく叫びを上げ、耳を塞いで布団に隠れて震え上がる。
二階堂は場の雰囲気に圧され、制止しようとするが怖気づいてしまっている。
髪を引かれた頭が痛い。
今日は散々だ……こんなに暴力振るわれた日なんてないんじゃないだろうか?
そうだ、あるとしたら小五の時にクラスメートと取っ組み合いのケンカした時くらいなもんだ。あの時は優佳が仲裁に入ったんだっけか、ケンカの理由も優佳が原因だった気がするが、あまり覚えてない。
それとその前にはレイカをいじめようとする男子たちとケンカしたこともあった。いまでこそ気丈な女の子になったが、優佳や僕の背中に隠れてる頃のレイカは虫一つ殺せないような大人しい女の子だった。
あの時は確か、僕がお兄ちゃんだからって意地になってレイカを守ろうとしてたんだっけ?
……というか僕は「なんとか言えよ」って言われてんのに、黙って幼少時代を懐かしんでる場合なのか?
でも、そのおかげでシンプルに自分のすべきことに気付いた、というかなんというか。借りを返すんなら、ここぞという場面もないよなぁ、って。
だから、頭を使え。
ここの言い合いに負けたらレイカを守ることができなくなる。
泥水を啜るような条件でもいい、レイカが暴力に晒されるのは「最悪」とし、それ以下にはならないギリギリの条件を考えるんだ。
緊張し、息が上がり、血液の循環を感じる。
――人間は緊張すると頭が真っ白になって力が出せない、とは言うが本来は逆。
緊張すると血液の巡りが良くなり細胞が活発になる。
それは戦の時に死を恐れ、より良い結果を導こうとする人間の本能だ。
そして緊張を味方につけられなかった先祖であれば既に死に絶えているのだ。
僕がこの場にいて、いま緊張しているのは、この戦に勝つため。
この緊張を、集中を、味方につけて勝たなければならない。
「一岳」
「あん?」
「一岳の罪を僕が請け負います、だからレイカのことは見逃してください」
「別にそんなこと頼んでねぇよ、っていうかレイカって誰だよ? イェンファじゃなかったのか?」
「どっちも同じようなもんだよ」
僕の頭はいまこの場に勝利することだけに向けられている、余計な気遣いや呼びかたなんて気を回していられない。
そんな不遜な僕の態度に、巌が舌打ちをする。
「お前が一岳の代わりに頭下げてどうなるってんだ」
「当然、一岳は無実になります」
「だから! それがオレにとってナンのメリットを生み出すのか聞いてんだよ!」
「メリットではないです、お兄さんのデメリットを完全に取り払うための話です。僕はそれと同時に、火事を起こしたのは自分だと出頭します」
それを聞き、巌が息を呑む。
「そうすれば一岳の罪は無くなり、安心して日々の生活を過ごせるでしょうね。お兄さんも自分の弟にもし犯罪者の烙印が押されたら、会社がやりづらくなるでしょう」
このご時世、周りに迷惑が掛からなくても、家族の不祥事やスキャンダルなんかで簡単に信用を失ったり、立場を追われたりする、生きにくい世界だ。
一岳も僕も中学一年、少年法によって犯罪歴がつくことはない。だが、巌本人としては都合が悪い。
将来に会社を建てるというのなら、近隣の住民に”社長の息子は中学校の火事を起こした”なんて噂は致命的だからだ。
ましてや地域の会社に仕事を紹介するのであれば、誰もその会社に頼るものはいなくなるだろう。
「おい纏場、それは……!」
二階堂が僕の肩に手をかけ制止しようとする、がそれより先に、
「ふざけんな、それはダメだ」
巌本人から、ストップがかかった。
「お前、本当に馬鹿なのか? それとも分かっててオレに脅しをかけてるのか?」
……やはりこの男、ただのケンカ早い脳筋ではない。
僕が本当に言いたいことに気が付いたようだった。
「お前が出頭したとこでどうなる? お前はタバコを吸ってんのか? 吸ってねぇだろ、証拠がない。むしろアリバイすらあるかもしれない、するとお前は虚偽の自白ということになる」
僕は心の中で、お見事という他なかった。
「んなことされたら、警察の網にかかったも同じだろ、一岳にまでたどり着くリスクは、逆に上がる」
そう……僕は、暗に火事の件をバラすと脅しているだけなのだ。
それに火事の時には、僕はエーコと生徒会室で作業&お茶会をしていて、木南先輩に呼び出されて現場に行っている。
「僕が、自白したと言い張ります。それで通します」
「だからそれを止めろって言ってんだろうが!」
「じゃぁせめて僕が盗難の罪を着ることだけ被ります、それでレイカのことは見逃してください」
「……舐めんのも大概にしろよ?」
そう言い、荒くなった呼吸を収めるため巌は二本目に火をくべる。
「そもそもだな、オレがイェンファ? レイカ? を潰してぇのは、メンツが理由だ。ウチがそんな訳の分からん徒党のグループにノされたって事実が気に食わねぇんだよ」
「それを見逃してください、というお願いです。そのために一岳の罪は被ります」
「……埒が明かねぇな」
巌は僕に向かって勢いよく煙を吹きかけると、苛立たしげに貧乏ゆすりを始める。
「……纏場、勝手に話を進めないでくれるか」
その時、横から二階堂が口を挟んだ。
「お前のいま言った役割は俺がやる。お前がやる必要はない」
「駄目です」
「纏場がそれをする理由がない、それは俺の負う罪だ」
「それはいま関係ありません」
「関係ない? どういう意味だ?」
「僕が自分のお願いを聞いてもらう交換条件として、牛木さんにお願いしているんです。邪魔しないでください」
「冗談じゃない。これ以上、俺に恥の上塗りをしろというのか」
「はは、なに言ってるんですか。そうに決まってるじゃないですか」
「纏場……」
「副会長、さっき自分で言ったこと忘れたんですか?」
「なんだ……俺がなにを言ったって言うんだよ!」
『上の人間の失敗は許さず、出来るだけ弱みとして握っておけ』
「っ!?」
「この罪は副会長には譲りません。無理に被ろうとしたら、僕はあなたを許さない」
「……」
「それに副会長にはその役職たる仕事があるじゃないですか。おまけに交換留学生として夕霞中の代表を任されてます」
「自分を許すことの出来ない俺には、そんな事出来ない! 海外になんていけない! そこに行けるのは自分に自信を持った俺じゃないと行けないんだ!」
「だから言ってるじゃないですか。僕、副会長を許すの、やめました。罰ゲームです、自信のない自分をもって海外留学をしてきてください」
「……なんだって?」
「どうやら、そうしたら僕はようやく副会長を許すことができそうです。それに大人になるって、そういうことみたいじゃないですか? よくわからないけど。腹に一物を抱えながら、笑顔を取り繕って、綺麗事を並べる、副会長できそうじゃないですか」
「ふざ、けるなよ……」
「ふざけてないですよ、幸い僕が罪を請け負っても失うものは無いです。少なくとも、副会長よりは」
「会長は、どうなる」
「……」
「失うものが、ないわけないだろ? 纏場がその罪を被ることで、あの人は酷く悲しむことになるんじゃないのか?」
「……こっちのことは、こっちで解決します」
「都合のいいことだけ、はぐらかすな!」
「人に罪を着せておいた奴にそんなこと言われたくない」
「っ!?」
「言ったでしょう? 副会長は僕に許されたいんですよね? でしたら僕の言うことに従ってください、でなければ僕は一生副会長を許しません」
「……くそぉっ!」
二階堂は膝を折り、その条件を……受け容れた。
悔しがるのも無理はない。
二階堂は罪を抱える自分を受け入れられず、僕に罪を告白したのだ。
自分の抱える十字架の重さに耐えられず、罰してくれることを求めた。
けれども自分に与えられる罰は、罪に対する罰ではなく、ただ僕に許されるためだけの罰なのだ。
つまりは公に罰してもらうことの機会を失ったことを意味する。
それはルールを貴び、それを人に敷いてきた人間にとって屈辱そのものだろう。
そうして行き場を失った『罪』を使って、僕は守りたいものを守るために、利用する。失われるものが、一番少ない方法で。
「ふん……とんだ自己犠牲の精神だな」
横槍に決着がついたところで巌が改めて僕に向き直る。
「概ね、お前の言いたいことは分かった。だが最後に聞かせろ、なぜお前はそこまでしてあの女を庇う?」
――何故だろう、僕は確かに不思議に思った。
「そいつはお前にそこまでさせるほど価値のある人間なのか?」
縁藤レイカ。
僕が初めて恋心を抱き、守りたいと思った人物。
理由はそれだけでも十分なのかもしれない。
でもそれだけの理由で、僕がここまでする理由があるのだろうか?
「惚れてんのか?」
その言葉に僕はなんと返せばいいのだろう。
イエスと言ってしまっていいのだろうか。
だが、それは違う気がした。
僕はレイカを好きだなんて言葉にしたことがない。
いまこの場で言葉にしてしまったら、それは現実になるんじゃないだろうか。
その思いは僕の胸の内に仕舞っておけば、事実として世の中に生み出されないものだ。
生み出してしまったら……僕はどうなるのだろう。
レイカに対する想いが溢れるのだろうか。
以前はレイカのことが心に去来するたびに、胸が痛んだ。
けれども、今はそのことを考えても胸は痛まない。
つまりは、そういうことなんだ、と思った。
「いえ……」
だから僕はこう応えた。
「――惚れてる女を守ってくれたから。それが理由です」
巌は発言の真意を覗き込むべく、僕の瞳を覗き込む。
代わりに僕は彼の視線の奥を覗く。
僕はその中にある世界を見て、巌がこの場限りの嘘をつく人間ではないことだけは、掬い上げることができた。
「――上等だ」
巌はそう言い、肩の力を抜いた。
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