第122話:手巻 ~遊ばれたのに気付かない~
翌日。
「本当に持ってきたんだ」
裕が半笑いで春日の手巻き煙草セットを手に取る。横から輝いた眼をした章が煙草セットをかっさらった。
「すっげぇ、本物だ」
蛍光灯にかざす姿は、親におもちゃを与えられて喜ぶ昭和の小学生である。裕は情けない。
「金なくて手巻き煙草吸ってた、って……。どれくらい吸ってたんですか?」
「一日に一箱半くらいや」
懐かしそうに春日は遠くを見ながら目を細める。
「ヘビースモーカーじゃん。よく辞められたな」
「それだけ警察学校がヤバいってことですよ」
「なんで煙草なんか吸い始めたわけ?」
章のようなパチンコを趣味としている男に「煙草なんか」などと言われたくはないが、喫煙者は肩身の狭い世の中だ。仕方がない。
「大学の時、えらいストレスが溜まってたもんやから」
「春日がストレスぅ?」
章は半笑いで春日を煽り立てる。
「俺だってそりゃ、ストレスくらい溜まりますよ」
春日は笑って返す。
「彼女が三人いたら、そら別れ話の数も三倍ですやん?」
三本の指を立てる春日に多賀の顔が引きつる。三嶋がいなくてよかった。潔癖な三嶋がいたらまた文句の一つや二つ垂れていることだろう。
「春日の場合、しょっちゅう彼女が変わるから、別れ話の数自体は一般人の五倍だと思った方がいいな」
「別れ話の数が三倍だろうが五倍だろうが、大学の時のストレスに比べたらマシですよ」
「大学の時はずっと芝居やってて、挫折の連続やったんで」
そう言って、春日は煙草を吸う真似をする。そういえば、その頃は春日の兄が俳優として売れ始めていた時期だ。兄と自分を重ねてしまったのだろう。
「ほら、早速やってみようよ。ねえ春日」
思わず春日の地雷を踏んだかと焦る章は話題を無理やり変える。
「はいはい」
春日は苦笑しながら慣れた手つきで情報課に備え付けられた茶の葉を巻いていく。煙草を咥えて火を付け、煙を吸う姿は、流石春日だ。様になる。
「俺も実は興味はあるねん。意外といい香りしたりしてな」
「どう?」
ドキドキしながら章が尋ねた。その瞬間である。
「グヘッ!」
整った顔からは想像つかないうめき声が春日から漏れた。口元を押さえて、ゴホゴホと大きく咳き込む。
素早く煙草の火を消してゴミ箱にガラをぶちこみ、大きく深呼吸してまた咳き込み、時間をかけて呼吸を整えた春日は、くしゃくしゃになった自らの顔を速やかに美麗に戻した。
「ゴミ食べてるんかと思ったわ」
「ご、ゴミ?」
「ああ、ゴミや。生ゴミや」
悟りきった表情で春日は頷く。
「なんで世の中の人間が高い金出して煙草買うんか、よくわかる」
それはニコチン中毒だからじゃないのか?
「へぇ、これ、そんなにヤバいの?」
章が半笑いで尋ねる。
「人間が手を出したらあかん領域や」
美麗な顔はわずかに微笑んでいる。仏像でよく見られる顔、アルカイックスマイルというやつだ。
「やっぱ無理だよねぇ。薄々気づいてたよ」
「じゃあなんでやるんや」
「無理なのはわかりました。では、諏訪さんに何を持たせるか、早くそれを考えましょう」
不満気な春日を見て、空気を読んだ多賀が話題を切り替える。だが、章は不思議そうに首をひねった。
「そんなの、電子煙草でも持たせてたらいいだろ。最近流行ってるよね。ニコチンゼロの電子煙草って」
「じゃあ、最初からそう言わんかーい!」
情報課は県警の最奥にある。当然、春日の咆哮など響くわけもない。
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