第4話
「ほら、イム」
開け放った窓越しに目があった相手へ、包みを放り投げる。イムは目を瞬かせながらも腕を伸ばして、俺の投げた包みを確かに受け取る。慌てた様子が可笑しくて思わず声をあげると、不服そうに笑った。
「失礼なやつだな」
「悪い、悪い。でも、ちゃんと買ってきたぞ。手紙にあったようなのを」
そう教えれば、イムは早速手元の包み紙を開き始める。がさごそという音の後、澄み渡った濃紺の空へ広げたイムの両手には、細い銀の鎖がきら、と鈍く輝いている。長い鎖の真ん中、イムの両手の間で一番重たく垂れ下がっているところには、色づけされたガラスの飾りがいくつも連なって揺れている。女性の胸元を飾るにはうってつけの、宝飾品だ。
「投げて、壊れたらどうするつもりだったんだ」
「お前はそんな下手は打たんだろう」
不服そうに俺を睨んだイムは、俺が言い返すと決まり悪そうにそっぽを向いて、また、広げたネックレスを見つめるようだった。淡い月の光のもとでゆっくりと揺れるガラスは繊細な美しさでもって輝いていた。それを着けるであろう女性は、果たしてどんな風貌なのか、それを知るのはイムただひとりだが、「ありがとう」と言うイムの横顔はいやに優しく見えたので、きっと、それに見合うようなすがたをしているのだろう。
ひととおり眺めて納得し、満足をしたのか、イムは両手を引っ込めて、またがさごそとし始める。鎖のこすれ、ガラスとガラスがぶつかる音がした。それから一瞬からだを引っ込めて、また窓から身を乗り出す。
「金は?」
「明日の朝、食堂で」
「分かった」
普段なら、それだけで話を止めて顔を引っ込めるところだ。だが、今日、聞いたばかりの話はまだ、脳裏から消えてくれていない。俺ではない誰かが聞いたらどう思うのだろうか、という疑念が、振り払えない。
「あのさ」と切り出せば、イムが少しぎょっとしながら、「何だよ」と聞き返す。きっと珍しがられているのだろうと思ったが、俺が言おうとしていることの突拍子もなさが、すでに読まれているのではないかという馬鹿げた考えが頭を過ぎった。
澄んだ空気を深く肺の底まで入れる。それをゆっくりと吐き出してから、今度は普通に息を吸って、口を開く。
「砂が降り止むという噂を、聞いたか?」
言えば、イムは目を丸くした後、すぐに眉根を寄せて難しい表情になり、首を横に振る。「いや、聞かない」と低く言いながら、いぶかしげに俺を睨んでいる。
「むしろアス、お前はどこかで聞いたのか」
「キャラバンにそう聞いた。街では、聞かんだろう」
「気配すらないぞ、そんな噂」
やりとりをするイムの声は、ただただ困惑しているようだった。そう反応する気持ちは、わかる。あの後、俺が昼間に街を歩き回ってみても、そんな噂はつゆとも聞かれなかったのだし、砂が降り止む何てことがあるとは思えないほどいつも通りに、空から砂が降っていた。帽子もゴーグルもマスクも、手放せないほどに。
「……もしも砂が止んだら、どうする」
「どうするもこうするも、なるようにしかならねえよ」
イムはまだ戸惑っている様子で、そう口にする。眉根を寄せたままで、紺色に澄んだ空を見上げて「そんなことがもし起こるんなら」と、険しい声で呟く。イムも俺と同じに、信じられないのだろうと思う。ただの噂であってすら、砂が止む、なんていう、想像もつかないような話を。
「お前の幼なじみは直に帰って来るんじゃないか、もし、そうなれば」
「ああ……そうかもしれないな。砂病の心配がなくなったなら」
「それは、うれしいことなんじゃあ、ないか」
俺が問いかけてもイムはまだ夜空を見上げたまま、ゆっくりとため息をつく。首を横に振って「分からない」と小さく絞り出された言葉には、まったく、同意をするしかなかった。それが本当のことなのか、本当になったとして何がどう動くのか、分からない。まだ何も、分からない。胸がざわつく、息が浅くなるのは、何もかもがまだ薄ぼんやりとした不安のためかもしれない。それすら確証が持てず、分からなくて、俺もまた空を見上げる。澄んだ空には、明々と丸い月が、笑っている。
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