3-7 衝突


「話は、終わったの?」


「うわっ! ……って、華暖か」


「そんなにビックリしなくてもいいでしょ? シッツレ~ね」


 振り返ると夕陽に影を伸ばした華暖がいた。


 華暖は黄色のTシャツにショーパンというとてもラフな格好で、照らされる金髪をオレンジに反射させながら、訝しそうにこちらを見ていた。


「どうして、ここに?」


「ど~して、じゃないわよ! 新聞部の連中に聞いたの。昨日電話するって約束もブッチされて、アンタらトッシ~になにを吹き込んだの! って、洗いざらい吐いてもらった」


「あああああ、ごめん! 完全に忘れてた!!」


 マズい、本当に忘れていた。

 昨日の夜も、それどころじゃなかったから。


「いいよいいよ~? どうせアタシなんか、所詮トモダチ止まりですからねぇ~?」


「そんなこと言わないでよ、本当に申し訳なく思ってるから……」


「ったく、今度なんか奢ってよね~って、それより……」


 華暖は腰に手を当て、少し低い声で聞く。


「さっきのコ、ダアレ?」


「……華暖? 顔がちょっと怖い」


「トッシ~がぁ、アタシより優先したコだもの。ちゃぁんと説明してもらいますからぁ?」


「なんで語尾がねちっこいの!? なんでもないって!!」


 僕は華暖にこれまでの経緯を説明した。

 林 映子(はやし えいこ)は以前の中学で、生徒会としての付き合いのあった女の子である。


 エーコは生徒会書記を務め、僕が会計を務めていた。


 その兼ね合いで話すことはあったが……結局エーコとは特に後に続くこともない関係だった。


「ふ~ん、それでそのエイコちゃんは、トッシ~になんの用だったの?」


「エーコは東部瀬川の新聞部長だったんだ。記事にはしないって言われたけど、昔の話を含めて色々聞かれた。録音もしてなかったみたいだし」


「ふ~ん?」


「な、なに?」


「いや、トッシ~って冴えない顔してんのに、結構色んなとこからオンナが集まるなぁ、って思ってさ」


「なんか嫌な言い方だな」


 とは言うものの、根の部分で怒っていたりはしていないのだろう。だって華暖は自分の中に感情を抑えこむことができないのだから。


 ……それは先日、改めて知らされたことだし。


「ま、それはいいや。ところでトッシ~、お願いがあるんだけど」


「甘いものでも食べたくなった? 高過ぎないとこならいいよ」


「や、じゃなくて。今日は家にレ~カ、いる?」


「レイカ?」


 華暖から出てくることがないはずの名前が出る。


「仕事が終わってからだったら、いるはずだけど?」


「そう、よかった。いまはいないのね?」


「多分」


「ならさ、家に上がってもいい?」


 華暖はあっけらかんとそう言った。


 その顔は女のコが男の家に上がってドキドキなイベントを感じさせるもの……ではなく、淡々とヤジハチで食器を拭いている時と同じ顔をしていた。


---


「ただいま~……って、おああぁぁぁぁ!?」


「さぁ~て、ここがトッシ~とレイカが愛の巣ね? どんなお宝が見つかるかなぁ!?」


 レイカの靴がまだないことを確認し、自分も靴を脱ぎ始めた瞬間、華暖に押しのけられて壁に激突していた。僕を追い抜いて部屋にズカズカと上がり込み、ガサ入れ捜査でもするかのようにリビングに飛び込むや否や――


「なっ、なにコレェ!?」


「ええっ!?」


 秒速で、なにか見つけたらしく素っ頓狂な声をあげる華暖。


 って、なんかこのくだり見たことあるな……

 ああああ、まずい! こないだのゼク○ィがまだ置きっぱなしだったか!?


 僕も遅ればせながらリビングに辿り着くと、やっぱり華暖が手にしているものは雑誌だった。


 サブタイトルはもちろん……


 ”百パーセント安産! 特集号!!”


「こないだと違うっ!?」


 たま○クラブだった。


「え、え?? ええ? ト、ト、トッシ~これって、ま、まさか……」


「違うッ! 断じて違う!」


 レイカのヤツ……またわけわからない好奇心で変な雑誌ばっかり買ってきて!


「え、あ? えっと、お、おめでとう、ございます!?」


「ありがとう! じゃなくて、誤解!! 誰も妊娠なんてしてない! ノット! こんにちはアカチャン!」


「そっ、そうよね! って、じゃあなんでこんなもの買ってんのよ!」


 華暖は真っ当なツッコミを入れてその場に座り込むと、なにか足元にあるものにぶつかった。


「ん、ナニコレ?」


 その棒状のモノを持ち上げて、スイッチを入れると……


 ブイィィ~ン。


 電マだった。


 正式名称は電気マッサージ器。


 そういえば、レイカに背中のマッサージをしていた時に、いつも僕にやらせないでマッサージ器でも買ってきなよ、って言ったような言わなかったような……


 ここで一つトリビアだ。


 『電マ』は『電気マッサージ器』をただ略しただけなのだが、それぞれ別の単語で検索してみると、面白いくらい検索結果が違うぞ! 試してみよう!



 ……逢魔が時、赤紫の西日がカーテンの間合いから部屋に差し込む。その静かなマンションの一室で電マ……電気マッサージ器の振動を眺める男女二人。


 華暖はジト目で僕の方を見ながら、なにも言わず電マのスイッチをオン・オフ繰り返している。僕も黙ってその振動したり止まったりしている、電気マッサージ器具を眺めていた。


 カァ、カァ、と遠くでカラスが鳴く声に紛れ、ブイィィィ~ン、カチッ、ブイィィィ~ン、カチッと電子的な音が響く。


 振動音が交互に響く様を聞いて、僕は男女の反復運動を想起……なんてしないから。 変な独想入れて無駄にムッツリレベル上げないでもらえるかな?


「……あの、纏場さんってこういうのがお好きなんですか?」


「いきなり苗字呼び&敬語にするのやめて!?」


 華暖は電マの先端を鼻に当ててスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。


「…………………………クロ」


「嘘つけ!」


 僕は華暖から”電気マッサージ器”を取り上げ、部屋に電気を点けた。


---


「なんて~か、男が独り暮らしをしてる部屋みたいだね」


「言いたいことは分かるけど、主に散らかしてるのはレイカだから」


 いつかのレイカのように、テーブルの上にある賑やかなモノたちを払い除け、華暖にお茶を差し出す。


 華暖が一口ずずっとお茶をすすると。


「あれ、この味って」


「そう、さすが華暖、よくわかったね」


 それはヤジハチで出しているお茶のメーカーと同じところで、市販用に販売しているものだった。以前にこの店って意外とおいしいお茶だ、ってことに気づいてメーカーを調べたことがある。


「紅茶とかコーヒーじゃなくて、普通の緑茶なんかにこだわるとこがトッシ~らしい」


「でしょ?」


 僕が歯を見せて笑うと、華暖もつられてふっと微笑む。


 その笑顔を見て、僕は……安心してしまう。


 同時に夕焼けに照らされた華暖の顔を見ていると、なぜだかそれが少し儚げなものに見えてしまい、少し胸を締め付けられる。


 同時に華暖がここに来た理由をなんとなく察してしまった。

 ……先日の話を聞くために、わざわざ来てくれたのだと。


 趣味も合って、お互い明け透けな関係でいられて、お互いのいいところと悪いところも分かっている。職場のパートナーであり『普通の友達以上に仲のいい関係』の女のコ。


 華暖の気持ちを断っておきながら、それでいて踏み込んできて、悩みがあれば相談に乗る、などと言ってくれる。


 僕には過ぎた人だ。

 だからこそ、ここまで寄りかかってしまうのは悪い気もする。


 相談をしないという選択もあったはずだ。それでも頼れる人に、信頼できる人に、意見を聞き、間違っているのなら道を正してほしかった。


 華暖の気持ちを受け入れるつもりがないのに、そこまで踏み込ませてしまうなんて本当にヒドイことだと思う。


 だけど、僕はこれ以上一人で抱え込むのは耐えられなかった。


 二人でお茶をすする静かな時間。

 お茶の暑さと、仄かに舌に感じる苦みと香り。


 そしてゆったりとした時間を過ごした後、二人でほぼ同時にお茶を飲み終わる。


「……それで、トッシ~」


「うん」


 僕は頭の中を整理し、華暖と目で示し合わせ、いま起きてること、伝えたいこと、悩んでいることを口に出そうと……



「たっだいまぁ~~~!」



 ……台無しにする声が、三人になったリビングに、響く。


「ただいまぁ~私の諭史ィ~いい子にしてたぁ~?」


 必要以上にハイテンションのレイカが、座っている僕に抱き着き、頬を摺り寄せてくる。


「やめ、やめろって! レイカ! なんで今回に限ってそういう紛らわしい行動をっ、とるんだよっ」


 レイカを引っぺがそうとする僕の手を押しのけ、より過剰なスキンシップを取ろうとレイカが抱き着く力を強める。


「だぁから、やめろって、いまこの部屋にはもうひとりっ、って汗くさっ!」


「仕方ないよ~体動かす仕事なんだからぁ」


「わぁってんなら尚更、離れろっ、て!」


「いやだぁ~だって……」


 ――部屋に乾いた音が響く。

 レイカから引き剥がされた僕はよろけ、音のした方を見る。


 頬抑えるレイカと、背中を見せて立ちふさがる華暖。

 少し思考が遅れてようやく事実を認識する。


 華暖が、レイカの頬を張ったんだ。


---


「……ぃってぇ、な」


「そんな腐った手で、トッシ~に触んじゃないよ」


 いつもふざけている華暖が、冷たい声で部屋の空気を凍らせる。


「お前……佳河か」


「そ~よ、よく覚えてたわね。レ~カ?」


 二人の間に一触即発の空気が漂う。先ほど差し込んでいた西日は、終末の風景を彩る暗い赫へと姿を変えていた。


「ごめんね、トッシ~」


 少しいつもの調子に戻した、華暖が言う。


「本当はアタシ、アンタとじゃなくてこの女と話をしに来たの」


 華暖は訪問の理由を今更ながら口にする。


「でも、トッシ~も悪いんだからね?」


 華暖は少し困ったような、泣きそうな顔をこちらに向け”敵”に視線を改める。


「なんだよ、私に用って」


 レイカもレイカで、獣のような視線で華暖を睨み付ける。中学時代、多少なりともレイカと交流のあった華暖なら知っているはずだ。


 レイカがその時期”やんちゃ”をしていて、ケンカなんか日常茶飯事に行っていた、という噂を。その噂を知って尚、レイカにケンカを売る度胸は、どこから沸いてくるのだろう。


「こっから出てって」


「は? ここは私の部屋だ」


「なら、トッシ~をこっから出してあげて。できないならアタシが連れて帰るわ」


 レイカがそれを聞いて、口端を釣り上げる。


「ハッ、なにそれ。諭史の許可は取ってんの?」


「許可なんて必要ない、トッシ~はここに閉じ込められてるだけなんだから」


 華暖が立ち位置を変え、レイカの姿が華暖の背中ですっぽりと隠す。

 まるでレイカと僕の間に立ち塞がり、レイカから守るかのように。


「随分勝手だな」


「お互い様でしょ。レ~カも勝手に部屋を引っ越させて、トッシ~を抱き込んだんだから」


「……」


 レイカはなにも言わない。

 ただ部屋の重さだけが、冷たさだけが、より深くなっていく。


「レ~カはトッシ~の、なに?」


「……」


 レイカは答えない、答えられない。

 だってそれはいま、正に僕たちの間に転がっている大きな問題なのだから。


「佳河こそ、なんなんだよ」


「アタシ?」


「そうだよ! 人の家に上がり込んで”家族”を連れて行こうとする、お前は、一体なんなんだよ!!」


 レイカの怒号が響き渡る。


「……アタシはね」


 華暖が、声音を柔らかくし、言う。


「アタシは、トッシ~の、親友」


 僕は華暖の背中しか見ることはできない。


「アタシと気兼ねなく、なんでも話しの出来る、掛け替えのない友人」


 華暖はいま、どのような気持ちでそれを口にしているのだろうか。


「アタシの、命の恩人」


 自分を傷つけないで、心からそれを口にできているのだろうか。


「だからアタシも、トッシ~にそれを返したい」


 その言葉を聞いて、僕は嬉しく感じると共に。


「アタシになんのメリットがなくても、ね」


 痛みを堪える華暖に、心の中で感謝した。


「……友情は見返りを求めない、って言うけどさ」


 華暖は首だけをこっちに向け。


「返そうとする努力もしない親友じゃ、心から自慢できないっしょ?」


 ニカッ、とイタズラな笑みを浮かべた。


「さて、それではレ~カさん」


 改めてレイカに向き直る華暖。


「アンタは、トッシ~のなに?」


 自信に満ちた声で華暖がレイカに問いかける。


「答えようによっては失礼しましたって謝って帰るし、ビンタの返しもさせてあげる」


 華暖は強気でレイカに詰め寄る。


「もちろん内容によってはアタシがトッシ~を連れて帰る。幸い、アタシの家は普通よりは広いからね」


「おい華暖、それは」


「い~から、トッシ~も黙ってて」


「……私、は」


 レイカは、答えられない。

 応えられてもせいぜい、幼馴染と応えるのが関の山だ。


 幼馴染と親友は天秤に乗せたらどうなるのか?


 ……どうにもなることはない。


 幼馴染という関係は曖昧すぎる。


 いま華暖が口にした親友という関係、それを裏付ける想い。それと対等、戦えるような言葉が出て来なければ、天秤が動くことは決してない。


「……」


 レイカは答えられない。


「レ~カ、じゃあアタシが教えてあげる」


 華暖は軽い口ぶりで、言う。


「いまのアンタは、ただの寄生虫よ」


「……っ!?」


 その言葉を聞き、息が止まる。

 華暖が口にした、明確な悪意のある言葉。


「レ~カ、知ってる?」


「トッシ~、いまのバイト先で正社員になろうとしているの」


「……え?」


 レイカが動揺の色を見せる。


 そして、その驚きは僕にも伝播する。

 なぜならこの話は、華暖にまだ伝わっていないはずだったから。


「トッシ~、これを黙ってたコト、アタシ怒ってるかんね?」


 振り返らずに華暖が僕に向けて言う。


「少なくとも、アタシには一番最初に言って欲しかった」


 付け足された言葉に、ほんの少しの寂しさを含んで。


「ごめん」


 それは友達以上……いや、親友に対してとても失礼なことだった。


「レ~カ。そうやってトッシ~はね、自分の将来を削って、アンタみたいな寄生虫を……」


「華暖。さっきからその言い方、それは僕も黙っておけない。訂正してくれ」


「うん、わかった。ごめん」


 華暖は一息吸って、気を取り直す。


「レ~カとの、生活を考えて正社員になろうとしてるのよ」


 華暖は改めてレイカへ告げる。

 レイカは、呆けたような顔で僕の顔を覗き込む。


 その揺らぐ瞳は、とても見ていられなかった。僕が決めたことへのショックと……そして自分の知らない”強固な繋がり”を見たショック。


「トッシ~はね、すごいんだから」


 華暖が淡々とした声で話を続けた。


「高校一年の時ですっごい仕事もできて、細かいことに気づけて、店長からも信頼されてんの。人にものを教えるのも上手で、嫌味なく相手に伝わる言葉を選んで話ができる」


 まるで自分のことのように、誇らしげに語る華暖。


「トッシ~はこれからもっとリッパなヒトになると思う。だからいまのバイト先で就職するのには大反対」


 強い口調で、もう一つの未来を、可能性をバッサリ切り捨てる。


「トッシ~はもっと勉強して、大学に進学して……優佳さんと夢を叶えるべきなの。それをアタシは、親友として応援する」


 誰かに託される自分の夢。それこそが僕のやるべきことだという人からの後押し。


「間違ってもその夢は、優佳さん以外の誰かに邪魔されることなんて許されない」


 それは僕が華暖に求めていた、相談したい内容で、答えだった。


「トッシ~の優しさを利用するな、アンタの不幸にトッシ~巻き込むな!」


 相談したいことだった、はずなのに。


「トッシ~はアタシたちが手を伸ばしても、たどり着けないところにたどり着くんだよ!」


 なのに、なんでこんな……


「その夢を邪魔するような真似はするんじゃねぇよ!」


「……そんなの、わかってる」


 レイカは声を静かに震わせる。


「私は、諭史の側にいてもなんのためにもならないって」

 

 震える声で、自分の意思を伝える。


「だから私は、なんでもいいから諭史の役に立ちたい」


 その震え声は寒さを感じているのか。


「私も、諭史に大学へ行って欲しい」


 それとも怒りに震えているのか。


「生活費は私が稼ぐ」


 先の見えない、恐怖からか。


「そして諭史の大学生活を私が支えて、そうしたら……」


「……レ~カ? アンタ、自分で言ってて気づかないの?」


 華暖は心底不思議そうな顔で、レイカを見据える。


 ――レイカはなぜここで横槍を入れられるか気づかない、気づけない。


「トッシ~はなんで大学行こうとしてるか知ってる?」


 それは、矛盾。


 レイカだけが気付いていない大きな矛盾。自分が生きるのに必死で気付けなかった、しかし一番気付かなければならないこと。


「諭史は将来、ユ~カさんと同じ仕事をしたいから大学へ行くの」


 だから、正される。


「その仕事っていうのは、いまのご両親がされている、海外の教育をサポートするために必要な、教員免許の取得が大きな理由」


 一番正されたくない、相手に正されてしまう。


「レ~カ、あなた聞くけれど……」


 レイカの夢は、夢物語でしかなかったと。


「”恋人”との将来を助けるために、アンタはこれから仕事を続けるの?」


「あ、ああ……」


 レイカが膝を折る。


「レ~カ、ちゃんとトッシ~と意思疎通、できてる?」


「……華暖、もういいだろ」


「ワケわかんなく、なっちゃってない?」


「やめてくれ」


「足に付いた行動、取りなよ?」


「それ以上は必要ない」


「そんなんじゃ、トッシ~に嫌われちゃ……」


「やめろって言ってるだろ!!」


 僕は華暖を押しのけ、レイカの元に近づいていく。


「近寄らないでよ!」


 レイカは頭を抱えて、自分を守っていた。


「あははっ、私、世界で一番バカだ……」


「レイカ……」


 自分を攻撃しようとする、外敵から。


「諭史、あんたも気づいてたんでしょ!?」


 レイカは顔をあげ、恥と涙に塗れた顔で僕を睨み付ける。


「気付いてて、馬鹿にして、自分がいないとダメな奴だ、とか思ってたんでしょ!?」


「そんなこと思うわけないよ!」


「ウソ! ウソだよ! ウソに決まってるッ!」


 レイカは頭を掻きむしる。


「結局、私がしたいことは、私のためでしかなくって、誰のためにもならなくって、人に迷惑をかけるためだけに生まれてきた、役立たずで……!」



 ――鍵の開く音がする。


 それは部屋の外から、鍵を使って開ける音。

 この部屋の持ち主ならば、鍵は持っていて当然だ。なんの疑問を持つこともなく、鍵を開けて我が家に入ってくるだろう。


「帰ったぞ、ん、友達……か?」


 部屋の雰囲気を見て、只ならぬ雰囲気に気づく、スーツを着込んだ初老の男性。


「お……お義父さん? 戻られてたんですか?」


「ん、取り込み中だった……かな?」


 マイペースにも鞄を置き、上着を脱ぎ始める。

 縁藤家の大黒柱、優佳とレイカの父親。


「ああ、諭史君、久しぶりだ。……この状態を見ると、なにやらまた迷惑をかけてるようだね」


 お義父さんはレイカが泣いてるのを見ても、特段取り乱すことなく「またか」くらいの様相で肩をすくめる。


「お母さんはもう少し遅れて帰ってくる。ほら――イェンファ、そんなとこに座ってないで、お茶くらい出してくれないか?」


 そういって、レイカの親父さんは口にした。


 イェンファ、という名前を。


「……っ」


「レイカ!」


 レイカは父親の側をすり抜け、外に向かって駆け出す。


 僕はそれを、追う。


 きっと、いまレイカを見失ったら、もう二度とレイカに会えないんじゃないか。


 そんな気がしてならなかった。

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