第141話:横浜 ~俺のブラフは見破れない~
横浜の夜は明るいが、もちろんすべてが明るいわけではない。住宅街を少し奥に行くと小さな公園があるが、その公園は夜になると真っ暗になる。そんな公園は、夜に人がいるはずなどない場所だが、一人の男が砂を踏みしめるように歩いていた。南雲である。
そしてその後ろを音もたてずにひっそりとついて歩いているのが諏訪だった。
「諏訪さん」
公園の端を歩いていた南雲が足を止めて振り返った。諏訪と目が合い、こちらも立ち止まった。十メートルほど離れて見つめあう時間はそう長くはなかった。
「警戒しないでくださいよ」
南雲は微笑んで近くのベンチに腰掛けた。隣にスペースが空けられている。諏訪は観念してそこに腰を下ろした。
人通りのほとんどない公園を南雲が通っていたのはわざとだった。偶然南雲と同じ道を彼に少し遅れて歩いているだけであれば、南雲が公園に入ったところで公園についてくるわけがない。諏訪が南雲に続いて公園に入った時点で、尾行であると確定する。一種の罠だ。
「なぜ僕の後ろをついてきたんですか」
南雲は誰もいない小さな遊具を見つめつつ、こちらに尋ねてきた。
「確認したいことがあったからっすよ」
「確認? 不知火貴金属商会は倒産しました。うちのスタッフも逮捕されました。あなたの手によって。カジノはもう存在しないんです。それはご存じでしょう?」
「でも、わからないことが多すぎるんっすよ。このカジノに何があったのか、どうしても知りたくて」
諏訪は素直に答えた。南雲は小さく鼻を鳴らす。
「わからないから僕に直接確認するんですか。度胸がありますね。いいですよ。僕はなんでも答えたいように答えますから、好きなことを質問してください」
「……ええ、確認させてもらいます」
諏訪は強がった表情を南雲に向けたが、南雲の方は正面を見ているだけだ。諏訪と目が合うことはない。
「一体何が知りたいんですか」
「俺が知りたいのは、水無瀬怜次郎が国外脱出した方法とその理由、カジノが急に潰れた理由です」
「諏訪さんはどう思ってるんですか」
南雲はこちらを見ないまま、口元にうすら笑みを浮かべた。自信満々、いや、諏訪を舐めているのだろう。ただの頭の悪い元アスリートだと思って。
「水無瀬怜次郎を中国に逃した張本人は、南雲さんではないか、と思ってます」
「またそういうことを言う」
南雲は肯定も否定もしなかった。嫌がっているわけではなさそうだが、少しこわばった声だった。
「僕がオーナーを逃がすって、どういうことですか?」
「オーナーの逃亡先は香港です。それを手引きしたのは、中国語の通訳をしている南雲さん、あなただと俺は言ってるんすよ」
「そりゃ僕はそれなりに中国語ができますけど、そんな犯罪行為と勝手に結びつけられては困ります」
南雲はゆっくり首を振った。頑なにこちらを見ようとしない。あたかも犯罪行為をしたことがないかのような口ぶりだが、違法カジノの立派なスタッフだ。
「俺があんたを情報屋だと言ったあの時、どうして潔く認めたかがやっとわかりました。本職は情報屋じゃなかったから、すんなり認めたんですね。あんたの本当の顔は逃がし屋、違いますか」
「よくわかりましたね」
南雲は眼鏡を外して頷いた。そして初めてこちらを見た。うっすら笑っているが微笑みではない。
「……俺、好きっすよ。潔く認める人」
諏訪は口元に小さな笑みを浮かべて返した。強がっていることを南雲に悟られているかはわからない。
「ええ、先日、水無瀬さんを出国させたのは僕です」
南雲はまたあっさり認めた。だが諏訪はまだ緊張していた。
「潔く認めても、本当のことは教えてくれないんですね」
澄ました顔の南雲は返事をしないが、眉毛がぴくりと動く。一見無表情に見えても、眉毛は雄弁じゃないか。諏訪は心の中で面白がる。
「僕は嘘をついてなどいませんよ」
「本当は、水無瀬怜次郎を出国させていないんでしょ?」
諏訪がそういうと、白々しく南雲は首を振る。
「一体何を言うんですか。僕が水無瀬さんを出国させたって言ったのは諏訪さんじゃないですか」
「あんたが逃がし屋だってことも、水無瀬を出国させたのも、水無瀬さん自身は今回出国していないのも、全て真実っす」
意味が分からない、という風に南雲は首をかしげたが、それは嘘だと諏訪はわかっている。
南雲は賢い。必ず言葉の意味を理解しているはずだ。
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