1-3 幼馴染と迎える朝
レイカはいまでこそざっくばらんな性格だが、元は大人しい女の子だった。
それは優佳、僕、レイカの三人がよく遊んでいた時に遡る。
いつでも優佳が一番前に立ち、僕は優佳の後ろを走って追い、レイカはいつもその後ろを気づかわしげに着いてくる。そうして三人でいつも遊んでいた。
でもレイカはそれがあまり好きじゃなかったのかもしれない。
ずっと誰かに手を引かれてきたレイカは、中学時代大きく変わった。
レイカはそれまで不思議に思うこともなく、僕たちに手を引かれ、優佳のおさがりの服や、僕の遊んだものを追いかける形で遊んできた。
けどそれに疑問を持ったのか、自分自信を認めて欲しい気持ちが芽生えたのか。
詳しい事情は本人にしかわからない。
けれども事実として中学生になった後、レイカは僕や優佳と過ごすことはなくなった。
レイカは僕たちとは違う、同じ目線で、対等な関係の、友人たちの輪を好んだ。
すれ違いざまに合う、レイカの視線が言っていた。
「私は誰かに手を引いてもらわなくても、やっていけるんだ」って。
それはレイカが勇気を出して一歩を踏み出し、新しい友人関係を作ったことに、自信を持っている目だった。
……僕たちはその視線に真正面から応えることができなかった。
だってレイカがそのように大きく踏み出したのは、僕らに後ろ手を引かれてることが嫌になり、自分の居場所を作り上げたからだ。
もし僕と優佳がそれに気付いて、横に並んで手を繋いでいれば、いまも僕たちと同じ場所にいてくれたのかもしれない。
けど、それはいまさら口にしても詮無いこと。
実際はそうならなかったのだから。
そうして僕たちは交流をなくしていった。
少しばかりの繋がりはあったが、昔ほどの近さはない。
そんな長い空白の時間が、レイカとの間には流れていた。
---
「お~き~ろ~!?」
早朝のマンションの一室、カーテンレールが横に払われる音と共に、丸まったベッドには大きな声が浴びせられる。
幼馴染のいるネボスケは、登校時間になると必ず起こしに来てもらえる――。
そんな夢見がちな青少年の妄想。
今も昔も次元も関係なく、日本ではそれが一つの風習(?)として存在する。
僕らはそんな世代のまっただ中、この文化を風化させてはならない。
そして文化を受け継ぐ一人の日本人として、それを享受する義務がある。
僕もそんな文化を愛するいっぱしの日本人。
だから当然、幼馴染の僕らにも同じことが言えるわけで、それを享受する権利がある。
「何時だと、思ってるのっ」
一層、激しく布団が揺さぶられる。
けどその惰眠とシチュエーションに溺れたいがために、ベッドの上に鎮座する羽毛の貝殻は固く口を閉ざされたままだ。
「目覚まし時計あるじゃん……って動いてない。壊されてる……」
そして通常であれば布団をひっぺがえした後に、朝の生理現象を目の当たりにした幼馴染は叫び声を上げるのだろう。
「エッチ!朝からなに考えてるのよ!」なんて言葉に、ビンタの一つも添えて。
人生、一度はしてみたい経験だ。
「布団、ひっぺがすからね?」
だが、悲しいかな。
それは夢だ。
「そ~れ!」
だって起こすのは男の僕で、ネボスケは女のレイカと言う、完璧なまでに夢を裏切るキャスティングなのだから。
「さあ、レイカ。もう起きないと、って、うわあああ!?」
布団をひっぺがえした僕は、貝殻で眠っていた人魚姫の姿を見て、素っ頓狂な声を上げる。
だってそこにいるレイカは下着姿で、さらにガニマタなんて寝相をしているのだから。
「レイカ、はやく起きて! ていうか服を着て!」
「ん~その声は……諭史?」
「そうだよ! 悲しくも起こしてもらう側に回れなかった、負け組の諭史だよ!」
目も当てられない格好に、横を向きながら答える。
「ったく、朝からうるさいな……」
自分の恰好に頓着する様子もなく、腕を伸ばして大あくびをするレイカ。
僕はそっぽを向いているが……あらがえぬ引力に横目を引っ張られ、寝転がったままでいる姿を盗み見る。
自然と胸元に視線が引き寄せられる。
レイカが付けていたのは健康的な水色のスポーツブラだった、実用的なレイカらしい。
そして視線をそのまま下に降ろしていくと、太腿から足首にかけてしなりのある脚線が、朝日を浴びて白く光っている。
いつも身に着けているジーンズ姿は、小粋な印象を持たせていたが、その内側にはしなやかな脚線、そして丸みを帯びた女性らしさがあった。
寝ぼけ眼の切れ長の睫毛には、少しばかりの露が浮かんでいて、いつもの強気なレイカとは違い、大人の女性を思わせる儚さを垣間見せる。
……レイカはのそっと起き上がり、ベッドの上であぐらをかき始める。
それだけもう色々と台無しで見てられない。いや、見るけど。
徐々に彼女の目に光が灯って来るにしたがって、僕が掛け布団を持っているのと自分の姿を吟味しはじめ……
「……あれっ、諭史、って。あれっ!?」
急に素に戻るレイカ。
「え、あれ?このカッコ……おい、見るなよっ! って、人の布団を剥がすとかなに考えてんの!?」
胸を抱くようにして背を向けるレイカ。
「ご、ごめん! って、レイカが全然起きないからだろ!? あと……レイカでも恥ずかしがるんだね」
「意外そうに言うな、早くあっちいけ!」
僕は意外なしおらしい反応に、むくむくとイタズラ心が沸き上がり、部屋を後にしようとする足を止めさせた。
「……そんなこと言わないでよ。ていうかレイカの脚、すごい綺麗だね」
「ちょ!? セクハラ!!」
「だから、良かったらもっと見ていたいなあ、なんて……?」
「は、はぁ!? な、なに言って……」
「本心だよ。ま、まるでカモシカノヨウナアシだな、って」
「なんでそんな棒読みなんだっ」
仕方ないだろ、こっちだって嗜虐心と恥ずかしさがごちゃ混ぜになってるんだから……ってこれは逆ギレか。
「減るもんでもないし、起こしたお礼としてダメかな」
「ダ、ダメに決まってるだろ」
「そっか、じゃいいや。変なこと言ってごめん」
僕は肩を落とし低い声で、背を向けたまま部屋の外に向かう。
「ま、待って……」
切羽詰まったような声が、背に掛かる。
「ん?」
「そんなに、見たいの……?」
「ま、まぁ、それなりには?」
「じゃぁ……す、少しだけなら」
え……?
後ろでベッドが軋む音を立て、フローリングになにかが降り立った。
妄想少年な僕は、背を向けながら恥じらっているレイカの姿が思い浮かべる。
おいおい、大丈夫かレイカ。こんなどうしようもないお願いで下着姿を見せようなんて、お父さんは少しばかり不安になるぞ?
や、迫ったのは僕なんだけど。
「えっと、ど、どうぞ……」
息継ぎもおぼつかないような声で、僕に準備ができたことを告げる。
「……」
「……諭史?」
ゴクリ、と喉が音を立てる。
おい、纏場諭史、いくらなんでもマズくないか?
まだ国交が回復して二日目だぞ?
いや、そもそも回復したのかどうかも定かじゃない状況で。
相手の好意に付け込んで下着姿を見ようなんて、冗談だとしても最悪過ぎないか……?
いやいや、でもこれは役得と言うものだ――起こしてあげたのは事実だし、それに実際に相手がいいって言ってんだから、据え膳は食わぬはなんとやら……
「……すみませんでした」
僕はあっさりと良心の呵責に耐え切れず土下座を決め込む。
レイカの姿を見ないように後ろを向いたまま、全力で東高のズボンに包まれた尻を見せつける。
きっとレイカの側からは尻と二つの足裏しか見えていない。
さながらそのシルエットはバ~〇ヤン。ご丁寧にも足裏が葉っぱに見えるレベルの再現度……や、謝ってるのにお尻しか見せないなんて失礼極まりないのは自覚してるつもりだけど。
「僕は、レイカが恥じらってるのを見てからかっていましたぁ~!」
「は?」
「いや、でもウソは言っていない。僕は本当にレイカのカモシカが見たかったのは事実で……」
言いたくもない言い訳が次々に出てくる。
「からかったって……私だって仮にも女なんだぞ?」
ワナワナと震えた声で、真っ黒なオーラを一心に尻で受け止める。
「もちろんわかってる! でもだからこそ少しばかり興味が出たというか……」
「私の体なんかに……興味、あるんだ」
「え、なんて?」
当たり前に僕はその言葉を聞くことができない、きっとそういう役回りなのだ。
「な、なんでもない。それより……いっぺん、死ね!」
乾いた平手打ちの音が、快晴の春空に響き渡った。
春に実ったひと玉の桃に、紅葉の跡一つ。
その胸中に表わるるは、赤子の頃に受けた親の折檻の痛み也。
……痛いのは現実と妄想をごっちゃにした僕だけなんだけど。
---
「ねぇ、レイカ?」
ずずーっと、二食続けてのヒヨコちゃんラーメンをすする。
「なに?」
「ヒヨコちゃんそんなに好き?」
「馬鹿、好きかどうかは問題じゃないの。ここにたくさんのヒヨコラーメンがあるから食べてるだけなの」
「いや好きじゃなかったら、こんなに買わないでしょ」
「……三十ポイントでヒヨコ抱き枕が当たるんだよ」
「あ、そう……」
ていうかなんだヒヨコ抱き枕って。
ヒヨコって二頭身くらいしかないキャラクターだろ。
抱き枕なんてものは最低でも六頭身くらい必要だろ。
僕の頭の中には六頭身に引き伸ばされた手足の長いヒヨコが、決めポーズをしている姿しか出てこなかった。
それはさながらイチさんに愛を告げる八頭身○ナー、いや流石に古すぎるか……
「それにカップ麺ばかりじゃ栄養が偏るよ」
「私はいままでヒヨコと共に生きてきたんだから大丈夫」
「……なんなら、僕が夕飯を作ってもいいけど」
「…………でも、台所、汚いし」
「や、片せばいいじゃないか」
「……うん」
それから僅かに無言。
なんだろう。噛み合わないような、やりにくいような、だけどそれでいて悪い気はしないこの感じ。
お互いテーブルに向き合うけれども視線を交わさず、カップ麺の水面ばかりを眺めている。
「じゃあ、お願いしようかな……」
「……あ、ありがとう」
なぜか作る側の僕がお礼を言ってしまう。
「で、でも諭史の料理って、和食ばっかりだから私、ちょっと苦手かも」
言ってから、少しバツが悪そうな顔をするレイカ。
「大丈夫、昔よりはレパートリー増えてるから!」
間髪入れずに返すと、レイカは目尻を下げて肩の力を抜く。
「そ、楽しみにしてる」
「まかせて。エビチリとか、麻婆豆腐とかも作れるから」
僕は少し胸を反らして言う。
「……なに、そのザ・定番中華みたいなラインナップ」
「なんだよ、不満そうにして」
「だってホンバの味じゃないでしょ? 日本人向けに作った中華料理、それじゃ私の口に合わないよ?」
「な……食べさせてもらうくせに生意気だぞ!? それにヒヨコラーメン箱買いしといてグルメぶるな!」
ちなみにレイカは中華の虫だ。
和食好きな僕とは少し味覚の方向性が違う。
「そ、それは抱き枕のためだって言ってるでしょ!」
「どちらにしたってカップ麺生活よりはマシだろ?」
「……ま、そりゃそうだけど」
頬肘ついて爪楊枝を咥えるレイカ、行儀が悪い。
「それに諭史が作る料理のラインナップって、なんか婚活女子が、オトコ受けイイもの覚えました、ってモンばっかなんだよね」
レイカが目を細めながら、歯を見せて笑う。
「失礼な! 定番・王道は誰にでも好かれるからこそ、覚える価値があるんだぞ!?」
拳を握って僕は力説する。
「ま、でも今日から夕飯のことについて考えなくていいなら、私としては気楽でいいわ」
「……言っとくけど、そんなに長居するつもりは、ないからね?」
「ん、いまはそれでいい」
なにが”いまは”なのか分からないが、聞き返す間もなく、レイカはスープを飲み干して立ち上がる。
「私、もう出るけど諭史は学校行くの?」
「本当はこれからどうするか考えたいけど……それで休むのもおかしいし、登校するよ」
「そ」
「ね、レイカ。進路って決まってる?」
「……そうね。いまのバイト先から社員の話もあるから、少し考えてる」
「そっか、よかった」
「…………いままで放っておいて、いまさら心配かよ」
「なんか言った?」
「言ってない」
……そっちは、聞こえてるよ。
いまだって昔だってずっと心配してる、それまでずっと一緒だったんだから。
だけどその呟きには一つ疑問が浮かぶ。
なぜ僕たちから離れていったのに”いまさら心配されたこと”を不愉快に思うんだ?
そんなの昔から心配して欲しかったみたいじゃないか。
僕らの関係は変わった。
きっと昔と変わらないままだったら、同じ高校に行ってたかもしれない。
けどそんなこと考えたって、しょうがない。
僕とレイカの進む道はもう決定的に違ってしまっているんだから。
……だから一緒に登校しようなんて、会話の流れになるはずもなかった。
「じゃぁ、僕は一旦家に戻ってから登校するよ」
それぞれの生活を送る。
お互いが別々の友人や先生と話し合い、決めた、学校へと。
「――レイカ? 鍵の隠し場所は、いまも植木鉢の下?」
出来るだけ、なにげないことのように聞く。
「……なんで?」
少し考えてから、怪訝そうな声を出すレイカ。
「僕の方が先に戻った時、便利だから」
けど僕が返すのはレイカの望む答えとは別の、歯切れの悪い返事だった。
昨夜、レイカに提案されていた。
もし優佳が戻って来ないなら、いまの部屋を引き払って縁藤家のマンションに住めって。
でも僕は自分の――優佳と住んでいた――家から出るつもりはなかった。
それはレイカに仇することじゃない。けど与えようとした好意を受け取ってもらえなかったら、誰だって面白くはないだろう。
だからといってその申し出は受けることはできない。
それを選ぶことは優佳をなにも信用してないのと同じだ。
いまはまだ優佳がいなくなった理由についてなにも分からない。
きょう明日にだって戻ってくるかもしれないんだから。
でもそれと同時に、レイカの提案に乗ってみたいとも思った。
だってこれまで止まっていた関係に、光が差したのだから。
レイカの好意に、なんらかの形で応えたい。
だからいまの問いは、僕からの妥協案。
レイカの家に住むことはできないが、必ず戻ってくるとの意思表示。
僕を、また昔のように信用してほしい。
昔のように気軽にお互いの家を訪れる状況を作ろうとする、僕からの提案。
それはきっと優佳も望んでいることだから……
「それは……教えられないよ」
「……そっか」
けど数年で失った信用は、大きかった。
甘く見ていたのかもしれない、お互いの間にあった溝を。
少し会話をしたくらいで、五年の壁が薄かっただなんて、そんな希望的観測……
「……ちがう、そんな顔しないで。私がいない時に部屋に上がられて、色々漁られたら困るから」
一瞬、静寂が訪れるがレイカの呟きで空気が弛緩する。
「……僕がそんなことするわけないだろ、信用してよ」
「下着姿の私を騙そうとしたやつを信用できるかっ!」
どうやら信用を失ったのは数年ではなくて、ついさっきらしい。
「だから……ァド」
「……は?」
「だからメアド! 諭史、私のメアド知らないでしょ?」
「あ、ああ……」
「必要な時に電話なんて面倒でしょ? だからメールして」
そういってなぜか顔を赤らめ、スマホをこっちに向けてくるレイカ。
「でも今更メールなんて古風な……LINEでよくない?」
「ラインって、なに?」
「…………マジ?」
僕はひきつった笑いを浮かべながら、レイカのスマホを受け取る。
……LINEがインストールすらされてなかった。
一応、レイカだってJKだよね? なんのためにスマホを持ってるんだ、って言葉を飲み込む。
初期登録を済ませ”縁藤”というまんまな名前の友達を登録した。
「これでいつでも連絡が取れる。これで通話もできるから」
「へぇ~すごい。なにこれ? スタンプだって」
そういって真顔のスタンプを10個くらい纏めて送信してくる。
「やめてよ、小学生じゃあるまいし」
「なにこれ……かわいいじゃん。腹に蹴り入れてるのもある、ふふっ、おもしろい」
「……」
なんかその楽しそうな顔を見て、昔を思い出してしまった。
数年前、まだ優佳と僕に手を引かれて、すべてを信じてくれていた時のレイカを。
そして僕はこの時点で気づくべきだったんだ。
このとき感じた小さな違和感は、後々になって気付くべき大きな問題だったってことに。
「ね、諭史見て、ウンコのスタンプ。ぶりぶり~」
「わかったから少し黙ってね!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます