1-2 ぶっきらぼうなレイカ


 あれから四半刻、とあるマンションの玄関前。

 表札”縁藤”が記された二〇一号室の廊下で、家主の入室許可を待っていた。


「五分、いや十分待って」


 そう言うや否や、部屋の中からドタバタ走り回る音と、ビニール袋の立てるざわざわした音が漏れ聞こえてきた。


 さっきまで身を置いていた非日常。それを生活感漂う音が少しずつ現実に引き戻してくれる、そんな気がした。


 僕はその音がする扉を背に、体育座りをして待つ。


 始業式で久しぶりに袖を通したワイシャツ。

 その上から赤いパーカーを着込み、フードも被って四月の夜に身を縮める。


 花冷えの候――桜は咲いてもまだ夜は寒い。

 どこか甘い春の香りと、ご近所の油物を使った夕飯の匂いがごちゃ混ぜになって鼻を衝く。


 白い息を出そうと腹から息を絞るけど、白くはならない。そんな季節。


 ちなみに、なぜレイカの家の前いるかというと……よくわからない。

 レイカが「ウチに食べるものならあるから」と言い、そういえばお腹は空いたなと思ったらここにいた。


 優佳はいなくなってしまった。

 けど、だからといって具体的になにをすればいいとも思いつかず、ノコノコついてきたという具合だ。


 前途多難……

 レイカの住んでいるマンションは、僕の家から徒歩五分ほどの場所にある。


 幼少時代からレイカ達、縁藤一家はこのマンションで暮らしている。

 ただ縁藤家のご両親は仕事で海外に行くことが多く、いまも国内にはいない。


 そのため、実家といえどほぼレイカの一人暮らし。


 縁藤家のご両親とは僕もなじみ深い、幼少時代より家族ぐるみでの付き合いをしている。


 そうだ僕、纏場諭史(まとばさとし)の話もしておこう。


 僕は四月一日に十八歳になった夕霞東(ゆうがすみひがし)高校三年の帰宅部員。


 僕の両親も縁藤家と同様に海外での仕事の多い一家だ。

 というのも海外で両家が出会い、仕事の繋がりを介していまに至るという。


 そしてお互いの間に子供が生まれ、日本に戻る機会に近くで暮らそうって話から始まり、僕らのご近所付き合いは始まった。


 いまは別の人が住んでいるが、隣の二〇二号室が旧纏場家だ。


 僕と優佳の仲は家族の知るところで、同棲をする話が持ち上がった時に、

『また海外に行くし、この部屋引き払っていいんじゃない?』ってことになり空き家となった。


 そうして近くに大型スーパーがあって、夕霞東高寄りになるという理由で、縁藤家のマンションとは国道を挟んだ反対側のマンションに住むことになった。


 決してレイカを避けたわけじゃ、ない。


「入って」


 野暮ったい声がかかる。


 レイカは黒Tシャツに迷彩のパンツに着替えていた。ラフ過ぎてドカタの仕事でもしているような格好だ。


 それも似合ってないかと言われればそうでもない。

 どこか投げやりな身のこなしをするレイカによく馴染んでいる。


 それをカワイイ、キレイと褒める人はいないだろうが。



 レイカは中学時代モテていた。


 通学路では一年生から黄色い声が飛び、校門をくぐれば眉毛も髪の毛もない男に挨拶をされ、上級生から呼び出されること多数(いい意味でも悪い意味でも)


 下駄箱に手紙なんていつものこと。

 

 外見はひと昔前で言うレディースそのものだ。

 だが一面ではとても人情家で義理深く、男女分け隔てなく人気があった。


 一説では他クラスのイジメグループには素手でカチコミに行ったとか、セクハラ体育教師に対してソバットをキメたとか、そんな伝説が流れている。


 いまの時代に珍しい、後先考えない直情的な性格。

 それが僕が最後に記憶する、レイカの姿だった。


 ……ただそれも五年前の話。


 レイカは中学卒業後、隣の市の東部瀬川高に進学し、一年に一度顔を見るか見ないか、話をすることさえなかった。


 あの頃は色々あった。


 それは現在も棚上げされたまま。

 いまはただ状況だけが、僕とレイカに不思議な再会を果たすこととなった。


---


「うわ……」


「なによ、開口一番その反応」


「いや、そうなるでしょ。だって僕なんだかんだ二十分は待たされたよ?」


「だから?」


「だから? って……」


 玄関に上がった時点で嫌な予感はした。

 子供の頃にも遊びに来たことがあったが、こんなに”にぎやか”ではなかった。


 リビングには足の踏み場もなく、そこかしこに散らばる下着と洋服。流し台には溜まりに溜まった洗い物に、捨てに出されてない数個のゴミ袋。


 そして一番奇妙なのはレイカの自室にあったはずのベッドが、なぜかリビングの中央に鎮座し、シーリングライトの光を浴びて異様な存在感を放っている。


 数人で暮らすことを想定されている4LDKのマンションに、生活能力のない人間を住まわせると、どうやら素敵な化学変化を起こすらしい。


 レイカは物を避けもせずにグシャグシャと踏みつけてベッドに歩み寄り、近くのゴミ群を横に薙ぎ払うと、テーブルのようなものが姿を現した。


「まあ、座りなよ」


 座る所はないが、とりあえず座る。


 そしてベッドの裏に手を入れたと思うと、目の前のテーブルにストンとカップ麺が置かれる。パッケージは白とオレンジの虎柄で、ヒヨコのキャラクターがプリントされていた。


 チキ〇ラーメン……


「……」


「ん、どした」


「夕飯ってまさか、コレ?」


「そうだけど?」


「家に上がっといてなんだけど、なんか作ってくれるんじゃ……」


「は? そんなのないに決まってるでしょ。なんの用意もしてないんだから」


「いやいやいや、夕飯をご馳走してくれるっていうから」


「だから言ったじゃん”食べるものならある”って」


 僕は視線を落とす。

 そこには罪のないピヨついたカップ麺が二つ、お湯を注がれるのを待っていた。


「ないよりマシか……」


「なによ、その言い草」


「だってさあ、仮にも女の子の家に上がってヒヨコって」


「ヒヨコのなにが悪いの? おいしいでしょ?」


「いつもこんなものしか食べてないの?」


「こんなものとはゴアイサツね? 卵をかければごちそうなんだから」


 そういってカップ麺をひったくると、キッチンにあるポットでお湯を注ぎ、冷蔵庫から取り出した卵を割って僕に返してくる。


 郷に入りては郷に従え……まあ、久しぶりにこういうのもいいか。ヒヨコなんて何年ぶりだろう。


 レイカと無言の三分間を過ごし、開封。


 蓋を開け、溜息を一つ。

 卵の殻を箸でつまみ、レイカの目の前に掲げる。


「ヘタクソ……」


「い、いつもはこんな失敗しないのっ!」


 顔を真っ赤にしながら怒鳴る。


「そう? そういえばレイカって料理とかはからっきし……」


「あ~もう! そんなこと言ってると夕飯抜きだかんね」


「あああ、わかりましたごめんなさい」


 近寄りがたいオーラを放っているレイカだが、実際は歳相応、いや子供っぽい内面はどこか隠しきれていない。


 それも優佳が散々甘やかすからこうなったのかもな……そんなことを考え、勝手に胸を少し痛める。


 対面にいるレイカの顔を見る。

 レイカは自分のカップ麺にも混入した、卵の殻を取り除くのに必死だった。


 なんか笑えて来た。

 いなくなった彼女の妹に慰められるなんて。


 優佳の妹、といっても僕とは同い年。

 レイカは東部瀬川(とうぶせがわ)高校の三年生……留年はしていないはずだ、多分。


 そんな近況する話すこともなく、僕らは無関係の五年を過ごしてきた。

 それでも五年という壁を重く感じない程度には、いまは軽い会話が交わせることに安心した。


「「……」」


 でもどちらかが話し出さなければ会話はすぐになくなり、十五畳はあるリビングでカップ麺をズルズルとすするだけになる。


 僕は手慰みに近くに転がっていたテレビのリモコンを操作する。


 が、なにも映らない。


「あれ、どのチャンネルも映らないけど?」


「突然つかなくなった」


「は?」


「いちいち、うるさいな……」


 突っ込まれたくないことなのだろう、わざとらしく舌打ちする。


「じゃあなんのために置いてんの……ってこのテレビ地デジ対応してないじゃん。

いつのテレビそのまま置きっぱなしにしてるの!?」


「インテリアよ、インテリア」


「いやいや、映らないテレビとかなに考えてんの。仮にもレイカだってJKでしょ、友達との話題作りとかさあ?」


「フフン、だけど私にはスマホがある」


「当たり前だよ、なにがフフンだよ。それくらいでドヤ顔するな、いまや高校生のスマホ所持率は九十パーセント以上だよ?」


「やったぜ」


「なにがやったぜだ、意味が分からない」


 それからレイカはうんざりしたようにため息をつく。


「テレビなんか無くったって生きていけるでしょ? 諭史の家だってテレビなかったじゃないか」


「昨日まであったんだよ、なくなったんだよって……あ~なんか泣きたくなってきた……」


「あんだけツライことがあったんだ、泣いた方がスッキリするぞ?」


「なんだろう、今度はすごい腹が立ってきた」


「めんどくさい奴だな、生理?」


「僕は男だよっ!」


「はあ、うるさいなあ……」


 レイカはヒヨコ汁を一気に飲み干すと立ち上がって言う。


「そんなことより、これからどうすんの? 家賃はアネキが払ってたんだよね。どうやって生活するつもり?」


 急に真面目な顔をするレイカ。


「……アルバイトを再開しようかと思う」


 レイカは眉をひそめる。


「本気? 諭史は受験勉強のためにバイト辞めたんでしょ? それなのにまたバイトなんて始めたら本末転倒じゃない」


 意外だ、レイカはその事情を知っていたのか。話したのは……優佳?

 ふと、そんな疑問が沸き上がったが、いまは関係ない。


「わかってるよ、でも……」


 ……いまは他人に未来の話をされたくない。

 昨日までは未来に向かう毎日しか送ってこなかったのだから。


 いまの纏場と縁藤両家は海外で教育に携わる仕事をしている。


 僕と優佳はそれを継ぐつもりだ、そのためにまず進学して教員免許を取る。

 それが目の前にある僕たちの目標だった。


 その夢が、希望が、いまはどこにもない。その崩れ去っている夢を真正面から見つめ直すのだけは、まだ辛い。


「もう少し……自分に優しく生きなよ。諭史、いま弱ってるじゃん。そんな状態で大事なこと決めたりしないほうがいい」


「でも、僕は優佳が帰ってくるまで待たなきゃいけない」


「帰ってくる根拠、本当にあるの?」


「あるさ、あるに決まってる。優佳が勝手に出て行くなんて、ありえない!」


 少しばかり張り上げた声が、リビングに空しく響き渡る。


「……そうだ、アネキがいなくなるなんて、ありえないんだよ。よりにもよって諭史になにも言わずに、なんて」


 静かにレイカは口にする。


「でも諭史、一人で待てるの? あのアネキとの思い出がある部屋で」


 ……わからない。

 わからないけど、戻らなきゃいけない。


 だって、そこから逃げたら僕が優佳を信用していないみたいじゃないか?


 置き手紙をして行ったということは、自分の意志で出て行ったことを示すため。


 それを僕にわざわざ伝えたということは…………なぜなんだろう。

 なぜ僕に出て行った理由を告げてはくれないのだろう。


 僕がやはり愛想を尽かされたから? でも僕らはもう十年以上も一緒にいる、それなのに手紙一つで関係が切れるものだろうか。


 ”ごめんなさい”の真意はどこにある?


 勝手に出て行って”ごめんなさい”なのか、それとも急に裏切ったことに対する”ごめんなさい”なのか。


 裏切る? 優佳が? 自惚れるわけじゃないけれど、優佳にそうされる理由は思い当たらない。


 ……それに思い当れないからこそ、出て行ったのかもしれないけど。


「諭史、いまは混乱してるんだ。一人にならないほうがいい、そんな時に選んだ答えは絶対に間違うよ」


「……それでも、僕は」


「それでも、じゃない。あんたは私の言う通りにしていればいいんだ」


「なんだよその言い方。五年も顔を会わせなかったレイカに、なにがわかるって言うんだ」


「ああ、わからないよ。だけどその空白の時間に構ってられないくらい、どうしようもなかったんだろ?」


 僕はレイカの言おうとしていることに、気付いた。


「だから私に連絡したんだろ? どうすればいいのかわからないって!」


 ……そうだ、僕が呼んだんじゃないか、レイカを。


 一人であの部屋にいるのが辛くて、誰かに聞いて欲しくて。いまの僕にその判断ができそうにないから……五年の壁を破って、レイカに連絡したんだ。


『優佳がいないんだ……僕、これからどうすればいいんだろう?』


「そう、だったね」


 僕はまた腰を落とす。


 馬鹿か、僕は。

 自分でレイカに助けを求めておいて、ひどい言葉をかけて。


 レイカが僕の代わりに怒ってくれたから、少しだけ――ほんの少しだけ、冷静になれただけだったのに。


 手を差し伸べてくれた人に逆ギレしてしまうくらい、冷静になれていない。


「泊まってきな」


「それは……さすがにどうかと思うけど」


「じゃなきゃ諭史、あのベッドもなくなった部屋で雑魚寝でもするつもりでしょ」


「まさか、さすがにド〇キで毛布一枚くらいは買うよ」


「そんな無駄な買い物してる余裕、あるの?」


「……」


 なにも言えない、貯金はあるが将来に使う予定のものだ。

 そして優佳がいない今、これからなにが必要になるかも分からない。


「だけどラッキーだったね、ウチには使ってない布団も部屋もいっぱい余ってるの」


「…………なるほど?」


 そりゃそうだろう。最低でも残りの家族三人分はあるだろう。


「ね、諭史。私は自分の姉が家出をして、私の幼馴染を傷つけたことに怒りを感じてるの」


 僕のため……?


「だからね、このままあんたを帰したんじゃ、私が罪悪感を抱えて眠れない、わかる?」


 レイカは僕に歩み寄ってくれているのか?

 

 なぜ……?

 いや彼女の言うことをそのまま間に受けるのであれば納得できる。


 でも彼女の好意は僕らが”いまも仲のいい幼馴染”であるのが前提だ。

 少なくとも僕達から”望んで離れていったレイカ”からは提案されるはずがない。


 僕に同情してくれたから? それは、あるかもしれない。

 疎遠になったとはいえ、ケンカ別れしたり絶縁したわけではないのだから。


 もしくは、レイカはそれを踏まえてこの提案をしてきているのであろうか。


 ……ほんの少しでも思ってくれているのだろうか。

 これを機会に、仲直りしたいなんて――


 視線を交わしたまま、しばらく僕らは言葉を交わさなかった。

 そして僕はわざとらしくため息をつきながら口を開く。


「わかった、お願いできるかな」


「…………! そうこなくちゃ。じゃあ開いてる部屋見せるから好きなとこ選んで」


 レイカはそう言うと照れくさそうな顔を隠すように、部屋の奥に引っ込んで行った。僕はその顔を見て不思議に思わずにはいられなかった。


 レイカは僕と疎遠になりたくて、数年も離れていたんじゃなかったのか?


 けどいまの彼女には決して嫌そうな様子はない。


 だから少しだけ、こんな希望的観測をしたくなる。

 ……もしかすると、お互いの壁は薄かったんじゃないのか?って。


「レイカ」


「ん?」


「ありがとね」


「……気にすんな」


 優佳との連絡が途絶えたその日、再びレイカとの距離が縮まった。


 僕は昔のように三人で過ごせる日々を望んでいた。

 けれど優佳がいなくなったことを、キッカケにしてしまったら意味がない。


 だから優佳を見つけてガツンと言ってやる。

 僕に不満があったのなら直接言え、って。


 そして、もし叶うのであれば仲直りのできたレイカと、一緒に。

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