第98話:私語 ~兄は私を見ていない~
三嶋の場合には、三嶋の捜索のために亮成の車はすぐに動かされた。だから二時間程度をルーフ内で過ごすだけで済んだ。だが、三年前は違う。車の発進を今か今かと思いながら飲まず食わずで三日耐え、さらに山道の衝撃に耐えつつ、逃走資金もなしに逃げ切った沢口伊織の身体能力は凄まじいものである。
「しかし、貴様が逃げてから強制捜査までの時間が短すぎる。お前はダブルエージェントだったはずだろう」
要するに、誤情報に警察が踊らされているときに三嶋が新たな情報をぶちこんだところで混乱が生じるだけで、ここまで速やかな逮捕劇にはならないということを主張したいらしい。
「私の兄を情報ルートにしているっていう話ですか?」
「俺は録音だって聞いた。確かに、我々の指示通りの情報を流したはずなのに」
「偽物に決まってるじゃないですか」
三嶋は口元を手で抑えた。笑うのを隠すためである。
「元々、兄は情報ルートに入っていません。うちの兄とは大して仲良くもないし、正直、兄のことなんか全く信用してなかったので」
「だが、お前の兄の返事も録音に入ってただろう? 協力者という証拠じゃないか」
「それ私の声ですよ。兄弟って声が結構似てるんですよねぇ」
三嶋はため息をつく。やはり遺伝子には抗えない。微妙な仲の兄弟だが、悔しいことに顔は似ている。となると声の具合も似ているのである。声色は顔の骨格の形によって決まるからだ。
「てことはなんだ、お前ら無言で食事してたってのか」
「そうですよ。注文以外は一言も話してません」
三嶋はキョトンとした顔で尋ねる富士をなだめる。
「私の実家では、食事中の私語は禁止です。無言で食事をする録音に、偽の音声を重ねたんですよ。スマホが二つあればできます」
毎週のように会いに行き、毎週のように食事をし、それが常に無言でも二人にとってそれは不自然ではなかった。三嶋家にとって、静かな食卓は当然の様子だからである。話もしないのに会いに行く口実を作るのは大変だったが、多少強引な誘いでも、兄は疑問を呈することなく食事に付き合ってくれた。何を考えているのかわからない弟だが、そんなのを知りたいとも思わないし、こちらが損するわけでもない。じゃあ付き合ってやるか。そのドライさは兄に感謝している。
実をいうと、三嶋博実の兄、
父・
その事実に富士は愕然としたらしい。めでたい頭だと三嶋は嘆息する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます