第137話:耐忍 ~まだ切り札は切ってない~

「諏訪、怒ってる?」

 諏訪に優しく声をかけてきたのは裕だった。諏訪は慌てて否定しようとしたが言葉が出ず、ゆっくり首を振って答えるしかなかった。

「ああいう言い方してごめん。冷静に伝えた方が良かったかもな」

「いえ……、事実なんで……」

 健気にそう言うが、諏訪は未だ本調子ではなさそうだった。


「章だったら、ここで『じゃあ一発パチンコでも行く?』とか言いそうだけど」

「さすがにギャンブルはもう嫌っす」

「だよね」

 裕は苦笑した。


「しばらく休む? 諏訪にしかできないことが多いから諏訪に任せているけど、一人だとしんどいだろうし、諏訪が潰れたらどうしようもない」

「いや、まだ頑張れるっすよ」

「え、頑張らなくてもいいよ」

 裕は虚をつかれたかのような間抜けな顔をして首を振り、諏訪の肩をトントンと叩いた。


「人から言われもしないのに頑張るのは辛いだろ」

「でもそれじゃ事件は解決しません」

「諏訪が頑張りたいなら俺は止めないけどさ」

 諏訪が追い詰められているように見えて心配だったものの、本人が手を振り払ってくるのなら仕方がない。


「……この事件、俺の自由にさせてもらえるんですよね?」

「そりゃもちろん。捜査費用だって、まだ割と残ってたはずだし、好きに使いなよ」

「一旦、。カジノを潰す、それだけで行こうと思います」

「え、そう来るの? あのカジノって復活するんじゃなかった?」

 このカジノは雑草のように生命力が強い。その雑草を根元から刈り取る、つまりオーナーを逮捕することが最も重要なのは明らかだと皆が思っていた。


「構いません。いずれにせよ、水無瀬だけがいても、ほかのスタッフがいなければ復活には時間がかかるはずです。とりあえず時間を稼いで、その後に南雲・水無瀬共に身柄を押さえたいと思います」

「それだと、長期戦になるかもしれない。いいの?」

「覚悟の上っす。それに、今まで全く姿を見せなかった水無瀬怜次郎も、さすがにカジノのピンチとあらば動かないわけにはいかないっすから、それを狙いに行きたいんすよ」


「具体的な策はある?」

「あります」

 諏訪は力強く頷いた。

「県警を動かさせてもらえるなら、っすけど」

「俺は県警の人間じゃないから許可を出せるわけじゃないけど、県警を動かせる段階まで来たんだから、きっと千羽さんは喜ぶよ」

 裕が目頭に力の入ったウィンクをよこし、ぐっと親指を立てた。


「で、県警の人間を何に使うんだ?」

 普段、好き放題に三嶋の部下をこき使う章がにやにやしながら尋ねる。

「カジノの人間を、貸金業法違反容疑で一斉逮捕します」

「……貸金業法違反か」

 恐らく、飯田がバカラの部屋で金を借りた件から追うのだろう。

「でも、どうして今なんだ」

 これは諏訪の持つカードの中でもかなり強い。これを今切る意味が裕にはわからなかった。


「賭博開帳等利図罪で捕まえても、微罪処分を取られてすぐに釈放されてしまう恐れがあります。脱税なら、まず間違いなく勾留に持っていけるっすよね。俺の目的は、スタッフを処罰することではなく、身柄を拘束することなので」

 そして、いったん勾留に持って行ってしまえば、あとは理由をつければいくらでも拘束期間を延長できる。勾留できるかが勝負だ。


「でも、向こうには南雲がいるんだろ。一斉に逮捕する前に逃げられたら、面倒なことになる」

「それも考えてあります。南雲の身柄を押さえればいいんすよ」

「身柄を押さえるったって、南雲は不知火貴金属商会には関与していません。貸金業法関係で身柄を押さえるには無理が……」

「いや、逮捕するわけじゃない」

 多賀の反論に、諏訪がゆっくりと首を振って否定した。


「南雲の表の顔は通訳っす。いくら本業が情報屋で通訳業は趣味程度といっても、通訳としての仕事を全くしなければ、裏の人間だと暴露しているようなものです。重い通訳の仕事を投げて、簡単に動けない状況にすればいい」

「南雲は情報課の存在を知ってるんだろ? 僕や裕が出て行っても、南雲に必ず気付かれる。仕事を持って行っても断られるだけだろ」


「大丈夫っすよ。うってつけの人材がいるんで」

 諏訪は眼鏡の下で目を細めて微笑んだ。

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