第60話:詭弁 ~目標になんて届かない~
「天に呼ばれた人々と同じ領域に立つということは、非常に重要なことです。あの世とこの世の境目をなくすことは、我々にもできます。苦労すること、それは必ず善行です。おなじことをするのにも、苦労がある方がより善行を積めるのですよ」
富士の話はまだ続いている。
胡散臭い話になってきたが、前々から細かく伏線を張っていると違和感はないらしい。信者の目の光がすごい。眠気に勝てない三嶋でもさすがにおののくほどだ。
「では悪行とはなんでしょうか。これは、あの世に行った人が持たないものを考えると自ずと答えは出ます。お金ですね。この世で生きるのに確かにお金は必要です。しかし、死者は財産を全く持たずに旅立っているでしょう。財産を持つということに幸せはありません。苦労を妨げることにもなるのですから」
さらに雲行きは怪しく見えるが、富士は教義を刷り込む段階に入っている。財産を持つことを禁止して、教団が代わりに善行を積むために使うという名目で金をまきあげている。
「マザーテレサは、財産を持たなかったキリスト教のシスターです。皆さんご存知の通り、人々に尽くし、ノーベル賞を取りましたね。これが紛れもない善行であることは皆さんもお分かりでしょう?」
話の矛盾につっこみ始めるとキリがないのだが、そんな野暮なことをする信者は当然だがいない。疑問を持つこともないらしい。富士の前に立って話を聞く人々にも軽く疲れが見え始めている。この疲れがわずかでも正常な判断を妨げているのだろう。
今の自分だって、睡眠不足の上に疲れの中で正しい判断が出来る自信はない。
* * *
一瞬意識が飛んでいた。気づくと富士の話は終わっていた。
「帰るで、博実」
辻に肩を撫でられ、三嶋は片付けの作業に入る。テーブルを畳みながら、三嶋はため息をひとつつく。
今回も勧誘は出来なかった。富士のようなトーク力は三嶋にはないし、コミュ障と三嶋が思っている亮成ですらどっこいどっこい、下手すれば負けている。
「まあ、気にしたらあかんよ」
三嶋の気持ちを感じ取ったのか、辻は優しく声をかけ、車に乗るように促した。
ハンドルを握る辻の表情は、どこか厳しいものがあった。怒っているわけでも、厳しいわけでもない。しかし、唇をぎゅっと結んだ顔はわずかに三嶋を威圧する。
無理を言うな、と三嶋は心中で思う。おかしいのは三嶋ではなく目標だ。
三嶋は布団に潜り込む。夕食まで、まだ時間はあるはずだ。
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