Spin-Off:三嶋のしがらみ

三嶋の夢

 本編読んでなくても読めます。

 そんな方向けに、三嶋の肩書きを軽くご紹介しますね。

 しまひろ、二十九歳、既婚者。政治家の次男に生まれるも、今は警察庁の警察官をしている。六歳年上の兄、三嶋ひでがいる。同僚に伊勢兄弟がいる。本編の主人公はこの兄弟。


***


 はっと目が覚めて、夢で良かったと思うと同時に、どっと疲労が押し寄せてきた。

 兄の夢を見た。時折そいつの夢を見る。悪夢、なのかもしれない。でも悪夢だから疲れているのではなかった。兄が嫌いというよりは、兄の夢を見る自分が嫌いだった。



 ビジネスホテルのベッド脇で光っているデジタル時計によると、まだ朝の四時過ぎらしい。七時に起きればいいから、まだ寝られる。三嶋はふらつくように掛け布団を頭から被りなおす。


 真っ暗な中で三嶋は目を開きながら自分を抱え込むように寝転がっていた。どれだけ考えないようにしていても、さっきの夢が頭の中で反芻されてゆく。夢は起きたら忘れるというが、いやにはっきりした状態で何度もリピートされている。


 単純な夢だった。夢の中で、兄がなぜか仕事場にやってきた。そして三嶋の仕事っぷりを見て、ひとこと褒めた。それだけの夢だった。褒められた瞬間に目が覚めた。他はもうすべて忘れている。


 兄が三嶋のことを見て褒めることは絶対にない。幼いころからずっとそうで、そしてこれからもそうだ。ではなぜ三嶋は兄が褒めるなどという夢を見たのか。それは至極簡単で、兄に自分が褒められたいからだ。


 ひとこと褒められたことで何になるというのだろう。兄の一言があったくらいで、仕事の結果は変わらない。ただ、自分の中の承認要求が満たされるだけだ。つまり、自分は承認要求の為に、兄の夢を何度も見るほど兄に恋い焦がれている。自分の深層心理の中で、兄はそういう立ち位置になっている。


 兄の夢を見るたびに自己嫌悪して、不愉快な気持ちになるのを何度も繰り返して。でも自分が兄に認められることは一生かかってもありえない。ということは、自分は兄の夢を一生見続けて、一生自己嫌悪をし続けるのだろうか。


 兄の夢を初めて見たのは大学に入った頃だった。生まれて初めての下宿をしたとき。それ以降、一人でベッドに寝ていた時に限って兄の夢を見る。結婚して、妻や子供と同じ部屋で寝るようになってからは夢とは縁遠かったが、今日のような出張先では待ち構えていたとばかりに夢を見せられる。


 夢の中で、兄は手を変え品を変え三嶋を褒めに来る。ある時は仕事を、ある時は妻を、ある時は三嶋自身を。三嶋のアイデンティティを狙い撃ちするように褒められた。気持ち悪くて仕方なかった。それを褒めているのは兄ではない。自分自身だ。数少ない自分の取り柄を、兄の皮を被らせて自分で自分を褒めている。


 誰も褒めてくれないから。


 いや、嘘だ。妻は三嶋のことをねぎらってくれるし、仕事仲間は三嶋を無理に褒めも貶しもしない。なのに自分はそれでは飽き足らず、絶対に手に入らない兄からの愛を求めて、餌をねだる小鳥のように喚いて鳴いて口を大きく開けている。

 いったい誰に口を開いているかもわからなくなってきた。


 目が覚めてから三十分以上経つはずだ。だが、ちっとも眠気は襲ってこなかった。朝から仕事なのだから睡眠不足はまずいのだが、焦れば焦るほど目が冴える。

 しかし、何度も同じ状況に陥ってきたからその原因は分かっている。また同じ夢を見たらどうしようという恐怖心だ。


 何が怖いのだろう。兄か。自分か。それとも自分の深層心理か。

 その結論が出ないまま十年以上、定期的に兄の夢を見続ける。


 夢の中の兄はいつも十年前の姿だった。今の自分より数歳若い。そりゃそうだ。三嶋は大学に入って以降、実家に一度も帰っていない。人よりはるかに多い仕送りを貰っておいて、結局礼を言うこともなく今に至る。


 一応、先日の仕事で兄に会ったが、結局ほとんど言葉を交わしていない。しかし少し会った程度では夢の中の兄の顔は上書きされないらしい。

 三嶋は兄の電話番号を登録している。しかし兄は自分の連絡先を電話帳に入れていないのを三嶋は知っていた。今もおそらくそうだ。兄にとって三嶋は、番号を覚えているから電話がかかってきたらわかるが、わざわざ登録する相手ではない。そんな関係であり、その程度の縁だ。しかしその細い縁に縋って、三嶋は携帯電話の電話番号をずっと変えられないでいる。


 不義理をしているのは分かっている。奨学金を借りることもなく、アルバイトも趣味程度にしかせず、東京で大学四年間一人暮らしできる環境が贅沢なのは分かっている。それでもいざ実際に礼を言うとなると話は別だ。

 三嶋は自分自身に長年言い聞かせてきた。家族は自分に愛なんてない。自らの子が貧困に窮すのは、それすなわち自分たちの恥になるからだ、と。


 しかし自分に言い聞かせ続けるということは、薄々真実がわかっているということでもある。本当に三嶋への愛が枯渇していたら、父は三嶋を容赦なく無一文で家から叩き出すだろう。しかしそうではなく、大学の為に金をくれと入学前に一度頭を下げただけで、父は四年間大金を振り込み続けたのだ。留学だって、させてくれと言えばさせてくれただろう。その一言を言うのが嫌で、三嶋は留学を諦めたが。


 恵まれていると他人から何度も言われてきた。金がもらえるのは羨ましいと何度も言われた。家が金持ちで良かったね。なんだかんだいい親じゃないか。

 全て真実だ。心の底からそう思う。しかしその正論が三嶋にはきつかった。自分より状況が悪い人間に羨ましがられないために、自分は不幸でないフリをしなければならなかった。

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