第三話

第一章:あの日、あの時、あの場所で―――


*****




 雨が、雨が降りしきっている。


「………」


 窓を開ければ冷えた空気が部屋を駆けた。起きてから既に五時間、腐ってしまったかのように重かった空気が幾分かマシになった気がする。五時間も何をしていたか―――何もしてはいない。ただ、一時間は天井を眺めていた。それから二時間は久しぶりに本を読んで、残りの二時間は単にスマホをいじって終わった。

 雨が葉を打ち、地に爆ぜる音がする。自分の生きている音以外はほぼ無音だった部屋に『色』が戻った。そんな気がする。寒さに身震いさえするものの、さっきまであった物苦しさは霧散していた。空気が美味しいとはこのことを言うのだろう。文字通り、肺が息を吹き返す。


「…ふぅ」


 深く息を吸って、それ以上に吐く。雨の匂いがした。空腹よりも歯磨きをしたいと自然と思う。何もかも、入れ替えてしまえればどれだけ楽だろうか。


―――♪♪♪


 スマホが鳴る。休日の正午ピッタリ。この時間帯に連絡してくる相手といえば、


『アンタ、暇でしょ?』


 そう、容赦のない幼馴染くらいだろう。


『俺に連絡するくらいだから、あなたも同様に』


『ちょっと家まで来なさいよ』


 おかしいな。相変わらず会話が成り立たない。


『雨、面倒、空腹、寝不足』


『傘、貸し、まかない、肉体労働』


 わぁお、全てが解決されていく。この間、僅かに一分未満。流石は頭の回転も速いだけある。

 ちなみに、先ほどの単語羅列分を解読すると。俺が『雨降ってるから面倒。腹減ってるし、眠いからダルい』。その返答に歌南は『傘させばいいじゃない。そもそも貸しがあるんだから来なさいよ。そうね、まかないくらいは出してあげるし、肉体労働した方が健全でしょ』だ。


『まかないってヘルプ?』


『そ、バイト代は出すって。もったいない』


 後半は明らかに個人的な感想だろう。ということは、前半は店主である歌南の親父さんのものに違いない。まったく、律儀なんだから。


『何時まで?』


『何時まででも』


『寝床は?』


『なに、泊まってく気?』


『まさか。何時まででもって言うから』


 ここで既読から返信まで少し間が空いた。何事かと思っていると、その答えがやってくる。


『ほら、アンタが変なこと言うから。私より父さんが乗り気になっちゃったじゃない』


『え?』


『お泊りセット、持ってきなさい。じゃ、三十分後に』


『厳しすぎワロタ。用意出来次第向かいます』


 返信は簡単なスタンプだった。吊られたテルテル坊主。可愛いのだが、ロープが余りにも太かったり、そもそも結び目があからさまだったり。白目に、口からは吐血。本来の白い布から足がはみ出てるところを見るに、最早首吊られ坊主。正直返信なのかも妖しいスタンプではあったが、この際目を瞑ろう。


「めんどくさ」


 つい五分前の自分とは打って変わって、高揚感で浮足立っている自分がいた。




*****




「…ふあ」

「お? どうしたどうした、寝不足か?」

「オレンジ頭が現れた。どうしてコイツはいつもこう元気なのだろうか?」

「地の分チックですよ、恭佑さん」

「あ、ごめん。つい心の声が」

「へいへい。それより…昨晩はお楽しみでしたね?」

「うん、歌南が寝かせてくれなくって「制裁!」」


「「ごふぇ⁉」」


 腹部に物凄い衝撃が走る。身体をくの字にして、苦しみながら四つん這いになる男子高校生二人。その前にはブレザーを纏った覇王が一人、まさに仁王立ちしている。

 しかし……残念だ。長さが絶妙過ぎて、見えない。


「ちょっと、気持ち悪い目で見ないで。人生辞めたら?」

「だってさ」

「いや、おれたち二人に言われたと思うんだけど…」


 今日も今日とて、俺たちは屋上で昼休みを過ごしていた。と言っても、悠姫は委員会活動があるらしく昼食後足早にどこかへ消えてしまったのだが。


「まったく、これだから盛ってるサルは」

「スカートで容赦なく蹴りを繰り出す人の言葉とは思えませんな」

「いやはや、まったく。あの健康的なおみ足で蹴られるのであればご褒美「あぁ?」」

「「何でもないです…」」


 今日は機嫌が悪いのだろうか。いや、確かにふざけている俺達にまず非があることは間違いないのだが、歌南の当たりがいつもより厳しかった。


「ま、アンタ達二人はまだ他の有象無象よりマシだけど」


 唾でも吐き捨てそうな勢いで歌南が呟く。相当嫌なことがあったらしい、まさか俺達がまだマシだと言われるだなんて。少しだけスカートの中身を期待した自分に罪悪感を覚えた。


「何かあったん? 歌南ちゃん」

「…別に」

「何かしたん、恭佑」

「何で俺なんだよ。何もしてねぇ」


 と言いながらも、一応記憶を辿ってみる。何か失礼なことでもしでかしてしまっていないか。……してない筈だ。休日の応援要請にも快く応えたし、久しぶりに木暮一家と過ごした時間は団欒そのものだった。歌南も笑っていたし。


「アンタ達じゃないわよ。二組の久保田」


「サッカー部の?」

「プレイボーイの?」


 被った。思わず雅輝の方を見てみると、何が嬉しいのかにやけている。気持ち悪い。


「そう、それ。また連絡ちょうだいだの、週末空いてるだの煩わしい…」


「ナンパかよ」

「彼氏かよ」


 また、被った。もう雅輝の方は見ない。気持ち悪い雰囲気がビシバシ伝わってくる。モーホーなのだろうかと時々心配に思うことがあるのはここだけの話だ。


「…。アンタ達、付き合えば?」


「「やだよ、気持ち悪い」」


「「………」」


「お似合いじゃない」


 ここでようやく歌南の表情が幾分か緩んだ気がした。ため息交じりではあったが、確かに笑っている。思惑通りという訳ではないのだが、この瞬間だけは雅輝と視線を合わせてお互いを称えた。


 それにしても…サッカー部の久保田か。




*****




 何となく、だ。

 最初に言っておくが、本当に何となく。歌南にはお世話になっているから、とか、久保田には埋められない距離が俺達にはあるんだぞ、とか。そんないろんな感情があったような、なかったような。


「ほら、お待たせ」

「…ん。ありがと」


 結論から言えば、放課後俺は歌南をデートに誘っていた。

 デートと表現はしたものの、正直俺たち二人の間にそんな気がないのは火を見るより明らかで。どちらかと言えば、そう、雅輝のように友達と二人で過ごす感じ。その相手が歌南であって、歌南は異性である。ただ、それだけ。


「………」

「いっただきまーす」


 俺からクレープを受け取ったものの、一向に食べる気配のしない歌南を横目に俺はファーストインプレッション一口。ちなみに、意味は知らない。


「おぉ…うまっ。並ぶだけあるわ」


 勿論、食レポなどしたこともないので表現に乏しいのはご愛敬。レアチーズケーキとベリー系のソースという王道に間違いが起きる筈もない。クレープ生地はほんのりと温かく、小麦とバターの香ばしさ堪らなかった。

 思わずセカンドオピニオン二口目。勿論、これも意味を知らない。何となくファーストとセカンドを使ってみたかっただけ。


「…いただきます」


 遅れて、歌南も難しそうな表情をしながら一口。もう一口。更に一口。


「美味しい」

「ありがとうございます!」

「いや、別にアンタが作ったんじゃないでしょ」

「はい」

「おごりでもないし」

「はい…」


 別に財布の中身が寂しい訳じゃない、土日のウェイターで臨時収入も入ったし。ただ、歌南がどうしても出させてくれなかっただけなのだ。


「……。あーあ、ばっかみたい」

「雅輝が?」

「ここにいないんだから、無理矢理引っ張ってこないの」


 苦笑された。すまん、雅輝。お前の犠牲は忘れない。無駄だったけれども。


「ごめん、気を遣わせて」

「お互い様々」

「そうね。ありがと」


 短い会話が続く。それでも苦ではなかった。食事中だということを抜いても、歌南とはこんな会話が多い気がする。お互いが飾らず、素で過ごしている。そんな感じ。


「…ねえ」

「ん?」

「付き合うってさ、どんな感じだと思う?」

「え? フェンシング突き合う的な?」

「バカ。男女のカップル的な」

「知らん」

「嘘、アンタだって付き合ったことくらいあるでしょ?」

「そりゃあまぁ…」


 ここで隠しても仕方ない。気心が知れた幼馴染。言ってしまえば腐れ縁。お互いの親が仲が良かったこともあり、否応なしにお互いの情報は交換される。知らないことももちろんあるけれど、特に色恋沙汰に関しては親も容赦はないのだ。


「私だってある。でも、分かんないのよね~」

「分からないって?」

「何が良いのか」

「良し悪しなんて結局自己満」

「相手が幸せだと感じてくれるなら、それが自分の幸せって人もいるでしょ」

「じゃあ、その相手は自分に尽くしてくれて幸せそうにしてる相方を見続ければいいってこと?」

「ひねくれてるわね~。お互いがお互いの為に幸せを押し付けてるって?」

「やー、難しいんで分かんないっすわぁ」


 話が脱線してきたので、自分から一区切りつけることにした。正直、この会話は終着点が見いだせない。歌南に吐き出してもらうつもりでいたのだが、これでは不完全燃焼だろう。


「で、いきなりどうしたよ? まさか久保田が…」

「久保田? ああ、違う違う。アイツにそんな度胸はない」

「左様で」

「ほら、こうやってベンチに座ってるのって、家族連れかカップルが多いじゃない」


 歌南の言葉に改めて周りを確認してみると、確かに言われた通りだ。小さい子に自分のクレープを分け与えている親。別々の味を買って、仲睦まじくシェアしているカップル。どうやら、ここはそういう目的で使われることが多いらしい。


「悠姫や雅輝もさ、いつかはこうやって誰かと…」

「あれ? 俺は?」


 歌南のその言葉に、何故か心臓が大きく跳ねた。思わず軽口で返すものの、一体どうしたというのだろうか俺の心臓は。


「アンタは別に放っておいてもどうにかなりそうだし」

「何じゃそりゃ」

「私は…」


「私は、どうなんだろ…」


 珍しく、言葉を濁す歌南に。俺は何も言えず、ただ残りのクレープを口に入れた。


 …大きすぎた。苦しい。口からはみ出そうだ。




*****

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