エピローグ

「町長、書類ができました」

 いつも通りの一言に、考え事をしていた町長は我に返る。

「……ああ、すまない。確認しておくよ」

「何もせずぼーっとしてるなんて、珍しいですね。びっくりです」

 秘書課配属五年目の長谷川くんが、抑揚のない事務的な声で告げる。

「まあ、ゆっくりしてても、この書類さえ片付ければ終わりだからな」

「はい。私も町長の机の引き出しに入れておいたパンツを運び出せば終わりです」

 唐突になんというカミングアウトをするのか。

「ちなみにGストリングです」

 この調子では次の町長が四苦八苦することになりそうだ。

 それはさておき、さっき受け取った書類は旅館めくがたの収支報告書であった。ここ数ヶ月は安定して黒字をマークしていた。

「この町も変わったよなあ」

「はい、変わりましたね。ところで、今日は私のパンツの種類も変えてみました」

 その報告は必要ない。

 しかし、本当に目陸田町は変わった。

 町に遺っていた採掘場跡を東京の某絶叫マシンの多いテーマパークが買い取り、そこに新しく遊園地を作ってしまった。

 それによって、パンツ温泉以外に普通の露天風呂も備えた旅館めくがたの客も増える一途を辿った。

 特急列車が目陸田駅に停まるようになり、町営バスもあれよあれよという間に整備された。

 騒ぎが落ち着いた後も、パンツ温泉の珍しさに旅館めくがたは客足を維持できているという。

「こうなったのは町長の功労ですよ」

「そう、思うかね」

「はい、思います」

 長谷川くんの無表情を見るのも今日が最後かと思うと、寂寥の念がこみ上げてくる。

 町長は選挙に六回目の立候補をしなかった。任期満了に伴って、町長は町政を退くことになる。

 後継は40代の若手議員だそうだ。

 キーンコーンカーンコーン……。

「六時の鐘か……。そろそろ帰宅時間だなあ」

「そうですね……」

 不意に長谷川くんが落ち込んでいるように見えたのは気のせいか。

「さてと、じゃあ荷物もまとめてあるし、帰るとするかな」

 町長は小物がたくさん入った小さい鞄を持って、町長室を出た。

「町長!」

 後ろから長谷川くんの声がして振り返る。町長室には長谷川くんが目に大粒の涙を浮かべ、表情の豊かではない顔を目一杯悲しそうにして立っていた。

「なんだね?」

「……お疲れさまでした」

 長谷川くんは何か色々と言いたそうな顔をしていたが、全て飲み込んだようだった。

 役場に初めてやってきたときと同じくらい腰からお辞儀をして、動かなくなった。

 町長はしばらくその様子を見つめていたが、何も答えずにそのまま前を向き直して、町長生活最後の帰路についたのだった。

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