第5話

斉藤美香は20歳で結婚した。3つ年上の伊藤保との「授かり婚」だった。

昔でいう「できちゃった結婚」というやつだ。

美香は高卒で働き始めた中小企業でようやく一人前として見てもらえるようになったところで、保は大企業に卸す部品の工場に就職が決まった矢先に妊娠が発覚した。

「まだ若い」と反対する美香の両親と、一人息子には良い所出の嫁を望んでいた保の両親の反対を押し切って、駆け落ちのような状態で結婚することになった。

不安だらけではあったが、もともと肝っ玉が座っておりしっかり者として通っていた美香は、お腹の中に宿った命を守りたい一心でとにかく必死で頑張った。

保の両親にも良く思われていなかった二人は暮らす家を探すところから始まり、お金がないながらも子供のために保険に入ったこともあり、美香も生活費を工面するために共働きで彼女の産休ぎりぎりまで頑張って働いた。


予定日より1週間早く生まれた子供は男の子で、「守」と名付けた。

保に目元のよく似た、まんまるとした可愛らしい子供の誕生に二人はより一層絆を深めた。

守が6ヶ月になるころには美香は守を保育所に預けてまた働き始めることになった。

保は見た目は頼りなさそうだが芯は強く、「何があっても美香と守を必ず守るよ」と朝早くから夜遅くまで仕事も頑張ったし、育児にも出来る限り積極的に参加した。

美香はそんな保を常に思いやり、温かい手料理と笑顔で迎えるよう努力をしていた。


平和に暮らす3人に影が落ちたのは、守がもうじき4歳になる冬の寒い時だった。

その日、美香はいつものように保育所に守を送って行き、仕事に向かった。

夜は職場の定年退職者の送別会があったため、帰りは保が迎えに行ってくれるよう頼んできたので守の世話はそのまま保に任せることにした。

仕事のあと皆で会場まで移動し、送別会の1次会も終わり、2次会に移動するというときに美香の携帯電話が鳴った。

相手は警察からで、保と守が自宅で何者かに襲われ、病院に運ばれたとの連絡だった。

何を言われているのかさっぱりわからなかった。なんで保が?守が?いったい何があったの?

覚えているのはとにかく泣きながらわめき散らし、同じ会社に勤めるママ友先輩の鹿野幸子に病院に連れて行かれたことだけだった。


美香が病院についた頃には、保と守は霊安室にいた。

救急車で運ばれたが、すでに心肺停止の状態だったという。

美香はその場で泣き崩れた。警察が顔色を伺うように少しずつ事件の話をしてくれたが、美香の耳には何も入ってこなかった。

代わりに鹿野が警察や病院とのやりとりをしてくれていたらしいと、あとになって聞いた。

葬儀などもいつの間にか終わっていた。お通夜の席で保の両親と美香の両親が激しく言い争いをしていたことしか記憶にない。

「あんな娘のために保は・・・!」とか、「お前のバカ息子のせいで美香がこんな目に・・・!」とか、そんな内容だったように思うが、美香はどうでもよかった。

愛する夫と子供が誰かの手によっていっぺんに失わされた、という、その事実しかわからなかった。

食事もほとんど取らなかった。食べる意味が見つからなかった。

なぜ夫と子供を失って、私だけが生きているの?なんのために生きているの?

どうせこれから先も一人なら、もう死んだっていいじゃない。

何度か手首を切ったり、ガス管を開けっ放しにしたりしたが、毎日美香を心配して様子を見に来てくれていた鹿野に発見され、どれも未遂に終わった。

「死なせて・・・死なせてよ!!!」と鹿野を泣きながら殴ったこともある。

もう生きている意味が見つからない。美香はそう思った。


四十九日が過ぎ、茫然自失の状態からほんの少し落ち着きを取り戻したころ、鹿野が警察から聞いた話をぽつりぽつりと教えてくれるようになった。

保育所帰りに保と守が銀行に寄った際、まとまったお金を引き出していたのを犯人に見られたらしく、自宅まで尾行されて金を奪われたらしい。

どうやら保はかなり抵抗していたらしいが、騒ぎを聞きつけ父親のもとにやってきた守を人質に取られ、ほぼ無抵抗の状態で刺されたとのことだった。

翌日にローン支払いなどがあったため、銀行からお金を出しておいてほしいと頼んであったことを思い出した。

あんなことを頼まなければ・・・飲み会なんて行かずに自分で銀行に行っていれば・・・

後悔してもどうしようもないのだが、後悔せずにはいられなかった。

そして犯行現場が閑静な住宅街にある自宅で行われたせいで、周りに監視カメラなどもなく犯人はまだ捕まっていないとのこと。

聞けば聞くほど美香は悔しくてたまらなかった。

なんで、なんでそんなことで命を奪われなければいけなかったのか。幼かった守までどうして。


それからしばらくして、美香は誰にも何も言わずに引っ越した。

両親は実家に帰って来いと言ったが、保のことを最後まで悪く言い続けた両親のもとになんて帰りたくない。戻ってもどうせ「あんな男と一緒になったから」なんて言われるだけだろう。そんな生活耐えられない。

保と苦労して購入したマイホームも、売却した。

事故物件だからと不動産屋にぶちぶち言われた気もするが、そんなこともどうでもよかった。

鹿野はもちろん、今まで友達だった人たちにも何も告げずに、美香は一人で思い出の土地を離れた。

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丑子 @madoka99

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