第94話:死者 ~彼は三年動かない~

「嘘だ」

 富士がパイプ椅子から尻を上げる。

「お前、亮成に何をした!?」

 富士はそのまま椅子を蹴るように立ち上がり、三嶋の胸ぐらに掴みかかろうとした。三嶋の後ろに控えていた捜査員が慌てて富士を取り押さえる。

 

「私は何もしていませんよ」

 抑えられてもなお無理やり殴りかかろうとする富士を、三嶋はさっと避け、富士の頭を机に伏せさせる。

「何かしたとしたら、それは彼女です」

 三嶋に押さえつけられた富士の顔に動揺が走る。


「彼女? 真理絵か?」

「違いますよ。志穂しほさんです」

 その名前に初めは思い当たる節のなさそうに首をひねっていた富士だが、すぐに思い出したのか、かっと目を見開いた。


「住吉志穂? いや、あいつは三年前に……」

「そう、亡くなっています。彼女を殺したのは関さんと辻さんですね」

「…………」

 薫は、関と辻には志穂のことを言うな、と言った。それはおそらくこういう事情だろうと三嶋は推測している。

 表情を見ると恐らく図星だった。三嶋は富士の頭を解放してやった。動揺する富士は大人しく椅子に戻る。志穂のことは、富士たちにとって決して思い出したくない出来事の一つだ。


「もともと、亮成くんは、私ではなく志穂さんの仲間だったんです。もちろん、その時は話を持ちかけたのは彼女の方ですけどね」

 富士は重々しく頷いた。そりゃそうだ。コミュ障の彼が話を持ち掛けてくるわけがない。


「だが三年前、あの女が自白剤にかけられると同時に、亮成も一度自白剤にかけられてるだろ。亮成があの女の手先だったら、そっちで亮成とあの女のつながりが判明したはずじゃ……」

 意外と富士は頭が回る。まあ、宗教団体を運営するにはこれくらいの頭は必要だろう。富士が反インテリなのは、彼がバカだからその思想になったのではなく、単なる彼の学歴コンプレックスによるものだ。


「志穂さんが亮成くんに裏切りの話を持ちかけたのは、彼女が自白剤にかけられた後ですよ」

「何?」

「自白剤で志穂さんの幹部としての地位は失墜したわけですが」

「違うのか」

「正しいですよ。ただ、それには別の側面があるんです」

 わざと三嶋はもったいぶる。面白いほどに富士は身を乗り出してきた。素直な男じゃないか。


「志穂さんがスパイであるということが確実になった時点で、亮成くんは安心して志穂さんを信じることができたということです」

「は?」

「彼女が疑われていない時点で、亮成くんに裏切りの話を持ちかけたとしましょう。彼は絶対に話に乗りません。話に乗ってきた瞬間、捕らえられてスパイ疑惑をかけられるのではないか、と警戒しますからね。一見すると考えすぎにも思えますが、一人目のスパイが発覚して現場の空気がピリついていたあの時期、亮成くんがそこまで警戒するのも無理はありません」


 以前、大地の光に潜入した捜査員は二人。公安警察の沢口伊織と、公安調査庁の住吉志穂である。自白剤によって先にスパイ行為が発覚したのは伊織の方だ。当然ではあるが、それだけで教団内はピリピリしていた。

 すぐに富士の提案で全ての信者が自白剤にかけられ、スパイでないことを強制的に証明させられる運びとなった。しばらくして、自白剤によって住吉志穂がスパイであることが発覚し、教団は大騒ぎになる。


「あの尋問室で過ごす志穂さんの話に乗ったらどうなるか、亮成くんの気持ちになって、もう一度考えてくださいね」

 富士はそこで気付いたようだった。

「亮成は、あの女が裏切り者だと判明したからこそ乗ったのか……。裏切り者が裏切りを持ちかけてきたら、から……」

 志穂の話に乗ったとしても、亮成が捕まるリスクは非常に少ない。


「ご名答です」

 三嶋は指をパチンと鳴らす。


「こうして、今から三年前、志穂さんと亮成くんの繋がりができました。志穂さんはその後すぐに亡くなり、二人の関係を知る人は亮成くん本人だけになりました。その状態で三年もの時間が過ぎたわけです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る