第95話:願望 ~彼女だけしか気付かない~
「いや、それでもおかしい。
「あのですね、自白剤を買い被りすぎですよ。いくら自白剤を使っても、尋ねられてないことに答えるわけないでしょ」
亮成を自白剤にかけた時、志穂と関わりがあるか尋ねたらきっとあると答えただろう。だが誰も尋ねなかった。二人の関係は秘密のまま保たれたのである。
富士ははっとした顔になる。意外と頭が悪いのかもしれないな、と三嶋は思う。
しかし、不思議なのは、なぜ亮成がその誘いに乗ったか、だった。志穂の協力者になったとしてデメリットはないがメリットもない。
そもそも、幹部ともなれば、関や辻のように相当の信仰心があるはずだ。事実、三嶋の場合には辻は誘いに乗るフリをして富士に密告した。
「それは単純です。亮成くんに信仰心がなかっただけの話です」
富士はそれを聞いてショックを受けたようだった。余程自分の話術と洗脳技術に自信があったのだろう。
「……亮成に信仰心がないことを知っていて、志穂は声をかけたっていうのか?」
亮成が内心でどう思っているかを富士たちが全く知らなかったように、志穂にもわかるはずがない。
くすりと三嶋が笑う。隙の無い笑み、三嶋の得意顔だ。
「私も気になったんですよねぇ。昨日、亮成くん本人に聞いてきました」
「聞いた……? そんなことができるのか」
「亮成くんも、表に名前が出ていないだけで逮捕状は出ましたし、逮捕自体はされていますからね。実際に起訴までいくかは微妙ですけど。私も不思議だったので尋ねたんですよ。彼の答え、よかったら教えてさしあげますよ」
「お、おい、早く教えろよ」
よほど焦らした時の反応が面白いらしい。三嶋の笑みが増える。
「『志穂が僕を勧誘したからや』って言ってました」
「どういうことだ」
「亮成くんを教団に入れたのは志穂さんだったそうです」
「……だから何だ?」
富士が疑問を呈するのもわかる。勧誘で生じた関係がそのまま裏切りに直結するわけがない。
「幹部候補生に課される説明会の勧誘ノルマの時、うまくいかなかった志穂さんは奥の手を使ったんです。その奥の手に彼が乗った。その奥の手というのは、『就職のつもりで入信しなよ』という言葉です」
富士は意外そうな顔をした。宗教団体に『就職』するという概念がなかったのだろう。三嶋もはじめは同じだった。しかし、生活を成り立たせる術を持つことを就職というのならば、宗教団体に入って衣食住を賄ってもらうというのは一種の就職ともいえる。
「亮成くんには魅力的だったようですよ。なにせ、その時の彼は院試に落ちて行く当てがなく、かといって就職するにも内定がまるでない状態だったそうですから。そこで、志穂さんに薬理部の研究設備を見せられたら、多分私だって釣られます」
どん底の状態で救いを見せられる。まさに、教団のカモといえる精神状態だ。
「志穂さんの勧誘に亮成くんは飛びつきました。教団に入って幹部候補生になり、薬の研究をして生活するという生活を選んだわけです。しかし、ここに入信してできることといえば自白剤の研究ばかり。しかも、その研究すらもできずに雑用をこなす日々。おまけに毎日のように罵倒をされる。一度だけ、亮成くんは志穂さんに愚痴をこぼしたそうです。自分の予想と違った、と。彼女はその時、ごめんね、と一言呟いたそうです。その言葉で彼女は気づいたんでしょう」
「この俺が、洗脳しきれていなかったということか」
「あなたの話術のスキルは確かに高いですから、洗脳はされていたかもしれませんね。でも、解けたんだと思いますよ。元々、教義に感化されて入信したわけではない彼なら、洗脳が解けてもおかしくはありません。薬理部での扱いがあまりに悪かったのも、洗脳が解けた理由の一つでしょうね」
亮成がコミュ障だったせいで、洗脳状態がどのレベルまで進んでいるか、あるいは戻っているか、辻たちはわからなかったのだろうと三嶋は予想している。コミュ障が身を助ける珍しい例だ。
薬理部の不憫な環境のことを、富士は知らなかったのだろうか。そんなことはあるまい。知っていながらも無視したに違いない。
亮成の心の中に生まれた隙に、志穂は気づいていた。それが全てだ。
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