第3話

「あ、ゆーびんやさん 」

 と、子供の声が言う。そちらを向けば、小さな女の子が僕の頭の上、赤い帽子を指さしていた。女の子のそばの母親らしき女性が、指さすんじゃありません、と諭している。けれども、女の子はやっぱり僕の赤い帽子を指さしたまんまだった。

 子供用の帽子の広いツバの下の目が、いかにも好奇心たっぷり、といった風に輝いているように見えたもので、僕はその二人の方へと、足を向ける。

「郵便屋さんですよ、お嬢ちゃんのお手紙、あるかな?」

「あたし、キーファよ」

「キーファちゃん、ね」

 今朝方、メッセンジャーバッグに入れる前に軽く整理をした手紙の束を思い出しながら、カバンの蓋を開けて、ほとんど空っぽの中を探すふりをする。ただのパフォーマンスなのだが、子どものきらきらしたまなざしの訴えには、勝てない。

 僕は、バッグの中で動かす手を止めて、彼女の方へ向き直る。

「キーファちゃんへのお手紙は、ないみたいだなあ」

「ほんとう? お父さんからのお手紙を、待ってるのよ」

「そうなんだ。お父さんは、何をしている人?」

「東の街で、おしごとしているの」

「そっか……早く、届くと良いね」

「うん! それまで待つわ、あたし」

 小さな胸を誇らしげに張って、彼女は言う。無邪気な一途さがかわいらしくて、思わず口元が、頬がゆるむ。お父さんのお手紙はきっと明日にでも届くよ、ということは、秘密にしようと思った。

 女の子の後ろ、母親らしい女性が、すまなそうに目を細めて、軽く頭を下げている。ローブの隙間からは目しか見えないが、きっと眉間に軽く皺を寄せて、口元はすまなそうに笑みを浮かべているのだろう。僕は彼女たちに、特に、僕へ小さな手を振ってくれている女の子に向けて片手を振って、その場を離れた。

 そうして再び目を向けた道には、すっかり砂が降っている。西風のせいで、ここ、東地区に降る砂は、横から叩きつけるようだった。軒先なぞ日除けの意味すらなさず、ぴしりと閉ざされたドアの手前には、砂がうずたかく積もっている。

 そんな中でも出歩く人々にはそれぞれ理由があるのだろうけども、みんな、砂除けの装備はきちんとしている。中でも目立つのは、人々の頭を覆う、帽子だ。性別や年齢によって、大体形は決まっているものだけれども、特に大きくて目立つ帽子は、僕らのように仕事を示しているのが大抵だ。場所が決まって商売をするのでなく、砂降りや他の天気に合わしてあちこちへ動きながら店を出すのだから、看板代わりの帽子というのは大切にされるものだった。そしてまた、かぶる当人たちが大切にするものだった。

 そんなこの街の帽子への親しみは、街の外からやってくる人たちにも知れているようで、メインストリート沿いに広げられたテントの下、キャラバンの商人たちは、つばのない、背の高い円筒状の帽子を、被っている。その表面には刺繍が施されていて、何を扱っているのかすぐに分かる。初めて見る顔も多い場所だと、そういうものが本当にありがたい。

 テントの前を通りながら、中を覗き込んで帽子を見る。他のよりも豪奢に、派手に飾り付けられた帽子。金や銀の糸も使って刺繍がなされた、他よりも一回り、横にも縦にも大きな帽子。それを被っている人を探す。そうしている間に、テントの下の商人たちも僕が何者かは十分分かっているからだろう、幾人かから声をかけられるが、また後でと首を横に振って見せる。

 そうして通りをほとんど端までやってきたところ、キャラバンの最後尾のテントの下、ラクダ達が休憩しているところに、目当ての人影が見つかった。派手で少し大きな帽子をかぶっている。マスクをしていない口元に、黒々とした髭がたっぷりたくわえられている。

「隊長さん」

 僕が声をかけると、しゃがんでラクダ達の様子を見ていたらしい彼が、こちらを肩越しに振り向いた。それからのっそりと立ち上がる。

「御苦労、わしらにあてての手紙かね」

「ええ、まずは……」

 ラクダ達の尻尾を踏まないように気をつけながら、彼の近くまで歩いていく。長年キャラバンを率いてきたのだろう彼の体躯はがっしりとして、広い背中が西からの砂を遮っている。おかげで、ポンチョの下のメッセンジャーバッグを、あまり気を使わずに開けることが出来た。わずかな残りの手紙を全てつかんで、彼へ手渡す。彼はそれを受け取って、ふむ、と頷きながら、すぐそばのラクダの腹の横の荷受けへ、手紙をいれた。それが彼のラクダなのか、それとも一時的な待避場所なのかは、分からないが。

「確かに、お渡ししました」

「確かに、受け取ったぞ」

「僕らの受け取る方は」

「あちらな駱駝の腹の横だ」

 浅黒い手がすっと伸びて指を指す。その先にもまた、ラクダが座り込んでくつろいでいる。どれくらいの距離を歩いてきたかは分からないが、ラクダ達もすっかり疲弊しているのだろう。長い睫毛がふぁさりと閉ざされて、休息をとっているようだ。ラクダの腹の左右には、同じだけ膨らんだ鞄がつり下げてある。その蓋を開けてみると、中にはぎっしりと手紙が詰まっている。大きいのから小さいのまで、白いのから日焼けした黄色っぽいのまで、封蝋をされて閉じられた手紙ばかりが、ぎっしりと。

 自分の、空になったメッセンジャーバッグの蓋を開ける。そこへ少しずつ、ラクダの運んできた手紙を移していく。流し見る封筒の表の宛名へ、さっきの女の子の名前を探すけれども、どうやら見つからない。もしかすると逆な方の鞄へ入っているのかもしれないし、ひょっとして運が悪いと、次のキャラバンの訪れになるかもしれない。遠くの街からの手紙というのはどうしたって、ひと月に二度ずつ、各々の方角の街からやってくるキャラバンが運んでくるしかないのだから、首を長くしてひたすらひたすら待ち続ける羽目になるのも、稀ではない。

 ラクダの頭の方を回って、ラクダとラクダの狭い間で脚を広げて、もうひとつのカバンの蓋を開ける。果たして僕の鞄に詰めきれるだろうか、というのが疑問に思われるほどの量の手紙が詰め込まれている。それらの表もさっと流し見ながら、カバンへ手紙を詰め込んでいると、あった。唐草模様で縁取りがされた封筒の真ん中に「キーファ」と、綴られている。その封筒を左手の小指と薬指で挟みながら、他の手紙を鞄に詰め込む。一番上へ、あのかわいらしい女の子のもとへ届ける手紙を乗せてから、ぱんぱんに膨らんだ鞄の蓋を留めた。

 まだ僕の方を見ているキャラバンの隊長の方へ、ラクダたちの前を横切って近づく。口元へ蓄えた髭をさすっているのは、なるほど、絡んだ砂が気になりでもするのだろう。だからこの街で髭を蓄える人なんて珍しく、客人だとすぐに分かるのだが。

「手紙、確かに引き取りました」

「ああ、確かに見届けた」

「じゃあ、僕はこれで。買い物を済ませて帰ります」

「少し待て、郵便屋」

 これで、と頭を下げようとしたのと同時に、隊長の声が低く告げる。下げかけた頭を止めて、後ろへいきかけていた重心を足の裏に留め置く。

「まだ、何か」

「街に、噂はないか」

「噂?」

「ああ。砂が、降り止むぞと」

 低い声が言う、内容が信じられなくて、瞬きを数回。もう数回、繰り返して、ようやく絞り出したのは「え?」と聞き返す間抜けな声。思わずマスクを引き下げる。辺りの空気はまだ、砂が舞っていて埃っぽいのに「砂が止むですって?」

「そうだ、そういう噂がある」

「聞いてない、一度も……嘘でしょう」

「儂も、真偽は分からんがね」

 隊長は細めた目で真剣に言って、まなざしを西の方へやる。西は、今の風上。街の中心、砂の降ってくる先。街の砂はすべてそこから掘り出されて、掘り出されて、こうして風に乗って降ってくる。機械の休む週末の一日以外は、ずっとそうだった。俺が生まれたときからそうだったし、俺が成長する間もそうだったし、きっと、俺が死ぬまでそうだと思っていた。

「しかし、君らが知らんのなら嘘かもしれんな、郵便屋。街中のことは君らが一番よく知っている」

「そう、評価していただけるのはありがたいことですけど……それでも聞こえてこないこともあります。でも、少し注意して耳を向けてみます、ありがとう」

「礼には及ばん、まったく」

 そう言って首を横へ振る隊長へ、いつもよりも少し深く礼をする。ゆっくりと顔をあげながら、マスクで口と、鼻とを覆い隠す。引き下げていたゴーグルを持ち上げ、ちゃんと目元へ着けてから、テントの隙間から空を仰ぎ見る。舞い上がった砂で覆われて、加えて、ゴーグルのレンズの色も通して見る空は、果たして元が何色をしているのかも分からなかった。

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