1-6 変化への順応
レイカの家に住み始めて早一週間。
僕たちの生活はようやくの落ち着きを見せ始めていた。
「ただいま……なんかイイ匂いする」
作業服姿のレイカがバイト先から帰ってくる。
なんのバイトをしているかは知らない、一度聞いたら「派遣」とだけ言われた。
「おかえり、もうすぐ出来上がるよ」
僕はキッチンでフライパンに視線を向けたまま声をかける。
最初のうちは”あいさつ”にも恥じらいがあったが、それは当たり前にできるようになっていた。
と、肩越しにレイカが顔を伸ばし、フライパンの中身を覗く。
「なに作ってるの?」
「今日はゴーヤチャンプルーと、麻婆春雨だよ」
至近距離で話しかけられ、少しドキッとしてしまった。
ポニーテールの後れ毛が僕の首元に触れ、なにやらもどかしい気持ちになる。
「オカズ二品! 豪勢だね、そんな気を遣わなくていいのに」
二品くらいは普通だろ、普段のレイカの食生活が窺える発言だ。
レイカはフライパンの中身に飽きたのか、顔を引っ込めたかと思うと、背中越しに衣擦れの音が聞こえる。
先日、あれだけ下着姿で恥じらっていたくせに、平気で男のいる部屋で着替えを始めるレイカ。恥じらいを感じる基準はいったいどこにあるのだろうか。
「ここの家賃分は働かないとね。食費だって払ってもらっちゃってるのに」
「別に私は食べられれば、カップ麺でもいいんだけど……」
「人が作ってる横で、そんなこと言わないでよ」
「そっか、ごめん」
ガサツな言動の割には、すぐ謝る。
自分の部屋(リビング)は散らかし放題だけど、僕のために空き部屋を掃除することが出来る。
レイカには、少しそういうところがある。
「栄養が偏ると体壊すんだからね? それでなくてもレイカは体が弱いんだから」
「諭史こそいつの話してんの? ここ三年は風邪なんて引いてないし」
「へえ、意外だ。あの病弱レイカがね」
「もう過去とは決別したの。いまは無病息災、唯我独尊!」
「なに鼻息を荒くしてるの。小学校の時にレイカが言ってたこと忘れないよ? 『さとしくん、わたしこのまま死んじゃうのかなぁ』って、ベッドの中で涙目になってた時のこと」
「そんな大昔のことを掘り返すなぁ!!」
僕は笑いながらコンロの火を消し、皿に盛り付けを始める。いつものラフな恰好に着替え終わったレイカは、恨めしい顔で唇を尖らせていた。
主夫の僕は盛り付けをしながら、同じようなエピソードが掘り起こせないか試みる。僕とレイカが盛り上がれる話題は、ここ五年の中にはないのだから。
いまを生きるクラスメートのように”オナチュー”とか”部活仲間”で盛り上がるのは難しいし、地デジすら映らないままの縁藤家では、バラエティやドラマの話題になることもない。
”大昔”と”これから”なんて堅苦しいとこから話題を探さないといけない、歪ともいえる関係だった。
テーブルに盛り付け終わった皿を乗せ、二人でいただきますをする。
まだ皿の上からは湯気が立っていて、レイカが一番に麻婆春雨に箸を伸ばす。
食べる量も昔に比べて格段に増えた。口にしているときのリアクションは薄いけど、自分の作った料理をモリモリ食べるレイカを見るのは少し楽しかった。
「そういえば諭史……バイトはどう?」
「順調だよ、なんとか問題なく続けて行けそう」
以前に比べて従業員が足りないし、客足も僕がいた頃より伸びている。
仕事内容は濃くなったけど、華暖もベテランになったし特に問題はない。
「そ、でも勉強時間は減ったんでしょ」
「ぐ……でも、まだ四月だし?」
「そ~いうこと言ってると、あっという間に冬になるよ?」
くそっ、なんでレイカに勉強のことで説教されなければいけないんだ。
けど生活については、おんぶにだっこだから言い返せないのが悔しい。
「心配されなくても、そこは抜かりなくやるよ」
「そ。……ウチはいつでも空いてるから、気が済むまでここに居な」
レイカが茶碗の中に視線を向けたまま、小さめの声で言う。
「……そう言ってくれるのは嬉しいけど」
もちろん優佳はすぐ帰ってくるからそんなことはないよ――思いはするけど、口にはしない。
「けど?」
「……レイカにも、レイカの生活があるし」
「私の生活なんて言ったって大したもんじゃない。見ての通り、ゴミ屋敷でつまんない毎日を送ってるだけ」
「自分でゴミ屋敷だと思ってるなら、少しは片付けてよ……」
レイカは聞こえていないかのようにその部分だけスルー。
「それにレイカには友達がいっぱいいたじゃないか。東部瀬川に進学した友達も何人かいるんだろ?」
「……あいつらはそんなんじゃないよ」
レイカは視線を斜めに落とし、寂しそうに笑う。
……なんでそんなことを言うんだ?
”あいつら”と一緒にいるレイカは、疑うまでもなく楽しそうだった。
そこには僕らが与えられなかった別の”楽しい”があって、レイカはそこに自ら飛び込んだからこそ、僕たちとは疎遠になった。
僕に気を遣っている? それもあるかもしれない。
だとしたら先ほどの寂しそうな目はどういうことだろう。
なんとなく……それを聞くのは憚られた。
「……だから諭史はこの家に住むことに気なんて遣わなくていい。自分の家のように過ごして構わない。もちろん本当に嫌だったら出て行ったって」
「嫌なもんか!」
反射的に出た大声に、レイカが肩を震わせる。
自分でもどうして大声が出てしまったのか分からなかった。
「ごめん、大声出して。でも、あまり世話になり過ぎるのも……」
「なにか、気になることでもあるの?」
レイカが少し不安そうに聞いてくる。
「だって、その」
「なに?」
「なんかヒモっぽくて、いやじゃん」
「……ぷっ」
レイカが唖然とした表情を見せた後、吹き出した。
「それいま言う? 元々アネキのヒモみたいなもんだったじゃない」
「なっ! それは聞き捨てならないぞ! あくまで僕たちは話し合いの上で……」
「あ~聞いてない聞いてない、ホントごちそうさま」
レイカが投げやりに言い、食べ終わった食器を流し台に片付ける。
それを洗うのはどうせ僕の役目だが。
「レイカ、人の話は最後まで……」
「うるさい、私はいまからシャワー浴びるんだから」
そう言って取り合わず、脱衣所の扉を閉める。
「まったく……」
なんて言いつつも、自然と笑みが零れる。
だってそうだろう?
嫌われたとさえ思ってたレイカと、こんなに普通に話ができるなんて。
お互いに足踏みをしていただけなのかもしれない。
仲直りしたいと思っているのに、切っ掛けが掴めなかっただけ。
腐っても幼馴染、腐れ縁でこそ幼馴染。
あとはひょっこり優佳が戻ってくれば、万事解決。
昔のように三人で過ごす日々がやってくるだろう。
「あ、バスタオル用意しといて、ヒモ男~」
「ヒモ言うな!」
---
「テンチョ、みじん切りにされるのと、輪切りにされるのどっちがいい?」
「ホントに悪いと思ってるよ~! でも今回だけは本当にお願いします……」
そう言って店長がアルバイトに対して頭を下げる、そんな上下関係のないアットホームな職場です。
……じゃなくて。
「僕からも頼むよ、華暖」
「も~これで残業三回連続だかんね!? テンチョ、まかないにパフェつけてよ?」
「それはもう!」
「店長、八番さんオーダー上がりました。小さいお子さんがいらっしゃるので、小皿もお願いします」
「はいはい、オッケー!」
「テンチョ、十六番と二十一番の食器下げるから、二番さんのオーダー、あとレジ見といて!」
「イエス、マム!!」
ヤジハチに戻って出勤日数も片手で数えられなくなる頃、近場の映画館で新作が二つも出たおかげで、復帰して一番の忙しさとなった。
厨房に入っているのは僕と、大学二年の鈴木さん。
鈴木さんとは先日初顔合わせをしたばかりだ。
一応、新人という皮を被って入ったので「わからないことがあったらなんでも聞いてよ」と言ってくれた優しい先輩である。
だけど……
「ね、纏場君っていったい何者、ですか……?」
「前、一年半ほど働いてたんですよ。鈴木先輩、ごめんなさい言えなくて」
「いえ! 年下とはいえベテランの人が戻ってきてくれて、本当に助かります!」
現場が混沌とした瞬間、なりふり構えなくなったので、華暖を操縦し、店長を顎で使うという”いつもの”動きをしていたら、いつの間にか敬語を使わせてしまう羽目になった。
「先輩、お願いです。敬語だけは勘弁してください……」
「そ、そう? 纏場君がそういうなら……」
「すみません、本当なにからなにまで」
主に先輩のプライドに。
なんでも聞いてよと言ってくれた時のドヤ顔は、決して忘れられない。
「でも、おかげで助かったよ。そうだ俺、本当は週四勤務に減らしたかったんだよ、でも君がいてくれるんだったら……」
「あ、ごめんなさい。それは無理です。佐藤さんと前田さんが週六から週五に減らすのが先なんで、鈴木先輩は週五で維持をお願いします」
「……はい、わかりました。生意気言ってすいません、纏場先輩」
「あああ~!? すみませんすみません!!」
「トッシ~? 七番のお客さんが蕎麦ひっくり返しちゃったんだけど、新しいのだしちゃってい~?」
「いいよ、上には”新人のミス”で報告して、お客さんには新品をお持ちして!」
「オッケ~、ということでスズキさん? その天丼作り終わったら七番さんのざるそば作っちゃって」
「りょ、了解!」
「サトシ君~? 去年までお子様セットに付いてた旗なんだけど、八番のお子さんがグズっちゃって、旗ってまだどっかになかったっけ~?」
「えっと、それなら……確かロッカーの上に。去年の春メニューと一緒に、店長が閉まってませんでした?」
「あ~そうだったかもなぁ、ちょっと見てくるよ~!」
「こら! テンチョ持ち場を離れるな~!」
「華暖、鈴木さんが七番さんに出す分で一旦オーダーが止まるから大丈夫。その間に僕が食器下げとくからレジだけ見張ってて」
「はいはい、オッケ~」
「……俺、このバイトでやっていける気がしないんだけど」
---
「は~! 疲れたぁ~」
「お疲れ、華暖」
「トッシ~もね。現役でイケるじゃん」
現在二十一時半、いましがた最後のお客様がお店を出られ、テーブル席の椅子を上げて床清掃が終わったところ。
華暖には結局ピークタイムから閉店まで残業をさせてしまった。店長に交渉して華暖にはいつものシメ鯖定食だけじゃなく、パフェにドリンクバーも解放してもらった。
鈴木さんと店長も結局休憩なしでぶっ通しだったため、まかないよりも先にケムリが欲しいということで屋上にあがっていった。
「華暖があんなにフロアを回せてることにびっくりしたよ」
「半年前に辞めといてお子様ランチの旗の場所覚えてる、誰かさんのほうがよっぽど衝撃的だったけど?」
そういって華暖は、冷たいお茶をぐいっと飲み干す。
豪快ないい飲みっぷりだ。
「あと春メニューの調理マニュアル、あれも華暖が書いたんだろ? 凄く見やすくて助かったよ」
「ありがと。……ま、それも誰かさんが辞めるときに、調理マニュアルの作り方、なんてマニュアルを作ったからだと思うケド」
「……そ、そんなヒトがいたのか~」
「あん時はやることコマかすぎて引いたわ。ま、だからこそ本人に一番読みやすいマニュアルになったとは思うけど」
華暖が肩をすくめて笑う。
……そんなことしたっけなあ。
「でもゴールデンウィークに入ったら、もう夏メニュー突入だかんね。そのマニュアルもお役ゴメンってワケ」
「そっか、もったいないな」
「あとで捨てといて」
「それくらい自分でやってよ。確か事務所にシュレッダーがあったでしょ?」
「あ~ムリムリ! 腕の細いカグラちゃんにそんな重労働できませ~ん」
「よく言うよ」
言って僕らは手つかずになっていた、まかないを食べ始める。
華暖はいい加減なことをよく言うし、見た目も決して真面目とは程遠い。
だが学校成績だって悪くないし、バイトでの勤務態度も極めて良好だ。
僕がチーフをやっていた時も、同い年だからって馬鹿にすることもなく、真剣に聞いてくれた。
それにもし本当にいい加減な人間だったら、頼まれたってチーフの座を受けたりなんてしなかっただろう。
前に疑問を持ったことがある。華暖の家は佳河という有名な地主だ。つまりはお金持ちであり、自分で働いたりしなくてもお金には困ってるということはない。
その華暖が働く理由はいったいなんなのだろう。
ある日、意を決して理由を尋ねてみた。そしたら帰ってきた答えは……
「出会い」
あっけらかんと言われ、僕は……こう、なんだろう?
とても納得出来たような、違う答えを返されたような……
でもそれを鵜呑みにしたって、勤務態度には文句のつけようもない。バイトを金持ちの道楽にしてたわけでもなし、男の人になびいて仕事そっちのけなんてこともない。
あくまで与えられた役割をしっかりこなしている。
だから僕もその時に心から思えたんだ。
人を外見だけでは判断しちゃいけないんだって。
最初は少しばかり華暖の纏う”ギャル”のオーラに苦手意識があったけど、いまではファッションの一つだと思ってるし、そうやって関心を引きたいトコは可愛いと思う。
華暖だって僕みたいな地味な人間との付き合いは少ないだろう。きっと口うるさいと思われてるだろうし、堅苦しいだろうし、彼女の好きそうな話題に精通してるわけでもない。
けど仕事でもクラスでも付き合わざるを得ない環境があれば、自然とお互いのことがわかってしまうし、少しずつ歩み寄りが生まれてくる。
そうして形作られたのがいまの華暖との関係だ。お互いに文句を言ったり、言われたりだけど、それを溜め込むことがないから大ゲンカもしない。
言ったことを真摯に受け止めて直そうとしてくれるし、僕の悪いところをちゃんと理由付きで説明してくれる。
華暖は認めたがらないかもしれないが、僕は華暖といい関係を築けていると思う。
「あと華暖、さっきの店長への態度はないと思うよ?」
「え、いつの話~?」
「残業の話だよ。どう考えても帰れる状況じゃないのにあんなこと言っちゃだめだ。場が乱れるし、みんなイライラする」
「そんなの知らないし、シフト通りの時間でしょ」
「それでも君はチーフだろ? 仮だけど。その立場の人間がそんなこと言っちゃったら周りに示しがつかないよ」
「ウッザ、説教しようってわけ?」
「うん。僕は華暖の指導係だからね」
「それも”元”指導係でしょ? ”元”仮チーフ?」
「そうだよ”元”仮チーフだ。だからこそ”現”仮チーフに従ってる僕の目から、見えたことをそのまま華暖に伝えてる」
そう言うと華暖は頭が少し冷えたのか、ひとつため息を付いた。
「わかった、トッシ~の言うこと間違ってない、気を付けるわ」
「うん、ありがと」
僕も出来るだけ柔らかく応える。けれど華暖の顔色は晴れず、グラスに刺さったストローをくるくる回す。
「でもアタシ、早く帰りたかったぁ~」
「そうだね、華暖は僕たちのために多く仕事をしてくれた。本当にありがとう」
「……それにチーフだって、やりたくてやってるわけじゃないし」
「それに関しては、ごめん。僕が辞めなければ華暖が引き受けることもなかった」
「ちがう、そういうことを言いたかったワケじゃ」
「でもこれだけは言わせてよ。僕は華暖が後任を引き受けるって言ってくれた時、すごい嬉しかったんだ」
「……」
「僕が辞めるって言った時、華暖めちゃくちゃ怒っただろ? 自分も辞めるって聞かなくて、初めてあんな険悪になって」
「ちょ、ちょっと」
「でも、それでも最後には分かってくれて、チーフの後任を受けるって言ってくれて、あんなに泣いてくれて」
「タ、タンマ、それ以上は……」
「僕のやってきたことが、教えてきた人が、そんな責任感を持つチーフに育ってくれたことが、本当にうれしくて……」
「やめてって、もぉっ!!」
華暖は顔をゆでダコみたいに赤くしていた。
「うん、だからこれからもしっかり頼むね、佳川チーフ?」
「もぉ、わかった、わかったから! ったくそんな昔の話を掘り起こすんじゃないわよぉ……」
「昔でもないだろ? 僕はあの日のことを昨日のように……」
「ハッ倒すわよ!?」
華暖は逃げるようにパフェを一気に掻き込むと、早々に流し場に入って締め作業に入り出した。僕は背もたれにグッと体を伸ばして、心の中で華暖にもう一度お礼を言った。
「……見てみたまえ、鈴木君。あれが旧纏場チーフの”指導”だ」
「えげつねぇ、えげつねえっす! あれはマインドコントロールですよ、店長!!」
「……二人とも、コソコソ見てないで清掃手伝ってくださいね?」
「「ハ、ハイッ!」」
ちゃんと、いい関係が築けてるよね? 嘘は言ってないよね?
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