第81話:露見 ~さすがに意識は保てない~

 富士が拳を握ったまま、見下ろしてきた。辻が三嶋を助け起こし、床に座らせる。

 三嶋は黙っていた。辻に話したのは、自分が警察であるということだけ。当然情報課のことを話しているわけもない。このまま黙っていれば、道はある。


「おい、弥恵を呼んでこい」

 辻の顔が一瞬曇った。

「弥恵さんですか?」

「俺は忙しい。弥恵でいい」

「私は保安部です。私の方が……」

 言葉の終わりを待たずに富士は辻の頬をひっぱたく。辻は黙った。

 富士が懺悔部屋を後にするのを見送りながら、辻はスマホで坂上弥恵を呼び出した。


 富士がに暴力を振るうのを、三嶋は初めて見た。坂上を待つ辻は、小さくため息をつく。三嶋は辻を警護する信者の後ろについて歩く。行先は指導室だ。

「坂上さんなんですね」

 返答は期待せず、三嶋は尋ねた。辻はふんと鼻を鳴らす。

「あんな新人の女に、経験値なんかあるわけないやないの」

 苛立っているらしい辻は、すんなり答えた。新人、それは三嶋たちが影で呼ぶところの『二期生』である。

 経験値というのは、どうやら三年前のスパイの件を指すらしい。


 二人のプロ公安の存在を暴きたてた手口をこの女は知っている。


「弥恵さん来たから、じゃあね。せいぜい頑張ってね」

 いつの間にかやってきていた坂上と入れ替わりに、辻はひらひらと手を振り、坂上にろくに挨拶もしないまま部屋を去った。


「君は、前に一度スパイが摘発されたことを知っているの?」

辻が去った扉を一瞥して坂上はこちらを向いた。

「……薫くんから、軽く話くらいは聞いています」

 坂上は鼻で笑った。

「警察からのスパイが、『軽く話くらいは聞いています』で済むと思ってる?」

 彼女の言う通りで、当然「軽く」ではないのだが、三嶋はそれでシラを切り通すつもりだった。


「とりあえず、警察のどこ所属か教えてもらえるかしら?」

「……ご想像にお任せします」

 坂上はスマホを触り始める。

「刑事の方かしら?」

「ご想像にお任せします」

「前の二匹のネズミさんは、公安だったような気がするんだけど」

 三嶋は答えない。代わりに返事をするかのように、扉が音をたてて開いた。


「前は公安でしたよ、弥恵さん」

 扉を開け、不機嫌そうな顔をした辻が入ってきた。

「え、つじまちゃん?」

 三嶋は目を丸くする。

「やっぱり、つじまちゃんには戻ってきてもらうことにしたわ。保安部だしね」

「その保安部の私を、この男の尋問から外すと決めたのは富士さんですが」

 辻の言葉には毒があった。


「知ってるわよ」

「富士さんの言うことに意見なさるのですか?」

「富士さんがいいって言ったんだから、いいのよ。指導部の私、保安部のあなた、どちらもこの分野に関わっていいと思うの」

 どう聞いても『富士山』にしか聞こえないのだが、そんなことを言えば死が確定するので 三嶋は笑いを必死に噛み殺す。


「今回も公安なのかしらね」

「じゃあ、本人から聞かせてもらおやないですか」

 いつの間にか、二人の言い合いは、三嶋の所属の話に戻っていたらしい。

「……僕は話しませんよ」

「無理に話さなくてもいいのよ」

 坂上はそう言って辻に耳打ちする。辻はすぐさま三嶋の背後に立ち、どこからか取り出した手錠で三嶋を後ろ手に椅子に括りつけた。


「富士さんに聞いてみたわ。やっぱり、私はここから離脱。あなたも同様に離脱。代わりに手の空いた信者が、これの面倒を見てくれるそうよ 」

 辻の口元がかすかに動く。音は聞こえないが、舌打ちしたように三嶋には見えた。

 的確な指示を出せない富士に対してなのか、それとも所詮二期生でしかない車椅子の女に対してなのか。両方にも思えた。


「つじまちゃんは、何人必要だと思う?」

「前回は三交代制、監視に幹部をつけて四人やったと思います」

「今回もそれでいいかしら」

「ええと思いますよ」


 一体自分はこの先どうなるのか、幹部たちの会話からはハッキリしない。三交代制ということは、拷問でもするつもりか? ならば、迅速に三嶋の表向きの所属を吐くまで。スパイとして選ばれた理由には、三嶋の父親の話を挙げればいい。


 しかし、その目論見は甘かった。


「あの手この手で吐いてもらうのは、楽しいねんけど大変やねんな。面倒やから、さっさと全部話してもらおうかな」

 辻がそう言った瞬間、懺悔室に白衣を着た数人の男女が入ってくる。その中には、亮成もいた。薬理部だ。


「薬理部の本気、見せてあげよう」

 薬理部部長の小林がそう言って三嶋を抑え込む。さらに一人が手足を押さえつける。見上げると、亮成が点滴の針のようなものを手にしていた。


「じゃあね。お話、たくさん聞かせてもらうからね」

 辻の言葉に合わせて、亮成が目を伏せながら三嶋の腕に針を刺す。亮成の指は震えている。下手な注射のあまりの痛さに、思わず漏れかけた声を抑えようとしたのを最後に、三嶋の意識は遠のいていった。

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