1-7 華暖との帰り道
高校生組は早く上がれと店長に言われ、後片付けを任せ華暖と店を後にした。
静まり返った百貨店内を歩くと、タイルがコツコツと鳴り響き、今日一日が終わったという、どこか寂しげな気持ちにさせられる。
従業員通用口で警備員さんに挨拶をし、蒼白い光を浴びたアスファルトに降り立つと、夜の外気が頬の熱を冷やし、くすぐったいような充実感に襲われる。
……こういうメリハリが好きだ。学校では味わえない、この感じ。
拘束時間があって、休憩があって。それは学校の授業と同じようだけど、自分が望んでここに来たという意味では別物だ。
高校は義務教育ではないけれど、みんなが行ってるから”行かなければいけない”という義務感は拭えない。
だけど仕事は違う。
僕自身が選び、責任が発生し、そしてその対価が発生する。
その中で年齢関係なく人に頼り、そして頼られ、僕の存在が必要とされる。
それは学校生活ではなかなか得難いもの。なによりこんな自分が役に立っているという実感が得られる、それが単純に嬉しかった。
「なんかトッシ~って、バイトの時イキイキしてるよね?」
「学校の授業よりは、好きかもね」
「じゃ卒業したら就職すればいいじゃん」
「一応、進学予定なので」
「あ~ゴメン、変なこと言った。忘れて」
華暖は僕のやりたいことを知っている。
だからこそ今の発言は本当に口を衝いて出てしまっただけなんだろう。
僕が迎えたい未来は優佳と一緒に仕事をすること。
そのためにまずは進学し、教員免許を取りに行くこと。
……けれど、その問題が半ばで頓挫しかけているから、僕は再びここに戻ってきている。
僕は華暖に優佳の失踪を伝えてない。
いや、そもそも僕自身でさえその現状を上手く把握できていないんだ。
先日、優佳のことを聞かれて、茶を濁したまま。
華暖はそれを別れた、もしくはそれに近い状態だと思っているはず。
でもそれ以上を聞いてくることはなかった。
そこにはいつか話してくれるだろうって自信と、僕自身が心の整理をつけるまで待つ、と気を遣ってくれているから。
だから僕もいまの失言を額面通り受け入れ、忘れることにする。
「は~つっかれた、もうこんなバイト辞めたい」
わざとらしく大きな声を出し、話題を変える華暖。
「本当に辞めたいなら、店長に相談しなよ。華暖も受験生なんだ、チーフが辞めるのは痛いけど、それでもしっかり説明すれば――」
「ああっ、もう! なにそのネクラな返し!?」
先を歩いていた華暖が眉間にシワを寄せて振り向く。
「もっと言いようがあるでしょぉ!? カグラちゃんが辞めたらオレは死ぬとか、オレがカグラちゃんを支えるから辞めるな! とか」
「どんだけ僕は華暖に依存してるの」
「そうは言いつつも、否定しないマトバ君なのでしたっ」
否定はしないよ、依存は言い過ぎだけど。
「あ、ちょっち待って、電話来た」
バッグの中からけたたましい着信音が鳴り出す。
「もしもし? ユ~君? ひさしぶりぃ~、どったの?」
華暖がいつもの調子で電話に出る。誰にでも同じテンション、ウラオモテなし。
別に恋人同士のデートでもないから、会話の途中に割り込まれても気に留めることもない。
どちらかが我慢をする必要とか、束縛とかも必要もない。
僕たちはお互いの生きるコミュニティがたまたま同じだっただけで、職場の同僚として、クラスメートとして出会ったっていう、普遍的で数奇的な関係だっただけ。
だからこそ、その関係には家族や幼馴染や恋人にはない、心地よさがそこにはある。
「うんうん、わかった~じゃ明後日ね~♪」
電話を終えると華暖はこれまたハデな手帳を取り出し、先ほどの電話で決まった予定を書き込んでいく。
「また合コン?」
「そ~! 今度は私立の男子高と!」
「あれこないだ彼氏出来たって言ってなかったっけ?」
「彼氏がいるかどうかは、関係ないって~あ、それに別れたからもっと関係ないし」
「なんだそれ……そんな合コンいっぱい出て楽しい?」
「楽しいから行くんじゃ~ん!」
「あ、そう……でも、それならなんでヤジハチで働いてるの?」
「……なんで、って?」
「だって自分で言ってたじゃないか。バイトをし始めたのは出会いを求めるためって」
「そ~だけど?」
「そんなに合コンとかの誘いが来るなら、わざわざバイトする必要はもうないんじゃない?」
「なにそれ、アタシに辞めろって言ってんの?」
「そうは言ってないけどさ、ただそれが目的なら……」
「ハア……これだからトッシ~は……」
華暖は分かってない、とばかりに盛大にため息を付いて見せる。
「……なんだよ、そのため息」
「な~んでもない、っての」
少し不満そうな顔で、僕から距離を取る。
「アンタがチーフって仕事、置いてったんじゃない。いまさらそんな理由で辞められるかっての」
「え、華暖、そんな気にしてくれてたの?」
「気にするわよ。ってかトッシ~、アタシをなんだと思ってんの!?」
「ご、ごめん」
そんな責任感を感じていたのか……それはそれで申し訳ない。
「で、でもそれが本当にイヤなら、無理に……」
「スト~ップ、それ以上言わなくていいから」
わざとらしく肩を落とし、寂しそうに笑う。
「……自分でも不思議なんだ、こ~やって任されて嬉しいっていうか。でもそれはもうアタシのやりたいことになってるから。だからアタシが満足するまで続けるつもり」
口を衝いて言おうとした言葉があったけど、呑み込んだ。
「それに……」
「それに?」
華暖が怒ったような顔で僕の目を覗く。
「……な、なに」
「そのときの目的は、もう果たされたっての!」
華暖はそう言うと縁石に飛び乗り、平均台の要領で手を水平にし、バランスをとって歩き始めた。
「危ないからやめなよ」
平均的で誰もが言いそうな、保護者のような言葉をかける。
「だ~いじょうぶ、だいじょうブイ!」
ウインクなんかしながらVサインを送ってくる。
「高校三年にもなって落ち着きのない……」
「そ~いう歳にもなってるんだから、こういうことしても自分に責任が持てるの~」
「なに言ってんの、まだまだ高三なんて子供でしょ」
「高三にもなったら結婚出来るし、子供だって産めるよ?」
「子供が子供を産む話なんて、それこそ良くある話だろ? ……あ~もう、なんの話してんだか」
「トッシ~が子供の話なんて話するから」
「僕は産んだ後の子供のほうの話をしたんじゃない、華暖が子供だって話を……」
そのとき、華暖の体が大きくよろめいた。
疲れの溜まった華暖が、縁石に乗りながら、僕のほうを向きながら喋っている。
だから足元の縁石が欠けていて、足が引っかかり、バランスを崩したってしょうがない。
車道から二十メートル、いや三十メートルほど先から車が走ってくる。
夜の一本道。スピードは十分に出ていて、減速しても手前で止まることはできない。
僕には少しばかり、考える時間が、許された。
……ここで手を伸ばせば華暖を救うことが出来るのか?
華暖と僕の距離は三メートルほどある。
行動を起こすなら、いますぐ駆け寄らなければいけない。
ただ車の走っている位置が良くなかった。
狭い車道であるため縁石のすぐ横を走り抜けようとする近さだ。
もう華暖の体は車道に傾き、投げ出されるところだった。僕が腕を引っ張っても体勢を立て直す段階にない。
僕も車道に飛び出すしかない。
ただ車に少しでも接触すれば体は薙ぎ倒され、体は堅いアスファルトに叩きつけられることだろう。
でも、このままでは華暖は確実に助からない。
……そこで僕の前にはもう一つの選択肢が現れる。
華暖を助けない、という選択肢。
華暖はクラスメートで、バイトの同僚で、そして後輩で、友達だ。
幼馴染でも、家族でも、ましてや恋人でもない。
僕が、命を張る理由には、なるのだろうか?
---
「あっ」
バランスを崩したその時、既に遅かった。
アタシの体が宙に浮いていた。浮いてることに気づいた後、向かってくる車に気づいた。
……アタシ、轢かれるんだ。
他人事のように、そう感じた。
あ~あ、明後日の合コンこれじゃ出らんないよね。
というか明日からもバイトも休みだろうな。
いつもは風邪引くと学校休めてラッキ~とか思うんだけど。
だって病気だったら痛くもなんともないし、主婦のママも優しいし、夕飯いつもよりちょっぴり豪勢だし、LINEで一応みんな心配してくれる。
でも、やっぱり二日以上も休むと退屈でしょうがなくなっちゃうんだ。
だから一瞬でも轢かれちゃうのもラッキ~かなと思ったけど、全然そんなことないよね。
……だってあれは、きっと痛いどころじゃないよ。
無骨な鉄の塊。
いまから私がイヤだって言っても、きっと止まるのをやめてくれない。
シュレッダーって機械、あるじゃん?
アタシあんまり好きじゃないんだよね。
あれってさ目の前でバラバラにされるのを見届けないといけないわけじゃん?
そりゃアタシがいらないって思ったもんだからさ、いつかはお役御免になるって、頭ではわかってるんだよ?
でもそれを目の前にする、ってなんかチョー怖い。
泣き叫びながらいやだーって言ってる人が、ギロチンされるの見るようなもんだと思うけど、どう?
それに”いらないもの”もさ、シュレッダーにかけられると、もう抵抗できないわけよ。
いままで使ってくれた人に見届けられて、抵抗も出来ずにバラバラされていく。
少しでもシュレッダーにかけられちゃうと後は流されるまま。
途中でストップボタンをかけてもダメ。
……だってバラバラになった部分は残ってしまうもの、もう元には戻れない。
ねえトッシ~はどう思う?
シュレッダーにかけられるゴミを、あなたは最後まで見ていられる?
……あ、そうだ。
アタシ、さっき自分でシュレッダーかけたくないから。
トッシ~に代わりにお願いしちゃってたじゃん……
---
右肩に骨を砕かんばかりの衝撃が走る。
声を出す間もなく、風景が一回転。
その風景は星空や木々の光景ではなく、学校生活や仕事での同僚の顔だ。
回転する風景はそれこそ死に際に見てしまうという走馬燈。
それは一瞬のこと。
激痛を過ぎて、感覚は無くなったけれども意識は確かにそこにある。
腕の中にはなにかがあった。
いまはそれがなにかわからない、けど。
その聞き慣れた声に、僕は他人事のように安心するのだった。
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