遥かなる空の彼方より

ダブルピースkwsm

第1話

 

 皇国領東方部、上空5400フィートの雲の下で朝焼けに照らされる紅色の艇。

 その艇の名は赤蜻蛉あかとんぼ。帝国製の30メートル級小型飛空艇だ。この世界において飛空艇は魔法と科学の融合した「魔導技術」により生み出された最速の移動手段の一つである。

 この艇、赤蜻蛉が非武装であることから軍や空賊ではなくおそらく空送屋の艇であることがうかがえる。

 さて、空に詳しくない皇国民なら空飛ぶ飛空艇は地を走る荷車と違って魔物に襲われる危険のない安全な乗り物だと思っているだろう。

 その考えは概ね正しく、通常の飛空艇が航空する上空1万フィートから上で活動できる魔物はほとんどおらず、その移動に危険はほとんど伴わない。

 しかし5400フィート、地上から約1600メートルという中途半端な高度は飛竜など有翼魔獣の住処であり、つまりこの赤蜻蛉と名付けられた飛空艇の飛ぶ空域はこの翠星ゼクシアの中で有数の危険地帯であるといっても過言ではない。



「追ってきてる!追ってきてる!めちゃめちゃ追ってきてるよぉおおおおお!!」

 赤蜻蛉の操舵室で操縦桿を握る小さな女性がネックレスのように首に掛けたゴーグルを振り乱し、短い金髪を振り乱して叫ぶ。淡い緑色をした瞳からは今にも涙がこぼれそうだ。少女のオーバーオール姿からどうやら本来操舵士ではなく整備士か何かのようである。

「見えてるから黙ってろベル!!くそ…『こいつ』でかい!」

 操縦桿を握るベルの隣で怒号を飛ばした男の名はヴァン。齢十九にしてこの飛空艇の持ち主であり一応この空送屋の代表でもある。琥珀の髪が艇の揺れに合わせて揺れる。赤と黒を基調としたジャケットの背面には「トンボ運送」という社名とトンボの羽をモチーフにしたトレードマークが入っている。

「ベル!もっと速く飛べ!街の魔除け加護圏内にたどり着く前にコイツに追いつかれるぞ!」

 言葉を交わす間にも朝焼けに照らされる赤蜻蛉にぐんぐん迫る黒い影。地獄の底から響くような咆哮で大気を震わす『それ』は全長17メートルはあろうかという腕を翼に進化させた大型の翼竜だ。ブレスをまき散らす飛竜種よりはまだマシだが非武装の赤蜻蛉を撃墜させるには十分すぎる脅威である。

 速度を上げるべく艇の中核にある魔導エンジンは轟轟と周囲大気に満ちる魔素(マナ)を取り込み動力の魔力結晶を燃やす。

「ヴァンが悪いんだからね!ヴァンが悪いんだからねこれぇえええ!!!」

「アイツの領空に入ったてめぇがヘボなんだろうが!!」

 狭い船室で早朝からぎゃあぎゃあと騒ぐ二人。しかしこの件に関してもし罪に問われるとすればおそらくヴァンだろう。

 ヴァンがこの空域の航空権代をケチった為に軍の哨戒を避けて危険な5000フィート付近を飛ぶことになり、その上さらに費用をケチってこの飛空艇に魔除けの魔導器を積んでいないのはヴァンの判断である。

「大丈夫だ!ナナセが何とかしてくれる!飛竜なんざナナセなら一刀両断だ!」

 操舵室の通信機に手をかけ、まだ船室でぐーすか寝ているであろうこの艇の『戦闘員』を叩き起こすヴァン。

『ナナセ!起きてるか!この揺れだもんな起きてるよな!ちょっと刀担いで甲板に出てくれ!お前らが寝てる間に飛竜に追われてんだ!ナナセ!?ナナセェ?!起きてるゥ?』

 狭い艇の中のさらに狭い船室。名前を呼ばれて寝ぼけ眼をこすって体を起こしたのは美しい黒髪の乙女、寝起きだからか長い黒髪は外側にむかってピョコピョコ跳ねている。その恰好はパンツの上にシャツ一枚といういかにも寝起きのものである。どうにも低血圧なようで、激しく揺れる船内で全く動じている様子がない。

『…ぁはいはい…ヴァン?まだ五時だよ…操舵の交代まで二時間あるよ…』

 話の内容は全く聞いていなかったようで見当はずれの回答をするナナセ。

 ナナセの船室の床には奇妙なことにきれいに刀身の無くなった柄だけの刀剣類がガチャガチャと無造作に置かれている。唯一刀身が残っているのは壁にきれいに飾られた美しい直刀一本だけである。

『馬鹿交代じゃねぇ!敵襲だ敵襲!出撃してくれ!』

 徐々に飛竜と飛空艇との距離がつまりどんどんと声に焦りが混じり始めるヴァン。

『え、無理だよ。刀、昨日で全部『使っちゃった』からウェランドに新しいの打ってもらうか何処によって買わないと。ガーベラは使わないよ私』

 刀を『使った』から戦闘不能とは、まるで刀を弾薬か何かと同列に扱う言い草だが、彼女の使う剣術は『そういう』ものなのだ。

 ナナセの刀のストックがもうないことを知りどんどんと青ざめていくヴァン。

「マグナだ!マグナは!」

 この艇のもう一人の戦闘員を出撃させようとするが

「マグナさんの重火器は空で、ましてや竜相手じゃ役立たずじゃん!もう怪我してもいいからヴァンが追い払ってよ!ルドルフさんから航空権買わなかったのはヴァンでしょ!」

「あの野郎が吹っかけてきやがるから仕方ねーだろ!」

 この艇の乗組員は現在、代表のヴァン、戦闘員のナナセとマグナ、そして整備士のベルの四人だけである。操縦は時間別に交代で行うという所謂ブラック運輸業だ。

 領空侵犯を皇国軍に見つからぬように低空を飛び、経費削減で魔獣除けをカットするという安全性に配慮する気配のかけらも見えない時点でブラックどころか犯罪集団なのなだが、実際のところ空送屋の多くは元空賊の無法者共がほとんどである。かくいうトンボ運送のヴァンとナナセも元々とある空賊の一派であった時期がある。

「ちくしょうこんなことなら1万フィートで皇国軍と追いかけっこするほうがましだったぜ!」

 後悔と先に立たずというのは因果律的にいかんともしがたい問題である。

「労災…生命保険…あ、いま艇が家みたいなもんだし住宅保険も…」

「やめろベル帰ってこい!しっかり操縦桿を握ってろ!」

 そう言うと勢いよく操舵室から飛び出していくヴァン。

「あーもう治療費の方が代金より高くつくなんてオチじゃねーだろうな!」

 どかどかと甲板に飛び出すヴァン。

 いま艇の速度は時速260キロ。オンボロ小型艇の魔導エンジンが焼き付かないギリギリの速度である。

 吹き荒れる暴風にジャケットをはためかせながら悠然と甲板からどんどん近づいてくる翼竜を睨むヴァン。

「うぉぉ…やっぱでけぇ…ベル!翼竜に『寄せろ』!」

 船内へと通じる扉を開けて中に向かって叫ぶヴァン。

 飛竜との距離はもう30メートルも開いていない。あと数十秒であの竜は船尾に食らいつくだろう。尾翼を削られれば今後の航空に大きな支障をきたすのは明白であり、それ以前におそらく墜落は免れないだろう。だが、ヴァンは飛空艇を翼竜に『寄せた』。 

「こぉぉ…ぉ…」

 ヴァンは琥珀色の双眼に竜を捉え、大きく息を吸い込んだ。その呼吸と同時にわずかに『飛空艇の高度が落ちる』。

 ヴァンの体に闘気が漲る。その目に見て取れるほど強靭に練り上げられたその闘気が。翼竜は一度羽ばたけば爪の届く距離まで艇が近づいたにもかかわらず艇本体には襲い掛からず、生物的な本能からか、その爬虫類的な細長い瞳孔でヴァンを睨みつけて一目散に闘気をみなぎらせるヴァンに襲い掛かった。

「南無三ッ!」

 ヴァンのとったその行動は常人のとる行動ではなかった。大口を開け、獰猛な牙で襲い掛かってくる全長17メートルの巨体、その鼻っ面に、ヴァンは真正面から全力で右拳をその翼竜に叩き込んだのだ。

 全身を叩きつけるかのようなオーバーモーション。人と人との殴り合いならまず当たることはないだろうその大振りの一撃は突撃してくる翼竜の頭部ど真ん中を捉えた。

 鉄のような鱗と肉の拳が衝突し、ヴァンの拳は裂け、鈍い音を立てて骨が砕ける。

 しかしその一撃は迫撃砲の如き轟音を立てて翼竜の顔面を弾き飛ばした。体重七トンはあろうかという翼竜の巨体は飛空艇同士が衝突事故を起こしたかのように艇から勢いよく弾きとばされみるみる速度と高度を落としていった。

 対して赤蜻蛉はヴァンの渾身の一撃の撃ち終わりを持って、その高度と速度を再び取り戻した。

「ベル!全速前進だ!振り切れ!」

 右腕のいたるところか血を噴出させて甲板から船内に戻って来たヴァン。

「ヴァン!やっぱあんたって人間じゃないわ!!」

「馬鹿野郎!人間だからこんなに血が出てんだろうが!」

 どかっと操舵室の壁にもたれかかりながら座り込むヴァン。顔には疲労の色がにじむ。

「ちくしょう右手だけじゃなくて体の節々が痛え…」

「おちついたら包帯巻いてあげるわ」

「くそーまだナナセとマグナは寝てんのかあいつ…」

 全治二カ月はかかろうかという右手を抑えて唸るヴァンは使い物にならなかった戦闘員二人に悪態をつく。しかし彼らにとってはいつもはナナセが対応するものの意外と日常茶飯事であった。

 今回の空の一戦で名を呼ばれつつも姿を見せなかったマグナという男。

 後ほどヴァンが彼の船室を除くとそこには艇の大きな揺れにより、船室で頭をぶつけて伸びている長髪長身の男の姿が発見された。その男、マグナ=レ―ヴェンガルド。彼の名誉のために言っておくと元帝国軍人にして対人戦闘であればその戦闘力はプロフェッショナルである。

「今日は厄日だぜ…」

 ヴァンのつぶやきは風に乗って広い大空に吸い込まれるように消えていった。

 

 時に星歴686年。皇国領の上空で。アウトローな空送屋達が空を揺るがす物語の一節が幕を開ける。


「めちゃくちゃ頭痛いんだけど…」

 軽食屋のテラスで魚料理を食べながら頭をさする長身の二枚目の男性。茶色の髪は肩にかかるほど長く、男性しては長髪だ。今朝がた、船内で頭をぶつけて気を失っていた某役立たずの戦闘員、マグナである。

 今朝の一件を乗り越えたトンボ運送一行。一行は太陽が昇り切ったころには無事皇国領東部の街、『アストミア』に到着していた。アストミアは皇国東部において最も盛んな街であり、街に接する街と同じ名前の大きな湖が特徴で、魚料理が名物だ。蒼の女神像が街の中心に据えられているのは古今東西どの国、どの町でも見られる光景だ。

 一行は皇国中央からの荷物を受け取り人に届けた後、飛空艇発着場の近くの軽食屋のテラスでその魚料理をつついていた。

「てめーの頭より俺の右腕のほうが重症だ」

 ほらみろ、と包帯でぐるぐる巻きになっスリングで吊られている右手を対面に座るマグナに見せびらかしながら無傷の左手で食べにくそうに湖鮮パスタを食べるヴァン。

「ヴァン大丈夫?私が食べさせてあげようか?」

 ヴァンの横に座るナナセは血圧が上がってきて目がぱっちり、とまではいかないものの朝よりははっきりと赤い瞳がわかる程度になり、甲斐甲斐しくヴァンの世話をしようとしていた。その恰好は今朝のシャツ姿ではなく赤いセーターに白基調のジャケットを羽織ったものになっているが長い黒髪は相変わらず外側にむかって撥ねたままだ。腰には帯剣用のベルトが6本も巻いてあるが悲しいことに一本も帯剣している様子はない。

「いいって邪魔臭い。何のために食いにくい魚料理をパスしたと思ってんだ」

 しかしナナセがヴァンに甲斐甲斐しいのはいつものことで、別に腕の怪我も今朝の件も何も関係なかった。

「もう死ぬ…そうのうち死ぬ…わたしもルージュさんと一緒に事務所で書類整理だけしてたい…」

 ベルは今朝の疲労からサンドイッチを少しだけ食べてあとは机に突っ伏していた。首元のゴーグルは突っ伏すのに邪魔だったためか今は額の位置にある。

 ルージュ、トンボ運送の自称美人の事務員である。基本的に常に事務所で留守番と依頼受付、その他事務を基本業務にしている。

「は?ベルがいなかったら俺はどうすりゃいいんだよ」

「えッ…ヴァン、それは…その」

 はっとした様子で顔を上げるベル。

「魔導エンジンのことなんてお前以外わかんねーんだから、なんかあったら墜落一直線じゃねーか」

「うぐぅ…」

 ベルは再びぱたっと机に倒れこんだ。

「しかし東部の街はいいねー!美人さんおおいしさぁ東部美人っていうの?」

 もぐもぐと朝食を口に運びながら軽口を叩くマグナ。

「もっかい頭ぶつけてしんでろ」

 きょろきょろと周囲の美女を物色するマグナがいち早くその異変に気付いた。

「ほうひほはひのほうふあほかひくないか」

「飲み込んでからしゃべれ」

「ごくっ…いやちょっと街が騒がしいというか、お上品な街の外観に似合わず街の中が散らかってるっていうか…うーん…街の大通りを導力車が一台もはしってないっていうのもちょっと変じゃないか」

 マグナに言われてあたりを観察するヴァン。導力車とは飛空艇のように魔導エンジンを積んだ魔導によって走る、自動走行式の鉄でできた荷車のようなものだ。珍しい代物ではあるが、大きな街では交易の為に常にそこそこ台数が走っているものだ。それがないということは、陸路による交通に何らかの支障が起きているということである。

 街の騒がしさも『盛ん』というより『慌ただしい』という様相が強い。そしてマグナの言うように観光地でもあるアストミアの街にしては少々『散らかっている』。

「…儲け話の匂いがするな」

 ごくりとパスタの最後の一口を飲み込むヴァン。結局食べさせてあげられなかったナナセはどこか不服そうである。

「何が起きてるか知らねーけど発着所だけは『いつも通り』だったってことは、空に異常はおきてないってことだ」

 パスタを平らげて席を立つヴァン。

「え、もう飛ぶの?や、やだよ…ちょっとこの街でゆっくりしようよ…」

 やる気をみなぎらせるヴァンを見て不安になるベルだが、やる気になってもヴァンの右手は包帯がぐるぐる巻きで使い物にならないことには変わりはない。

「…ま、とりあえずは街の連中に話を聞いてみるか」

「じゃ俺はウェイトレスのおねーさんに声かけてみることにしよう」

 即座にそういって明らかに先ほどから目星をつけていたであろう可愛らしいウェイトレスに早速声をかけに行くマグナ。

「ヴァン。私ちょっと刀を調達したいんだけど」

「俺もぜひ調達しといてほしい。今朝みたいなのはもう御免だからな。俺は戦えねーんだからさ」

 ヴァンは右手をこれ見よがしに見せつけながら恨めしそうな視線を向ける。

「今が9時か…んじゃ昼過ぎにこの飯屋で落ち合うってことで」

「え、ヴァンはナナセについていくの?」

「俺はその辺で話聞いて回るんだよ、マグナは別の方向のやる気しかないみたいだしな」

 結局マグナはナンパ、ナナセは武器調達、ヴァンとベルが二人で街の現在の情報収集という役割でひとまず分かれることになった。一人役割でもなんでもない男がいるがいつものことなので誰も気にはしていなかった。



「さてどこから見たものかな」

 軽食屋をあとにして、車両交通の為に土と石材できれいに舗装された大通りを革靴の踵をカツカツならして歩くヴァン、とその後ろをついてきながら物珍しそうにあたりを見渡すベル。

「きょろきょろして…お上りさんじゃないんだし、お前の出身地の方が都会なんじゃねーのか?」

「わたしの街じゃ道路はタールで舗装されてるから、石の大通りはちょっと珍しくて」

「帝都出身のシティガールは皇国東部の大都会にきて田舎の風を感じてるわけか…」

「そんなんじゃないって!」

 ベルは数年前まで帝国の首都である帝都エデュナスティアで飛空艇整備士をしていた為このような大きな都市にきてもさほどの驚きはないようだ。これに関してはマグナも同じく帝都の出身である為、街の外観に大した驚きを感じなかったようであった。

「でもこれ最近舗装し直したようにみえるんだけど…」

 かつん、とつま先で舗装された道路を軽く蹴る。

「ところどころヒビとか…これだけの大都市ならもうちょっときれいに舗装できる技術屋さんがいそうなものだけど…」

 ベルは道路を歩いて感じた感想をふと口にした。

「あ」

 なぜ街に着いたとき気づかなかったのだろうか。いや気づかない理由はいくつかある。まず今朝の戦闘による疲労であたりを観察する余裕がなかったこと、大きな街であるからこそ迅速な対応によりその痕跡が極力少なくなっていたこと、そして最も大きな原因はここ4日間、ヴァンたち4人は『空にいた』ということだ。

 『そう』おもってよくよく見れば街のいたるところにその痕跡が見て取れる。

 路地裏で散乱した木箱、古そうな建物につい最近できたであろうヒビ、そして交易の要である東部の大都市にあるまじき交通量の少なさ、まだ撤去されていない倒れた街頭。

 ヴァンはすぐ近くにあった果実屋の店員の女性に駆け寄り声をかける。

「なぁおばさん、街の様子がちょっと変なんだけどさ、もしかして最近『地震』でもあったか」

「あんたら若いのに空挺乗りかなんかかい?そうだよ4日前の深夜にでかいのがね。街道の魔獣除けの街頭も全滅しちまってここ3日は他の街から旅行人がこないどころか流通がめっきり止まっちまっててね」

 商品が届かないから商売続けてられないよ、と果実屋の女性はぼやいた。

「なるほど、街に着いたらまず新聞は読まなきゃいけねーな」

 女性に礼を言ってベルの元に駆け寄るヴァン。

「ベル!きてる!空送屋の需要が爆上がりだぜ!」

 風が吹けば桶屋が儲かる。地震が起これば空送屋が儲かるのだ。

「不謹慎すぎるよヴァン…」

「街道の魔獣除けが全滅してるってことは大通りにいなかった商人とか導力車は全部街の正門前で立ち往生してるはずだ…吹っかけ甲斐があるじゃあねーか!」

 街と街とつなぐ『街道』。女神像の加護により街の中に魔獣は寄ってこないが、街の外は魔獣の住処である。しかし基本的に街道は別である。一定間隔に設置された街灯代わりの魔獣除けにより街の中ほどではないがある程度の安全性の確保がなされているのだ。

「地震、地震か、皇国で街灯が倒れるほどの地震は何年ぶりになるんだろうなぁ!」

 ヴァンうきうきでベルを引っ張りひとまず軽食屋に戻って全員と合流する。



ヴァンの読み通り正門付近には商人たちによってまるで皇都で行われる皇女生誕祭の時のような長蛇の列が形成されていた。しかしその様子はまるで通夜のようである。その数ざっと500人はくだらない。地震は深夜に起きたと聞いていたが交通の盛んな昼間に起きていればこの数倍の人数が立ち往生することになっていただろう。もっとも、力のある商人達は地震が起きた時点で我先に発着場に詰め掛け、大枚を叩いて空挺乗りを買い付けて脱出した後、ここにいるのは『残りもの』感が否めない。

「やーあ!お困りの陸送諸君!納期には間に合いそうかね!」

 列の後方から商人たちに大声で第一声を放つ。

「なんだ」「だれだ」「だれでもいいから荷物を運ばせてくれ」

 そのうち一人がヴァンのジャケットに刺繍されたトンボ運送という文字とトンボの翅をモチーフにしたトレードマークに気付いた。

「トンボ運送じゃねーか」「運送屋か?」「空挺乗りだよ」「ああ紅いのに乗ってる頭のおかしいやつら…」「アギトの一団なんじゃなかったっけ」

 ヴァンの登場によりざわつきを取り戻す陸送屋の一団。

「おい今『紅いの』がどうたらっつったやつ前に出ろ…」

「そんなことはどうでもいい!空送屋なら荷物を運んでくれ!通常の倍は出す!」

「おいてめぇ!いきなり倍まで額あげるんじゃねーぞ!」

 商人は信用が第一だ。信用を失えば今後の商売は大きく傾く、この一戦に今後の商人人生が掛かっているといっても過言ではない。全員我先にとヴァンの元に集って自分の積み荷の移送を依頼しようとする。陸送屋達からすば空送屋連中はアウトロー集団であるというのは百も承知、しかし今登場したヴァンは蜘蛛の糸だ。

「空挺乗り様!!!!」

 商人を押しのけその一団から飛び出した一つの影。しかしそのいで立ちは商人でもなんでもない。

「なんでシスターがこんなとこに…」

「空挺乗り様!どうか、どうかわたしの話を聞いて下さい!」

 その特徴的な空のように真っ青の服は、彼女が蒼の女神を崇拝する世界共通の一大宗教、星導教会の者であることを意味し、明らかに商人の一団からは浮いていた。ヴァン達の前に跪いて拝むように懇願の言葉を述べる。

「ここからさらに東の小さな町で地震よって女神像が倒壊したとの連絡を受けたのです!今すぐにでも町に向かって像を修復しなければ町の人たちは…!」

「嬢ちゃん…諦めなって空送屋も運送屋も今は慈善で動いている場合じゃねーんだ」

 商人の一人がシスターの肩に手をかける。この女は明らかに面倒事、厄介事を抱えた女だ。まず星導教会という時点でヴァンは嫌な予感しかしない。

「あの町には駐屯している教会員はいません!私が行かなければ数日のうちに街は魔獣に襲われてしまうんです!」

「おお、可憐なシスター。あなたの空挺乗り、マグナ=レーヴェンガルドが貴方のn」

 余計なことを言う前にヴァンは左足を後ろに振りぬいてマグナの腹部に蹴りを叩き込んで場外退場させた。

「シスター。お願い事は女神さまにしてな。それともあんた、こいつらより大枚叩いて俺たちを買い付けれるってのか?」

「金銭の問題ではありません!倫理の問題です!小さな町とはいえ多くの無辜の民が!」

「話になんねぇな、ベル、ナナセ、この女その辺につまみ出せ」

「ま、待って!多くの人命が掛かっているのよ!少しくらい話を聞いてくれても!」

「ヴァン!貴方って人間じゃないわ!」

「ヴァンがいうならなんでもいいよ」 

 ナナセは腰の帯剣用ベルトに左右で先ほど調達した計4本の直刀を刺してご満悦の様子で刀の柄を撫でていた。

「こまった時はお互いさまの精神っていうものが」

「慈善事業じゃねーんだぞベル」

 そのとき一人のひげ面の商人が飛び出てきてシスターを押しのける。

「どけ女!おい空挺乗り!言われるだけの額を出す!飛んd」

 ヴァンは無言でシスターを突き飛ばしたてヴァンの前に躍り出た商人を蹴り飛ばした。

「うぐぇえええ!」

「男が女に手あげてんじゃねーぞみっともねえ」

「うぐ、いてぇえ…いきなり蹴り飛ばしやがった…や、やっぱり空挺乗りはおかしいやつばっかじゃねーか!」

 悪態をついて商人の群れに逃げ込むひげ面の商人。

「空挺乗りの少年!私のお話を聞いてくるのね!」

 緑の瞳をらんらんと輝かせヴァンに再び迫るシスター。

「あー、シスター、それとこれとは話が別。おーけー?アイキャンフライノーペイね?オーケー?」

 そんな、とうなだれるシスターを無視してヴァンは再び商人たちに向き直る。

「さて商人連中!即決価格は3百万ルムだ!それで皇都までは飛んでやる!買うやつはいるかァ?」

「ば…馬鹿か!相場の30倍じゃねーか!」「ふっかけてんじゃねーぞ!悪徳業者ァ!」「百万ルム!いや百五十までなら出す!」「ヴァン!?それはやり過ぎだよ!」「やっぱ刀があると落ち着く…」

 ヴァンの提示した莫大な金額に次々と不平を口にする商人。

 それもそのはずヴァンは別にこれほどまでの大金をせしめようとは思っていない。最初に莫大な金額を提示し、値切られた結果その半額程度で商人数人を少ない荷物と共に運ぶ、そういう算段だった。

「買います!3百万!出しましょう!」

 ヴァンの思惑を知らずに、そう返答してヴァンの左手を握りしめた依頼主。

「…は、正気かよ、自分で言うのもあれだがさすがに吹っかけ過ぎの犯罪価格だぞ?どうやって用意するんだよ…」

 その相手は先ほどのシスターであった。

「き、教会の土地を売ります。アストミアであれくらいの土地なら3百万はおろか数千万ルムは用意できます。教会がなくとも空の下であれば蒼の女神様は導いてくださいます」

「ま、まじかよ…」「あのシスターおかしいぜ…」「数千万…刀…いっぱい…」

 ヴァンは口元をにやりとゆがめた。

「気に入った。当初の予定とは大幅に違ったがその依頼受けたぜ」

 呆然とする商人の群れをよそにシスターはヴァンを買い上げた。

「ナナセ、ベル、マグナ、仕事だ飛ぶぞ」

「また飛ぶんだ…」

 赤と黒のジャケットを翻してその場を立ち去るヴァン。

「あの、先ほど蹴とばされたお仲間の方は…」

「あ…ナナセ…マグナ拾ってきてくれ」

「ヴァン以外の男にはあんまり触りたくないんだけど」

 ナナセは地面に転がる190センチはある長身のマグナをまるで重さを感じさせることもなく軽い動作で肩に担ぎ上げた。160センチほどの小柄な女性が肩に大男を担ぐなど異様な光景であるが空挺乗りの間ではそこまで驚くほどの光景ではない。

 商人達は嵐のようにやってきて嵐のように去っていた空挺乗り達の背中をしばらく見ていたがすぐに正門に向き直って先ほどと同じ通夜ムードに突入していた。



「で、ユリアさんだっけ?シスターユリア?」

 先ほどのシスターに急かされ発着場にとんぼ返りしてきた一行。

「俺たちはあんた一人を隣街のチェスターまで運んで、一晩滞在した後あんたを無事にこのアストミアまで連れ帰る。これでいいな?」

「はいお願いします」

 アストミアの発着場は大都市であるため当然広い。しばらく歩きながら依頼の確認をするヴァン。

「ヴァン…やっぱりちょっとぼったくり過ぎだよ…悪名響かせちゃうよ…」

「ばっか、もともと空挺乗りなんてのはほとんど空賊まがいの連中だろうが」

 ひそひそとシスターユリアに聞こえないように話す二人。

「ナナセさん?はその、たくさん剣をお使いになるのですね」

「そういう剣術ってわけじゃないんだけど、刀身が『もたない』から」

「いやぁ俺はねシスター、一目見た時から貴方の力になると心に決めてたんですよあれシスター聞いてます?」

「あ、はい、期待してます」

 シスターは膨大な金額を吹っかけられたにかかわらずトンボ運送の船員と積極的にコミュニケーションを図ろうとしていた。

「まぁ、今回はナナセの刀もあるし、危険な移動じゃねーだろ」

「…」

 じとーっとヴァンを睨むように見据えて交わす言葉はもうないと言わんばかりに戦闘を歩くナナセの方にツカツカ速足で歩いていくシスターユリア。どうやらヴァンは別のようであった。

「あれ…?」

「当然だよ…ユリアさんからしたらヴァンは悪徳業者の犯罪者だもん…私も同類に見られてるのかなぁ…」

 しょぼーんと肩を落とすベル。そうこうしているうちに赤蜻蛉の止まる発着場の端に着いた一行。

「え…これって…」

 その小型飛空艇を見て目を見開くシスターユリア。

「真っ赤っ赤…紅の飛空艇…」

 赤い機体とは真逆にユリアの顔は蒼くなった。

 ユリアは元々皇国の出身ではなく帝国の人間である。4年前、帝国から皇国に渡る際は帝国空軍が運航する民間用の移動便に乗り空を渡った経験がある。

 そのとき空の注意事項として、空の旅をするものの三大天敵の話を聞いた。

 一つ、竜種。最高高度に到達すればまず遭遇することはないがそれでもごくまれに低空飛行時等に遭遇する可能性がある。そんな竜種は航空事故の2割の要因である。

 一つ、天候。空の天候は未だに未知の部分が多い、船内が大きく揺れ、それによって怪我などを追う危険がある。幸いこれによって墜落したなどの事例はまだない。

 一つ、空賊。空で起こる民間移動便の事故の8割の要因を占める空のギャング。当然民間移動便も空軍管轄なのである程度の戦力は保有している、しかしその空賊のなかでも紅の飛空艇を目にしたときはすべてを諦めてくださいと乗艦の際に注意を受けた。

 紅の空賊『アギト』。その空賊は逸話に事欠くことなく、五年前に終結した帝国皇国間の戦争の際は、戦争空域に赤い飛空艇が入り込んだことで誤射を恐れた両軍が一時戦闘を中断したとか、その赤い色はすべて竜の血液であるとかいろいろだ。

「あれ?シスター?乗らなんですか?」

 青くなるシスターの横で小首をかしげた少女。ユリアは仕事柄子供をたくさん見ることが多い。その経験から言って彼女の年齢はおそらく15歳ほどだ。

 可愛らしい短い金髪。ラピスラズリのピアス。背伸びしたような体格より少し大きいオーバーオール。これはユリアの感想だが、彼女はこの空挺乗り集団の中で最もまともそうでかわいらしい少女。こんな可愛らしい少女がその禍々しい紅い艇に乗り込むことを勧めてくる。気のせいだ、この運送屋の艇も偶々赤かっただけだ。そう自分に言い聞かせるユリア。

「シスター。急いでくださいって言ったのはあんただぜ?さっさと乗れよ」

 いや、ただの運び屋の少年がこんなに口が悪いことがあるだろうか。などと失礼なことを一瞬考えたユリア。

「あ、このトンボの翅のマークか!?いやぁシスター…いいセンスしてるぜ…これは俺の友人が考案したんだけどよ!めちゃお気に入りで俺ジャケットにも刺繍してんだよ!」

 何を勘違いしたのか年相応のはしゃぎかたでユリアに背中を見せるヴァン。

 いや、彼にも何か事情があってお金が必要でこんな危険で阿漕な商売をしているのだ、私の役目はそんな迷える彼らを救うことなのではないだろうか、そう考え心を落ち着けるユリア。

「すー…はー…すー…はー…」

 深呼吸して冷静さを取り戻し、顔色が普段通りに戻ったユリア。

「いえ、飛空艇に乗るというのも数年ぶりで少し緊張してしまって」

「あぁ…そういや人を運ぶってのは久々で忘れてたぜ。普通の人はなかなか空を飛ぶことなんてねーもんな。落ち着くまで待っててもいいぜ」

「大丈夫です。でも確かにいいデザインのマークですね。よい友人をお持ちの…よう…」

 しかしユリアは悲しいことに落ち着いたせいで、冷静になったせいで気づいてしまった。トンボの翅のマークの下に、消されてはいるがわずかにうっすらと残った『前』のトレードマーク。『龍の咢』をあしらった空の天災の印が。

「(ああ、女神さま、私は焦るあまり誤った選択をしたのかもしれません。彼ら…彼らは…今は運送屋でもその正体は恐ろしい空賊…女神さま…私天国に行けますか…)」

「シスター?」

「い、いえ!行きましょう!行きましょうとも!行ってやります!乗ってやりますよ!度胸!女は度胸!星導教会導きあれ!」

 普通の人は飛空艇に乗るのがそんなに恐ろしいのか、と見当はずれな考えを浮かばせるヴァン。幼少のころより地上より空にいた時間の方が長いヴァンにはわからない感覚だった。

 隣町までの距離は飛空艇でおおよそ4時間。太陽は真上を通り過ぎたが、今から出立すれば太陽が沈むまでには隣町に着くだろうとシスターに説明するヴァン。シスターはヴァンの意外としっかりした説明に安心し、再び心の平穏を取り戻していた。

「待っていてください…」



「まぁそうなるよね、アストミアで航空券の更新する素振りもなかったし、魔獣除けの装置を買って導入する時間もなかったし。次は左腕だよヴァン」

「なんだって四時間ぽっちの航空でまた襲われなきゃなんねーんだ!」

 案の定街を飛び立ってすぐに赤蜻蛉は飛竜に襲われてた。今朝のよりさらに大きく、翼と後ろ足に加えて翼の下から強靭な両腕を生やしている。翼竜ではない飛竜だ。

「ぶ、無事にアストミアまで連れ帰るどころか無事隣町につけるかどうかもわからないじゃないですかああああああ!!契約不履行!契約不履行!」

「うっせぇえええ!なんで狭い操舵室に三人も詰め込んでんだ!!」

 騒ぐ操舵室の外、甲板ではマグナが大型の重火器にて飛竜に牽制を加えていた。

 爆裂音を次に次に立て、人の体程ある大型の重火器から次々銃弾が放たれる。

 しかしその悉くは激しい気流によって命中率を失い竜に命中せず、仮に当たったとしても鈍い金属音を立てて鋼鉄のような鱗にはじかれる。

「あーだめだぁ効かないし牽制にもならない。全然追っかけてきてるわこれ」

 甲板で膝をついて狙撃体制になっていたが諦めて立ち上がり上を見る。

「ナナセ、やっぱ銃弾じゃだめだ」

 飛空艇の甲板のさらに上部、明らかに人が立つように設計されていない飛空艇の頭頂部に悠然と立ち、長い黒髪を激しい風にさらしているナナセ。

「…しょうがいないな」

 腰に差している四本の刀のうち一本を選んで抜く。

 ナナセが抜刀すると大気の空気が歪んだ。いや、ナナセから放たれる圧倒的な闘気によって空間がゆがむような錯覚に陥るのだ。


「ナナセさん一人で大丈夫なんですか!?一個小隊レベルの戦力ですよあの竜!」

「黙ってろって。あいつはたぶん俺が知ってる中で世界最強の剣士だ」

 操舵室では依然ユリアとヴァンがぎゃあぎゃあと口論を続けていた。

「お願いナナセ~私を無事に返して~」

 ベルは操縦桿に抱き着いて情けない声を上げていた。


 艇の上でナナセが刀を構える。

 刀身が深紅に発光し、激烈な熱を放ち始める。

 それに呼応するようにナナセの黒髪も赤く、深紅に染まっていく。


「抜刀。紅焔光刃…紅蓮剣!」


 輝く直刀を上段に構えたままナナセは甲板を駆けだして、上空5400フィートへとその身を踊りだした。

 深紅に染まった髪をなびかせて、その紅く煌く刃を飛竜へと放つ。

「一式・火焔!」

 斬撃と共に爆炎をが巻き起こり、ナナセの放った斬撃は体長20メートルを優に超える飛竜の巨体を真っ二つに切断した。

 飛竜の死体の左半分を蹴り、赤蜻蛉へと舞い戻り、120ノットで飛行する艇の甲板になんなく着地した。

 先ほどまで深紅に燃え盛っていた刀身は溶けたのか蒸発したのかきれいさっぱりなくなっていた。


「なんですかあれ」

「ぐれんけん…」

「そういうことではなくて」

 ユリアはナナセの船室で先ほどの不可解な現象についてナナセに尋ねていた。

「戦闘用魔導機の所持は軍属、それも一部の人間にしか許されていません。これは皇国だけではなく争いの激化を避けるために星導教会が定めた戒律でもあります」

 ユリアは星導教会の人間として先ほどの人知を超えた所業が魔導機によってなされたものかどうか確認する責務があった。

「魔導機を持っているようには見えませんが、人間が魔導機無しに魔力を扱うことはできませんし…どういうカラクリなんですか?」

「わたしが斬らなきゃ艇は落ちてたし…」

「それはそうですが…」

「あれは『闘気』って代物だ」

 いつの間にかナナセの船室の入口に立っていたヴァンが代わりに答えた。

 さすがに三人も人間が入るスペースはないのでヴァンはそのまま入口で話を続ける。

「東国アマツあたりが発祥の闘法でな、大気のマナを燃やす魔導や魔法と違って、人体に宿る生命力を燃やして力を生み出す。」

「そ、そんな話聞いたことがありません!」

「まぁ技法として認識して使ってる人間は少ないが…俺の覚えじゃ皇国の第一皇女なんかも闘気の使い手だ。帝国の剣帝とかもそうだな。俺も大した腕じゃないが近いことはできる。まぁその結果が『これ』なんだが…」

 スリングで吊っている包帯の巻かれた右腕を軽く振るヴァン。

 今まで22年生きてきて初めて聞く話にユリアは困惑していた。

「(さらっと言ってるけど空じゃこんなのが普通なの!?)」

「ま、まぁ魔導機の不正所持等ではないのなら深くは聞きません、聞いても全然

わからなさそうですし…」

「は?だから魔導は魔石を核にして大気中のマナを取り込んで力を発動するだろ?闘気は生命力とかカロリー的なのを気合で燃やして膂力を引き上げる闘法で」

「『とか』!?『的なの』!?なんですかその具体性のないほんわかしたレスは!」

「よーするに気合だよ気合!空の上で何年もいればあんたもできるようになるって!」

「あの紅い発光現象はどう説明するんですか!?なんで刀身がなくなるんですか!」

「ナナセの闘気が紅いから赤色になるんだよ!刀身は闘気に耐えられねーんだって!」

「ぐれんけんなのに…」

 ちなみに刀身が消し飛ぶのは闘気を纏った一撃に刀身の方が耐えられないとされているが、ナナセの髪が深紅に染まる現象は未だに謎である。ナナセは赤髪を結構気に入っていて、『血色の剣鬼』という一部空域での二つ名で呼ぶと大層激怒するらしい。

「ごめんヴァン…しばらく寝る」

 騒ぐユリアとヴァンの声も気にせずぱたりと寝床に倒れこんで、すうすうと可愛らしい寝息を立て始めたナナセ。

「え…あの、もしナナセさんが寝てる間にもう一度竜に襲われたら…」

「その時は俺の左腕が犠牲になる」

「さらに襲撃があったら…」

「まぁ空の旅に危険は付き物だ!気にしてたら気が休まらねーぞ」

「これは神が与え給うた試練…これは試練…無辜之民を救う救済の旅…これは神の…」

「だあああうっせーな!大体いくら5000フィート付近っつってもそうそう竜に遭遇したりしねーよ!大体そうそう120ノット以上だしてちゃエンジンがぶっ飛んじまうよ」

 かくしてその後はヴァンの言うとおり大した危険もな紅蜻蛉を続けた。



 アストミアからさらに東に位置する小さな農村、チェスター村。皇国屈指の葡萄の名産地であり、その葡萄は皇都にも納品されるぶどう酒の原料にもなっている。夕日に照らされるブドウ園は壮観の一言に尽きる。

 ヴァンたちの飛ぶ空からは町の中心部が木箱や木の柵で作られた簡単なバリケードで囲われていることが確認でき、魔除けの加護を持つ女神像が倒壊し、魔獣襲来の危機に晒されているというのは紛れもない事実のようであった。

 町の中心付近の広く開けた一角にゆっくりと飛空艇を着陸させると紅蜻蛉の周りには次々と村人が詰めかけてきた。

「おお!アストミアのシスター様だ!」「女神像の修復にいらしてくれたのですか!?」

 ユリアが町に降り立つと、すぐに町の人々はユリアに駆け寄り声をかけていく。どうやらユリアはこの町で大層な人気者らしかった。

 ここチェスターの町ではアストミアの街と風景は一変し、木造の住宅が多く、道路もしっかりと舗装されていない。どこか牧歌的な空気を感じるいかにも農村といった感じの町だ。

 しかし牧歌的な町の空気は殺気立った町民により歪んでいた。三日三晩魔獣の脅威におびえていたのだ、相当な緊張感でおそらく誰もまともに寝ていないのだろう。

「お兄ちゃんたち誰ー?シスター様のお友達?」

 艇から降りて少し離れたところでユリアと町を観察していたヴァンの横に小さな6歳くらいの少女が駆け寄ってきた。町の大人たちとは逆に子供たちは元気で活発である。

「キャシー!いけないわ!その方は教育に悪い方なのよ!むやみに話しかけるものではないわ!」

 離れたところからユリアが子供に声をかける。ひどい言われようである。

「散々な言われようだなオイ」

「俺知ってるぜ!空挺乗りだろにーちゃん!」

「あ?ちょっとまてこのガキいつの間に」

 しかしユリアの忠告空しく。

「この上着かっちょいいー」

「おい馬鹿引っ張るな一張羅だぞこれ!」

 一人、また一人と物珍しさからかヴァンの元に子供が集ってくる。

「すごーい!紅くてかっこいいふね!」

「でしょ!ちょっと型式は古いけど150ノットは余裕よ!」

「それってすごいのゴーグルのお姉ちゃん」

「うわぁすげえ俺女は好きだけど子供はパスな」

「ちょまてマグナ!うわやめろガキ!ポケットに何入れやがった!おい!こらもうあああ!ユリア!子供たちをうわおま」

 あれよあれよとヴァンの周りに子供の群れが形成され子供の波に飲み込まれていく。

「だんしってほんとこどもよねー」

「ね、これオーバーオールっていうんでしょ?都会じゃ女の子もこういうの着るの?」

「そのピアスもしかしてあの男からのプレゼントとか?」

「ゴーグルをアクセにするのがトレンドなのかしら…」

 ベルの周りには数人の小さな少女が物珍しいそうにベルの服を見ていた。

「いやこの服装は職業柄というか…あれ私町の小さい女の子と同じポジション!?」

 ナナセはというとまだ船室で寝息を立てていた。


 町についてすぐに倒壊した女神像の元へ急行し、女神像に内蔵された魔除けのを能力を発動させる魔導機の修理を始めるユリア。

 星導教会は女神像に内蔵された魔除けの魔導機の整備員でもあるのだ。

「これでもう大丈夫です。すぐに機能が復活するはずですが一応町民の皆さんは夜明けまではバリケードの中に避難したままの方がいいかもしれません」

ユリアのその言葉を聞き、街の人々に安堵の顔が広がる。

 ひと段落ついてやっとユリアはもう日が沈み周囲がとっぷり暮れていることに気が付いた。時間の経過を感じるとユリアは突然空腹感を思い出した。そしてそのまま村長の厚意で夕食に招待されることになり…


「遅かったなシスターもう食ってるぞ」

 村長宅の食事に先にありつくトンボ運送の一行が待っていた。起き抜けのナナセはジャケットを羽織るのが面倒だったのか赤いセーター姿で、どこからか戻ってきたマグナは村長の奥さんにお世辞の雨を降らせて歓談に花を咲かせていた。

「お疲れ様ですユリアさん」

「ベルちゃんだけが癒しのメンバーだわ…」

「ほっほヴァン殿達とシスター様とはずいぶん仲が良いのですな」

 そんなことは一切ないと強く否定したかったがそんな元気は残っていなかった。

 ユリアは頭に被っていた修道服のベールを脱ぎ、長い金髪を頭の後ろでまとめてからおとなしく食卓につき、温かい食事にありつく。

「いただきます…」

「で、このあとはどうするんだシスター」

 食事を続けながらヴァンはそう切り出す。

「後…ですか?もう修理は終わりましたし…」

 ヴァンの言葉の真意がつかめず首をかしげるユリア。

「あぁ修理じゃなくて既に加護圏内に入り込んでる魔獣のことだよ。結構な数の気配がしてるけど圏内に入った後じゃあ加護が戻ったところであいつらは町から出ていかねーぞ」

 ぽろりとユリアの手からスプーンが零れ落ち、村長の顔が凍り付く。

「な、なんですって!」「なんじゃと!」

 ユリアと村長の反応が意外だったのか目を丸くして驚くヴァン。

「そりゃそうだろ三日も加護が切れててこれだけ人間がいるんだ。『人間嫌い』の魔獣共がまだ襲ってきてないのが不思議だぜ」

「な、なんでそんなにのんびりしてるんですか!」

 ぱくぱくと料理を口に運びながら話を続けようとするヴァンをおいて村長はすぐ家の外の緊急時用の鐘を鳴らしに行った。

「く…食っとる場合かァーーーーッ!」

 ユリアの絶叫が村長の家の中で響いた。

「シスターちゃん!?声を荒げてどうしたんだい!?」

「あの日なんじゃねーの?」

「ヴァン。下品。」

「いや…正直なとこユリアさんの反応が普通だと思うんですけど…」

 食事を中断し、慌ててベールを被りなおして席を立つユリア。

「貴方たちも早く戦闘準備をしてください!」

「なんでだよ…」

「は?」

「俺は皇国軍人でもなきゃ警備兵でもないし善人でもない。わざわざ危険を冒して町の人間を助ける義理も道理もない。」

 右手もこの通りだしな、と言わんばかりに包帯の巻かれた腕を振る。

「わ、わたし戦闘はからきしで…ごめんなさいユリアさん…」

「私は怪我してるヴァンを守らなきゃいけないし」

「マ、マグナさん!」

 最後の希望となった軽薄な男に助けを求める。

「弾って無料ロハじゃないんだよね」

「あ、貴方たちは戦う力を持ちながら無辜の人々を守るために立ち上がらないというのですか!!」

 ユリアは両手を机にたたきつけて面々を糾弾した

 ヴァンとマグナとナナセは両手いっぱいに皿をもって衝撃で皿がひっくり返るのを間一髪で避け、ベルは唯一体をこわばらせていた。

「い、言わせてもらいますけど!人間の屑です貴方は!蒼の女神も見捨てるわ!見下げ果てた男!馬鹿!間抜け!ちび!禿!」

「お、まてぃマグナと比べれば小さいが平均身長だぞ俺は」

「ユ、ユリアさん!紅蜻蛉なら町の子供たちを乗せて上空に避難できます!確かに上空も危険ですけど今の地上よりは…その…町民全員というわけにはいかないんですけど…」

「その話本当ですかな!」

 ひとまず非常招集の鐘をならして部屋に一度戻ってきた村長がベルの話に飛びついた。

「ベル、勝手なことを…」

「ヴァン!」

「う…」

 ユリアの糾弾にはびくともしなかったヴァンだがベルの怒声には身を固くした。

「ま、まぁ…あぶねーけど甲板にも詰め込んで無理すりゃ40人くらいは…」

「子供たちだけでも、子供たちだけでもお願いできませぬか!」

 ヴァンに縋りつくように懇願する老人。

「いや、まぁ、あの、そうっすね…それくらいなら頼まれます」

「村長!」

「シスター様…あなたにはわからぬかもしれませんが彼も若くてして、小さいながらも集団の長なのです…むやみに身内を危険にさらせないのは私には理解できます」

 村長のヴァンの非道を正道と擁護する言葉にばつの悪そうな顔をするヴァン。

「ヴァン殿。勝手ではございますが町の子供たちを頼みます」

 ヴァンの無事な方の手を強く握りしめてそう言うと村長は家の前の広場に出て行った。

「俺は悪くないよな…」

 苦虫をかみつぶしたかのような顔でヴァンは一堂に質問した。

「ヴァンが言うなら」

「戦術的には村長の言う通り自分の部隊員の安全確保が最優先だろうな」

「私が戦えればよかったんだけど…」

「わた…わたしが村の人を守らないと…私が…」

 ユリアはうつむき、ながら沸々と闘志と戦意を滾らせた。


 深夜。青白い月が中天で輝くころ、村長宅前の広場には武器を手にした若者が集結していた。町の大人たちはバリケード付近で魔獣と戦い、潔く町と共に死ぬ気の様であった。

 そのすぐ近くの広い空き地に停泊させている紅蜻蛉の近くには町の子供たちが集められていた。

「お兄ちゃん達こんな夜中にどうしたの?」「なんか始まるの?」「おねえちゃん暗い顔だよ!暗い顔はダメなんだよ!幸せじゃなくなるの!」

 ざわつく子供たちをなんとか船内に入れようとするトンボ運送のメンバー。

「あーえっと、なんていうのか、夜のドライブっつーかそういうアトラクション?的な」

「ヴァン、誘拐犯みたい」

 くすくすと子供相手にあたふたするヴァンをみて笑うナナセ。さすがに魔獣がうろうろしてるから避難しろなどと言えば子供たちは混乱し、収拾がつかなくなるかもしれないと言葉を選ぼうとするヴァンたち。

「な、ナナセ!だめだよ!ヴァンはタダでさえ人相悪いんだから!」

「子供…子供かぁ~どうしたもんかねこれ…」

 どうやって子供たちを積み込んだものかと傍から見れば集団誘拐のような絵面を繰り広げる一行に助け舟がやってくる。

「みんな、私たちは町に残ってる魔獣の討伐があるの。みんなはその間、お兄ちゃんたちと艇に乗って避難しててほしいの」

「ばっ…そんなハッキリ!?」

 ユリアの言葉を聞いて子供たちがざわつきだす。

「シスター様は大丈夫なの?」「お父さんとお母さんは…」

 次々子供たちの口からあふれ出る不安の言葉にユリアは屈託のない笑顔で答える。

「大丈夫よ!私には女神さまの加護があるもの。もちろん皆のお父さんにもお母さんにも!私がみんなに嘘ついたことある?」

 明るいユリアの声に励まされ子供たちは元気よくうなずき、納得してあっさり艇に乗り込んでいった。ユリアはそれを確認するとヴァンたちを一瞥し、武器を手に取った若者の集団に混じっていった。

 しかしある程度の歳の子は事態の深刻さを感じ取っているらしくヴァンに駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫だよな?あんたら飛空艇乗りってめちゃ強いんだろ?町のみんなのこと守ってくれるよな?」

 ヴァンは誰から見てもわかる嫌そうな顔をしていた。

「ぐ…いいから艇に乗ってろガキ」

 最後のひとりをのせるとヴァンはベルに艇のエンジンに火を入れるように伝えた。

「で、どうすんの?」

「あー…俺たちの依頼はあのシスターの送り迎えだけで、無償でこの町の奴らの為に汗水垂らして戦う理由はねぇ」

「ヴァン!艇を出すよ!」

 ベルがヴァンに声をかける。ヴァンは座り込みながらうーんと唸ってから、

「いや…やっぱ出さなくていい。離陸体勢で待機だ。いつでも出れるようにはしとけ」

 とベルに告げた。

「…ヴァン!」

 ベルは喜々とした声でヴァンの名を呼ぶ。

「まぁそうなるよねヴァンなら」

 いつの間にか無人の鍛冶屋を漁ったようで大量の刀剣を腰やら太もものベルトに固定して戻ってきたナナセ。計6本の刀で武装している。7キロ以上あるの重りをつけて普通に歩く姿は異質極まりない。

「はー…シスターちゃんの熱い抱擁でもなきゃやってらんねーな」

 マグナもいつの間にやら艇の自室から重火器火薬類を運び出して重武装している。

「お前ら…」

 そのときバリケードの入口付近から村人の叫び声が聞こえ、若者たちが走りだす。その先陣を切るのは武装したシスターである。

「はぁー…依頼はシスターを『無事』にアストミアまで送り返すこと。空送屋として顧客の積み荷は守らねーとな…」

 よいしょっと声をだして立ち上がるヴァン。

「各員戦闘開始だ。こうなったら散々活躍して町中の人間から謝礼金がっつりせしめてやる」

「「「お兄ちゃん!」」」

 いつの間にか甲板に集合してヴァン達に手を振っている子供たち。

「皆を助けて!」

「おうガキども!俺たちは高ぇーぞ!」

 ヴァンは左手を突き上げて子供の声に答えた。

「「「「村長にツケといて!!」」」」

 子供たちは声をそろえて親指を立てて拳を突き出した。

「なんつーガキどもだ…」

 

 まずバリケードを襲ってきたのは獣型の魔獣の群れであった。

「全員決して一人になるな!常に三人一組で背中を守れ!」

 長槍を振り回して戦闘員となったユリアは町民に激を飛ばす。

 激しい戦闘でベールは脱げ落ち、長い金髪をたなびかせて先陣で民衆を先導する姿はまるで戦乙女の様であった、というのは町民の後日談だ。

「この程度の魔獣!星導教会の修道女をなめないでよね!」

 とびかかってきた魔獣を長槍の一振りで叩き落して迎撃する。

 一体一体の戦闘力はそこまで高くない。ある程度戦闘の心得を持つユリア以外の町民たちはまともに立ち回ることができず、ユリアの指示通り円陣を組んで防戦一方が精いっぱいである。朝が来れば魔物の活動はある程度沈静化する。しかしこのままでは朝までどころか数時間も持たない。ユリアは自分の無力を呪い、教会本部での戦闘訓練にもっといそしむべきだったと後悔した。

「(女神様…どうか私に、私に戦う力を!)」

「う…オオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 ユリアは絶叫し、魔獣の一団を屠る。町民はそのユリアの戦闘力に驚きを隠せなかったが地方に派遣される星導教会員は基本的に高い戦闘能力水準を持つ。というのも教会の巡礼者等は護衛なしに街道を走破することも多く、ある程度魔獣との戦闘は避けられない。ユリアは巡礼者ではなくとも宣教師として教会で一定の基礎訓練は施されているのだ。

 獣の返り血で青い修道着が赤く染まる。しかし、ユリアはもはやそのようなことに気を回す余裕はない。いま彼女の頭の中は戦いのことで埋め尽くされている。

 バトルハイと呼ばれる一種の高揚状態だ。ユリアは自分で認識していないが咆哮を上げ自らを鼓舞するウォークライによって僅かではあるが闘気の片鱗を纏って戦場を駆けた。

 しかし、悲しくも元は非戦闘員。体力の限界はすぐに訪れた。

「くっ…!」

 魔獣の攻撃を回避した瞬間、足がもつれて体勢を崩す。

「シスター様!」

 周りの者には常に三人一組と言っておきながらユリアは一人、単身で魔獣の群れに突撃して極力村人のほうへ魔獣の戦力が集中しないように魔獣のヘイトを集めていた。

 野生の獣は獲物の隙を見逃さない。体勢を崩したユリアに魔獣が一斉に襲い掛かる。

「(ここまでか…)」

 走馬燈のように記憶が流れるものと思っていたが思い出すのは今朝であったばかりの腹立たしい琥珀色の髪をした男。下賤で下世話な無法者。もし機会があれば星導教会の教えを説いて真人間に更生させねばなるまい、そんなことを考えながら、ユリアはその一生を終え、

「オラァ!」

 なかった。ユリアの後方から飛来した人影が放った強烈な蹴りによってユリアにとびかかっていた魔獣は弾き飛ばされ、続いて炸裂音とともに音の数だけ周囲の魔獣の頭部がはじけ飛んだ。飛んできた人影はヴァンであり、炸裂音はマグナの銃撃だ。

「でけー口叩いた割にはぼろぼろじゃねーか!今後でかいのは胸だけにしとけよ!」

 ユリアは言われるまで気づかなかったが修道着がぼろぼろになり所々はだけた姿になったおかげで、以前はわからなかったその豊満な胸が強調されて存在感をアピールするようになっていた。

「え?まじで!?シスターちゃん隠れ巨乳説!?まって俺も前線出て良いか?!」

「死にたいならね」

 さらに新たな声。上空より音もなく降ってきた長い赤髪の乙女がユリアの周りの残りの魔獣を一振りの斬撃で殲滅する。正確には一振りに見えただけで何発もの斬撃を瞬時に繰り出したのだ。

「な、なんであなたがここに!子供たちは!?」

「ベルが離陸体勢で待機中だ!俺たちは『依頼』をこなしに来た!あんたが『無事』じゃねーと契約不履行になっちまうからな!」

 左手を地面についてコマのように回って廻し蹴りを放って次々と獣型の魔獣を倒していくヴァン。その動きはまるで踊るようで、月明かりに照らされて紅の閃光と共に舞うその姿に悔しくもユリアはつい見惚れた。

「そんでもって…『あなた』じゃなくて俺の名前は『ヴァン=ヴェガ』…だ!」

 一陣の旋風となって瞬く間に魔獣の数を減らしていく。

「ふぅー…やっぱ竜種とか相手じゃなきゃ十分強いよな俺!?」

 戦闘中にふりむいて呆然とする村人達に声をかける。しかし隙をついて背後からまた魔獣が湧いて出てくるが、即座にマグナの放つ弾丸によって絶命する。

「いやーやっぱ空の上で重火器ふりまわすのはナンセンスだね」

 マグナもここぞとばかりに魔獣の数を減らして空で発揮した無能っぷりの印象を拭おうと躍起になる。

 しかしそんな二人を置いてすさまじい勢いで魔獣を切り裂いていくナナセ。

 輝く刀身に限界が来て一本、また一本と柄だけになった剣を投げ捨てる。戦闘継続能力はナナセもあまり高くない。しかしそうとは知らずに戦闘力の圧倒的な差を感じとった獣型の魔獣たちは我先にと逃げ出していった。月に雲がかかり、暗闇と共に静寂が訪れる。

「す、すげぇ…これが空挺乗り…空に住む奴らの実力か…」

 勝利を確信した村人達に活気が戻り、歓喜の声が所々で上がる。

 しかしそんな希望を打ち砕くかのように、どすん、どすんと大地が揺れた。

「おおっ…地震か!」

 感じたことない感覚に少し胸を躍らせるヴァン。

「地震はこんな揺れじゃない!何か来るぞ!」

 嫌な予感がして音の方に銃口を向けるマグナ。

 雲が裂け、月の光があたりを照らした。

 ヴァンたちが見たのは森を割いて、町を踏みつぶして、現れた『山』。

 山の正面に付いた赤く光る二つの眼光。その眼は爬虫類特有の細長い瞳孔を持つ。ギラギラと月光を反射する鱗と亀のような分厚い甲羅が特徴的だ。

「え…」「ちょ…」

「…逃げなさい!逃げるのよ!」

 ユリアは即座に立ちすくみそうになる村人たちに声を飛ばして逃げ出させ、再び立ち上がって長槍を構える。が、そのスケール感の違いにめまいすら感じる。全長30メートルはあろうかという巨体。体の端が見えないほど大きい。

「でけぇなー地上にもこんなのがいるのか」

「地竜だな。まぁデカいだけで亀みてーなやつだ」

 ヴァンとマグナは軽口を叩いて見せるがその大きさは圧倒的だ。30メートルの巨体は地上で見れば遠近感がハッキリしていて空よりはるかに巨大に見える。

「どんだけデカかろうが敵じゃねえよ!ぶった切れ!ナナセ!」

 左手を突き上げてヴァンはナナセに声を飛ばす。

「…」

 しかしナナセは答えない。

「ナナセー?」

「おいヴァン…もしかして…あいつ」

「いやいやいやそんなはずないでしょナナセさーん焦らさないで下さいよー」

「あの…もしかしてこれって…ピンチなんじゃ」

 ぎぎぎと重い動作でナナセの首が振り向く。

「もう…ない…」

 6本あったナナセの刀は全て柄だけになっていた。

 その場にいた全員の時間が止まった。

「ヴァン。名案がある」

「マグナってイケメンだなって思ってたんですよ俺」

「左腕も潰そう」

「不細工は黙ってろ」

「あの…ヴァン。私もそれしかないかと」

「でけー口叩くなっつったろ」

「ヴァン大丈夫。ご飯は私が食べさせる」

 ナナセはふんふんと一人鼻息荒く、どこかテンションが高い。

「く…そ…やりゃあいいんだろやりゃあ!あーあ!これで左腕もお釈迦だぜざまーみろ!」

「大丈夫です治ります!」「帰ったらすぐ医者に連れて行ってやるからなー」「全治何カ月でも大丈夫!」

 誰一人としてヴァンの心配をしているものはいなかった。

「オオオオオオオオオオオオ!!!」

 ヴァンは半ばやけくそに大きく息を吸い込む。

 ヴァンの呼吸に合わせて魔力街灯が消え、ナナセの赤髪が解除される。ユリアは大地と大気が震えるのを感じた。そして闘気使いとして一歩『その領域』に足を踏み入れたことからヴァンのその異常な闘気に気が付いた。

「(こ、これは!この闘気は『中』から発せられたものじゃない!?)」

「こ、これは…」

 その光景をみて絶句するユリア。空の上でヴァンが戦いたがらないワケである。

「ふーん…気づいたんだ」

「ナナセさんはこの異常さがわかっているんですか!?」

「そう、そうだねヴァンの闘気は『星のマナ』を吸い上げて、練り上げる、『私達』の闘気とはその根本が違う。魔法に近い力だよ」

 大気中のマナを吸い上げる。そんなことをすれば飛空艇はもとより周囲の魔導機器はマナの供給が足りず、飛空艇ならまず墜落の危険を伴う。そして何より『この星』に満ちるマナは『人体に有害』である。微量であれば体調に支障をきたすことはないが魔石鉱山などマナ濃度の高い個所では急性魔素中毒など最悪死に至る重篤な病をきたす。

「金剛六合…!絶招八極―――天衝!!!」

 膨大な闘気を纏った一撃は大気を圧縮して爆発させたかのような衝撃を生み出し、30メートルの巨体をはるか後方へ吹き飛ばして一撃で戦闘不能へと追いやった。

「いてええええええ!折れた折れた!左腕も折れたこれえええええ!」

 地竜を吹き飛ばした瞬間情けない叫び声をあげてその場にあおむけに倒れ込む。

「ヴァンが泣いてるから行かなきゃ」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐヴァンに駆け寄ろうとするナナセをユリアの一言が引き留めた。

「そんな…そこまでして力を求めて…貴方たちはなぜそうまでして空を飛ぶんですか…」

 ユリアはヴァンの壮絶な一撃を目にして、ナナセに尋ねる。

「さぁ…ヴァンに聞いてよ。って言いたいけど今ヴァンは返事できないだろうし代わりに答えてあげる」


「『空挺乗りは何より自由』だからだよ」


 そう言ってナナセはヴァンのもとへと駆けて行った。

「ヴァーン!大丈夫?立てる?立てないよね?おんぶだよね?」

「えッ何そのテンション異常に怖いんだけど」

「大丈夫だよ大丈夫だから大丈夫」

 二人の馬鹿らしい掛け合いを見てユリアは考えるのをやめた。

「シスターちゃーん俺も疲れたーーー」

 ふいに横からどさくさに紛れて抱き着こうとするマグナに拳骨を放つ。

「貴方は後方でペチペチ撃ってただけでしょう」

「えっ…」

 マグナの顔に絶望が満ちる。

「う、嘘だろ…シスターちゃんまでそんなこと言いだすのかよ…」

 マグナはそのままがくりとその場に膝をついてうなだれてしまった。

「ほらマグナさん!しゃっきりして!ヴァンさんとナナセさんが戦線抜けたら夜明けまで『マグナさんだけ』が頼りなんですよ!」

「…」

 その言葉を聞いてむくりと音なく立ち上がったマグナ。

「だよな!頼りだよな!そうに決まってる!よっしゃこい魔獣共!さっきみたいな地竜は反則だから微妙に重火器の効くレベルの強敵来い!」

 頼りになるのかならないのかわかりずらい気合の入れ方をしたマグナの活躍によりヴァンとナナセが抜けた後も戦線は維持され、朝日が昇るころには町の加護圏内に侵入した魔獣は一匹残らず殲滅された。



「討伐数なら俺が一位だな!」

「雑魚専がなに言ってんだおら」

 翌日、再び村長宅に赴き朝食をとっていた一行。

 ヴァンは両手に包帯を巻き両手とも固定しているという見るも無残な姿であった。

「ヴァン。あーんして。ほらほらあーんだよあーん」

 今朝は朝から元気なナナセに若干引き気味の一行であったが正直二夜連続の戦闘でぐったりしていてそれどころではなかった。

「改めて礼を言わせてください。村をお救い下さり本当に、本当に感謝の言葉も」

「よせよじいさん。感謝される謂れはねーよ…」

「子供に頼まれてしょうがなく。だもんね?」

 あくまで澄ました態度をとろうとするヴァンにニヤニヤとした顔をむけるベル。

「両手が完治したら覚えとけよベル」

「くふふ…ヴァンと空を飛び回って二年もたつけど、やっぱヴァンは最初に思った通りの男の子だったね」

「ベル、ヴァンは最初から優しくて素敵」

「その感想は完全に特殊フィルターかかってますよナナセさん…」

 そしてちゃっかりなんだかんだで一行に馴染んでいるユリア。

「ま、まあ結果的に俺たちが勝手にやったことだ。ぼろぼろの町からさらに大金せしめようなんて思ってねーよ」

 あのあとヴァンは町民全員から涙ながらの感謝の言葉を雨のように投げかけられ幾ばくかの礼を貰った。子供たちが自分の宝物だとか言って紅蜻蛉の貨物室に詰め込んだ大量のガラクタの返却も後に控えた面倒事の一つである。

「ねえナナセ。あとでその位置変わってよ」

「う…べ、ベルの頼みなら…」

「というかマグナさんまだ寝てるんですかあの人」

「マグナは朝までぶっ続けだったから」

 結局ヴァンはこのチェスター村に来て一晩で左腕をへし折っただけであった。疲労からヴァンのその頭からアストミアでユリアと交わした300万ルムの契約のことはすっぽり抜け落ちていたヴァンは途方もない徒労感に襲われていた。

「はぁ…リアル骨折り損だぜ…」

 朝食を取り終えると村人に別れを惜しまれながらヴァン達はユリアをつれてアストミアへの帰路に発った。


 一日ぶりのアストミアの街。街道は復旧にまだしばらくの時間がかかるようで街の正門前には先日と同じく長蛇の列ができたままであった。

 先日の魚料理を出す発着場近くの軽食屋で昼食をとりながら一行は次の行く先について話し合っていた。

「いや、違う、その前にだ。なーんか忘れてねーか」

「ヴァン。トマトを食べ忘れている」

「それは食べ忘れじゃなくて残してんの!」

 相変わらず両手のふさがったヴァンは気持ちだけ同じテーブルに座るユリアを指さす。

「300万だ300万!忘れたとは言わせねーぞシスター!神に誓って耳そろえて払ってもらおうか!」

 両手をぐるぐる巻きに固定した状態で恫喝したような声を出しても滑稽な絵面である。

「はい。教会の土地代1200万ルムです。」

 そしてヴァンの言葉に反応して即座にどさり。と机に見たこともない大金がおかれた。

「え…」「ヴァン。あーんだよ」「うぉすげぇ…」「きゅう…」

 ベルはその札束の衝撃に意識を失った。

「いやいやいやいやいやいやいやいやダメだろ普通!何シスターがさらっと教会の土地売っぱらってんだよ!不良かよ!犯罪じゃねーのか!」

「さ、最初にそういう話だったじゃないですか!昨日アストミアを発つ前にもう売買契約はしちゃってたんですよ!」

「てめえのどこにそんな権利があるんだよ!この町の人は明日からどこで礼拝するってんだ!」

「大丈夫です!地震で倒壊したことにしましたし、私『第二官位宣教師』ですから本部に連絡すれば直ぐに代わりの教会員も教会の建設も始まります」

 ユリアのその言葉に言葉を失う一行。宣教師の位は官位で示され一から六までが存在し、数字が低い方が位が高い。つまりユリアは星導教会で二番目に地位のある宣教師であり、皇国軍の位で言えば佐官級。その上は将官級しか存在しない。有体に言えば。

「ほんとは超偉いんですよ私」

「マジかよ下級シスターだと思ってたぜおい…」

「悪いが俺もだ…とても賢そうにはみえない…」

 権威に弱い男二人がげっそりした顔を見せる。

「まぁもう自分の教会もなくした根無し草の不良シスターであることは否定できませんが。あのときヴァンの手をとった時点で覚悟していたことです」

 この女は顔見知り程度の町の人間の不安を払拭するために文字通り私財のすべてをなげうったのだ。「聖人かなにかかよ…」という言葉は飲み込み切れず声にでた。

 しかし異様に額が多い。提示した額の四倍だ。三〇〇万でも大金であるのに一千万を超えるルムの束を見るとヴァンは膝が笑いそうになった。

「三〇〇万は依頼費。残りは手付金です」

「な、なんのだ…」

 ユリアはニコリとほほ笑んで恐ろしいことを口にした

「紅蜻蛉の船室の一角を臨時の移動教会として借り上げます。空を駆け、各地を巡って教えを説く宣教師!まるで巡礼者様のようで素敵ですよね!」

 ぐいっと身を乗り出してヴァンに迫って力説する。どうやらユリアは昨日の一戦で一線を越えてしまったようで、その瞳に曇りや陰りは見られなかった。

「『空挺乗りは何より自由』ですよね!」

「おまえ空挺乗りじゃないじゃん…」

 

 かくしてこの一夜の出来事は五日後の東部の街道の復旧と同時に瞬く間に皇国中を駆け回りった。しかし噂には尾ひれ背びれが付くものでその噂は

「トンボ運送は見返りを求めず魔獣に襲われた街を救った」であるとか

「トンボ運送の頭目は素手で地竜を殴り倒す化け物である」だとか真実交じりのものと「集団少年少女誘拐未遂」や「両腕に邪龍を宿していて封印包帯を巻いている」とかその眉唾物や根も葉もないものまで他さまざまだ

 皇国は帝国との戦争が終結していらい大きなニュースもなかったのでこの話はしばらくの間民衆のよいい暇つぶしの種となった。

 この一件が皇都に住む第二皇女の耳に入ったのは一カ月半後のことである。


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遥かなる空の彼方より ダブルピースkwsm @bokujyuux

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