第59話:演説 ~教えは悪いものじゃない~

 夫からのDVに悩む妻、職場の人間関係に悩む若いサラリーマン、話し相手のいない老人。いかにもカモになりやすそうな面々の悩みを笑顔で三嶋は聞いていく。各々の主張を聞いて、三嶋が何を思っているか。眠い、それだけだ。


 もちろん、合間合間には勧誘を挟む。決して悪い反応ではない。ここは行き場のない人間の墓場だ。主に、友人などの関係である信者にこの場を紹介された人々である。救いを供給した三嶋相手に強く勧誘を拒否できる人間というのは滅多にいない。


 そう考えると、新規信者を獲得しろという命令も不可能ではない。

 だが、実際に判子を押そうという人間はなかなか現れなかった。そもそも、一般の参加者の悩みを聞くお話の会は、やはり新興宗教主催だからか、参加者自体少ない。メインイベントは富士の説法(恵みの言葉とかいう言葉できれいに飾っているが、所詮説法である)で、それは在家信者相手の信仰心を煽るものである。


 単に信仰心を煽ると言っても、それ自体は簡単なことではない。しかし富士の「喋り」は確かに上手い。話を聞きながら、三嶋は唾を飲み込んだ。


「善良な人間こそが苦労するのです」

 優しく富士は語りかけている。

「天国は、この世で善行を積んだ人が集まるところでしょう? つまり、神は、善行を十分に積んだ方を天に呼ぶということです」

 愛する息子を失った母に向かって語りかけている。早くもその母は涙を流していた。三嶋も、天国の説明をされただけで泣いてみたいものだ。


「では、この世に残された人間はどうすれば良いのか。善行を積めば良いのです。そう、修行です。そもそも、この世とあの世に明確な違いはありません。当然、死んだ人が行くところという違いはありますが、それだけです。あの世で出来ることがこの世で出来ない、という教えを授けている教典は、どの宗教においてもありませんよ。世界中の人が、あの世でできることはこの世でできると信じ、実践しているんです」


 ぺらぺら富士は話を重ねていく。途中から三嶋は話を聞いていなかったが、信者達は熱心に耳を傾けている。

 「死者との繋がり」を教義に含む『大地の光』では、大切な人を過去に失った人々が信者に多い。死者を忘れられない人々が、この宗教にすがりつく。大切に思う身内を失ったことのない三嶋にはその気持ちがわからないが、そうなってもおかしくない悲しみを抱える人々は確かにいる。


 ある意味、富士はこのような人たちを救っているのだ。カルトでなければ、彼らの活動は多くを救っている。だが、裏で様々なものを蹂躙している団体でもある。

 それを取り締まるのが三嶋の役目だ。

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