2-6 ケンカ


「レイカ、高校中退したんだって?」


「やっと気づいた、か」


 家に帰るなり靴を脱ぐのも煩わしい思いで、リビングのレイカに詰め寄る。


 レイカはこちらに一瞥もくれず、ベッドに横たわったまま、天井のシミをぼんやりと見つめていた。


「なんで、教えてくれなかったの」


「言う必要、ないと思ったから」


 レイカはこちらを向こうとはしない。

 まるで僕と話し合う意思がないことを表明するように。


「そんな言い方ないだろ、だって僕たちは」


「僕たちは、なに?」


 僕たちは。

 ……なんて言おうとしたんだ?


「同居人? 友達? 幼馴染? 私たちって、どういう関係なの?」


 違う、そうじゃない。

 そういう言葉で一括りにする必要なんてない。


 僕は僕で、レイカはレイカだ。

 お互いの関係に名前なんて付ける必要ないだろう?


「所詮、彼女の妹でしょ」


「それだけは違う。そんな無関係の人間なんかじゃない」


 意図せず低い声が出てしまう。


「僕らは幼馴染だ、けどそれだけの関係でもない。そんな撥ねつける様な言い方、しなくてもいいだろ?」


「ハハハッ!」


 なにがおかしいのか、レイカは場違いにも笑いだす。


「諭史、言ってた。アネキは帰ってくるんだよね?」


「ああ、帰ってくる」


 優佳は帰ってくる、それだけは絶対だ。


「じゃ、帰ってきたらどうなるの?」


 どう、って。なにが言いたいんだ、レイカは。


「当然、あんたたちはまた一緒に暮らしだすでしょ」


 あ……


「そこに私は、関係ない」


 レイカがなにを気にしているか、わかった。


「だったら私の”いま”なんて話す理由もないでしょ?」


 僕たちのいまの関係は優佳がいなくなったことに対する変化だ。

 だから優佳が戻ってくれば、僕たちの関係は必然と”前と同じ”に戻ってしまう。


 レイカはそれを恐れている、のか?


 でも元はと言えば、レイカが離れていったんだろ?

 レイカが望んで離れていったのに、その関係に戻るのは恐れることなのか?


 自分から離れたことを後悔していたのか?


「だから、私は必要以上に自分のことを話さなかっただけ」


 それは……おかしい。


 後悔しているのなら、いまの自分を告げないことは、これからの変化を拒絶することじゃないか。


 レイカは間違いなく変化を求めた。

 だって僕とレイカの関係に変化をもたらした原因は、レイカがこの部屋に引き込んだからだ。


 言っていることが、支離滅裂だ。


「違うだろ、レイカ。僕にそれを言わなかったのは、言いたくなかっただけだろ?」


「言いたくなかった? 違う、言う必要がなかっただけ」


「なんでだよ!? それくらい話すのが筋じゃないか!」


「なに怒ってんの?」


 レイカが鼻で笑いながら言う、その挑発じみた仕草に僕は乗せられてしまう。


「怒るに決まってるだろ! 勝手にそんな大事なこと決めて!」


「諭史が? 怒る? それまたなんで? 私たちずっと関係ない人間だったんだよ? そんな相手のこと怒ってどうすんの? 怒られる筋合いもないんだよ!」


 荒げた声が静かな部屋に響き渡る。


 その後に訪れる静寂を充分聞いた頃、僕は続けざまにレイカの触れて欲しくない部分に、踏み込む。


「……そう、今更だよ。でもそれを開き直ってでも僕はレイカに言うよ、馬鹿なことしたねって」


「あんた、何様?」


 レイカはその時になってようやく僕の目を見た。瞳の色は冷たく、同居人・友達・幼馴染に向けるような態度ではない。


 ……ケンカが、必要だった。

 話を五年前に戻し、ケンカをして言いたいことを言うべきだった。


 それでもし気が済んで、時間が経って、もし叶うなら謝罪があって。それからお互いの関係を見直せばいい。


 実際レイカの言ってることは、もっともだ。


 僕が勝手に放置しておいた挙句、その間に起きたことに対して文句を言うなんて、どんだけ自分勝手なんだって話だ。


 でも、それでいいんだ。


 そうしてお互いの過去にも踏み込まないと、僕達の問題は解決しない。

 そこまで来て初めて五年前の清算が、できる。


 レイカが離れていったのは僕が原因だ。

 同い年なのに子ども扱いした、まぎれもない僕の罪。


 だからレイカはずっと自分の足で歩けなかった。でも自分の足で歩きたかった。


 それを言葉にしてぶつかり合ってケンカをしないと、仲直りは一生できない。

 逆にいまが仲直りをする、最初で最後のチャンスかもしれなかった。


 僕は劇画を見るような気持ちで、どこか遠くから眺めるように、そんなことを考えていた。


 だけどそんな筋書きは、僕がそうなったらいいって言う願望で。


 ――そんな望み通りのケンカを、することはできなかった。



「諭史、さ」


「なんだよ」


「帰ってくるとか言いつつ、なんでアネキのこと探さないの?」


 僕の覚悟していた方向とは、違う答えが返ってきた。


「おまけに新しい恋人候補まで作っちゃって、学校では公認の仲」


 華暖のことだった。


「これってアネキが帰ってきたら、当たり前のように関係を続けて、帰ってこなかった時のために華暖をキープしてるんでしょ? 最悪だね」


 レイカはそう捲し立てる。


「それは、このあいだ説明したと思うけど」


「その説明は聞いたよ、でもそれって私の言ったことを否定する材料になると思う?」


 ……ならない。見方を変えれば、華暖と付き合う可能性も残したまま、優佳を待っていることになる。


「それに今日、佳河と会ってきたんでしょ? もう浮気って言っても過言じゃないよね」


「バイトの同僚としての、付き合いだよ」


「そんなのウソでしょ、私じゃなくても分かると思うけど。それにアネキを探してないのは、どうだって言うの」


 それは……否定できない、事実だった。


 僕は華暖に協力してもらうとか、新聞部のコネに頼るとか言いつつ自分では全く動いていない。捨てられた事実を目の当たりにすることが怖くて、優佳を直接探しに動くことができなかった。


「私は……諭史にも本当は心当たりがあるのかと思ってたけど、もし全く思い当たることがないっていうなら、あんた達も大した間柄じゃなかったのね」


「……なんだって?」


 僕は、冷静さを失う。


「なにも知らないやつが適当なこと口にするな」


「それはお互いさまでしょ?」


 レイカはわざと僕の怒りを煽ることを口にする。そして僕はそれを黙って聞き流せるほど、大人ではなかった。


「レイカがいなくなった後、僕たちがどう思ったかなんて知らないだろ。優佳だって悲しんだし、僕だって」


「はは、そうなんだ光栄だね。それで慰めあって恋人にでもなったの? だったら菓子折りの一つでも持って来て欲しかったね」


 なにを言っているんだレイカは。言っていいことと悪いことがある。

 これが華暖の言っていた、レイカの”現在”なんだろうか?


「いまの本気で言ったのか、レイカ」


「違うの?」


「……いや、その通りだよ」


 僕は開き直るように肯定した。

 だって優佳との間にあることは、レイカには関係がない。


 そして真実を伝えることは、レイカにとって屈辱でしかないのだから。


「ハハハッ!」


 壊れたように笑いだすレイカ。

 いや、もうとっくに壊れていたのかもしれない。


 僕も、レイカも、その関係も。


「だから、レイカ。その事実を踏まえて聞かせて欲しい」


 僕は積年の疑問を口にする。


「なぜ、僕と優佳から、距離を置いたんだ?」


 自分のプライドを売り渡し、仲直りするという予定調和に向けての仕切り直し。

 優佳が戻ってくるかなんて、本当はどうなるかなんて分からない。


 でも、それでもレイカとは仲直りするべきだ。

 優佳が帰ってくる、こないに関わらず。だから僕は最後までそれにこだわり続ける。


 ……けどレイカはその言葉が耳に入った瞬間、笑うのを止め、つまらなさそうな顔で言った。


「別に、どっちでもよかったよ」


 あっけらかんと、レイカは言う。


「あんた達と一緒にいても、いなくてもどっちでもよかったって言ってるの」


 レイカはその質問に答えなかった。

 いや、答えられなかった。


 それの意味するところは、無関心。


 後悔も反省もなければ、自分は間違っていなかったと守ることもない。

 そのこと自体に興味はないと、どうでもいいと。


 もちろん、無頓着を装っただけかもしれない。

 でも、そう言われてしまったら僕は言葉を継ぐことができない。


 だって興味が無いと、そう言われてしまったら、その質問にさえ答えてもらえないのであれば、僕に続けられる話は、もう無いのだから。


「元々、私たち関係ない人間でしょ?」


 ケンカできなければ、仲直りもできない。

 ……レイカは僕達から離れても、一緒にいたままでもどっちでもよかった、と言った。


 なんだよ。それ?

 僕がどんな気持ちで、レイカを断ち切ったか。


 時間をかけて割り切ったのに。

 レイカは、そうする必要もなかったって言いたいのか?


 僕は自分の心からなにかがボロボロと崩れ落ちて行った。



「ね、そんなことより諭史、聞いて?」


 レイカは一転、穏やかな顔になって話し始めた。


「私の話せる、昔ばなし」


 今更、僕になにを話してくれるというのだろう。


「中坊のとき、私たち別のグループに分かれたじゃん」


 きれいな言い方をするな、要は僕を見捨てたくせに。


「学校って不思議だよね、クラスメートって括りがあるのに、そこからまた仲良しグループに分かれるんだよ?」


 それは小学校の時からもあったことだ、その時でも僕らは一緒だっただろ。


「私はこれまで男友達なんて諭史くらいだったんだ」


 そんなのは知ってる、レイカについて詳しいのは僕が一番なんだから。


「だけど、私にもようやく男友達なんて言うのがたくさんできた」


 なんであの時僕から離れたんだ?


「私に告ってくるヤツなんかいた時には笑っちゃったよ」


 僕と優佳の側にだけずっといればよかったのに。


「恋愛ってなんだよ、私を好きってなんだよ、って」


 僕らを避けたのは君の勝手な行動じゃないか。

 

「どうやら私のことなんかをイイって思う人っているんだって」


 僕の側から離れていくレイカなんてどうでもいい。


「ねぇ、諭史。もし私とさ、中坊のときも一緒にいたら」


 ”もし”とか”あのとき”とか本当にどうでもいい。


「……あんた、私に惚れたと思う?」


 僕は君のことが好きだった。


「な~んて、ね」


 だからこそ、僕は、いまもレイカを許すことができてないんじゃないか。


「僕はレイカのことが好き”だった”よ」


 できるだけ言葉を低く。誰が聞いても感情が伝わるよう。

 心の温度を出来るだけ下げ。それが相手にも伝わり凍え死んでしまえばいいという想いを込め、伝えた。


 そこにはもう建前も、理想も、平和的解決という言葉も、心には残っていなかった。


「そっか」


「……」


 レイカはそういった僕の感情を正確に受け取ったかはわからない。


「もう私たち、とっくにブッ壊れちゃってたんだねぇ……」


「ああ」


 僕は、レイカのことが好きだった。

 失ってはじめて気づいた、ってやつだ。


 妹のように思っていた存在がいなくなった。

 放っておけなかったのに、手元からするする抜けて行ってしまった。


 それなのに離れたところから見る君はとてもキレイで。

 そんなレイカが他の男連中と絡むようになって。


 僕が知っているレイカが、みんなの知っているレイカになるなんて。

 許せないって感情が芽生えた。



「ねぇ、諭史」


「ん」


「セックスする?」


「無理だ」


 即答した、誰がお前となんて。


「ハハッ……なに無理って、傷つくな」


「そもそもレイカは、僕のことが好きでもなんでもないだろ」


「わかんない」


「どうでもいいけどね」


 僕はどうでもよくなって、倒れるようにフローリングに寝転がった。


 無駄に明るい照明が目に染みる。

 散らかったモノがゴツゴツと体にぶつかって煩わしい。


 掃除をしても相変わらず物を散らかすレイカのせいだ。

 ゴミ屋敷の中で、クズみたいな人間たちが、どうしようもない話をした。


 レイカは変わらず、なにも言わず天井のシミを眺め続ける。


 昔と違って素直さの欠片もないレイカ。


 勝手に出て行って、帰ってこない優佳。


 口だけは綺麗なことを言って、なに一つしようしない僕。


 幼馴染とはなんだろう。


 いまではどうしようもない、出来損ないの集まりだった。

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