4-3 足りない影


「ほんっとムカつくなぁ、二階堂の奴」


「こ~らサトシ! 副会長のことを悪く言わないの!」


 西の空に頭を半分隠した太陽から、名残の焼ける赤が藍に変わる、そんな時刻。


「あんな風に言われてムカつかないほうがおかしいって、僕のことなんてなんにも知らないくせに」


「当たり前でしょ~? まだサトシと二階堂君は、知り合ったばかりだもの」


 僕と優佳は互いに帰宅の途についていた。それもそのはず、僕と優佳の家は同じマンションに入っていて、隣同士という位置関係にあるのだから。


「それにあんな奴がモテてるっていうこの学校もイカれてるよ」


「ふふ、二階堂君カッコいいもんね」


「優佳もああいうやつの方が好きなの?」


「嫌いじゃないけど、わたしはサトシの方が好きだよ~?」


「……っ! 気軽にそんなこと言うなよな」


「あ、サトシ照れてるの? かわい~!」


 優佳が笑みを浮かべながら、からかうように肩をぶつけてくる。


 僕は黙って優佳の体当たりを食らい続ける。嫌な気がしないのはもちろんだけど、いつも優佳の飛んでくる言動はすべてド直球で、真に受けていたら身が持たない。


 家が隣同士と言えど、こうして一緒に帰るのは久しぶりだった。

 優佳は生徒会長という役職の手前もあり、僕より帰るのはだいぶ遅い。


 下っ端の僕には任される仕事は多くなかったが、いよいよ文化祭準備という本格的な仕事が回って来た。僕の役職は会計。去年の優佳と同じで文化祭はとても大変らしい、望むところだ。


 僕としては早く仕事を任されたかったので、遅くまで作業があるのは逆に嬉しかった。


 それにこうやって優佳と一緒にいることは好きだ。

 ……最近は話し相手が減って、僕としても正直寂しかったし。


 こんなの優佳本人には絶対言わないけど。


「あとアイツが僕を目の敵にする理由も気に入らない!」


「それってなにか理由があるようなものなの? 二階堂君は誰にでもああだと思うけど?」


「優佳の時はちょっと違う……って、まあ優佳はわかんないだろうね」


「なにそれ~サトシ、わたしに隠し事? 浮気!? 浮気なのね!?」


「違うって! そもそもなんで僕が優佳に操立てなきゃいけないの」


「が~~ん! ヒドイ! あんなに深く愛し合った仲なのにっ」


 優佳はふざけて「よよよ」と泣き崩れた振りをする。僕は呆れる気持ちと、そんなやりとりが懐かしくもあり、優佳の頭に手を乗せる。


「ふわっ!? なに?」


「いやちょうどいいところに、手ごろの頭があるなあって思って」


「子ども扱いしないでよ~っ?」


 優佳はいやいやをするように頭を振るけど、本気で振り払うつもりはなく、逆に僕の手に頭を押し付けるように頭を動かす。


「ねぇねぇ、サトシはわたしのこと好き?」


 いつもの質問だ、どう答えても結局じゃれ合いになることは変わらない。


「アァ、スキダヨ」


「も~愛が籠ってない! でも許しちゃう!」


「そりゃ、どうも」


「ぁぁ~っ、お姉ちゃんダメだぁ……ガマンしようと思ってたけど、もうガマンできない!ぎゅ~!」


「うわあぁ!? こらくっつくな、離れろっ!」


 ずっと優佳のターンだった。


 昔から変わってないようで、これでも少しずつ変化している。

 ここにいるのが三人から、二人になってからは。


 同じ中学に進学した時には、またいつもの三人で肩を並べて帰れるんだなって漠然と思っていた。だけどそれは叶わなかった。


 そこにいるはずの影が、一つ足りない。

 優佳の背丈を追い越し、別人のように変わったもう一人の幼馴染。


 こうして一緒に帰るのは一週間ぶりだ。

 僕と優佳の間においては”久しぶり”が適用される期間。


 だから進展……いや、変化があったかは気になってしまう。決して明るい話題にならないことはわかっているけど、それでも僕はそいつの”家族”に聞いてみたかった。


「あのさ、優佳」


 僕は歩を進めながら腕に引っ付いたままになっている、幼馴染の一人に話しかける。


「……レイカ、どうしてる?」


 僕たちの真ん中にいて、あまり話題に上らなくなった「もう一人」のことを訪ねる。


 ――優佳との間に流れていた雰囲気が変わる。覚悟はしていたけれど、僕はこの一瞬で自分の発言を撤回したくなった。


 優佳との間に、こんなしんみりした空気はいらない。


 ……けど、撤回するのを拒否する僕がそうさせなかった。だって、レイカのこと、少しでも知りたいのは、事実だったから。


 問いかけられた優佳はすぐに応じなかった。


 それはまるで、返す応えに問題がないか考えているように、自然に振る舞おうとするため、心を落ち着けているかのように。


「元気、だよ」


 絞り出すように、ぽつりとつぶやく。


「ちゃんと、家には帰ってきてる?」


「もちろん」


「話は、ちゃんとできてる?」


「……それは、あんまりかな」


 少し気まずそうに笑う。優佳には似つかわしくない、憂いを帯びた表情。


「わたしが、悪いの」


 いつの間にか優佳は僕から手を離し、少し前を歩いていた。


「わたしがちゃんとレイカと向き合って来なかったから」


 優佳の妹、縁藤レイカ。

 養子前の名前にして李 燕華(リー・イェンファ)


 隣国から訳あって縁藤家に養子に来た、もう一人の幼馴染。一年前までは僕と優佳と、そしてレイカ三人で行動するのがほとんどだった。しかし、レイカとは五月頃を境にほとんど話さなくなってしまった。


 その理由は、よくわかっていない。


 ――この時の僕には、それが良く理解できていない。

 だから、僕も優佳も……途方に暮れていた。


「お姉ちゃん気取りでレイカをお人形さん扱いなんかしてさ、それが嫌だったんだと思う」


 少し寂しい、優佳の背中。


「違うよ、きっとレイカは反抗期なだけだ」


 反抗期の人間が、反抗期についてよく分かってもいないのにそう答える。でも、僕たちにとって反抗期なんて言葉はそんなもんでしかない。


 大人たちはその言葉を使って、僕らの態度を一括りに纏めて匙を投げる。そんな便利なモノ、大人だけに使わせるなんてもったいない。


 だから僕らも使うんだ。せめて優佳を守るくらいの役に立て。


 ……そうやってなにか責任転嫁できるものが必要だった。だって、そうしなければ、僕たちの関係は最初から歪んでいたことになってしまうから。


「自分勝手だった。わたしがお姉ちゃんじゃなくて、わたしが妹になればよかったの」


「違うよ、優佳は悪くない。一番悪いのは一緒にいてやろうとしなかった本当の母親だ」


 優佳だって、本当は強くない。

 生徒たち憧れの存在であっても、完璧な女のコというわけではない。


 そして家族の関係をこれ以上ないってくらい大事にしている優佳にとって、そのショックは僕が推し量れるようなものではない。それをわかっていて、僕は蒸し返してしまった。


「ごめん」


「なんでサトシが謝るのよぉ、おかしいでしょ」


「聞かなくていいこと、聞いた」


「ううん、これは大事な話だよ。サトシも知りたいから聞いた、わたしが話したくなかったから話さなかった。だからやっぱりわたしが悪い」


「優佳を責めるつもりはなかったんだ、ごめん」


「うん」


 優佳はそう言うと……僕の袖口を、少しだけ掴んだ。


「じゃ、罰ゲーム。帰るまでこうしてもいい?」


 少し調子を取り戻したのか、いつものくりっとした瞳で僕を見上げる。


 ……僕は黙って、袖を掴んだ優佳の手を取った。


「あっ……」


 小さい手のひらに、細くて柔らかい指。

 少し伸びてる爪に、なぜか年上であることを思い出させた。


「それじゃ行きましょうか、お姫様?」


 優佳は少し動揺したが、すぐに満面の笑みになり、腕を大げさに振って歩き出した。そうやって元気を振る舞う優佳に、自然と顔がほころぶ。


 僕も優佳も、未だにそのショックを引きずったままだ。この一件があってから優佳は僕と過剰に接触するようになったし、そしてそれは僕にも同じことが言える。


 正直、レイカとの交流が切れていなかったら、僕は生徒会に入ろうとも思わなかったはずだ。


 ――優佳との関係を大事にしたい。

 だってそれが壊れないものではなかったと、お互いに知ってしまったから。


 それから僕らは先ほどの会話を忘れ、マンション前までとりとめのない話を続けていた。

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