4-22 ホットミルク
風呂場からシャワーの音が鳴り響く。
ひとまず風邪を引かないよう、濡れネズミになった優佳には、お風呂で暖を取ってもらうことにした。
ただ優佳の着替えがないから僕が取りに行こうとしたが「……エッチ。堂々と女の子二人の家に忍び込もうとしないでよ。昔、お泊りさせてもらった時のスウェット貸してくれれば、それでいいから」
と、やんわり断られた。
おいおい、それじゃぁ優佳ノーパンじゃん、あと昔のスウェットでいいって、成長してないことを認めることになるけど?
……などとツッコみたくなったが、いまの空気感でイジったりなんかしたら、ロクなことにならなさそうなんで止めておいた。
さっきみたいな地雷が眠ってないとは限らないし……
あ、もちろんだけどお泊りなんて言ったけど、もちろん深い意味など無く、両親がまだちゃんと家にいた頃に、お互いの家に遊びに行っただけの話だからね?
ガチャリとお風呂場のドアが開く音がし、衣擦れの音が微かに聞こえる。そして今更ながらに優佳が、扉一枚隔てた脱衣所で着替えていることに気付いた。
なんていうか、同年代の女の子がそこで裸でいるって想像すると、少しドキドキする。それは優佳だっていうことはわかってるんだけど、昔と違って優佳だから気にしない、ではなく優佳だから気にしてしまっている。
その変化はいつもであれば見逃す程度の気持ちの変化だったが、いま優佳に抱いている気持ちを真正面から見つめてしまうと、その理由には自分でも合点がいってしまった。
そう、こんな気持ちになってしまうのは僕が……
「ちょっとサトシ! なんなの、このドライヤー!? 風と一緒にホコリがいっぱい出てくるんだけど~!」
隔てていた脱衣所の扉が開き、グレーのスウェット姿に身を包んだ、爆発頭の優佳がドライヤーを片手に叫んでいた。
「ああ、僕はいっつも髪乾かさないからね。そのドライヤーお母さんくらいしか使わないし……出張行ったの三ヶ月前だから、それから一回も使ってないかな?」
「もうっ! だったらひとこと言ってよ~! 髪にホコリがたくさん付いて……って、サトシもドライヤーくらいしなきゃダメでしょう!? 頭冷やしたらすぐ風邪引いちゃうんだから!」
「子ども扱いすんなって! すぐ風邪ひくのは優佳だろ? さっきも雨の中一人でずんずん歩いて行って! それで風邪になったらどうするつもりなんだ!」
「そんなのサトシには関係ないでしょ! わたしのことなんてどうでもいい癖に!」
「どうでもいいわけないだろ! 優佳が風邪引いたら僕が看病しなきゃいけないんだから! レイカがいたっては看病なんてできないし、そしたらまた僕が泊まり込みの看病だ!」
「……っ、うるさい、うるさい! そんなことより玄関もだけど、お風呂場汚しすぎ! いつまで経ってもち~っとも大人になれないんだから! 今度お姉ちゃんが掃除してあげます!」
「余計なお世話だよ!」
「いいえ、ダメです~! ほら……洗面所もこんなにぐちゃぐちゃだし、って……
カップ麺の容器ばかりじゃない! 少し家に来ないと、す~ぐだらしない生活を送るんだから!」
「なにを食べようと僕の勝手だろ!? 優佳には関係ない!」
「あるに決まってるじゃない! だってサトシはわたしの……」
「……」
……黙るなよ。
「……っ、とにかく! こんな生活を続けるようだったら、またわたしが料理を作りに来るっ!それがいいでしょ? カレーすら作れないサトシ君?」
「肉じゃがとヒジキの煮物が出来れば十分じゃないか」
「なんでそんな凝った和食が作れるのに、カレーみたいな簡単なものが作れないのよ!おかしいでしょ!?」
「好きこそものの上手なれ、って言うだろ!? それに教えてくれたのは優佳じゃないか!」
「えっ……?」
「……あれ?」
まさか。
また、地雷でも、踏んじゃったか?
「……覚えててくれたんだ、わたしが作り方教えたの」
「……当たり前だよ。僕の料理の先生は、優佳だけだし」
優佳は急に目元を落とし、その場でくるりと回って背中を向けた。
「うれし……」
優佳は絞り出すような小さな声で、そう囁いた。
そしてしばらく二人とも黙り込み、雨が屋根を叩く音を聞く。
「でも……サトシのこと、よくわかんなくなっちゃった」
「それは、ごめん」
「サトシ悪いこと、してないんでしょ?」
「……してない」
正直に、言う。
「ほら。全然意味わかんない」
「……」
「サトシ、これからすっごく学校に居辛くなったんだからね」
「わかってる」
「わかってないよ」
優佳の眼はようやく僕と視線を交わすことを許してくれる。
ただ眼の奥には譲歩の余地もない、青白く冷静な怒りの炎が見て取れた。
「もう、サトシが犯人だっていう噂は広まってる。それは真実として。人の口に戸は立てられない。表面上隠そうとしたって、なんの意味もない」
「隠すつもりは、ないから」
「っ! だから、なんなのよ、それ!」
優佳の痛切な声。
「わたしはサトシが好きなの! だからサトシのことを悪者にしたサトシが許せない! そしてわたしの好きなサトシは、そんな風に人を悪者になんてする人じゃなかった!」
優しい言葉が胸に突き刺さる。
「なんでわたしに相談してくれなかったの!? 信じてくれなかったの? わたし、サトシにそこまで信用されてなかったの?」
そうじゃないんだ。
そんな優佳だから話せなかった。
「わたしはサトシが悪者にされそうだから全力で味方した! でもサトシはそんな私を違うって振り切って、わたしの好きな人を悪く言った! それが本当にイヤなの! 信じられないの、信じたくないの!」
そう、優佳は全力で僕の味方をしてくれるだろう、守ってくれるだろう。
「サトシが悪いことなんて出来るわけないんだもん、わたしは知ってる。これだけは間違えないもん、サトシのことだけは、ぜったいに間違えない!」
だからこそ、ダメだった。
そんな僕を甘やかす優佳だけには。
「優佳」
「なによぉ!」
「ありがとう」
「……いま、わたしが聞きたいのは、そんな言葉じゃない」
優佳はそう言うと、力なく僕のベッドに腰かけた。
「話して、くれるんだよね」
「うん」
「大したことない理由だったら、許さないんだから」
優佳はそう言うと、ベッドの毛布で体を包み始めた。
「ホットミルクと緑茶、どっちがいい?」
「……ミルク」
僕は二人分のマグカップを戸棚から取り出す。
幼い頃、縁藤のおじさんに買ってもらった三対のマグカップだ。
優佳はそれをわざと僕の部屋に置いて行った。
そして僕の家に遊びに来るたびに、そのマグカップでジュースを飲んでいった。
縁藤の家にも、別の三対のマグカップがある。
幼い頃から常に三人は一緒だった。
冷蔵庫からパック牛乳を取り出して、青と緑に縁取りされたカップに注いでレンジにかける。
レンジにかけている間、僕も優佳も無言だった。
外は未だに激しく雨が降り続いているようだ。
窓の方に目をやるとベランダへ続く窓は白く結露し、幾つかが水玉になり下へと跡を作っていた。
先のことはまだ分からない。
これから話すことが優佳に受け入れてもらえるか分からない。
でも、それとは別に優佳には聞いて欲しかった。
許してもらえる、もらえないではなく、ちゃんと知って欲しかった。
それは僕という人間を知って欲しいっていう、とても原始的な感情。
チーン、という間の抜けた音が響き渡り、僕は二人分のホットミルクを机に載せ……そのまま隣に座ろうか逡巡したが、結局床に座ってベッド脇を背に預けた。
優佳は隣に座らない僕に色々な感情を含めて一言「……むかつく」とだけ言った。
「隣に座ったら座ったで、きっとお尻一つ分開けるくせに」
「わたし、そんなことしないもん」
「……どーだか」
僕と優佳はほぼ同時マグカップを取り一口つけた。
それが頃合いと見て僕は、牛木兄と話した”今後のこと”について話し始める。
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