ファンタジーって何さ

逃ゲ水

ファンタジーは『自由』だ!

『モンスターを倒すとその体は雲散霧消、そして死体の代わりにコイン数枚と毛皮がその場に転がっていた。』

「なんでやねん!!」


 主に上のような理由から創作論というものを書こうと思い立ちました。

 みなさんも、もしかすると同じような経験をお持ちなんじゃないでしょうか。

 他にも、何もないところからレベルアップのファンファーレの幻聴が聞こえたとか、虚空にステータス画面の幻覚が開いたりとか、そういうのに無性につっこみたくなるという経験です。


 まあ、そういうのを否定するわけではないんですよ。例えばそれがヴァーチャルなゲーム内の出来事なら当たり前のことですし、あるいはそういうゲーム空間に似せて作られたゲーム的な世界なら、おかしいことではないんです。またはそれが伏線で

「この世界は何者かによって作られていた!」

「「な、なんだってー!」」

な展開になるのかもしれませんし。それなら別にいいんです。

 でも、そういう設定にする気がないのに、こうしたゲーム的な仕掛けを使ったファンタジーというのは、少し安直すぎやしないかと私は思うわけです。


 というのも、ファンタジーはもっと自由であるべきだと思うからです。


 ファンタジーについて語る前に、まずは辞書を引いてみましょう。

『fantasy 幻想、空想』

 ようするにこの訳を信用するなら、ファンタジーって何でもありなわけです。


「じゃあファンファーレの幻聴もステータス画面の幻覚もいいじゃないか!」

 はい。何でもありなのですから当然いいです。

 だけど、それにこだわる理由はあるのかということも考えてもらいたいのです。

 特に理由がないなら、今やありきたりになりつつあるそんな没個性な設定なんぞ巴投げでぶん投げてしまいましょう。背負い投げも可。



 さて、ぶん投げておいてなんですが、どうしてそういったゲーム的演出がファンタジーにおいて使われるようになったかというと、まあ詳しいことは知らないんですが『想像が容易だから』じゃないでしょうか。


 ヴァーチャルアイドルが歌い踊りインターネットに呟きを垂れ流すこの時代、小説投稿サイトを見るような人ならば、何かしらゲームをしたあるいは見たことがある人が大部分を占めるのではないでしょうか。そのもはや一般的とも言っていい経験を小説に取り込めば、『ああ、あんな感じなんだな』と読者にその情景を簡単に思い起こさせることができるわけです。


 鼻を突く刺激臭という表現に、酔っ払いの吐き出すアレ(下品で申し訳ない)、という言葉を足すだけでその匂いが鮮明になるように、いかにもレベルが上がったかのようなファンファーレと書くだけで、レベルが上がる系のゲームをしたことがある読者の脳裏には何かしらの音が鳴り響くわけです。

 確かにこれは強くイメージに訴えかける表現だと思います。だけどこれは表現であると同時に設定にも食い込む事柄なわけです。



 まあいいんですよ、「これはそういうお約束だから!」って振り切れるような精神力の強いお方ならいいんです。

 あるいは、ドヤ顔で「計画通り」とか言えるスーパー頭脳プレイヤーならいいんです。


 でも、「よくわかんないけど他の人もこう書いてるし使っちゃえ」っていうのなら私は待ったをかけたい。

 そんな軽い気持ちで模倣をするなら、いっそのことゼロから考えてみないか。それこそがファンタジーなのだから!



 ここでようやくタイトル回収です。『ファンタジーって何さ』。

 ファンタジー、何でしょうね。正直私自身、よく分かってないです。

 ただ、一つ分かるのは、ゲーム的制限の入ったファンタジーは純粋なファンタジーではないということです。


「なんだと! あのゲームもこのゲームもファンタジーじゃないと言うのか!」

 いいえ、そういうことではありません。ファンタジーを銘打つゲームはおそらくきっとファンタジーの世界を描いているはずです。

 しかし、そこには『ゲームとしての制約』が掛けられていることを忘れてはいけません。


 例えば、某RPGの一作目ではシステム上、主人公に襲い掛かってくるモンスターは一度に一体しかいません。順番待ちでもしてたりするんですかね、微笑ましい。

 また、宿屋に泊まっていても不意にモンスターの襲撃があるというようなこともありません。平和ですね。


 しかし、このようなことを真に受けて『モンスターは全て単独行動をしており、一度に複数で襲い掛かってくることはない』などと小説に書く人はまあいないでしょう。


 ですが、冒頭のこの文はどうでしょう。

『モンスターを倒すとその体は雲散霧消、そして死体の代わりにコイン数枚と毛皮がその場に転がっていた。』

 これも、本来であれば『ゲームとしての制約』、つまり本当はもっと詳細を描写したいけれど、ゲームとして成り立たせるために仕方なくこのような表現にしたのではないでしょうか。


 例えば、『倒したモンスターはその場で解体して毛皮を入手し、害獣駆除の駄賃として街に辿り着いた時に硬貨を貰った』のようなことが本当は行われているのかもしれませんし、『瀕死のモンスターの後を追うと巣穴があり、その中には旅人の遺品らしきものが散乱していた』ということが起きているのかもしれません。

 当然、一々このような描写をゲーム中に持ち出すのはテンポも悪くなりかねませんし、そもそも初期のゲーム機にはそんな容量の余裕はなかったでしょう。


 まあ別にモンスターの体が消えることが問題なわけではないので、『瀕死を負ったモンスターは体内の魔力の制御ができなくなり煙になって消え、同時に所持していた貴重品を落としていく』というのでも別段構いはしないのです。

 さらに言うなら、モンスターの死体の扱いなど深く考えなくてもいいのです。『モンスターの死体は腐肉食性の小型モンスターや微生物によってすぐに食べつくされるので倒したものはそのまま放置する習わしである』とでも書いておけば、野山で倒したモンスターの描写は『死体が転がっている』以上に書く必要はなく、頭の中から消し去ってしまってもいいのです。


 ちなみにファンタジック、すなわち空想的に考えて『死んだモンスターの魂は即座に昇天・転生して、美少女となって空から降ってくる』というのもありでしょう。



 要するに、ファンタジーは自由なわけです。

「魔法? それはどのような原理で発動しているのですかな?」

 とかいう私みたいな変わり者の声などさほど気にすることはないのです。


 ただ、自由なはずのファンタジー小説で、ゲームという制約に縛られているのはもったいないと思うのです。だって小説はゲームではないのだもの。魔力が尽きたって体力を削って最後の一撃を出せたっていいじゃないですか。巧みな話術でモンスターを言いくるめたっていいじゃないですか。

 そして、そこに少しでも辻褄が合うような説明がちょびっとでも書かれていれば、私のような設定大好きマンは喜ぶのです。なにとぞよろしくお願いします。


 あ、設定ごちゃごちゃ書きすぎて矛盾が生じるのはアレなのでその辺はほどほどに。

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