第3話 脱出
天文十三年(1544年)十二月、
内容は直満と直義に関することだ。二人は謀反人として切腹。これだけでも直盛を悲しませるには十分なのだが、書状はそれだけでは終わらなかった。
「か、亀之丞も処断しろ、だと!?」
直満の息子、円姫の許婚である亀之丞も謀反人の親類ということで処刑することがその書状には書いてあった。実行は家老の小野和泉守政直が取り仕切る。
「和泉守、おぬしはこのことを知っておったのか!?」
「御意。私は今川家から派遣された目付け家老でございます。今川家の意向は逐一私の元にまいっていますゆえ」
直盛は苦々しい顔をした。このままでは井伊家の跡取りである亀之丞の命が危ない。何としても亀之丞を逃がす必要があった。
(まずは、このことを直満殿の側近に知らせなければ)
直盛は政直の隙を見て事の次第を直満の家老、
(籐七郎殿、あとは、頼みましたぞ)
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事情を知った藤七郎は驚いた。すぐさま亀之丞を伴って逃げなければならない。
しかし、気づいたときにはすでに遅かった。亀之丞の屋敷はすでに小野和泉守政直の兵に取り囲まれていたのだ。屋敷の外からはしきりに屋敷に侵入しようとする兵の話し声が聞こえる。
「和泉守の奴、直盛様の意向など関係なしか」
藤七郎は
「亀之丞様、今からこの屋敷を脱出します。この中にお入りください」
藤七郎が差し出したのは先ほどの叺であった。
亀之丞は何が起こっているのかわからないらしく、キョトンとした目で藤七郎を見ている。
「事情はあとで説明します。今は私の言うことに従いください」
藤七郎は亀之丞にとって育ての親のような存在だ。その藤七郎が言うのだ。亀之丞も首を縦に振るしかない。
藤七郎は亀之丞を叺の中に押し込めると、自身は農夫の格好に扮した。そして、屋敷の裏門から隙を見て脱出したのだ。
向かう先は南渓和尚のいる
十二月二十九日、藤七郎は龍潭寺へ向かう途中の黒田郷というところで策をうった。亀之丞は病死、今村籐七郎も自害した、という噂を周囲にばら撒いたのだ。
(これで和泉守を騙せるとも思えないが、時間稼ぎにはなるはず)
藤七郎は亀之丞の入った叺を担ぎながら先を急いだ。
龍潭寺につくと、そこには南渓和尚とともに円姫の姿もあった。偶然、円姫がお供のものと南渓和尚に会いに来ていたのだ。
「円姫!」
叺の隙間から円姫を見た亀之丞は転がり落ちるように叺から飛び出した。
「亀之丞?」
円姫はなぜ亀之丞が小汚い格好をして叺の中に入っていたのかわからない。亀之丞に会えたのは嬉しいようだが、しきりに首をひねっている。
「南渓和尚、助けてくだされ」
藤七郎が南渓和尚の前に跪く。うなだれ、目からは涙が零れ落ちていた。
「頭をあげなされ。わしは仏に従事している身じゃ。頭を下げられる覚えはありませんぞ」
南渓和尚が藤七郎の手を取って立ち上がらせる。
「話は直盛殿の使者から聞いておる。さぞ、苦労したことでしょう」
「直盛様が!?」
藤七郎は驚きながらも直盛の先見の明に感謝した。藤七郎が頼るとしたら南渓和尚のところと読んで先手をうっておいたのだろう。
「喜んでばかりもいられません。直盛殿が気づいた、ということは和泉守もいつかは気づくでしょう。時間がありませんぞ」
「確かに」
南渓和尚は少し考えてから浅く頷いた。
「わしの知り合いが信州
「信州まで逃げるのですか?」
「それしか方法はあるまい」
信州、現在の長野県である。現代の感覚で言えば、国外逃亡ということになるだろう。
藤七郎は神妙な顔つきで頷いた。もはや迷っている時間はなさそうだ。井伊家の時期当主、亀之丞を信州まで落ち延びさせることを決意した。
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「円姫、お聞きになりましたか?」
「……はい」
幼い円姫が亀之丞の問いに答える。
「私は信州に行かねばなりません。おそらく、しばらくの間、円姫とも会えないでしょう」
「しばらくとは、いつまで?」
「わかりません」
亀之丞はうなだれながら答えた。一年先か、三年先か、それとも二度と会えないかもしれないのだ。とても確定的なことを言える雰囲気ではなかった。
「帰って、くるよね」
円姫は涙目になりながら亀之丞の袖を引いた。
「きっと、帰ってきます」
亀之丞は円姫を抱きしめる。円姫もそっと亀之丞の腰に手を回す。
二人の間には永遠とも思えるような時が流れていた。
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