第31話:伏兵 ~スリはスリには強くない~
廣田がスマートフォンを二台持っているという可能性に、どうして今まで思い至らなかったのだろう。裕は自分の背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「いや、そもそも龍平がナオちゃんの裏につくメリットなんかなかったはず……」
「どうします? とりあえず、あのスマホをこちらに引っ張ってきましょうか」
廣田がスマホをしまった位置を横目で確認して、多賀が小声で耳打ちした。
「そうだな。できそうか?」
裕も多賀の耳元で囁く。
「スマホがこちら側に来たら、ラインに流して春日に確認を取ろう」
多賀が初めて情報課に来た時、章がスリの写真を撒き散らした、多賀にとっては忌まわしきあのライングループである。
「でしたら、裕さんが廣田と世間話でもして頂けると気づかれにくいと思います。
別にお話して頂かなくても大丈夫ですが」
多賀は自信満々である。その自信が顔に出たせいで、廣田にバレてくれるなよ、と裕は心中で祈った。
果たして、多賀の技術は完璧だった。
多賀が狙ったのは、裕が廣田に声をかけた瞬間である。廣田が裕の挨拶に気を取られている間に、多賀は廣田のジャケットのポケットに手を滑り込ませていた。
目を奪われないようにするのに苦労するほど、多賀の腕前は鮮やかだった。
「やっぱ、本物のスリは凄いな」
手の中で獲物をこっそりと弄びながら、裕が感嘆した。
「そうですかね」
多賀は不思議そうな顔をする。
さっきまで自信たっぷりだったのに急にこんな表情をされると、どこか滑稽だ。
会場の隅で、裕はスマートフォンの写真を送信した。客がだんだん増えている。ぱっと見て怪しい姿であるわけではないが、あまり気は抜いていられない。
『合ってる』
即座に返ってきた春日の返信は短くも重かった。
「ビンゴだったよ。ナオちゃんが触ってたスマホは、やっぱり龍平のだった」
「中、見られるかな?」
「ロックが前と同じなら、出来るはずですが……」
多賀は画面をしばらくつついていたが、急に顔をしかめた。
「駄目ですね。暗証番号です、これ」
「マジで? ……あ、本当だ。なんかいい番号ないかな」
スマートフォンを受け取った裕もしばらく触っていたが、突如、
「あっやべぇ」
小さく呟いた。
「ロック開いちまった……」
裕が珍しく青ざめている。
多賀が裕から受け取った画面は、どう見てもホーム画面だった。
「う、嘘でしょう!? 何て入れたんですか?」
「1470。龍平が昔から四桁の数字を選ぶ時に必ず選んでた番号だけど……」
「そんなのあったんですか……?」
「いや、その番号はもう使ってないはずなんだ」
しかし、実際は使っていたということらしい。
本来指示役のはずの裕は思考停止状態に陥っている。
「章さんに報告しましょう。あのスマホが廣田のものだったことと、暗証番号を」
スマートフォンに張り付いているかのように、章の返信は早かった。
『裕はアクシデント苦手だからなぁ』
そういう返信を欲しいのではない、と思った時、続いて返信がきた。
『その番号使ってるはずないんだけどな。とにかく、もうすぐ行くから、待ってて』
「という返信が章さんから来ました」
「あ、章、もうすぐ来るんだ。よかった」
裕の顔色がふっと戻った。
「あの、どうしてその番号を使っていないとわかるんですか? そもそも、その番号って……」
そこまで言った時、人混みの中の誰かにぶつかった多賀が、ポケットを押さえた。
「あ、僕もやばいです」
「ん?」
「今、廣田のスマホ、スられました」
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